37 短編2 異能と人狼
「テオドールさん。手伝ってほしいことが」
「断る」
テオドールはリコの願いを即座に却下した。とりつく島もなく冷たく拒絶されたリコは、工房のカウンターに両手をついて泣きそうな声をあげた。
「いや、そう言わずにさぁ。まずは話だけでも聞いてくれない?」
「聞くだけで終わる話なら、そこで勝手に喋ってろ。俺を巻き込むな」
「相変わらず冷遇してくるなあ。いや、テオドールさんにもね、悪い話じゃないんだよ」
しつこいリコにぶつける木剣はあっただろうかと、テオドールは工房の棚を探し始めた。
リコが相談してくることは、七割が厄介ごとで二割が面倒なことだ。労力の割に旨味も少ないので、聞かなかったことにするのが正しい。稀に残りの一割にあたって得をすることもあるが、積極的に手を貸す理由にはならなかった。
「実は抑制剤の材料が無いってエレン先生に言われてさ、取りに行かないといけなくて」
ほぼ無視されていてもリコは気にせず、一方的に事情を話し始めた。お互いに雑な対応をしているが、下町ではいつもの微笑ましい光景だ。
「じゃあ行ってこい。俺には関係ないだろ」
「いやいや、あそこの森にいる魔獣って、魔術しか効かないのがいるし」
「頑張って逃げろ」
「無理だって! 囲まれて袋叩きに遭うから。テオドールさん知ってるよね、俺が死にそうになりながら生還したこと!」
リコはスールズの治安を守る衛兵として雇われている。活動範囲は町の中だが、命令で町の外へ出張することもあるそうだ。リコが密猟者を追って森の中へ入り、散々な目に遭って帰ってきたことは記憶に新しい。
見つけた木剣で己の肩を軽く叩きながら、テオドールはため息をついた。
「二度目は上手くいくだろ。頑張れよ応援してるから。お前ならできるさ」
「全く心がこもってない声援なんですけど!? ほぼ棒読みだし!」
文句を言っていたリコだったが、ふと不敵に笑いながらカウンターの上にワインボトルを置いた。
「九十八年ものティヴリー・ロゼ」
滅多なことでは市場に出回らないワインの、当たり年と言われているものだ。一度だけジェラールの屋敷で飲ませてもらったことがあり、ボトルに貼られたラベルをはっきりと覚えていた。
「お前……これをどこで……」
「この前の収穫祭で、産気づいた妊婦さんを病院へ連れていったら、旦那さんがお礼にくれたんだよ。後から聞いたんだけど、かなり危険な状態だったとか。わざわざ俺のこと探して、妻子が助かったお礼にって」
「こんなもん謝礼に出してくるなんて、どこの金持ちだったんだ」
「バルバストル商会とか言ってた気がする」
「由緒正しい豪商じゃねえか。お前の運の良さはどうなってんだ」
帝国では名前を知らない者はいないとまで言われている商人だ。扱う商品は多岐にわたり、皇室御用達の品も任されていると聞く。物流の交差点にあたるスールズには、拠点となる店舗がいくつもあった。
「高級なワインをもらっても温度管理とか面倒だから、悪くなる前に飲もうと思ってるんだ。テオドールさんが協力してくれたら、一緒にどうかなーと。ワイン好きでしょ?」
「嫌いではないな」
「それにさ、俺が行こうと思ってる森には、テオドールさんが手に入れたい素材があるってエレン先生が言ってた! 俺の特技が役に立つよ?」
ワインボトルの隣に、薄い金属板が出された。森にある資源を採取するための許可証だ。これを持っていないと森で得た素材の取り引きができないばかりか、違法と判断されて拘束されてしまう。
リコが持っている許可証は、テオドールがそろそろ申請しようと思っていた種類のものだった。一定以上の社会的地位と資金が必要だったので、ジェラールの依頼を引き受けながら機会を伺っていた。領主から直に仕事を任される立場であれば、まず却下されることはないからだ。
「くそっ……リコのくせに搦め手で来るとは! リコのくせに!」
負け惜しみしか言うことができなかった。おそらくエレンの入れ知恵だろう。好条件を示され、テオドールは断れなかった。
自分が欲しい許可証は、まだ申請していない。だがリコはすでに持っている。衛兵という地位と、医者からの依頼という理由で、申請が通ったのだろう。これからテオドールが申請を出しても、許可証が発行されるまで時間がかかる。だが今ならリコに同行するだけで、欲しい素材が得られるかもしれない。
「じゃあ決まりだな。いやあ、テオドールさんが来てくれるなら心強い」
