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19 再会

 王国への出張から半年が過ぎた。短い夏が終わり、本格的な秋が到来したころ、テオドールは再びジェラールに呼び出された。


 いつものように馬車で半強制的に屋敷へ連れ去られ、豪華な玄関で使用人に出迎えられる。身分に合わない待遇だと思っていると、一人のメイドと目が合った。ぱっと青い瞳を輝かせて微笑む顔に、どこか見覚えがある。だが思い出せないまま通り過ぎ、応接室へ入った。


 職業柄、人の顔を覚えるのは苦手ではない。彼女が顧客なら絶対に記憶しているはずだ。街ですれ違ったのを、うっすら覚えているだけだろうと結論づけた。


 遅れて入ってきたジェラールは、先ほどのメイドを伴っていた。メイドがテオドールたちの前に紅茶を出し、下がろうとしたところでテオドールが止める。


「クレアが君に礼を言いたいそうだ」


 聞かされていなかったのか、急に話を振られたメイドも驚いていた。


「王宮で君に助け出されたあと、会う機会がなかっただろう?」


 テオドールはようやく彼女を思い出した。二回とも薄暗い場所で出会ったせいか、ずいぶんと印象が違う。王宮で粗末なメイド服を着て、うつむいていた人物と同じとは思えなかった。


 労働環境もかなり変化したのだろう。艶やかになった銀髪や血色がいい肌を見れば、今の生活が合っていると一目でわかる。


 クレアは最初こそ戸惑っていたものの、トレイを胸の前で抱えたままテオドールに向き直った。


「助けていただいて、ありがとうございました。それに、病院まで連れていってくださったのも、リヒターさんだと聞きました」

「いや……礼を言われることじゃない」


 あれはジェラールの命令だった。結果的にテオドールが助ける流れになっただけで、感謝されるほどではないと思っている。


「それより、怪我の具合は?」

「はい。エレン先生に歩けるようにしていただきました」

「……そうか」


 やはり完全に元通りの状態ではないようだ。あの場で自分にできたのは、魔術で痛みを軽減して止血をすることだけ。捜索に手間取ってしまったことが、ずっと胸の内に引っかかっている。


 ――あの怪我から、よく持ち直したな。


 周囲よりも歩くのが遅かった。杖を使わず歩けるようになるまで、かなり苦労したに違いない。回復を喜ぶことを言えば、皮肉に聞こえてしまう気がして、何も言えなかった。


「クレア」


 会話が続かず黙ってしまったテオドールに代わり、ジェラールが名を呼んだ。


「彼のところで働いてみないか?」


 ジェラールはいたずらを企むように笑っている。今日はまだ呼びつけられた要件を聞いていない。嫌な予感がした。

 クレアは戸惑った顔でテオドールを見た。


「妻から、就職先を探していると聞いた。いくつか候補が出ているが、どれも決め手に欠けるようでね。この男を紹介したら、悪くないと評価された」


 勝手に人を売って、評価しないでほしい。しかも曖昧な表現なので、どう受け取ればいいのか分からない。合格点の下限に入っているのと、大きな欠点がないのでは、全く意味が違う。


「この男は時計屋をしているのだが、私がたまに別の仕事を依頼するから忙しい。どんな仕事かは、助けられた君なら分かるだろう? そこでだ。普段の生活を支えてやってくれないか」

「ブロイ卿」


 テオドールは思わず口を挟んだ。未婚の女性を下町の職人のところへ派遣して、問題が起きたらどうするつもりなのか。危険を犯して王国から保護をしたのに、別の危険の中へ放り出してどうするのか。


 ジェラールの庇護下で安全に暮らすほうが、彼女のためだろう。テオドールが出せる給金など、たかが知れている。仕事の内容も、専門で分かれている公爵家とは違う。全ての家事を一人でこなさないといけない。


 諸々の危険性を伝える前に、ジェラールが首を横に振った。


「私は今、姪と話しているんだよ」


 黙れと言われ、テオドールは理不尽だと思いつつも口を閉じた。

 素直な職人に満足したジェラールは、優しくクレアに提案する。


「支えると言っても難しいことじゃないさ。掃除と洗濯、料理。ここで君が覚えたことだね。この男は紳士だから、貞操は心配しなくてもいい。給金は……うん、あの金額で働いていた君のことだ。きっと不満はないさ」


