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3 仕事の依頼

 絢爛さを見せつけるような調度品は、屋敷の持ち主によく似合っていた。


 高貴な一族の繁栄ぶりを生まれながらにして享受している男は、ソファに座って細い葉巻を弄んでいる。まだ火は付けられておらず、先端も切り落とされていない。歳は初老をとうに過ぎているはずだが、薄く微笑む顔は三十代にも見える。


 テオドール・リヒターは正面に座る男を観察しながら、沈黙して待っていた。男は言葉だけで人の命を左右できるほどの権力を持っている。思案の最中に口を挟んで、余計な不興を買いたくない。


 ――俺が屋敷に到着するまでの間に、計画を変更するような新しい情報でも入ったか?


 いつも手短に要件を話す男らしくない。応接室に通されてから、軽く五分は経っている。


 やがてテオドールに伝えるべき情報が纏まったのか、男の手が止まった。葉巻の先をこちらに向け、感情が読めない顔で言う。


「皇女の忘れ形見を探してくれないか」

「忘れ形見、ですか」


 テオドールは下町訛りが出ないよう、仕事用の口調で聞き返す。


「ああ。隣国に嫁いだシャルロット皇女を知っているかね?」

「悲劇の皇女という噂だけなら」


 平民は名前しか知りませんよと仄めかすと、男は気分を害した様子もなくうなずいた。


「詳細を知っていたら、私は君を問い詰めないといけないな」

「今後も知る立場にはなりたくないですね」


 叶うなら、用件を聞く前に帰りたい。仕事で関わりを持ってしまったことが悔やまれる。ただの平民として暮らしていたら、男の屋敷に呼ばれることなどなかったのに。


 ジェラール・ド・ブロイというのが、目の前にいる男の名前だ。皇帝陛下の弟であり、ブロイ公爵としてアルタニア帝国の一地方を任されている。領地の経営も安定しているので領民としては住みやすいのだが、持ちかけてくる仕事は物騒かつ面倒なものばかりだった。


 ジェラールが話そうとしているシャルロット皇女は、彼の腹違いの妹にあたる。約二十年前に隣国の王太子のもとへ嫁いだそうだ。両国間の関係を改善させるための政略結婚だったが、本人たちは互いに惹かれあっていたと聞いたことがある。


「シャルロット皇女――これからは王太子妃と呼ぼうか。彼女は子供を身籠ったが、残念ながら死産だった。彼女は死産から七年後に、王国中で蔓延した流行病で死去。王太子はその一週間後、狩りの最中に落馬が原因の事故で亡くなっている」


 だが不審な点と、情報を隠蔽するような動きがあったそうだ。


 死産した子供を目撃した者はいない。王太子妃が出産した部屋に用意された棺は、厳重に蓋をした状態で運び出されたという。


「出産は王宮の奥で、限られた人数しか近寄れない状態で行われた。産声を聞いた気がすると証言する使用人もいたが、決定的な証拠にはならなかった。探れば探るほど、真実を知っている者が沈黙して隠れてしまう」

「曖昧なのは子供についてだけですか?」

「ああ。王太子妃の病死は間違いない。彼女の要望で、我が国の医師を派遣しているからな。そのさいに、王太子から二人の人間を帝国へ逃してやってほしいと打診があったらしい。一人はシャルロット王太子妃のことだと言っていたが、もう一人は名前を明かさなかった」


「それが、彼らの子供ということですか?」

「おそらく。当時の王太子は兄弟たちと王位争いをしていた。国王は王太子を推していたが、納得できない者は至るところにいる。少々、血生臭い空気を察して、妻子を安全な場所へ逃そうとしていた可能性が高い。王国人は好きではないが、妻への愛情は本物だったよ」


 一言多いような気もするが、かつては戦争までした国だから全てを好意的に捉えるのは無理なのだろう。


「王宮に潜入させた者からも、子供が生きているのではないかという情報が来ている」


 さり気なく知らされた間者の情報は、死ぬまで知りたくなかった。テオドールは自分の立場が庶民から離れていくのを感じていた。


「あちらの王宮では、奴隷や使用人の逃亡を防ぐために、人質をとって半ば監禁している。家族全員が使用人として働いているなら、誰かが逃亡すれば残りに皺寄せが。身寄りがない者は、とある品物から一定以上の距離をおくと、生死に関わる魔術が発動するように制約をかけたり。あちらの魔術については、君の方が詳しいだろう?」

「……ええ、そのような魔術が存在していますね」


 制約をかけるための呪物は、思い入れのある品であるほど効果が高い。そうジェラールに説明すると、予想が当たったのか納得していた。


「なるほど……呪物、といったか? それらの品を保管しているところに、王太子妃が持参した貴金属があった。同じ箱には短剣も入っていたそうだ。見た目は木製だったそうだが、偽装されている可能性がある。魔術はまだ効力を発揮していたから、かけられた相手は生きている」

「両親の持ち物であると子供が認識しているなら、魔術にかかります。ですが血を引いた子供でなくても、物に思い入れがあれば魔術は発動可能です」

「それを確かめたいのだよ。我々は」


 ジェラールの穏やかな表情の中に、冷静な政治家の色が混ざる。彼は最初から他人行儀な言い方で、亡き妹皇女のことを話していた。子供についても同様に、親戚としてではなく国政に影響があるかどうかを見極めようとしているのだろう。


