53 仕掛けと祝福
今まで着た服の中で、一番高くて重い――クレアはスカートに縫いつけられた宝石と自分自身が釣り合っていないと感じていた。
「ほら、似合うと思っていたのよ。親子ですもの。仕立て直しが間に合って良かったわ」
アリアンヌが優雅な貴婦人の顔を忘れて、まるで少女のようにはしゃいでいる。斜め後ろでは教師が諦めた顔をしていた。今日だけは許すと考えているのだろう。
教会側の好意で、聖堂に隣接する空き部屋を貸してもらったクレアは、フラヴィの助けを借りてドレスに着替えていた。ジェラールの屋敷で知り合い、仲良くなったメイドたちもいる。それぞれクレアを着飾らせるために必要なものを持ち、楽しげに作業を進めていた。
すぐ後に控えた結婚式で緊張しているのはクレアだけだ。挙式の流れは覚えた。慣れないドレスで歩き回れるのか不安だ。裾を踏んだらどうしようと、よくないことばかり頭に浮かぶ。
「これ、クレアのお母さんが結婚式で着たドレスって本当? こんなの用意できるって、かなり凄いところの出身なのねぇ」
クレアをイスに座らせ、フラヴィが感心したように言う。この室内にいる中で、彼女とメイドたちはクレアの両親を知らない。
――凄いところ……ええ、そうね。いまだに信じられないけれど。
この国の皇女だった。絶対に言えない。
ブロイ公爵夫妻から許可を得られたあとは、結婚に向けて慌ただしく過ごしていた。
ドレスの調節も忙しい理由の一つだ。アリアンヌが用意したのは、クレアの母親が自身の結婚式で着たものだという。遠目で見ても明らかに安物とは違う。どこに保管されていたのか、またジェラールが誰に許可を得て持ち出してきたのか、考えるのが怖い。
テオドールもまた準備のために家を空けることが多かった。帰ってきたかと思えば工房にこもったり、庭で実験をしてそのまま出かけていた。式場となる教会の屋根を修繕していると近所の住人から聞いた時は驚いたが、きっと後で理由を教えてくれるだろうと思っている。
「さあ、髪型はこんな感じでどう?」
後ろにいたフラヴィが自信満々に鏡を見せてくれた。結い上げた髪には、小さな花に見立てた飾りが付けられている。頭を動かすと宝石が光に反射して綺麗だった。
「可愛い……」
「みんなで決めたのよ」
思わず感想をもらすと、フラヴィはベールの位置を調整しながら言った。
「アリアンヌ様が用意なさった宝飾品の中から、似合いそうなものを選んで持ってきたわ」
「それも、あなたのお母様が身につけたことがある宝石よ。お義兄様が快く協力してくださったの。こちらに顔を出したいと仰っていたから、もうじき現れるはずよ」
アリアンヌが天気の話でもするかのように軽く言う。
「お義兄様、ですか?」
クレアが顔と名前を知っている貴族は、ジェラールとアリアンヌしかいない。とある可能性に思い至ったとき、控え室の外が騒がしくなった。
「あら。来たみたいね」
扉を叩く音がした。近くにいたメイドがクレアとアリアンヌにさっと視線をよこして、許可を求めている。
着替えは済んだ。見られても構わない。
扉の先にいたのはジェラールだった。疲れた顔で、申し訳ないがと話し始める。
「私の兄が、君に会いたいそうだ」
「ブロイ公爵の兄ということは……」
ジェラールは現皇帝の実弟だと聞いている。
服装だけ平民に寄せた護衛たちに続いて、ジェラールと顔立ちが似ている男が入ってきた。男はクレアに会うなり、表情を和らげる。
「確かに、似ているな」
わざわざ名乗らなくても、その振る舞いで分かった。メイドだった頃の癖で壁際に下がろうとして、アリアンヌに優しく止められた。
「今日はあなたが主役なのよ? 誰が相手だろうと、堂々としていなさい」
あまり無茶を言わないでほしい。
「で、でも、どうして、ここへ……?」
「そのドレスを保管しているのは皇室だよ。だから兄の許可がなければ持ち出せなかった。説得するには、理由を言わねばならないだろう?」
アリアンヌがジェラールにしかできないと言っていたのは、そういうことだったのかとクレアは納得した。
「花嫁側の出席者が少ないと聞いた。それに、ジェラールばかり姪と会うのはずるい」
「仕方ないだろう。兄上は気軽に会える立場ではないのだから」
「だからずるいと言ったのだ」
拗ねている伯父は、初対面で感じた威圧感が消えている。
「あの腹黒い弟にいじめられていないか?」
「腹黒……だ、大丈夫です。まだ」
「問題がなければいい。直に助けてやることはできないが、義妹を通じて話ぐらいは聞く」
クレアにしてみれば、それだけでも破格の待遇だ。奏上することなどないと思いつつ、礼は言っておいた。
