39 拒絶
数日後、ジェラールの秘書と名乗る男が、王国の特使を伴って工房を訪ねてきた。テオドールと二言、三言喋ったあとに、クレアへ向かって屋敷へ来るように言う。
「我々が探している女性が、ここにいるという情報を得て来た」
特使が喋る王国語には、王国貴族特有の響きがあった。やはり最初のほうが聞き取れない。どう答えればいいのか分からずテオドールを見上げると、王国語は理解できないといって肩をすくめられた。
テオドールが王国語を喋れることは知っている。だが特使には秘密にしておきたいことのようだ。
特使の言葉は秘書が帝国語に通訳してくれた。
「何度も気のせいではないかと確認したのだが、帝国が誘拐したと主張して聞き入れてくれなくてな。疑われた我々としても面白くない。ブロイ公爵の屋敷で、証明をしようという流れになった。念の為に聞いておきたいが、心当たりは?」
「絶対に違うと思うけどな」
作業台に軽く腰掛けたテオドールが呆れたように言うと、特使は冷ややかな目を向けた。
「貴様には聞いていない。それで、返事は?」
特使は正確に帝国語を理解していた。ただし喋る気はないらしく、王国貴族らしい態度で見下してきた。彼の前では秘密の話はできないと思ったほうがいいだろう。
クレアは緊張しつつ、帝国語でゆっくり答えた。
「心当たりなんて、ありません」
自分の身元はアリアンヌが保証してくれる――そう付け加えようとしたが、止めておいた。アリアンヌに保護される前のことを聞かれて、うまく誤魔化せる自信がない。
「言葉ではなんとでも言える。我らはこの場で血縁を証明してもいいのだが」
特使はクレアを疑っていた。
「疑わしいというだけで、帝国の臣民へ魔法をかけることは関心しませんね」
秘書が特使を諌めるように言った。さりげなく移動したテオドールが、背後にクレアを隠す。
「だからそちらの言い分に従っているのではないか」
「では、当初の打ち合わせ通り、こちらの女性をブロイ公爵のところへ招待するということで」
秘書はテオドールに向かって、君はどうすると問いかけた。
「ブロイ公爵が下町の女性を誘拐したと誤解されては困る。こちらの潔白を示すために、君に証人となってもらえるとありがたいのだが」
「……俺の証言でいいなら。公爵様の屋敷へ行けるなんて、滅多にない機会ですし」
メガネを外したテオドールは、作業台に置いて言った。
明らかに嘘だ。テオドールは仕事で何度もジェラールに呼び出されている。特使の前では、ただの職人で通すつもりらしい。
「戸締りをしてきますから、少し待っててもらえませんかね? それくらいはいいでしょう?」
「早くしてくれ。こちらは忙しいんだ」
特使はそう言って、表に停めた馬車へと向かった。秘書は何も言わない。
「二階の窓は開いてるか?」
「いえ。今日は風が強かったので、閉めたままです」
「じゃあ裏口だな」
テオドールはクレアを連れて工房から奥へ進んだ。すぐ近くのリビングでは、フェルが工房でのやり取りを聞いていたらしい。物言いたげにテオドールを見た。
「フェル。誰も家に入れるな。もし危険だと思ったら逃げろ」
「僕の判断でいいの?」
「ああ」
続いて、テオドールはクレアに向きなおった。
「ブロイ公爵の屋敷で、血縁関係を調べるために魔術が使われる。何もしなければ、王太子の子供だと証明されてしまう」
「私はどうすればいいですか?」
「クレアは相手の指示に従うだけでいい」
テオドールの両手がクレアの頬に触れた。
視線が合う。
メガネをかけていない姿が新鮮だ。
余計なことを考えて動悸がする。
灰色の瞳が赤くなり、また元の色に変化したように見えた。
全身を膜に包まれている感覚がして、急速に消えていく。
「リヒターさん」
「俺が何をしたのか、あとで説明する。知らないことで、上手くいくこともあるんだよ」
行こうかと促され、クレアは工房側から外へ出た。
路上で待機していた馬車は二台あった。一台はブロイ公爵家のものだ。毛艶のいい馬が立派な車体に繋がれている。そちらは特使が一人で乗っていた。
