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底辺ランドリーメイドが幸せになるまで  作者: 佐倉 百


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28 収穫祭とワイン3

「ブロイ公爵領はワインの産地でもあるんだよ」


 小さなハンカチを観察しながら、テオドールが言った。スズランが刺繍された女性ものだ。


「スールズは貿易都市として独自の発展をしているから、農業が盛んだと外国人に言うと驚かれるけどな。郊外へ行けばブドウ畑が広がってて、ワイナリーがある。収穫量が多いおかげで平民でも買える価格帯のものがあるし、輸送路が完成されているから領外へ輸出もしている。領の経済を支えている柱の一つだ。そんなワインに感謝しようってことで、祭りが行われるようになったらしい」


 広場の一角に建てられた日除け用テントの下で、クレアは収穫祭についてテオドールから説明をしてもらっていた。


「宗教行事とは違うから、特別に何かをするわけじゃない。昼間から酒を飲んで楽しむのが目的なんだよ」

「ですが今回は実行役が回ってきたんですよね?」

「人が集まれば問題も起きるからなあ。祭りに集まった全員が、行儀よくできるなら要らないんだが。特に酔っ払いはたちが悪い」


 衛兵だけでは手が回らないので、商店街や下町では自主的に見回りをしているそうだ。それ以外にも催し物の案内や、会場の清掃もある。毎年やるのは大変だということで、それぞれの地区で当番を回していた。


 テオドールがクレアに頼んだのは、そんな役割の一つだった。屋根だけのテントの下には子供が好きそうな絵本におもちゃが置かれている。迷子になった子供を保護して、親が探しに来るまで子守りをする担当だ。届けられた落とし物の管理もあり、そちらはテオドールがやることになった。


 クレアは迷子の子供を抱えて木箱の上に座っていた。預けられた当初は泣いていた女の子は、一緒に遊んでいるうちに機嫌を取り戻し、今は疲れて眠っている。子供の高い体温が心地よくて、こちらまで眠ってしまいそうだ。


「クレアが引き受けてくれて助かった」


 ハンカチを落とし物用のカゴに入れ、テオドールが振り返った。眠っている子供に気がつくと、わずかに顔を綻ばせる。


「……近所の悪ガキの相手なら得意なんだけどな。泣いてるのは、どう扱えばいいのか」

「子供の相手をしながら受付なんてできませんよね」


 午前中は比較的暇だった。ところが人出が多くなると、落とし物が増えて忙しくなってきた。最初はクレアも手伝っていたが、迷子が預けられると、そちらにかかりきりになってしまった。