 最後だけ、ジェラールは哀れみがこもった声になっていた。よほど酷い雇用だったらしい。


「私でよければ、お引き受けします」


 クレアが迷わず答えた。


 ――なんでだよ。


 ほとんど知らない男のところで働けと言われているのに、なぜ葛藤が見られないのか。頬を紅潮させて、むしろ嬉しそうに見える。そんな反応をされたら、自分に好意があると勘違いしそうで危うい。


「テオドール。君、恋人はいるか?」

「……おりません」


 一瞬だけ、嘘でもいると言えば話が流れるかもしれないと思った。だが調べればすぐに判明することだ。貴族を騙すと面倒なことになる。正直に白状するしかない。


「ではクレアがいても問題ないな。話を進めておこう」


 ジェラールは自身が望む返答を引き出すと、さっさと話題を終わらせた。詳細は後ほど伝えると言い、クレアを応接室から退出させる。


 彼女の姿が完全に見えなくなり、テオドールはようやく発言の機会が回ってきたと察した。


「ブロイ卿」

「君に礼を言うために、この国の言葉を覚えたそうだ。健気じゃないか。会わせてやりたいと思うのは、奇妙なことかね?」

「そのことではなく」

「引き取っている子供のためにも、家事を手伝ってくれる人がいると安心だろう?」

「今のままでも十分です。あれももう十四歳ですから、身の回りのことは自分でできます」


「彼女は前向きに考えているようだが」

「世間をよく知らない相手を騙して、同意させたようなものですよ」

「私は君を信用しているんだよ。護衛として申し分ない。腕前と、人柄を含めた評価だ」

「……匿うなら、いくらでも伝手があるでしょう」


 ただの職人と公爵家では、人脈の広さが桁違いだ。真っ当な方法から表に出てこないものまで、その気になればいくらでも調達できる。それなのに、なぜ魔術が使えるだけの平民に押し付けるのか、本気で理解できなかった。


 ジェラールは感情が見えない微笑みで座っている。


「伝手はあっても目が届かない。私は姪を上流階級に戻したいわけじゃないんだ。苦労が増えるだけだからね」


 本人も望んでいないと言っていた――ジェラールがクレアの言葉を代弁した。


「最初から政治に使おうなどとは考えていなかった。王国の道具にされるかもしれないから、我々で保護をした。彼女が政治に口を挟んだり血筋を盾に優遇を望んだなら、それなりの対処をするとは考えていたが」

「杞憂に終わったということですか」

「ああ。お互いにとって幸いなことにね。我々は、クレアが普通の幸せを見つけてくれたら、それでいい。君は下町に顔が効くだろう? 彼女が望むなら良い縁を紹介してあげるといい」


「独身者の家に連れて帰ると、邪推されるだけですよ」

「中流層にも、目的ごとに使用人を雇う家が増えてきたではないか。職人が人を雇ってはいけないという法律は作っていない」

「彼女に良縁を望んでいるなら、このままブロイ卿のところにいたほうがよろしいかと。余計な憶測で傷つくのは彼女です」

「やはり君が娶るかね? 私は反対しない」

「ご冗談を」


 テオドールはクレアが出してくれた紅茶に口をつけた。


「そろそろ本題に入っていただいてもよろしいでしょうか?」

「やはり君に建前は通用しないか」


 やれやれとジェラールが軽くため息をつく。


「私の周辺に探りを入れられている。これは予想していたことだ。ジョン王は戴冠式の混乱に乗じて彼女を始末しようとしたが、失敗した。我々を疑うのは当然といえる」


 ブラッドからの報告では、テオドールたちが王宮を出立した時点で、メイド(クレア)使用人(コリン)が行方不明になったという情報が広まっていた。コリンがたびたびクレアに言い寄っていた目撃証言もあり、一旦は駆け落ちだと結論づけられたそうだ。


「ところがしばらく経って、川でランドリーメイドの服を着た死体が見つかった。顔は判別できないほど損傷が激しくてね。性別と年齢、髪の色で行方不明のメイドではないかと推測された。一緒にいたと思われている使用人は、彼女の死体発見から数日後に、王都の空き家で首を吊った状態で発見された」