「ワインが偽物だったら締め殺すからな」
要望が通って晴れやかなリコとは逆に、テオドールは報酬に負けた自分の欲望を恨んだ。
***
スールズから西へ三時間ほど歩いたところに、目的の森が広がっている。植物系の凶悪な魔獣が蔓延る危険な場所であると同時に、貴重な薬草や素材の宝庫だ。
もし貴重な資源を持ち帰れば、大金を手にすることができる。だが一攫千金を得たという話は聞かない。ブロイ公爵領で売買しようとしても、違法に採取されたものと判明すれば没収される。かといって他の領へ持って行ったとしても、命をかけた労力と報酬が合わなくなってしまう。
スールズには大都市にはつきものの闇取引を行う地下組織ができることもあるが、ジェラールが雇う衛兵がどこかから嗅ぎつけて潰していく。販路の維持どころか構築すらできないとあっては、欲に塗れた無法者といえども撤退するしかなかった。
「テオドールさんと知り合いで良かった。魔術が使える同僚に、森の奥へ行こうって誘っても拒否されるだけだし」
リコは呑気なことを言いながら森の中を歩いていく。
「好んで来る奴はいないだろうな」
テオドールだってワインと素材という餌がなければ、中へ入りたくなかった。魔獣の外見が植物と酷似しているうえに、遮蔽物が多くて発見しにくい。
「あっテオドールさん。あそこにある赤い花が咲いてるやつ、魔獣」
「はいはい」
リコが示した方向へ電撃を放ってやると、隠れていた魔獣が痙攣して萎れた。赤い花の額には顔のような模様がある。歩き回る能力はないが、獲物が近づくと花の部分が動いて噛みつき、吸血してくる面倒な魔獣だ。
敵が痺れているうちに通り過ぎ、さらに奥を目指す。リコの目的地は泉がある付近だという。
「同僚が得意な魔術は、森と相性が悪いって言うんだよ。火は扱いが難しいんだっけ?」
「出力を絞らないと森に延焼するからな。火事を警戒して弱くしすぎると魔獣に反撃される。植物相手なら凍らせるのが一般的だな」
「そういや氷は苦手だって言ってた気がする」
リコが隆起している木の根をまたぐと、腰の剣と胸部を覆う鎧がぶつかって音をたてた。スールズの衛兵が採用している装備は、森の中では身動きがしにくいようだ。
木漏れ日の下を通り、リコの鎧についた階級章の色が鮮やかに変化して見えた。目立つ赤色は小隊長を示す色だったと記憶している。普段の態度からは想像しにくいが、年齢の割に出世が早いようだ。
「ところでテオドールさん。その左手に持ってるバスケットは何? ずっといい匂いがしてるんだけど」
「これか?」
テオドールはツル草を編んで作られたバスケットを、よく見えるように持ち上げた。
「昼食。一日中、森にいるなら必要だからって、クレアが作って渡してきた。お前の分もあるらしい」
「女神かよ。女の子の手作り料理が味わえるなんて泣きそう」
「お前の職場で出される賄いも、女の手作りだろうが。人が良さような婆さん連中が大鍋かき混ぜてるって言ってたよな?」
「テオドールさん、女の子とおばあちゃんは別の生き物なんだよ。いや、職場で出してくれるメシも美味いよ? 美味いんだけど、職場のはカネ払って食ってるやつだから。店で食うのと変わらねえよ」
喋りながら、リコは剣を振り払った。右側から静かに延びてきていた枝が落ち、金切り声があがる。緑色の体液を撒き散らし、木の上から猿がリコに飛びかかってきた。
自力で動けない植物とは違い、手負いの獣は放置しておけない。凶暴化したり仲間を呼ばれると、人間側が不利になる。テオドールは猿の喉元に氷のナイフを飛ばした。体の大部分が木の枝そっくりな猿は、ナイフを避けられずに地面に落ちた。
敵が絶命すると、リコは自信ありげに笑う。
「いい感じの連携じゃないすか?」
「んー……微妙だな。悪くはないんだが、俺の射線にお前の半身が被ってるから、魔術が使いにくい」
「厳しいなぁ。テオドールさん、今日は剣を持ってきてねえの?」
「お前が持ってるから要らないだろ。前線に出て、か弱い一般市民を守る盾になれ、衛兵」
「テオドールさんが、か弱い……?」
「文句あんのか」
「いや、文句っていうか、武器持ってる強盗を素手で殴り倒す人は、か弱くないよなって」
「丸腰じゃないと相手が油断しないだろうが」
「か弱い一般市民だったら、まず強盗から逃げると思うよ、俺は」
リコは残念そうに、しみじみと言った。





