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底辺ランドリーメイドが幸せになるまで  作者: 佐倉 百


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21/56

21 提案

 初めて訪れた工房は、時計以外にも雑多なものに囲まれていた。


 入り口からカウンターを通り抜けて奥へ行くと、作業台と棚がある。小さな引き出しは時計の小さな部品が入っているのだろう。名前と思われる単語を書いたラベルが張り付けられていた。


 扉がない棚には、時計に使うとは思えない毛皮や鳥の羽がある。分厚い本が雑多に突っ込まれた段もあり、どの背表紙にもクレアが知らない言葉が並んでいた。


 想像していた修理工房とは、全く違う。名前の通り時計はあるが、それ以外のものが多すぎる。


 不思議なのは、適当に寄せ集めたようでいて、調和がとれていることだ。物語に出てくる魔法使いの家を再現したら、こんな光景になるのだろうかとクレアは思った。


「最後にもう一度聞くが、本当にここで働いてもいいと思っているんだよな?」


 工房の中に案内してくれたテオドールが、屋敷を出る前と同じ質問をした。クレアの私物が入ったカバンを作業台に置き、こちらを振り向く。


「はい」

「ブロイ公爵の前で断れなかったわけじゃなく?」

「もちろん自分の意思です」

「どうあっても覆らない、と」


 テオドールは諦めた様子でカバンを持ち、さらに奥へ進んだ。


 後ろをついていくと、日当たりがいい狭いリビングがあった。工房の裏は居住空間になっている。


 小さなキッチンの近くには、丸いテーブルが置いてあった。このテーブルにも分厚い本が山積みになっていた。読書家なのか片付けるのが面倒で放置されているのか、判断がつかない。掃除は定期的に行われているようで、埃は落ちていなかった。


 窓の外には小さな庭が見えた。芝生は均一に刈り取られ、透明な壁で作られた小屋が建っている。ジェラールの屋敷にあった温室に似ていた。


「裏口からも外へ出られる。今日は工房側から入ってもらったが、普段の生活では裏から出入りするほうが便利だ」


 工房側は客が入ってくる。それに人通りが多いので、足が遅いクレアは裏通りを使ったほうが歩きやすそうだ。


 屋敷から工房までは、アリアンヌの好意で馬車に乗ってきた。派遣される使用人全員に対して行なっているそうだ。おかげで長い距離を歩かずに済んで、良かったと思っている。


「細かい部品が多いから、工房の掃除はしなくてもいい。歩くだけで大変だろ?」


 それを聞いてクレアは安心した。作業台と棚の間を歩いたとき、服の端をひっかけてしまいそうで怖かった。気がつかずに引っ張ってしまったら、きっと棚ごと襲いかかってくるだろう。


「店の表はどうしますか?」

「それは僕の仕事だから、やらなくてもいいよ」


 螺旋階段から、同居している少年が降りてきた。テオドールの親戚という先入観があったせいだろうか。全体的な雰囲気は似ている。フェルのほうが髪色が明るく、黄緑色の瞳が綺麗だった。


「初めましてクレアさん」


 笑うと可愛らしい顔立ちがより際立つ。前もって聞いていなければ、少女と間違えていただろう。


「たぶんテオはまだ言ってないと思うから、僕から言うよ。僕たちは貴族じゃないから、敬語はいらない。雇用主と使用人って関係じゃなくて、ただの同居人として扱ってくれると嬉しいな。だから家のことを手伝っても、申し訳ないとか思わないでね」


「そうなの? よろしくね」

「うん。あとね、テオは貴族の前では仕方なく猫を被ってるだけで、本当は口も性格も悪いから驚かないで」

「うるせえな。一言多いんだよ」


 フェルは笑ってテーブルの上の本を持ち上げると、螺旋階段を駆け上がっていった。


「……最後のはともかく。あいつが言った通り、あまり気負わずにやってくれ」


 テオドールはクレアのほうを見ないまま言った。恥ずかしかったのか、耳が赤い。


 初めて晒してくれた素顔は、フェルが指摘していたように随分と違う。口調は荒っぽいのに、近寄りがたい冷徹さが消え去って、親しみやすさが出てくる。一緒にいる時間が長くなると、もっと色々な側面が見えてくるのだろうか。


 二階は寝室とサンルームがあった。最初にクレアが使う部屋を案内された。落ち着いた色合いの家具に、カーテン越しの柔らかい光が当たっている。


「わざわざ用意してくださったんですか?」

「いや、俺じゃない。家具を用意したのはブロイ公爵家だ。だが気に入らなければ好きに変えてもいい。あの人たちも、その程度では怒らない……と思う」


 初めての一人だけの部屋だ。気に入らないわけがない。テオドールが運んでくれたカバンを机に置き、クローゼットを開けてみた。空だと思っていた中には、普段着として使えそうな服が隙間なく入っている。扉を閉めたクレアは引き出しをそっと開け、中を確認してから閉めた。