「あいつの結婚式は参加できずに、さんざん文句を言われた。今回も逃したとあっては、毎晩のように夢に出てくるに違いない。ところで君の夫はどこへ行った?」
「心労で倒れそうになっている司教を落ち着かせておりました」
扉の前に立つ護衛が道を開け、テオドールが入ってきた。室内にクレアの親族が集まっているのを見て、苦笑している。
「平民ばかりが通う教会に、高貴な方が何人も訪れたわけですから。ご老体には酷だったようです。まあ、式までには持ち直すでしょう」
「はて、ここには平民しかいないはずだがな」
「兄上。どう考えても無理ではないかな? 平民は護衛を引き連れて歩いたりしないのだよ」
「だから一人で行くと言ったのに……オーベルシュタットがいるなら護衛は要らぬ」
「教会が廃墟になるので、あの人を護衛に抜擢するのはお勧めいたしません」
淡々と、それでいて圧力を感じさせる声音でテオドールが言った。フェルの父親自身も、護るのは苦手だと自身を評価していたことがある。なぜ人を守って建物が廃墟になるのか、聞かないほうが精神衛生的に良さそうだ。
アルブレヒトはお忍びで参加する伯父を魔術で運んできたそうだ。伯父が住む帝都とスールズは遠く離れている。馬車を使ったとしても移動に一週間以上かかってしまう。表向きは実弟であるジェラールと会談するために、魔術師を雇って転移してきたことになっていた。
「長居しては失礼になるな。夫も来たことだ、聖堂へ移動しようか」
護衛の男たちが無言で移動していく。部屋の外に近所の住民たちがいたが、遠巻きに様子をうかがっているだけだった。どう贔屓目に見ても武人としか思えないので、無理もない。
「クレア、おめでとう。君の人生が幸運に満ちたものであることを祈っている」
そう祝福してくれた伯父は、テオドールへ向けて続けた。
「仕掛けのことは聞いた。楽しみにしている」
「ご期待に添えるよう尽力いたします」
「私もジェラール様から聞いたわ。面白いことを計画しているのね」
「大胆なことを考えるものだ。だが嫌いではない。存分にやりなさい」
伯父に続くように、ジェラールたちも控室を出て行った。
「クレアの親族付き合いって大変そうねぇ」
色々と察してしまったらしいフラヴィは、また後でねと言い残してアリアンヌの後を追った。部屋に残った着替えなどの荷物は、メイドの一人とジェラールの副官が見張りをしてくれるようだ。
「仕掛けって、なんのことです?」
「聖堂を使った見せ物」
いたずらを企む顔だ。前もって伯父たちに話を通していたなら、きっと悪いことではないのだろう。
クレアは顔にかかっているベールを少し持ち上げた。
「どうですか? 初めて着たドレスが豪華すぎて、自分ではよく分からなくて……」
「ん、綺麗だと思う。俺のほうが釣り合ってないんじゃないかと不安になるな」
「そんなことありません。リヒターさんも素敵ですよ」
テオドールはチラリと扉の近くで興味津々に見物している知り合いを確認してから、クレアをイスに座らせた。出入り口に背を向けた状態で膝をつき、クレアの手をそっと握る。
「リヒターさん?」
「今日からクレアもリヒター姓だろ」
「あっ……そうですよね。急に呼び方を変えるのが慣れなくて。テオドールさん? テオさん? どちらがいいですか?」
「……クレアが好きなほうで」
俺も慣れが必要だな――テオドールは小声で言った。
「まだ時間がありますね」
「じゃあクレアを褒め倒してから聖堂へ行くか」
「褒め倒す? な、なぜです?」
「綺麗の一言だけで済ませると思ったのか。監視の目も無くなったことだし、これからは遠慮しないからな」
「遠慮してたんですか」
「人前でいちゃつく趣味は持ってないんだよ」
「入り口から皆さんが見てます」
「声は遮断した」
「私の顔が見えてます」
「つまり独り占めされたいと?」
テオドールは立ち上がってクレアの手を軽く引いた。クレアもイスから立つと、扉がある方向はテオドールの体に遮られて見えなくなった。だが座っていたときよりも距離は近い。選択を間違えたかもしれない。
「クレア。愛してる」
一気に顔が熱くなった。率直な言葉で気持ちを伝えられるのは、これが初めてだ。テオドールのことだから最も効果的になるように、機会を伺っていたのだろうと疑ってしまう。
「あからさまに顔を背けるなよ」
「だって」
「まだ序盤なのに?」
「まだあるんですか!?」
「当たり前だろ。まだ褒めてないぞ」
意地が悪そうな笑みを浮かべたテオドールは、クレアの背中にそっと手を回して逃げられないように捕まえた。
じわじわと追い詰められて、気がつけば罠の中にいる。そんな状況にも関わらず、心は舞い上がったまま。どんな言葉をかけてくれるのか、期待と不安が複雑に混ざり合い、なぜか心地良かった。





