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底辺ランドリーメイドが幸せになるまで  作者: 佐倉 百


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46 本音と主張

 傷口が塞がったことを確認して、テオドールは血がついたシャツを脱ぎ捨てた。固まった血糊が肌を引っ張る感覚がする。怪我の痛みは消えていないが、体の動きを阻害するほどではない。


 シャワーコックをひねると、すぐに温かい湯が出てきた。血の臭いがバスルーム全体に充満して吐きそうだ。


 体全体についた汚れを洗い流しても、敵と戦った不快感までは消えなかった。


 あれは過去に取り憑かれた亡霊だ。吸血鬼と呼び蔑まれた者たちが持つ異能のうち、長寿を受け継いだ末裔。テオドールの先祖と争っていた時代から生きている敵は、当時の記憶を忘れることなく鮮明に覚えているらしい。


 どれほどの月日が流れたとしても、あの敵は恨みを晴らすことしか眼中にない。かつて争った先祖が亡くなり、世代交代を繰り返していても関係なかった。テオドールが受け継いだ異能と血を根拠に、何度でも命を狙ってくる。


 テオドールは城に保管していた自分の服を探して身につけた。


「誰かいるか?」


 使用人を呼ぶ小さなベルを鳴らすと、扉の近くに白く半透明なものが現れた。かろうじて人の形をしており、長いスカートで女性だろうと判断できる低級霊だ。


「飲み物を――酒じゃないぞ。温かい茶を持ってきてくれないか?」


 低級霊が白いもやでワイングラスを形取ったのを見て、テオドールは即座に訂正した。人間のように働くハンスと違い、低級霊は知能が低いので具体的に言わないと、要求とは違うものが出てくることがある。面倒だと感じることもあるが、ハンスはアルブレヒトの命令しか聞かないため、低級霊に頼むしかなかった。


 テオドールの要求を正しく受け取った低級霊は、うやうやしく頭を下げて消えた。


 ふと室内の鏡を見ると、緋色のまま戻らない瞳が映っていた。


 戦うときに異能を使ったことに加えて、傷の治療で急激に魔力を失った証拠だ。魔眼持ちは生まれつき特殊な魔術を扱えるが、外見に特徴が現れてしまう。普通の人間ではないと自ら喧伝しているようなものだ。


 魔力が足りない。飢餓状態といってもいい。魔力の源が近くにあれば、強引に奪いたくなる。人を襲って魔力を奪っていた、一部の吸血鬼のように。時間が経てば魔力は回復するので、部屋に閉じこもって耐えるしかない。


 他人から魔力を奪っても、自分のものに変換し終えるまでは吐き気と悪寒がする。純粋な吸血鬼ならばそのような副作用はなかったそうだが、普通の人間と混血を繰り返してテオドールの代までくると、体調不良になることが当たり前になっていた。副作用が出る代わりに、他人の魔力を分析して個人を特定することが可能になったものの、利用できる機会はそう多くない。


 魔力が欲しいという飢えを、見境なく奪うと後悔するからやめるべきだという理性で抑えているのが現状だ。クレアに会ったときは、その均衡が崩れそうになった。相性がいいと知っているからこそ、自分のものにしたいと喚く本能に負けそうで危険だった。


 クレアは襲撃してきた敵のことを、アルブレヒトから聞いただろうか。


 正体不明の生き物に襲われ、ろくに説明されないまま見知らぬ場所に連れてこられたのだ。きっと不安に思っているだろう。そんな時に、テオドールから無理やり魔力を奪われるようなことがあってはならない。王国で殺されかけた事件から、まだ半年ほどしか経っていなかった。男に襲われる経験など、無いに越したことはない。


 ――護衛の仕事は、俺じゃなくてもいい。


 もとはアルブレヒト宛てに届いた依頼だった。心身ともにクレアが無事なら、護衛が変わってもジェラールは納得するはずだ。


 自分が無事に帰れなくても、クレアの将来には影響しない。


 扉を叩く音がした。

 茶を持ってきてくれたのだろう。ここにいる霊は、客人がいる間はベルを鳴らすか、呼びかけに返事をしないと入室しないよう躾けられている。


「どうぞ」

「失礼します」


 低級霊なら無言で入ってくる。扉越しに聞こえてくる声は、いま最も会うべきではない相手だ。


 テオドールはゆっくり振り返った。

 茶器をトレイに乗せたクレアが部屋に入ってくる。その背後には、白くぼやけた低級霊がドアノブを掴んでいた。


 扉が閉まる。

 見えないはずの霊の顔が、微笑んでいるような気がした。




 ***




 部屋の前に到着すると、ハンスはクレアに待っているよう言った。


 扉をすり抜けるように出てきた白いもの――低級霊が、ハンスの前で止まってゆらめいている。ハンスが一度だけうなずくと、低級霊は風もないのに流れて消えていった。


「飲み物を所望されましたので、用意してまいります。お客様はそれを持って入室なさるのがよろしいかと」

「ええ。よろしくお願いします」


 理由があれば部屋に入りやすい。出会い頭に用件を伝えるよりも、会話が円滑になるだろうという配慮だ。クレアはありがたく提案に乗ることにした。


 やがて低級霊が飲み物を運んできた。トレイに青い絵付けが入ったカップとティーポット、砂時計が乗っている。時計の砂が全て落ちたあたりが、茶の飲み頃ということだろう。


 トレイを託されて両手がふさがったクレアの代わりに、低級霊が扉を叩いた。中から聞こえてきた返事はテオドールのものだ。


 緊張した自分の鼓動が聞こえてくるようだった。


 酷い女だとクレアは思う。恩人が望まない方法で、傷を癒せと強要しようとしているのだから。


 嫌われてもいい。テオドールを癒すことが最優先だ。回復したら、また敵がいるところへ行ってしまう。次はもっと酷い状態で戻ってくるかもしれない。そうならないように、クレアができることは何でもしてあげたかった。


