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底辺ランドリーメイドが幸せになるまで  作者: 佐倉 百


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50 少し先の話2

 買い物から帰ってきてすぐ、クレアは丁寧に梱包されたカップを取り出した。淡い色で水仙が絵付けされている。生まれ育った王国では春を告げる花として愛されており、クレアが好きな花でもあった。


 落とさないように洗って水気を拭き取っていると、外出先の楽しかったことが浮かんでくる。


 町の中心部は賑やかで、彩りに満ちていた。とにかく店の種類が多く、行き交う人々も多様性に溢れている。彼らが身にまとう民族衣装を見ているだけで、各地を旅行した気持ちになれそうだった。


 馬車の窓から見ていたころとは、比べものにならないほど刺激的だ。


 人混みの中を歩くときは、はぐれないようにテオドールと手を繋いでいた。クレアが歩く速さに合わせてくれたおかげで、一度も歩きにくい思いはしていない。人が多い場所でもぶつからず、馬車の合間を縫うように道の反対側へ渡るのも楽しかった。


 家の外は驚くことばかりだ。一日では足りない。休みの日に少しずつ探索して、自分の世界を広げていきたい。


 クレアは着実に知っていることを増やしていくのが合っている。急いで吸収しようとしても、容量が足りなくてこぼれてしまう。


 火にかけたヤカンから、湯が沸いた音がした。クレアが動くよりも早く、テオドールが火を止める。そのまま用意していたポットの中へと湯を注いだ。


 ポットの中で茶葉が開いていく。紅茶に混ざる爽やかな香りはオレンジピールだ。砂糖よりも蜂蜜が合うので、戸棚から出しておいた。


「どちらの席で飲みますか?」


 新調したテーブルがある席か、ゆったり座れるソファか。


「ソファ、かな」


 砂時計で抽出時間を計りつつ、テオドールが答えた。家に帰ってきてから口数が減ったような気がする。気に障ることをしてしまったのかと、不安になってきた。


 砂が完全に落ちる前に、テオドールは紅茶をカップに移した。クレアはひと匙だけ蜂蜜を入れ、優しく混ぜた。


 テオドールは紅茶が入ったカップと焼き菓子をトレイに乗せ、ソファの近くへ持って行く。瓶の蓋を閉めている間に、先を越されてしまった。クレアは隣に座って運んでもらったカップを受け取った。


 無言のまま座っているテオドールは、ぼんやりとテーブルのあたりを見ている。


「リヒターさん?」

「ん?」

「どうしたんですか?」


 テオドールはクレアが持っているカップに目線を落とした。灰色の瞳が迷いを表すように揺らぐ。


「少し、先のことを考えてた」

「先?」

「今の生活はブロイ公爵が、王国を騙すために仕組んだものだ。ずっと続くわけじゃない。任された護衛の仕事が終わったら……たぶん、二度と会わなくなるんだろうな、と」

「……そうですね」


 この家を離れたら、テオドールに会う理由がなくなる。クレアが時計を持っていれば、修理や整備を言い訳にできるだろう。だが今以上に仲が深まる予感がしない。


「そう思うと、惜しくなってきた」

「惜しい?」


 意外だった。クレアが家に来た当初から、テオドールの態度は全く変わっていない。護衛の任を解かれても、淡々としているのだと思っていた。元の生活に戻ることを残念だと感じているなんて、見ただけでは分からない。


「他人が家にいると落ち着かない。俺自身が抱えている秘密が露見すれば、忌避されるのは間違いないからな。常に気が抜けない生活になるだろうと思って身構えていたら、逆だった」

「逆……」

「クレアが家にいても嫌じゃなかった。いることが当たり前になっていて、家にいないほうが落ち着かない。快適に過ごさせることがクレアの仕事だから、特別な意味はないと思ってたんだが……収穫祭で酔ったクレアから本音を聞かされて、俺自身の気持ちに意識が向くようになった」


「収穫祭って……私、酔って告白してたんですか? でもリヒターさん、何もなかったって」

「悪い。黙ってたほうがいいと思ったんだ。もっと世間を知れば心変わりするだろうと」

「しません。ずっと、変わっていません」

「うん、そうらしいな。すぐ顔に出るから、よく分かる」


 テオドールはクレアの頬に指先を添わせた。もっと触れてほしくて、クレアは外側から手を重ねる。テオドールが愛おしいものを見るように、柔らかい笑みを浮かべた。


「クレア。これからも一緒に暮らさないか? 護衛とか、出向中のメイドとか関係なく。家族として」

「家族……」

「夫婦? いや、まずは恋人から?」


 クレアが言われたことに舞い上がって言葉が出てこなくなったのを、不満と受け取ったらしい。テオドールが慌てて訂正してきた。


「私、諦めなくてもいいんですか?」

「ああ。もう後戻りできないぞ」

「そんなの、最初から考えてません」


 テオドールはクレアの手を掴んで引き寄せた。手の甲を上にして、指の付け根にそっと口付ける。

 赤面して黙ってしまったクレアに対し、テオドールは面白そうにニヤリと笑った。


「本当に隠し事ができないんだな。今どう思ってるのか、態度に現れてる」

「リヒターさんが隠すのが上手いだけです。私のことをどう思っていたのか、教えてもらうまで知りませんでした。夢じゃないですよね? 寝て起きたら王宮のメイド部屋だったなんてことは……」

「落ち着け。現実だよ」


 テオドールに頭を撫でられているうちに、焦りは消えてきた。嬉しさで顔の筋肉が緩んだまま戻らない。


「俺の家族はもういないから、報告が必要な相手はいない。問題はクレア側か」

「私ですか?」

「まずブロイ公爵。公表していないとはいえ、クレアの伯父にあたる。それから公爵夫人。クレアの後ろ盾というか、身元を保証してくれる相手だ。この二人は絶対に話を通しておかないといけない」


 これからもスールズに住み続けるならと、テオドールは付け足した。クレアのせいでテオドールが築いてきたものを捨てることがあってほしくない。


「許していただけるでしょうか」

「公爵夫人は育てたメイドが幸せなら、生活に口を挟んでこない。クレアが思っていることを、そのまま伝えれば一定の理解は示してくれるだろう。難関はブロイ公爵か……」


 現皇帝の弟であり、優れた政治家だと皆が口を揃えて言う相手だ。クレアの行動が帝国にとって害になるなら、血縁など関係なく排除する冷静さを持ち合わせている。政治や駆け引きとは縁が遠いクレアから見ても、隙を見せてはいけないと警戒するほどの凄みがあった。


「……公爵は俺の過去を聞いてきたことはないが、アルブレヒトの親戚だと知っている。行政へ提出した書類から、出身地も。面倒な家系だと知った上でクレアの護衛に雇ったということは、魔獣に襲撃される可能性も織り込み済みだったはずだ」


 テオドールはクレアの髪を指先に巻きつけて弄んでいる。考え事をするときに、何かをいじるのが癖なのだろうか。くすぐったい気持ちになって会話に集中できないので、そろそろ止めてほしい。


「こちらのことは全て筒抜け。権力も圧倒的に上。結婚の許可を得たいので会ってくださいなんて正直に言っても、平民が気軽に訪問できる相手じゃない。さらに、面会が叶っても許可してくれるかは別だろう」

「じゃあ、どうすればいいのでしょうか」

「そう難しいことじゃない。相手が呼びつけたくなるような話題を提供するだけだ」


 テオドールの手が止まった。珍しい柔らかな表情がすっかり消え、不敵に笑っている。


「まずは手紙を書いてくれないか。夫人と教師、あと友人のメイドに」

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