クレアたちが乗せられたのは、もう一台の質素な外見の馬車だった。屋敷から工房まで乗ったことがある。秘書も後から乗りこみ、外から扉が閉められた。
「対策は?」
馬車が走りだすなり、秘書がテオドールに問いかけた。
「抜かりなく」
「欺けるのか?」
「あちらが用意した魔術師次第ですね。血縁を調べさせるのは、皆の目の前でやらせてください。彼女と魔術師の二人きりにされると、誤魔化せないかもしれません」
「それは事前に打ち合わせてある。不意打ちを防ぐために、こちらも魔術師を待機させている」
この秘書はクレアのことを知っているようだ。
「君の対策について、彼女に知らせたか?」
「いいえ。知らないことが対策です。魔術について聞かれても、知らないなら答えようがない。あの特使は駆け引きに慣れているでしょう? あまり質問させないほうがいいでしょうね」
「……ブロイ公爵も似たようなことを言っていた。嘘を重ねるよりは沈黙を選べと」
いくつも嘘をつくうちに、矛盾ができてしまう。そこを追求されると真実が露呈してしまうということらしい。クレアがアリアンヌとの繋がりを言わなかったことは、正解だったようだ。
二人が沈黙してしまったので、馬車の中は静かになった。車体が舗装された道を通る音しかしない。
やがて馬車が停まり、外から扉が開けられた。最初に目に飛びこんできたのは、屋敷の正面玄関だ。掃除以外でここから出入りしたことがなく、いつ見ても豪華さに圧倒される。
「こちらへ」
秘書がクレアたちを中へ招く。
気後れしたクレアは、思わずテオドールの上着の袖を掴んだ。
「大丈夫、すぐ終わる」
緊張していると察してくれたのか、テオドールが気遣うように微笑む。ほんのわずかな顔の変化だったが、十分すぎるほど心強かった。
案内された先は、広い応接室だった。何度も掃除のために入ったことがある。だが今は壁際に武装した護衛や、魔術師と思われる男たちが立っていた。物々しい格好をした人がいるだけで、見慣れた場所が全く違う印象になる。
「クレール!」
ソファに座っていたアリアンヌが、クレアを見るなり帝国風に呼びかけた。隣にはジェラールもいる。
「ごめんなさいね、この人たちを説得できなくて。どうしても調べないと気が済まないんですって。あなたが王女様かもしれないだなんて、面白いことを言うのよ」
「失礼、夫人は彼女と知り合いなのですか?」
特使は親しげにしているクレアたちの会話に割って入ってきた。
「クレールのこと? ええ、そうよ」
アリアンヌがクレアを抱きしめながら、悪びれることなく答える。
「あなたたち、私のことを調べなかったの? 立場が弱い女性を保護して支えるのが、私の生き甲斐なのよ」
顎先を上げて力強く言うアリアンヌは、気高い貴族女性らしさにあふれていた。特使への怒りを隠そうともしない。自由奔放に振る舞っているようで、争いにならない微妙な立ち位置にいる。
「あまり特使に無理を言うものではないよ」
遅れて歩いてきたジェラールが、アリアンヌを諌めるように優しく言った。
「彼は帝国に到着したばかりだ。調べる時間など、あまり確保できなかっただろうね」
あからさまに含みがある言い方だ。
特使は皮肉をかわすように、ただ静かに微笑んだ。
「さあ、忙しい特使の時間を無駄にするわけにはいかない。さっそく始めようか」
ジェラールの呼びかけで、魔術師らしき男が動いた。続いて特使が訛りの強い帝国語でクレアに話しかける。
「まず貴金属を全て外して。身につけていたものは、誰かに部屋の外へ出してもらおう」
アリアンヌが待機していたメイドを呼んだ。フラヴィだ。澄ました顔でトレイを持ち、クレアのそばに立つ。だが特使に顔が見えないのをいいことに、一瞬だけいつもの笑顔を見せてくれた。
トレイの上に外した髪飾りを置き、アリアンヌに渡されたネックレスを襟元から出した。つけているのは二つだけだとフラヴィに伝えると、彼女は頷いてから応接室を出ていった。
