4 洗濯と形見
休みをもらった同室のメイドが、嬉しそうに私服に着替えている。クレアの休日はまだ四ヶ月も先だ。彼女に石鹸を買ってきてくれるように頼んでお金を渡すと、快く引き受けてくれた。休みが少ない者同士で助け合うことが多いので、よほど険悪な仲でもないかぎり断られることはない。
新しい王の戴冠式が近い――貴族に近いところで働いている使用人たちが、そんなことを言っていた。
ダルニール王国では半年前、国王が老衰のため亡くなった。特に目立った混乱もなく国葬が終わり、王太子が新たな王となるそうだ。
王が変わってもクレア達の待遇は変わらない。ただ戴冠式に向けて、王宮内の空気が張り詰めていることは感じていた。
――洗濯物も増えるんだろうな。
王宮に滞在する予定の賓客がいるそうだ。招待されているのは諸外国の王族や貴族だが、外国どころか王宮の外すら知らないクレアには違いなど分からない。どんな身分の誰が宿泊しようと、洗う物に大差などないのだ。
増える洗濯物とは逆に、厨房は手伝う使用人が指名されるので、クレアの出番はなかった。いつも出番なんて来なくても良いのにと思う。そうすれば休憩する時間ができて、荒れた手を休ませられる。
屋根裏にある粗末な部屋から、他のメイド達と一緒に一階へ降りた。
裏口から外へ出て待っていると、洗濯物を入れたカゴを持った使用人が集まってきた。彼らは貴人の世話や、各居室の清掃を担当している。引き取りの時間までに洗濯し、仕上げのアイロンをかけて担当者に返すのがランドリーメイドの仕事だった。人手が足りないときは洗濯物を届けに行くこともあるが、そんな機会は滅多にない。
華やかな王宮では、汚れたものは徹底的に隠される。くたびれた使用人も同様に、居ないものとして貴族の目から排除されていた。彼らの視界に入ってもいいのは、同じ貴い血を持つ同志か、着飾った使用人だけだ。
任された洗濯物を持って、王宮から離れた洗い場へ。ほぼ毎日、変わり映えのしない仕事だ。建物の外に出れば貴族のために植えられた木々で季節を感じることができるのに、平坦な日常のせいか曖昧にぼやけてしまう。
洗い場と庭を隔てる茂みの近くで、イライザと男性の使用人が小声で話し合っているのが見えた。お互いの距離が近く、使用人の手がイライザの腰に回されている。恋人同士のような親密さだ。
「うわ。あの二人、また密会してる」
仲間のメイドが不機嫌さを隠そうともせずに言った。
「相変わらず見せつけるようにいちゃついてるよね」
「朝っぱらから元気なこと」
王宮という狭い職場では、使用人同士で恋愛関係を楽しむ者もいた。積極的に相手を変えたり、一人とだけ付き合って結婚したりと様々だ。周囲の反応にも差があり、好意的に祝福される組み合わせがある一方で、嫌われている者もいる。イライザとその相手は嫌われている側だった。
イライザは平民だが、それなりに裕福な家の出だ。王宮で貴族と関わることが多い接客の仕事に就いて、玉の輿を狙っている態度を隠そうともしない。彼女の家では洗濯などの重労働は奴隷の仕事だったらしく、ランドリーメイドも下賎な仕事と決めつけて見下してくる。そういった態度が積み重なって、下級メイドのほぼ全員から距離を置かれていた。
相手の使用人――ブラッドは、イライザとは別の意味で有名だった。
癖のある黒髪と、異国を感じさせる日焼けした肌。整った顔には色気があり、むしろ女性の人気は高い。ただ特定の相手と一緒になる気はないらしく、短期間で相手の女性が変わることも多い。
クレアはイライザの服装が乱れていたことを思い出した。あのときも二人で会っていたのだろうか。
彼らはクレア達に気がつかないまま、庭の方へと歩いていった。
「ねえ、あの二人は何日で別れると思う?」
「何日でも良いけど、どうせなら盛大にフラれてほしいわ」
娯楽が少ない生活の中で、他人の恋愛は程よい刺激だった。同僚たちの盛り上がる声を聞きながら、クレアは洗濯物を水の中に沈めた。
自分には関係がない話だ。一人しか見えなくなるような、魅力的な相手が現れるなんて夢は持っていない。何年経っても同じ生活を繰り返している姿なら、容易に想像できる。
***
「ねえ、これも洗ってくれない?」
預かった洗濯物を干し終わったとき、シーツを入れた籠がクレアの足元に置かれた。イライザが不機嫌そうな態度で立っていた。
