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底辺ランドリーメイドが幸せになるまで  作者: 佐倉 百


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 王国が完全にクレアから手を引いたと聞いても、実感は湧かなかった。クレアにとって政治は想像上の世界でしかない。国同士で駆け引きをした末に、諦めさせたから安心しろと言われても信じられない。油断させて、見えない場所から連れ去る機会を伺っているだけではないのかと疑ってしまう。


「王国の魔術師にしてみれば、大勢の前で恥をかかされたわけだ。あいつらはプライドが高いから、王女探しには消極的になるだろう」


 テオドールは大人しくしていれば沈静化すると予想しているようだ。


 王国では、長い歴史を持つ魔術に絶大な信頼を寄せている。その魔術でクレアが他人だと証明されてしまったため、王国は受け入れるしかないのだ。


「次に王国が何かしようものなら、外交の席で改めて抗議するらしい。隠している失態が書面に残ることになる。表沙汰にされたくない魔術師は、必ず反発するだろうな」


 魔術を外交手段として使ってきた王国としては、魔術師たちに反発されるとやりにくい。王女が外交に関わってこなければ、今までと何ら変わりはないのだ。調査の結果、王女はやはり死産だったと結論づけて、忘れ去る方針に切り替えた。そうしておけば帝国が王女を表に出してきても、我が国で認められた王女ではないと言い逃れができる。


 クレアはなんとか裏の事情を飲み込んで、政治に関わらないでいられることに感謝した。もしどちらかの国で傀儡にされたなら、すぐに心を病んでいただろう。死ぬまで他人に使われる生活は、苦痛でしかない。


「これからは自由に外出できる機会が増えるだろうな。とはいえ冬の間は娯楽が少ないんだが」

「いいんです。元から自由に外へ出られる身分ではありませんでした。それに外へ出ても知っている場所が少なくて、どこへ行けばいいのか……」


 買い物ができる市場や店の場所は、近所の人たちが教えてくれた。クレアはまだ訪れたことはないが、道順だけは知っている。王国がクレアを諦めてくれたら、まずそれらの店へ行ってみようと思っていた。


 テオドールはクレアの境遇に同情するような視線を向けた。


「王国では、休みの日は何をしてたんだ?」

「日用品を買ったり、同僚から頼まれた買い物をしていました。その、遊びに使えるお金もなかったんです」

「聞けば聞くほど悲惨だな」

「使用人という名の奴隷だとアリアンヌ様が仰っていました」

「クレアが普通の待遇で喜ぶ理由がよく分かった。ところで、その封筒は?」

「近所にお住まいの女性が、リヒターさんへの贈り物だと――」


 テオドールはテーブルの上に置かれた封筒を拾い上げた。裏の差出人の名前を見るなり、面倒そうな顔になる。インクがついた服を見つけた同僚が、似たような表情をしていたことを思い出した。


「……燃やすか」

「えっ!? 中を見ないんですか?」


 物騒なことを言いだしたテオドールに、クレアは驚いた。


「見なくても分かる。どうせ見合いの案内だ」

「お見合い、ですか」

「一言も頼んでないのに、勝手に話を持ってくるんだよ。独身者の世話を焼くのが趣味だとか言って……俺には必要ないって断っても、まるで聞いてない」

「お見合いしないんですか?」

「しない」


 テオドールは即答した。


「顔も名前も知らない誰かと、いきなり夫婦になれと言われてもな」


 そう苦笑しているテオドールに、クレアは内心で安堵していた。


 一見すると冷たい印象のテオドールだが、接してみると内面は正反対だとわかる。甘やかすことはせず、ときに突き放して相手の自立を促すところが、人によっては冷酷に見えるだけだ。


 もし初対面の相手と夫婦にされても、彼なら時間をかけて愛していくのだろう。そんな未来が簡単に想像できるからこそ、新しい出会いが発生するかもしれないものが怖い。今の生活が終わってしまう。


「……クレアも無関係じゃないんだぞ」

「え?」


 心を読まれたのかと思った。


 テオドールは封筒を開けて中身を出し、ろくに読まずに破り捨てた。


「クレアに決まった相手がいないなら、紹介しろとうるさく言ってくる連中がいる。この封筒の送り主に言えば、翌日には見合いの候補者を一通り教えてくるだろうな」

「それはちょっと……遠慮したいです」


 見知らぬ男性と二人きりにされたりするのだろうか。会話のきっかけなど思いつかないし、殺人未遂や誘拐に遭遇した経験から、自分より体格がいい人に接近されるのは苦手だった。


