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底辺ランドリーメイドが幸せになるまで  作者: 佐倉 百


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25 変わっていく関係2

 茶を淹れる準備を始めると、フェルも積極的に手伝いを始めた。狭いキッチンなので三人が並ぶと使いにくい。


「テオ。帰ってきたばかりなんだし、座ってたら?」

「あとはお湯を入れるだけですから、待っていてください」


 多数決でテオドールが座って待つ担当にされてしまった。


 遠回しに邪魔だと言われた気分だ。二人とも嫌味を言う性格ではない。出張帰りだから、気を遣ってくれたのだということは理解している。だからこそ刺さってしまう言葉もある。


 ソファに座ってぼんやりと二人の作業を眺めていると、お互いを見る目に温度差があると気がついた。


 クレアはフェルのことを弟のようだと思っているらしい。年が離れているし、未成年だからだろう。フェルがやることを優しく見守っているところがある。


 一方のフェルは、親切心だけで手伝っているようには見えない。距離は近いが踏みこむのをためらっているような、迷いが表れているようだ。


 ある可能性を思いつく前に、紅茶の抽出が終わった。思考を中断したテオドールだったが、三人で休憩している間、言葉にしたくないものが胸の中を渦巻いていた。


 休憩が終わるとクレアは使ったカップを洗い、干していた洗濯物を取りに庭へ出て行った。


「テオ。今回は自信作ができた」


 不在間に出しておいた課題を、フェルが得意げに出してくる。


「ほう。じゃあ厳しく採点するか」


 ある状況に遭遇したとき、適切に魔術を選択できるかという問題だった。未成年のうちは攻撃よりも、防御や逃亡を第一に考えろと言ってある。子供のうちは魔力が不安定で、魔術の効果にばらつきが出る。過去には牽制目的で使った攻撃魔術で人を殺してしまった事例もあり、教える側は慎重にならざるを得ない。


 答案に赤インクで指摘箇所を入れていると、だんだんとフェルの表情が悲しいものになってきた。間違えているわけではない。フェルの回答以外にも選択肢があるという提案を記入しているだけなのだが、赤色が持つ先入観で気持ちが沈んでいるらしい。


 年齢の割にはよくできている。そろそろ実践させてもいいかもしれない。


「テオは僕の父さんに魔術を教えてもらったんだよね?」

「一応な」

「その時も、こんなふうに理論から入ったの?」

「いや。実戦から」


 テオドールは答案用紙をフェルに返した。


「いきなりサーベルウルフの群れがいるところに放りこまれて、生還しておいでって言われて放置された。死ぬ気で戻った俺に、あいつはなんて言ったと思う? 遅かったね、だ」


 思い出しただけで腹が立ってきた。あの時、とっさに相手の顔を殴ってしまったが、今でも間違っていないと思っている。


 世間では魔術の手ほどきをしてくれた相手のことを、敬意をこめて師匠と呼ぶ。だがテオドールは散々な目に遭わせてくれた奴を師匠と崇める趣味はない。教えられた教訓は、殺される前に殺せということのみだ。


「テオ」

「ある時は寝込みを襲われて、洞窟の最深部に捨てられた。探知系の魔術を覚えたのは、その時だったな。光源が一切ない場所では絶対、役に立つから覚えておけ。ああいうところに生息している魔獣は、超音波か魔力で察知して襲いかかってくるぞ。敵の位置を捕捉しながら、正確に急所を攻撃しないと食われる」

「えっと、実戦以外は……?」

「座学なんて一度もやったことがない。理論は、あいつの書斎に転がってる本を自分で読み解くしかなかった。死ぬ気で戦えば、勝手に強くなると思ってやがる」


 実戦だけで強くなれるなら、世の中は優秀な魔術師であふれているはずだ。

 テオドールはため息をついた。いらついてささくれ立った心が、少しだけ穏やかになる。


「お前はな、いつか父親のところに帰る日がくる。今のうちに防御を完璧に覚えろ。怪我さえしなければ、だいたい生き残れる」

「日常生活で、そんな物騒なことになるの?」

「いいかフェル。よく聞け」


 あまり思い出したくないが、テオドールはフェルのために不快な記憶を掘り起こした。


「あいつと二人きりで出かけようと誘われたら、それは訓練開始の合図だ。武器をくれたら、解呪しろという意味だ。あいつが興味本位で料理したものは、絶対に口にするな。とにかく与えられるもの全てを疑え。対処法ならいくらでも教えてやる。それでも、どうしても耐えられなくなったら、あいつに太陽石の粉をかけて逃げてこい」