ほとんどのランドリーメイドたちは、仕事を終えて洗濯場にはいない。もう少し早く声をかけてくれたら、皆で分担して片付けられたはずだ。
「聞いてるの?」
「あの……」
「ちょっと、今さら持ってくるなんて、なにを考えてるの?」
残っていた同僚のポーラが、干してある洗濯物の間を通ってこちらへ来た。イライザに臆することなく正面に立ち、睨み返す。
「受付時間はとっくに過ぎてるのよ」
「仕方ないじゃない。さっき言われたんだから」
「男といちゃついて忘れてた、じゃないの?」
「は? 妄想で勝手なこと言わないでくれる? とにかく預けたからね。ちゃんと仕事してよ」
イライザは言いたいことだけを言って、小走りに帰っていった。
「ちょっと待ちなさいよ! メイド長はこのことを知ってるの?」
食い下がるポーラがイライザを追いかけていく。残されたクレアは、仕方なく籠ごとシーツを持ち上げた。メイド長が使っているものよりも、更に質がいい。きっと来客用だろう。
――イライザはともかく、お客様に迷惑はかけられないし。
水路まで引き返してきたクレアは、シーツを水路に入れて、汚れた場所を点検し始めた。あまり使われていない客用なら、そう時間はかからないだろう。楽観視していたクレアは、すぐに己の期待が裏切られたことを知った。
シーツの中ほどに真っ黒い染みがある。ただの汚れではなく、こぼしたインクを拭いたような跡だ。こすって落ちるようなものではない。
周囲には誰もいない。クレアは水の中に手を入れ、昨日と同じように布とインクを分離させた。クレアは魔術が解けた髪の色を茶色に変え、シーツを水路から引き上げた。
「クレア、一人にしてごめんね!」
畳んだシーツに体重をかけて絞っていると、ポーラが戻ってきた。
「あいつ、部屋を汚してメイド長に叱られてたわ。インク瓶を落としたのを誤魔化そうとしてたらしいけど。あいつの服にインクが付いてたのが証拠になったみたい。いい気味よね」
ポーラは水が滴るシーツを見た。
「ねえ、もしかしてイライザが持ってきた洗濯物って、インクが染みてなかった? あいつなら私たちが苦労しようとお構いなしに、シーツを雑巾がわりにしそうなんだけど」
「ええ、さっきようやく落ちたところよ。少し生地が薄くなったけど、仕方ないわね」
「本当? すごい、大変だったでしょ?」
「汚れたのは、ほんの一部だけだったから。どう?」
クレアがシーツを広げると、インクの汚れはどこにも見当たらなかった。
「完璧じゃないの。これなら私たちが怒られることはないわね。絞るのは手伝うわ」
ポーラはクレアが短時間でインク汚れを落としたことに、なんの疑問も持っていない。一応、インクなどのしつこい汚れを落とす薬があるのだ。メイド長に申請すれば保管場所から出してもらえるのだが、朝の忙しい時間帯に受領しに行くのは面倒だった。あらかじめ多めに受け取り、個人で隠し持っているのが普通だった。
二人がかりで絞ったシーツを干し、ようやく休憩できるようになった。使った道具を片付け、使用人専用の出入り口へ向かう。すっかり冷たくなった手が痛い。
人目を気にせず魔術が使えたら、手荒れも最小限で済んだだろう。だが、それだけはやってはいけないと教えられていた。
同じランドリーメイドだった母親の、秘密の知り合い。教わった通りに魔術を使ったとき、自分の親以上に喜んでくれた。もう会えなくなって何年も経つが、彼女の笑顔は覚えている。
――魔女は隠れるのが得意なの。見つかったら怖い人に連れて行かれてしまうから。
誰にも知られないように。
詳しい理由は教えてもらえなかった。母親は形見の品に答があると言っていたが、取り上げられて行方が分からない。
――戴冠式で忙しくなる間なら、形見を探す機会かもしれない。
人手が足りないことを言い訳にして、王宮内を歩き回れる。貴族がいる範囲に近づかなければいいだけだ。
少しずつ調査をして、形見の品を保管している部屋はメイド長の居室近くにあるところまで突き止めた。新しく入った使用人の逃走防止用に、呪いをかけた品を持って、宮廷魔術師が入っていくところを見たことがある。いつだったか逃亡しようとした使用人が、無理に押し入ろうとして捕まったのも、その部屋だった。
前を歩く同僚の背中を見つめながら、クレアはいつ実行に移そうか考えていた。