40 隠蔽
あり得ない――王国から来た魔術師は、そうつぶやいた。
王国側の有利を信じていた特使も、言葉を失ってジェラールを忌々しそうに睨んでいる。
クレアは誘拐された先で、道具を使って何かを調べられたと言っていた。あれが王家の血筋にしか反応しないものだったのだろう。だからクレアが王女だと信じて接触してきた。
あちらは帝国が妨害してくることを予想して対策していたようだが、今回はこちらが有利だった。それだけだ。
テオドールは室内に張り巡らされた結界を盗み見た。
――魔術の干渉を防ぐ結界か。相変わらず見事な結界を持っているな。
今ここで魔術を使ったなら、即座に王国側へと伝わる構造にもなっている。
裸眼で馬車に乗った甲斐があった。もしクレアを介抱するために魔術を使っていたなら、テオドールに魔術の心得があると気づかれてしまう。相手はまだテオドールのことを無害な平民だと思っている。
王国の魔術師は手強いが、油断して侮ってくれるなら敵ではない。
「これで満足してもらえたかね?」
そうジェラールが特使へ言った。感情が分かりにくい笑みを浮かべ、表面上は穏やかな貴族を装っている。
「彼女の身元は妻が保証している。私は関与していない。そちらへ伝えられる情報など、私は持っていないよ」
クレアは平民だと主張するジェラールに、特使は苛立ちを抑えて反論した。
「ただの平民だと仰るか。では聞くが、その平民が、なぜあのような守護の髪飾りをつけていた? 素人の手作りを装っているようだが、素材は一級品だった」
――素人の手作りで悪かったな。ぶっ飛ばすぞ。
テオドールは内心で盛大に罵った。
女性向けの装飾品は専門外だ。王室御用達の宝飾職人には遠く及ばない腕前だと自覚しているが、面と向かって言われると腹が立つ。
おかしいと食い下がる特使に、ジェラールは申し訳なさそうに反論した。
「この国では、あの程度の護符は平民でも買える値段でね。君、あれはどこで贖った?」
王国の平民は貧しいのですねと皮肉を滲ませつつ、テオドールに話を投げてきた。
テオドールは仏頂面のまま、はっきりと答えた。
「エルメンライヒ魔術店の名で、品質の保証と登録をしてある品です。詳しいことは保証書に書いてありますので、時間をいただけるなら家から持ってきますが」
帝国内で売買される魔術用の道具は、犯罪を防止するために登録が義務付けられている。テオドールが自作したもののうち、工房の外で使用するものも例外ではない。登録には審査など煩雑な手続きが必要なので、信用できる代理人に任せることが多かった。
クレアに渡した髪飾りは、ジェラールが出資している店に代理で申請してもらっている。さらにジェラールは依頼主でもあるので、髪飾りのことは熟知していた。
「あれはお前が用意したものだと? ここへついてきたことといい、彼女とどのような関係があるのかね」
「婚約者ですよ」
テオドールは堂々と嘘をついた。ここで馬鹿正直に護衛と明かすわけがない。
「婚約者?」
「平民が最低限の自衛をすることが、そんなに不思議でしょうか? それとも、王国では婚約者の身を案じて贈り物をすることは、あり得ない風習なんですかね?」
「君、巻き込まれた苛立ちは理解するが、立場を弁えなさい」
ジェラールが穏やかに、それでいて抗えない力の差を見せつける。こちらが言わんとしていることを知った上で、面白がって演劇に参加してきた。
「閣下、止めないでください。こいつら、王国の貴族ですよね? 将来を約束した女性が危険な目に遭うのを、平民は黙って見ていろと? あんたたちみたいな横暴な貴族に誘拐されないように、事前に策を講じて何が悪いんだよ」
「そ、そこまでは言っていないだろう」
わざと下町風に口調を崩して詰め寄ると、特使は狼狽えて後ずさった。
「だから立場を弁えなさいと言っているだろう。少し頭を冷やしなさい」
ジェラールはそう言ってテオドールを特使から離した。