「次に魔術が妨害されることがないよう、結界を使わせてもらう」
暗にジェラールたちが不正をすると非難しているようだ。
特使の指示で、魔術師の一人が装飾された玉のようなものを出した。淡く光ると室内の空気が変わったと感じる。
別の魔術師がクレアの前に立った。
「そちらの男は離れてくれないか」
テオドールに向かって言ったようだが、言葉が通じないふりをしているので動こうとしない。秘書が帝国語に通訳し、やっと気がついたように離れた。
「これだから教養がない平民は……」
魔術師は小声で罵った。全て聞こえて理解しているクレアは、どうすることもできずに魔術師の喉のあたりを見ていた。
「始めなさい」
特使がそう言うと、魔術師はクレアに見覚えがある金貨を押し付けてきた。前回は淡く光ったのに、今度は何も反応しない。むしろ肌の上を目に見えない不快なものが移動している。
クレアは両腕を抱えた。とにかく気持ちが悪い。早く終わってほしいと願っていると、魔術師は狼狽して術の行使を中断した。
「そんなはずは……」
「どうした?」
異変に気がついた特使が近寄る。
「他人、です。彼女は……」
「だが調査では反応があったと……」
「調査は終わったのかね?」
小声で話す特使たちに、ジェラールが問いかけた。
「い、いえ。もう一つの方法で調べますよ」
魔術師が無遠慮にクレアの額に触れた。
体の内側に、先ほどよりももっと嫌なものが入りこんでくる。
粘度が高くて途切れない。
目の前が暗くなって吐きそうになった。
「クレール!」
名前を呼んだのは誰だったのだろうか。クレアはテオドールに抱きしめられた状態で、床に座りこんでいた。
テオドールが魔術師へ向かって、抗議している声がする。他にも複数人が言い争う声が聞こえてきたが、耳の奥で混ざりあって騒音にしか聞こえなかった。
「失礼」
背後から話しかけられた途端に、体の中で暴れていたものが大人しくなっていく。後ろにいた誰かが治療してくれたらしい。吐き気はまだ続いていたが、先ほどよりは軽くなっていた。
「魔力の相性が悪かったようですね。拒絶反応ですよ」
そう診断した声には聞き覚えがあった。首だけ振り返ると、立ち上がったエレンがジェラールに説明していた。応接室に入ってきた時は気がつかなかったが、室内のどこかに控えていたのだろう。
「あとは私が引き受けるわ」
アリアンヌがやってきて、クレアの背中を労わるように撫でた。
クレアを支えてくれていたテオドールは、回復しつつあるのを見て、大丈夫だと思ったらしい。そっと離れてジェラールのところへ向かう。
残念だった。まだ体調は完全に回復していない。魔術をかけられた時の恐怖心も残っている。もう少しだけそばにいてほしい気持ちが、表に出せないまま心の底に沈んでいった。
「あなたは別室で休みましょう。ね?」
アリアンヌに誘われて、クレアは入室してきたメイドに支えられながら廊下へ出た。すぐ隣の部屋に通され、デイベッドで休憩するよう優しく言われた。背もたれが低く、座面が広い。座るだけでなく、横になって休めるようにという配慮だろう。
クレアが座ると、室内で待っていたフラヴィが背中と背もたれとの間にクッションを挟んでくれた。クレアの後から退出していたらしいエレンが、先ほどのように魔術で体内の不快さを取り除いてくれる。
「あとは時間と共に回復してくるだろう。無理せず休むといい」
「待ってて。預かった髪飾りと温かい飲み物も持ってきてあげる。ええと――」
フラヴィは指示を仰ぐようにアリアンヌを見た。今はクレアと呼ばないよう、徹底されているらしい。
「クレールよ」
「クレール」
復唱したフラヴィは、トレイごと貴金属を持ってきた。
アリアンヌが横に座り、花の髪飾りをクレアの髪につけた。
「あの人たちが帰るまで、具体的な話はできそうにないわね。どこで誰が聞いているのか、わからないもの。だから面倒な交渉は紳士たちに任せて、私たちはもっと楽しいことを話しましょうか」