 それにテオドールへの気持ちを引きずったままだと、相手にも失礼だ。ことあるごとに比べてしまって、正常な判断ができなくなる。


「家まで来て交際を迫る奴はいないと思うが、困ったことがあったら教えてくれ。雇い主に許可を取ってから誘えとでも言えば、大半は諦めるだろう」

「その断りかたではリヒターさんに迷惑がかかりませんか?」

「迷惑なことは提案しない。むしろ断りなくクレアを引き抜かれるほうが困る」


 テオドールはそこで言い淀んだ。


「……最初は期待していなかった。匿うために同居しているだけだから、家事ができなくても、俺がやればいいと思ってた」

「すいません。もっと作業効率を上げて、満足していただける水準を目指します」


 完璧にやろうとすると、どうしても時間がかかる。少しずつ上達しているが、まだ新人の域を出ない。


「い、いや。責めてるわけじゃないんだ。よくやってくれていると思うし、助かってるから、落ち込まないでくれ」


 クレアが自分で思っているよりも評価していると言われて、ずるいと感じた。


 その言い方はずるい。ますます好きな気持ちが育ってしまう。テオドールに褒められたら嬉しくなるに決まっている。諦めるどころか、離れたくない理由ばかり増えて困る。


「感謝してるんだ、これでも。仕事に専念できるようになったのもあるけど、クレアが家にいると落ち着く――」


 テオドールが黙った。クレアから顔を背け、口元を手で隠している。


 言ってはいけないことを、うっかり口走ってしまった。そんな仕草だ。


「リヒターさん?」

「違うんだ。今のは……」


 最後まで聞きたかった。好きな人に自分がどう思われているのか知りたい。


 もう一度、名前を呼ぼうとしたとき、庭から軽快な足音がした。真っ直ぐに近づいて、勢いよく裏口の扉が開く。


「ただいまー」


 フェルが学校から帰ってきた。走ってきたのか、明るい金髪が少し乱れている。

 微妙な空気を察したフェルは、カバンを肩にかけたまま首を傾げた。


「……何かあった?」

「別に、何もない」

「そう? まあいいか」


 無表情に戻ったテオドールが言うと、フェルはあっさりと受け入れた。カバンの中から手紙を出して、テーブルに置く。


「これ、保護者に見せろって、先生が言ってた」

「んー? 進学の希望調査か。上の学校へ進学したいなら、行けばいいんじゃね? お前の成績なら問題ないだろ」

「でも、かなりお金がかかるって聞いたし……」

「子供が金の話なんてするなよ。お前の父親は金に無頓着なだけで、ケチじゃないぞ」


「テオ。父さんはこの国のお金のことを知ってるのかな? 現金が手元にないなら、物々交換でいいじゃないかとか言わない? 学費代わりに高価な魔術道具を学校へ持っていったりして、悪い意味で目立つ気がする」

「……そうなる前に、ぶん殴ってでも止めるから安心しろ」


 話だけを聞いていると、フェルの父親はかなり浮世離れした性格だと受け取れる。


「手続きとか入金は、今まで通り俺が代行するから。な?」


 テオドールは励ますように、荒っぽくフェルの頭を撫でた。気持ちが落ち着いたらしいフェルは、安心した表情で大人しくしていた。二人は家族ではなく遠い親戚という間柄なので、いくら仲が良いといっても遠慮してしまうのだろう。


 ――それとも、背中を押してほしかった?


 将来を決める大切な選択だからこそ、信用している人に大丈夫だと言ってほしい時もある。


 話がまとまり、フェルはカバンを持って二階へ上がっていった。自分の部屋へ向かうフェルの後ろ姿を見送り、テオドールがつぶやいた。


「あいつの家にある金目のものでも売っ払って、フェルの学費にするか」

「それは……いいのでしょうか」

「いいんだよ。どうせ請求しても平民が換金しにくい品物を送りつけてくるだけなんだから」


 フェルと父親の交流は少ない。だがフェルが父親のことを嫌ったり避けていないのは、テオドールが間に立って二人の仲を取り持っているからだと思われる。テオドール自身はフェルの父親に良い感情を持っていないようだが、フェルに押し付けないよう気を使っているように感じた。


「大変なんですね」

「父親が絡んだ時だけな。フェルは物分かりがいいから楽なんだよ。良い子すぎるところはあるが――」


 ふとテオドールが窓の外を見た。急いでイスから立ち上がり、座ったままのクレアを引き寄せた。


 窓の外に赤い鳥のようなものが現れた途端、窓ガラスが内側へ向かって砕け散る。ガラス片はクレアがいるところまで飛んできたが、テオドールに庇われて無事だった。


 鳥は割れた窓から侵入してきた。真っ直ぐにテオドールへ向かってくる。だが下から出てきた黒い塊に阻まれ、甲高い鳴き声をあげて床へ落ちた。


 一目で異形の生き物だと分かった。全体的に黒みを帯びた赤い体は、翼だけ羽毛が生えて歪だ。獣のような口を持つ頭はコウモリに似ているが、目は薄い膜に覆われている。


「……予想より早かったな」


 クレアを解放したテオドールは床で暴れる鳥を見てつぶやいた。


 見間違いでなければ、黒い塊はテオドールの影から出てきた。形が定まっていないのか、鳥が暴れるたびに外側が震えている。少し丸い犬に見えないこともない。黒い塊は口のような部分で鳥を掴み、テオドールに見せた。


「テオ!?」


 音を聞きつけたフェルが上の階から駆け降りてくる。螺旋階段の半分まできたとき、テオドールがフェルへ向かって小さな鍵を投げた。


「フェル。クレアを連れて逃げろ」

「わ、分かった……」


 フェルは戸惑いながらも素直にうなずき、クレアの袖を掴んだ。


「リヒターさん。どういうことですか? この生き物は」

「悪い。俺の事情に巻き込んだみたいだ」


 テオドールは質問に答えてくれなかった。


 浮遊感と共に視界が白く霞んでくる。完全に白に塗りつぶされる前に見えたのは、拘束を抜け出した鳥がテオドールの腕に咬みついたところだった。

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