 テオドールはもう逃げられないと諦めて、次の言葉を待った。


「依頼者は私ではない。誰、とは言えないが、それなりの立場だと思ってもらいたい」

「かしこまりました」


 彼を仲介役に使うなど、皇帝を含めた皇族しか該当者がいない。指摘をしても無駄なので、テオドールは空気を読んで沈黙した。


「表立って捜査できないから、ここまで到達するのに時間がかかった。だが、我が国の継承権にも絡むからこそ、早急に片付けてしまいたい」

「死産だったというのが両国間の共通した事実では?」

「死産したと偽って世間の目から隠したのか、それとも第二子を極秘で出産していたのかは分からん。だが、遺児が見つかることは、往々にしてよくあることだよ。我が国にも、あちらの国にも、血族であると証明する魔術が開発されたのは、余計な争いを無くすためだ。まあ、余計な争いを生み出すこともあるがね」


 だから王国よりも先に、子供の出自を確かめたいのだろう。


 シャルロット王太子妃の血を引く子供を使って、帝国の継承権や領土の割譲を主張してくるかもしれない。両国は長い歴史の中で、国境をめぐって何度も争ってきた。現在では停戦条約が締結されているが、火種が完全に消えたわけではない。


「君は私と一緒に王国へ行ってもらう。戴冠式に呼ばれているのでね。護衛の中に紛れ込ませよう。新たな王となるのは、亡くなった王太子の弟だ」


 最も信頼できる鑑定方法は、皇族が子供と思われる人物に血縁を証明する魔術を使うことだという。テオドールは王宮にいる使用人か奴隷の中から該当者を見つけ、不審に思われないようにジェラールに接触させなければいけない。


 王国にはジェラールの部下が潜入している。通常の連絡方法では詳しい話を聞き出せないため、現地で会って聞くことになりそうだ。


「もし子供が見つかったら、いかがなさるつもりですか?」

「……状況による」


 ジェラールは初めて本音のようなものを滲ませ、簡潔に答えた。



 ***



 ジェラールとの面会が終わると、テオドールは馬車に乗せられて自宅まで送迎された。平民一人に大仰な扱いではあるが、それがジェラールの贔屓にしている職人への礼儀だそうだ。単に逃げられないように抱えこんでいるだけだと気がついたものの、移動が楽になるので黙って受け入れている。


 屋敷を出た馬車は、富裕層が住む住宅街を出て大広場を通り過ぎてゆく。ここサン・スールズはブロイ公爵領にある大都市だ。帝国にいくつかある貿易の拠点として発展し、様々な人種が入り乱れて共存している。人が多いゆえに犯罪も絶えないのだが、ジェラールが治安維持に力を入れていることもあり、平和を脅かすほどではなかった。


 大広場から職人街へ入ったところで、馬車が停まった。御者が扉を開け、爽やかな風が入ってくる。テオドールは仕事道具が入った鞄を持って外へ出た。


「いつもありがとう」

「どういたしまして」


 すっかり顔見知りになった御者に礼を言うと、同い年と思われる男はいい笑顔で答えた。


 降ろされた通りは、高い建物が両端に並んでいる。一階に店舗や工房、二階以上は住居という、都市部では珍しくない構造だ。テオドールは一階にある時計の修理工房へ入っていった。


「おかえり。どうだった?」


 カウンターに座っていた少年が、分厚い本から顔を上げて言った。


「クソ面倒な仕事の依頼だ。出張先で探し物をしろ、だと」


 テオドールは取り繕っていた口調を捨てて、カウンターの前を通り過ぎた。


 仕立ての良い上着を脱いで整えた髪を崩すと、貴族に会う際の正装から普段着に着替える。洗面所で顔を洗って、ようやく下町に戻ってきた実感が湧いた。


 鏡の中には、不機嫌そうな自分の顔が映っている。砂色の髪と灰色の瞳。自分では普通の顔だと思うが、なぜか女性受けしやすいらしい。ただ、高貴な女性は下町の職人だと知れば向こうから勝手に身を引き、庶民は遠巻きに観察されて騒がれる程度なので、幸いなことに修羅場には至っていない。


 人の顔で一方的に盛り上がって、よく分からない理由で醒めるなと言いたくなるときもある。実害がないから黙っているだけだ。


 テオドールは工房に戻ると、少年に声をかけた。


「留守番ありがとな。変わったことは?」

「ない。常連さんなら来た。修理が終わった時計を渡したよ。帳簿、これでいいよね?」


 帳簿には客の名前と、預かった時計の種類などを記載している。行の終わりに客のサインがあるのを確認して、それでいいと答えた。


 少年――フェルは遠い親戚だ。諸事情でテオドールが面倒を見る代わりに、工房を手伝ってもらっている。明るい金髪の持ち主で、良家の子息のような雰囲気がある。魔術に秀でているため、一人で留守番をさせても強盗被害に遭うこともない。


 時計の修理を請け負う工房だけは、テオドールが自分の目で状態を確認したいので、受注しないよう止めていた。


「しばらく店を閉めるから、飯はエリクのところで世話になってくれ」

「わかった」

「読み書きと計算の課題を出すから、俺が帰ってくるまでにやっておけよ」

「えっ……」

「おい。返事はどうした」

「なるべく簡単なやつでお願い」

「却下」


 テオドールが不在にしている間の過ごしかたは、ほぼフェルに任せている。課題を必須にしているのは、フェルの将来を考えてのことだ。貿易都市は各地から金と人材が集まる場所でもある。放っておいても有能な人間が外からやってくるので、平民といえども初等教育を受けていないと、まともな働き口がない。


 作業台の上に客から預かった懐中時計を置き、テオドールは本来の仕事に戻った。時計が動かなくなった原因を探り、障害を排除して元通りに組み立てる。静かに作業を進めていくうちに、いらついていた内面が静かに凪いでいった。

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