「……あの」

「俺じゃない。空き部屋は用意したが、中身には一切、関わってない。荷物が搬入されてからは、部屋にも入らなかった」

「わ、私、こんなに頂いてもよろしいのでしょうか」

「いいんじゃないか? むしろ受け取っておけ。断るほうが面倒なことになるぞ」


 この部屋にあるもの全てが就職祝いだそうだ。手紙で感謝の意を伝えておけば問題ないと聞いて、今夜のうちに書いておこうと決めた。


 続いてフェルの部屋の場所も教えてもらったが、掃除はしなくてもいいと言われた。


「フェルはいずれ家を出るから、自立させる目的でやらせてる。何もできないんじゃ本人が困るからな。この辺りの家庭は、どこも似たような方針だ」


 工房は職人街にある。幼いうちから家の手伝いなどで世間と関わるので、精神的に大人びた子供が多いそうだ。


 フェルのことは、困っていたら手助けする接し方になりそうだった。


「リヒターさんの部屋はどうしますか?」


 ふと目をそらされた。


「シーツの交換とか。ベッドメイクも掃除も、ちゃんと覚えてきました。教えてくださった方に合格を頂いたので、きっと満足していただけると思います」

「いや、それは……」


「ここに来た意味がなくなるので、仕事をください」

「微妙に断りにくいところを突いてくるな」

「洗濯は王宮で慣れていますし、男性用の下着を見ても平気です」

「俺が平気じゃねえよ」

「じゃあシャツとか、ハンカチとか」

「まあ、それぐらいなら……」


 ようやく妥協点が見つかった。本当は全部任せてもらいたいが、最初から強引すぎると交渉すらしてもらえなくなる。


 ――手始めに軽い条件から始めて、一つずつ増やしていく、だったわね。


 クレアは心の中でフラヴィに感謝をした。彼女は男女間の駆け引きと称して、交渉の手段をいくつか教えてくれた。自分の主張ばかりを口にしても聞いてもらえない。時には引いて、相手から提案させるようにと。


 今夜はフラヴィにも手紙を書いて、さっそく役に立ったと報告しなければいけない。やることが増えて一気に忙しくなった。


 テオドールの部屋は書斎を兼ねていた。本棚が大半を占有し、おまけのようにベッドが置かれている。この書斎から溢れた物が下の工房を圧迫しているらしい。


「……掃除は床だけにしておきましょうか?」


 クレアは本とメモで埋まっている机を見て言った。隙間なく文字が並ぶ紙面は、一生かかっても解読できないのではないかと思えるほど、意味が読み取れない。まず何に関する記述なのか、予想すらできなかった。


「そうしてくれると助かる。洗ってくれた物もベッドの上でいいから」


 自分の仕事が終わったら、自由に過ごしてくれとテオドールは言った。


「貴族の家みたいに、常に待機することはない。夜だって先に寝ても構わないし、暇なときは、この部屋にある本を持っていってもいい。丁寧に扱ってくれるならな」


 難しそうな雰囲気の本しか見えない。自分に読めるものがあるのか疑問だが、わざわざ提案してくれたので、ぜひ活用させてもらおうと思う。


「王国のことは聞いているか? 近所の奴らにクレアのことを聞かれたら、ただの家事代行と説明するつもりだが、どこから情報が漏れるか分からん。敷地の外へ出るのは、今は控えてくれ」


 身を守る道具が完成するまで、どうしても外出しなければいけないときは、テオドールかフェルが同行することになった。クレアは店の場所どころか周辺の地理すら分からない。身の危険がなくても、彼らに同行を頼んでいただろう。


 一通り案内が終わり、テオドールは一階へ降りていった。到着したばかりだから、荷物を整理する時間が必要だろうと気を使ってくれたが、私物が少ないのですぐに終わる。


 メイドの先輩たちに勧められた化粧品。着替えは帝国へ来てから一新され、くたびれたものは一つもない。真新しい筆記用具と未使用の手紙は、机の引き出しへ入れた。


 最後に形見が入っている箱を開けた。大切な物なのにクレアが非力なせいで取り上げられていた。取り戻したのもクレアではない。


 これを探していたころは、助けてくれる人などいないと思っていた。ましてや王宮を出て外国で働く未来がくるなんて、想像すらしたことがない。


 ――助けてくれた人たちが後悔しないような、生き方をしないとね。


 彼らがクレアに手を差し伸べてくれたのは、両親との約束があったからだ。クレア自身とは何の関係もない。恩を返せるほどの力もない。助けるんじゃなかったと言われないよう、身の振り方を考えるぐらいだ。自立していない未熟なうちから悩んでも、出てくる答えはない。


 クレアは箱に鍵をかけ、クローゼットの奥に隠した。


 一階へ降りると、フェルが丸テーブルに紙を広げて図形を描いていた。その隣では、テオドールが本を読みながら助言をしている。二人はクレアに気がついて、作業の手を止めた。


「もう終わったのか?」

「持ち物が少ないんです」


 少し早いが、昼食の準備に取り掛かることにした。テオドールに断ってから食材と調理道具を確認していると、フェルが思い出したように言った。


「クレアさん。食事は同じテーブルで、一緒に食べないと駄目だって聞いた?」

「そうなの? でも」

「ここでは上下関係なんて考えなくてもいい」


 テオドールは本から目を離さずに言う。あまり大きな声ではないのに、はっきりと聞こえた。突き放すような言葉なのに、テオドールが言うとクレアへの思いやりに感じられる。


 再び読書へと戻ったテオドールを、フェルは横から覗きこんだ。


「テオ。素直に、一緒に食べたいですって言えばいいのに」

「違う」

「じゃあ照れてる? 素直じゃないもんね」

「おい。口よりも手を動かせ」


 睨まれたフェルは、全く動じずペン先をインク瓶に浸した。

 軽口を応酬しあう二人は、歳が離れた兄弟のようで微笑ましかった。

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