 フェルは友達と一緒に出かけている。子供は祭りの手伝いなんてせずに遊んでこいという、テオドールの方針だ。


「もう少しで交代だから、我慢してくれ。それまでにその子の親が来てくれるといいんだが……」


 受付の前に子供たちが集まってきた。近所で顔を見かけたことがある。みなフェルよりも幼い。

 集団の先頭にいた子供は、カウンター代わりの長机に財布を置いて言った。


「テオドールさんも子守りするの? 似合わないなあ」

「うるせえな。そんなこと俺が一番よく知ってるよ。冷やかし目的なら帰れ」


 邪険に扱われても、子供たちは全く気にしていなかった。慣れない祭りの会場で、いつもの光景に出会えてほっとする。


「これ、どこで拾った?」

「屋台の近く。ベンチがたくさん並んでるところあるでしょ?」

「変なおっさんがチラチラ見てた」

「おっさんの財布なんじゃねえの?」

「むしろ狙ってたんじゃないかな。おっさんのだったら、人の顔なんて見てないですぐ拾うでしょ」

「ちゃんと持ってくる前に、誰の財布ですかーって周りの人に呼びかけたよ。偉い?」

「やましい気持ちでここに来ても、持ち主のフリできないよね。だってテオさんいるし」

「どういう意味だよ」


 一つ聞くと、口々に言葉が返ってくる。賑やかになった子供達を適当にあしらい、テオドールは足元に置いていたカバンから、薄い箱を出した。


「正直に持ってきた駄賃だ。仲良く分けろよ」

「やった! チョコレートだ」


 来たときと同様に、子供たちは一斉に去っていった。まるで嵐だ。

 自分も町で育ったら、あんなふうに友達と走り回っていたのだろうか。


「あれくらいの子供は、まだ菓子で釣れるから楽でいいな」


 テオドールは苦笑まじりに言うと、置き去りにされた財布を箱へ入れた。


 迷子の親が慌てて来たのは、交代時間の直前だった。広場とは全然違うところを探していたが、チョコレートを頬張っていた子供達に教えられ、迎えに来たそうだ。


 女の子は眠ったまま、両親と一緒に帰っていった。親にはしきりに感謝されたが、子供と遊んでいただけなので、過剰に感じてしまう。


「知らない人に、あんなに感謝されるとは思ってませんでした」

「誘拐事件が起きることもあるからなあ。小さな子供なら荷物の中に隠せる。人混みで混雑してるときは、絶好の機会なんだよ」

「あの子は無事に出会えてよかったですね」

「そうだな。悪い人間もいるけど、それ以上に助け合う人間のほうが多いからな」


 近所の人たちも何かと助けてくれる。問題がおきても、一人で抱えなくてもいいと知った。


「この町では、集団で生きているんですね」


 一人で解決しなければいけなかった王宮とは違う。お互いに助け合うこともあったけれど、それは同じ職の仲間に限られていた。


 顔も名前も知らない。出会ったばかりの人の助けになるなんて、王宮にいたころの自分が知ったら驚くだろう。きっと信じてもらえない。


「うまく言えないんですけど、孤立していないって思うんです」

「工房の周辺はお節介な住人ばかりだから、孤独になりたくてもなれないんだよ」

「そうなんですか。でも嫌じゃないです」

「だいぶスールズに馴染んだな」


 もし馴染めているとしたら、それはクレアの努力ではなく、テオドールがそうなるように誘導してくれたからだ。本当のことを隠していられるのも、近所の人が受け入れやすいように説得したのも、全て。


 クレアはただ用意してもらった環境の中で、存在しているだけ。


 自分の思考に囚われている間に、交代要員がテントへ来た。解放されたクレアは、テオドールと一緒にテントの下から出ていく。


「いつもは、祭りの時に何をしていますか?」


 クレアは一人だけ家に帰されるのだろうか。心細さを誤魔化すように、思いきって尋ねてみた。


「当番がないときは、適当にワインを飲んで終わりだな。知り合いに会えば、そのまま一緒に飲むこともある」


 ワインを提供する屋台がある方向を眺め、テオドールが答えた。


「最近だと遠方から仕入れたワインも提供されるようになったから、気に入ればボトルで買うのも悪くない」

「……そんなにたくさんの種類があるんですか」


 キッチンに保存されているワインを思い浮かべた。料理に使っていいものと、それ以外と覚えていたので、あまりラベルを覚えていない。


「ああ。同じ品種のブドウを使っていても、気候や土で味が違う。作り手の違いも味に出る」

「種類が多すぎて、嫌になりませんか?」

「多いからこそ、自分好みのものに出会えると嬉しいんだよ」


 広場に集まっているワインの中には、クレアの好みに合うものもあるのだろうか。試してみる時間はあるだろうかと考えていると、テオドールから一緒に行くかと提案された。


「せっかく祭りの日に出てきたんだ。急いで帰ることもない。ワインでも飲んでゆっくり……成人、してたよな……?」


 テオドールは途中から自信がなさそうに聞いてきた。


「今年の春に、成人の年齢になりました」

「じゃあ問題ないか」


 安心しているテオドールに連れられて、屋台へ向かう。


 未成年かもしれないと疑われたことに、少し傷ついた。同年齢の女性よりも童顔で分かりにくいということだろうか。自分が貧相な外見をしていることは自覚している。栄養状態が悪いところで育ったせいか、細いだけで曲線が少ない。帝国へ来てから健康体に近づいたものの、色気がある大人の女性には程遠かった。


 どのような意図で年齢を確認したのか聞いてみたいが、本音を知るのが怖い。今ですら、子供すぎて恋愛の範疇にないと言われているように感じた。最初から諦めているが、好意を持っている人にとどめを刺されたくない。

 クレアの葛藤に気がついていないテオドールは、ワインの瓶が並ぶ前で手招きをした。


「ワインを飲んだことは?」

「ありません。お酒の初心者でも飲みやすいものはありますか?」

「酒をほとんど飲んだことがないなら……最初は炭酸割りにするか」


 甘い炭酸を混ぜたものがあるそうだ。テオドールが店主に伝える。注文を聞いた店主はカップの中に赤ワインを少量入れ、琥珀色の炭酸を注いだ。


「甘めにしてもらったから、飲みやすいと思う」

「楽しみです」


 カップを受け取ったクレアたちは、空いているベンチを探して座った。


 さっそく口をつけたテオドールは買ったワインが好みの味だったらしく、機嫌が良さそうだ。クレアも一口飲んでみた。炭酸の刺激に慣れると、甘い味と独特な香りが残る。

 想像よりも美味しくて飲みやすい。冷たいものが喉を通っていくのに、体はふわりと温かくなる。面白い体験だ。


 祭りの賑やかな雰囲気に囲まれて、クレアの心も上向いてくる。皆が楽しそうにしている理由が、少しずつわかってきた。

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