「私の顔に免じて、彼の非礼は許してやってくれないか。一目惚れした相手を口説き落として、ようやく婚約まで漕ぎつけたそうだ。感情的になるのも無理はあるまい」
この手の話は妻の得意分野でね――ジェラールが困ったように笑う。
「クレールもまんざらではない様子だったから、妻は一緒に暮らしてはどうかと提案したそうだ。近隣住民も、二人が仲睦まじいことはよく知っている。疑うなら調べるといい」
「ずいぶんとこの職人に肩入れしているようですな」
「彼は私が贔屓にしている職人だ。恩を売って囲い込む手段を、知らないとは言わせないよ。身分に関係なく有効だからね。忠実な部下は多ければ多いほうがいい」
断言したジェラールに対し、特使は食い下がるための言葉を見つけられなかった。部下の魔術師に命令して、室内に張り巡らせた結界を解除する。
「今回はそちらの事情を汲んで内密に処理をしたが、次は無いと思ってもらいたい」
結界が完全に消え去ると、ジェラールは笑顔に残虐的な色を滲ませて、特使に忠告した。
「我が国の大切な国民への誘拐未遂、決して許されることではない。入国した時点で糾弾しなかったのは、あなたがたへ配慮したわけではないのだよ」
「それは、どういう……」
ジェラールは答えなかった。テオドールのほうへ振り向く。
「あとは私に任せておきなさい。いきなり連れてこられて、婚約者も不安にしているだろう。すぐに行ってあげるといい」
テオドールは無言で一礼して、早足で廊下へ出た。
クレアが退出していなかったら、婚約者だという嘘は使えなかった。芝居の内容も違ったものになっていただろう。
――しかし。
素直に言葉が出てきたことに、自分でも驚いている。クレアと魔術師を引き離したあと、一緒に部屋を出て行こうか迷っていた。そのときはジェラールが代わりに特使をやりこめる芝居をしただろう。
どうしても自分から、手を出すなと言いたかった。だが理性と立場が許さなかった。常に冷静でなければ、有利な状況で敵を殴れない。そう知っているはずなのに。
待ち構えていたメイドに連れられ、隣の部屋へ入ると、すぐに座っているクレアと目が合った。
「リヒターさん」
安心したような笑みを浮かべて立ち上がったところを見て、心が苦しくなってくる。クレアから手を引かせるために、あえて見捨てなければいけなかった罪悪感だ。
最初の検査で血縁を証明できなかった魔術師が、次にやろうとしていたことは予想がついていた。王族にしか反応しない道具は、体内の魔力を調べるもの。あの道具の内部には、王族固有の特徴を検知する術式が刻まれているはずだ。
道具による検査では、稀に血縁者であっても反応しない時がある。魔術師もそう判断して、別の方法で試そうとした。王国の魔術には秘匿された部分が多いので詳細は不明だが、血縁者なら拒絶反応が起きない類いのものであることは間違いない。
「それで、あの人たちはクレールが無関係だと認めてくれたのかしら?」
聞かずとも答えは分かっているくせに、アリアンヌが尋ねてきた。
「私が退出したときは、まだ結論を出していませんでした。ブロイ公爵が自ら最後の説得される様子でしたよ」
「そう。可哀想な人たちですこと。どんな土産話を持ち帰ることになるのやら」
アリアンヌはそう言って、物憂げにため息をついた。妖艶さすら漂う姿に、クレアの頬が赤くなるのが見えた。
心配されているのが王国の特使たちだったのは、夫の厄介さを理解しているからだろう。テオドールも、その点については彼らに同情している。
「……まあいいわ。裏に馬車を用意させたの。疲れたでしょう? 面倒なことに巻きこんでしまったお詫びに、家まで送るわ」
アリアンヌの心遣いをありがたく思いながら、テオドールはクレアを連れて帰ることにした。
馬車に乗ってから、しばらく無言が続いた。クレアは座席に深く座り、ときおり窓の外を見ていた。無防備な状態で魔術にさらされたせいで、疲れているようだ。
「体調は?」
「先生のおかげで、だいぶ良くなりました」