「テオ……なんか、ごめん。父さんのせいで」

「お前は謝るな」


 フェルの父親は教師としては最悪な部類だった。それでもフェルにとっては、たった一人の父親だ。むしろ最低な思い出しか教えてやれず、申し訳ない気持ちになってきた。


 遠い目で答案を眺めているフェルの頭を、荒っぽく撫でた。父親への感情を子供にぶつける気は全くない。フェルの性格が似ていないのもある。テオドールにできるのは、フェルがまともな人間に育つよう導くことだけだ。


 しばらく撫でられるままになっていたフェルは、ふと庭にいるクレアを見て言った。


「今日はテオもクレアさんも居なくて、変な感じがしたなぁ」

「変?」

「一人で留守番するのは慣れてるのに、寂しい感じ?」

「……クレアが来て、良かったと思うか?」

「うん」


 フェルは迷わず言った。


「同居するって聞いて、家具とか運ばれてきたときは、面倒だなって思ってたんだけどね。どんな人が来るのか知らなかったし。でも一緒に暮らしてると、想像してたよりも嫌じゃなかった。今だけなんて言わずに、ずっと居てくれたらいいのにって」

「それは……」


 なんでだろうねと不思議そうにしているフェルは、自分の気持ちに気がついていない。


「あー……それは、お前、あれだ。母親の影を重ねてるだけだよ」


 フェルがまっすぐな瞳でテオドールを見てくる。テオドールは純粋さから逃げるために、赤いインク瓶に視線をそらして蓋を閉めた。


「治療中の母親と、滅多に会えないだろ。もし普通に生活できたら、こんなふうに暮らしてたんじゃないか? 近所の家庭を見てみろ。だいたい、今の環境と同じだから」

「……そっか。そうかもしれない」


 フェルは疑わなかった。


「じゃあクレアさんには言わないほうがいいね」

「ああ。未婚の女性に『母親みたい』は禁句だからな」


 悩みが解決したフェルは、晴れやかな顔で答案を見直している。弟のような存在の助けになれて、テオドールも満足だ。


 ――よし。


 自分の内側に渦巻いていた、黒いものも消えている。今夜はよく眠れそうだ。


 ――いや。よし、じゃねえだろ俺。何を考えてるんだ。


 フェルが自分を信用しているのをいいことに、違う認識を植え付けた。教育係として正しくない。だが育っていく心を尊重して、経緯を見守るのは抵抗があった。


 テオドールは混乱していた。

 なぜという疑問の答えを出したくない。


 彼女のことを考えるなら、下町の時計屋に雇われるよりも、ジェラールのような権力者に守られているほうが将来のためになる。仕事を続けるにしても、誰かと結婚するにしても、良縁が舞い込む確率が高い。


 クレアが礼儀正しいのは、テオドールが派遣先の上司だから。

 彼女の王宮での待遇は聞いた。給金を下げられないように、愛想よくしていると考えるのが普通だ。


 勘違いしてはいけない。

 仕事なのだ。クレアも、自分も。そこに特別な感情があるわけがない。


 テオドールは洗濯物を抱えたクレアから目をそらし、自分の感情について考えないようにした。


 きっと疲れているせいだ。寝不足だから、予想もつかない方向へ思考が飛ぶ。それをおかしいと思わない。ベッドで一晩眠れば、どれだけ自分が馬鹿な妄想に取り憑かれているのか分かるだろう。


 いま結論を出すことではない。

 できることなら先延ばしにして、そのまま忘れてしまいたかった。

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