「失礼します」


 低級霊が扉を開けてくれた。

 振り返ったテオドールは茶を運んできたのがクレアだと分かると、困惑した顔で距離をあけた。


「なぜ、クレアが持ってくるんだ」

「いけませんか? どうぞ、座ってください」


 お茶が冷めますよと駄目押しをすると、テオドールは渋々といった表情でソファに座った。


 手順通りに紅茶を淹れて出したあとは、ソファの近くに立って待つ。一口飲んだテオドールが目を閉じ、そっと息を吐いたのを見て、心に余裕が戻ってきたのだと分かった。張り詰めていた空気が、ほんの少し和らいでいる。


「クレア。もう十分だ、ありがとう」

「いいえ、まだ足りないように見えます」

「今は余裕がないだけだ。休めば元に戻る」

「魔力があれば治りますよね? そのために来たんです」


 テオドールの口角が下がった。


「誰にそれを……あいつか」


 苦い薬でも飲まされたような顔で、テオドールはカップをテーブルに置いた。


「リヒターさんが見つかってしまったのは、魔眼を使ったからだと聞きました。私の血縁関係を誤魔化したときですよね? 瞳の色が、赤くなったように見えたんです」

「クレアは関係ない。もう何年も前から確執がある敵だ。いつか襲撃してくることは分かりきっていた。たまたまクレアが家にいるときと重なっただけで、原因とは言えない」

「私が家にいなければ、もっと上手く立ち回れたはずです。私をかばって怪我をして、それでも違うのですか?」


 テオドールは反論しようとしたのか口を開いたが、迷った顔で何も言わなかった。


「強い相手と戦わなければいけないなら、私の魔力でも何でも使って治してください。リヒターさんが拒否しても、フェル君のお父様にやり方を聞いて押しつけます」

「……意外と押しが強いな」

「どうしても通したい意見は、相手から目を逸らさずに、はっきりと言葉にするよう友人から教わりました。けっして媚びず、退かないようにと」

「それはケンカのやりかただ」


 諦めたようにテオドールが言う。


「なぜそこまで俺に与えようとする?」

「私を助けてくれました。殺されそうになったときも、誘拐されたときも」

「結果的に俺が助ける形になっただけだ。王国へ行ったのは、ブロイ卿の依頼だった。貴族と繋がりがあれば、それなりに見返りがある。欲しい許可証の審査が通りやすくなるからって下心しか持ってなかったんだぞ、俺は」

「きっかけが何であれ、一緒です。それから、帝国へ来てからは目標になってくれました」


 言っている意味がよくわからないといった顔で、テオドールが見上げてくる。


「先生に、目標がないと勉強し続けることは難しいと言われました。言葉を覚えるのも、仕事の手順を考えるのも、全てあなたのことを思い浮かべると上手くいきました。私、まだ何もお返ししていないんです。与えてもらうばかりで、何も」

「……どうやって魔力を取られるのか、聞いてないだろ。傷が増えるぞ」

「いまさら一つぐらい増えてもかまいません」


 足にはまだ傷跡が残っている。殺されかけた恐怖と痛みに比べたら、テオドールを助けてついた傷など可愛いものだ。


 テオドールはぐったりと背もたれに体を預けて目を閉じていたが、やがて無言のままクレアを見た。


 真っ赤な瞳で見つめられて、動けなくなる。宝石のようで綺麗だと思う気持ちと、底知れない怖さを感じて混乱しそうだ。


「クレア」


 手招きされたクレアは、引き寄せられるようにテオドールの側へ進んだ。


「一つだけ約束してほしい。無理はしないように。クレアが嫌だと感じたら、俺を殴ってでも逃げてくれ」

「わかりました」


 クレアは隣に座ろうとしたが、テオドールに腕を掴まれた。


「隣だとやりにくい」

「じゃあどうすれば……」


 テオドールは答えないまま、やや強引にクレアを膝の上に座らせた。


 ほとんど経験したことがない距離。目を合わせるのが恥ずかしくなり、クレアは横を向いて耐えた。

 首筋にテオドールの指先が触れる。


「心臓に近いほどいいんだが、これ以上は困るだろ。お互いに」

「私は――」

「言うな。違う意味で襲いたくなる」


 襟のボタンが外された。外気にさらされた首の付け根に、テオドールがそっと口付けた。


 痛くはない。

 くすぐったくて、現実ではないような感触。何かに掴まっていないと崩れ落ちそうだ。テオドールの背中に手を回した。


 互いに抱きしめあう姿勢になると、魔力を奪われていることを忘れて、多幸感に満たされていく。

 体が気怠くなってきた。


 うっとりとしたため息が聞こえる。艶かしい声音を耳元で感じて、何も考えられなくなった。


 今この瞬間だけは二人しか知らない。テオドールの傷を癒しているのが自分の魔力というのは、誇らしいと傲慢なことを考えてしまう。献身だの恩返しだのと言葉で取り繕っても、結局はクレアがテオドールのそばにいたくてやっていることだ。


 使用人だからと線を引いて弁えているつもりでも、独り占めしたい欲望を捨てきれていない。

 後で辛くなるだけだと頭では理解している。

 心は納得していないまま、時間が流れていくのを待つだけだ。

 テオドールがクレアの肩に頭を乗せて、動かなくなった。

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