エレンが治療をしたなら、問題ないだろう。テオドールが改めてやることはない。
「もっと他の方法があれば良かったんだが……」
「でも、そうするしかなかったんですよね? 私は大丈夫です」
あの拒絶反応は、他人の魔力を体内へ入れた時と似ていた。かなり不快だっただろう。
「どうやって誤魔化したんですか? あの道具が反応しませんでした」
馬車が工房の前に到着した。テオドールは後で話すとだけ伝え、外に出る。
鍵がかかった扉を開けると、すぐに奥からフェルが顔を出した。
「うまくいった?」
「ああ。俺が関与できるのは、ここまでだ」
クレアをリビングで休ませている間に、テオドールは湯を沸かして紅茶を淹れることにした。半分は自分のためだ。ジェラールの屋敷から帰ったときは、しばらく休憩して緊張をほぐしたい。
三人分の紅茶を用意したところで、クレアから再び検査結果を誤魔化した方法を質問された。当事者として知りたいのは当然だろう。
「血縁関係を調べるのは、魔術を使った方法しか確立されていない。対象の家系と、調べたい対象の魔力を比較するだけだ。だからクレアに俺の魔力で作った殻を纏わせて、検査を妨害した」
「出発前にしていたことですよね?」
「そう。一時的な効果しかないけどな。エレンが二度目の治療をしただろ? あれで完全に消えているはずだ」
「……どうして相手は気がつかなかったのでしょうか。魔術を使ったことを隠していても、痕跡で気づかれるから注意しなさいって、子供の頃に教えられました」
「俺が使ったのは、王国の魔術師が定義する魔術の範囲から外れている。よく観察しないと気がつかない程度の変化だ」
髪飾りもいい目眩しになっていた。クレアに魔術の詳細を教えていなかったのは、演技をさせると露呈するだろうと思ってのことだ。
きっとテオドールやジェラールとは違い、クレアは偽ることに慣れていない。
「何度も同じ検査をされたら、あいつらに勘付かれる。もしかしたら検査をした魔術師は違和感を感じたかもしれないが」
二度目の検査のときクレアに拒絶反応が出たのは、テオドールが作った殻と魔術師が使った魔術が混ざった影響だろう。二人分の魔力が悪影響を及ぼした結果だ。
「微量とはいえ、家を出る前に仕掛けたからな……移動中に気分が悪くなったりしなかったか?」
「移動中ですか? いいえ。行くときは何も……」
結界のような完成された魔術とは違い、純粋な魔力で覆っていた状態だ。少なからず症状が出ているはずだった。
「……クレア。少しだけ確かめさせてくれ」
気になることがある。
王国で彼女が王太子の子供かどうか調べたときは、時間が迫っていたので深く考えていなかった。
相手の魔力を取り込んで調べる方法しか、テオドールは知らない。他人の魔力を受け入れるといつも気分が悪くなって、魔術の行使に支障が出る。それなのにクレアを調べたあとは、普通に転移の魔術を使っていた。
「何をすればいいですか?」
「魔術を使う時のように、少しだけ魔力を外へ――」
クレアの手を軽く握った。触れたところから魔力を受け取ったテオドールは、反射的に手を離した。
「リヒターさん?」
「テオ?」
自分の手を見つめるテオドールを心配して、二人が控えめに声をかけてくる。
「……なんでもない。とにかく悪い影響が出てないなら、それでいい」
「私よりも、リヒターさんは大丈夫ですか?」
「慣れない魔術を使ったせいで、疲れたみたいだ。部屋で休んでくる」
返事を聞く前に、テオドールは二階へ上がった。
自分の部屋に入ると、上着を脱いでベッドに腰かける。
「嘘だろ……」
魔術に影響が出ないわけだ。
魔力の相性が良すぎた。体調が悪くなるどころか、軽い酩酊をもたらすほど心地よい。彼女から魔力を受け取ったら、そのまま自分の力として使える。その他大勢のように、変換式を挟む手間が必要ない。
もし魔力の使いすぎで飢餓状態に陥ったら、距離を置かないと危険だ。
テオドールはそのままベッドに寝転がり、昂った感情が治るのを待った。