 当初は駆け落ちだと思われた二人だったが、メイドは使用人にあまり良い感情を持っていなかったという証言もある。関係を迫ったものの相手にされなかった使用人が、感情に任せて殺したのだろうという内容に落ち着いた。


 かなり雑な捜査だ。下級の使用人が起こした揉め事に、時間を割かれたくない本音が見え隠れしている。だが暗殺者のことを知らない人々なら、信じても無理はない無難な内容だ。


「メイドが行方不明になった後に、形見の品は呪物ではなくなっている。君の説明では、死んだと判断できる状況だそうだな」


 呪物にされていた形見は、協力者によってすり替えられている。魔術師たちは呪物を雑に管理しているので、術が解けたのか、偽物と入れ替わっているのか見分けがつかない。


 それに自尊心が高い魔術師のことだ。入れ替わりに気がついたとしても、自分たちの管理が悪いせいだとは絶対に言わないはずだ。


「あちらの王は私を疑っているようだ。自分が差し向けた暗殺者が、無関係なメイドを殺して自殺したなど信じられるわけがない。彼女の母親が帝国の皇女なのだから、私が糸を引いていると考えるのが普通だからね」


 ジェラールは他人事のように、淡々と言った。


「この状況で、直々に目をかけている娘がいると知られるわけにはいかない。私の紹介で彼女を動かせば、疑ってくれと言っているようなものだ」

「では、なぜこの話を私に?」

「この屋敷は、平民の女性が多く出入りしていることは知っているかね。妻は慈善事業として、行くあてがない女性に技術を身につけさせて、信用できる雇用主へと斡旋している。彼女たちは妻の管理下にあって、私に人事権はない」


「……つまり」

「こんな筋書きはどうだろう。妻は可哀想な女性の話を聞きつけて、とある病院から引き取って面倒をみていた。良い就職先に心当たりはないかと、夫に相談するのは不思議ではあるまい。夫婦の雑談を通じて、幼い親戚を引き取った時計職人が困っていると知ることもあるだろうな」


 贔屓にしている職人を優遇するのは珍しくないとジェラールは言う。


「そう不満そうな顔をするな。いや、君は無表情のままだが、付き合いが長くなれば多少の感情は読み取れるさ。君が最も適任なんだ。独身者で、扶養している家族がいて、出張が多い。君と似たような状況の者は、家事代行を雇うと聞いた」


 下町で暮らしていれば、食事だけ依頼したり、週に一度の掃除を頼んでいるという話題を耳にすることがある。住みこみの使用人は高くて雇えなくても、用事がある時だけ来てくれるなら、お金を出せる者は多い。労働者階級では常識になりつつあり、人材を派遣する店が増えてきた。


 ジェラールが言っていることは理解できるが、自分でなくてもいいのではないかと思う。


「もし王国の魔術師どもが目をつけても、君は対処法を知っているから任せられる。私が抱えている魔術師でも可能だが、普通の女性を護衛したら目立ってしまうからね」

「それは、そうですが」


 ジェラールが私兵にしている魔術師なら、王国の宮廷魔術師にも匹敵する腕前だ。正論すぎて返す言葉がない。


「ああ、姿を誤魔化す道具は作らなくてもいい。そんなものを身につけていたら目立ってしまう」


 どうやらテオドールがクレアを雇うことは決定しているらしい。


 不在時に留守を預かってくれる誰かがいれば、楽になるだろうと考えたことはある。フェルは歳のわりにしっかりしているが、やはり未成年だ。一人にしておくには不安が残る。


 それに仕事に集中できるようになれば、睡眠時間を削らなくてもいい。家事をするのは苦痛ではないものの、忙しい時でも後回しにできないことがあるのは面倒だった。


「生活に必要なものは、こちらで揃えよう。君は空き部屋を用意しておいてくれないか」

「王国の介入がなくなるまで護衛をする、という認識でよろしいでしょうか」

「ああ、構わない」


 ジェラールはいつも、相手の利益も考慮して交渉を持ちかけてくる。悪い話ではない。クレアは安全な就職先を得て、テオドールは仕事の時間を確保できる。ジェラールはいつでも姪の様子を確認できる。


 断る理由など、最初から用意されていなかった。

ようやく合流しました

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