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底辺ランドリーメイドが幸せになるまで  作者: 佐倉 百


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18 自由と転機

 一人になったクレアは、先ほどの会話を思い出していた。


 両親はすでに亡く、母親だと思っていた人と血の繋がりがなかった。不思議に思っていた関係が明らかになり、また別の疑問が出てくる。


 子供を危険から守るために隔離し、本当の家族だと名乗ることもできなかった両親は、クレアの他人行儀な振る舞いをどう捉えていたのか。危険を排除したら、名乗り出てくれただろうか。


 彼らが健在だったなら、今頃は親子として関係を再構築していたと信じていたい。そのために王宮内に潜ませ、いつでも会えるようにしたのだと。


 母親役だったメイドは、どんな気持ちでクレアを育ててくれたのだろうか。今となっては確かめようもない。だが彼女が愛情を持って接してくれていたのは、クレアの記憶の中にしっかりと残っている。


 なぜ彼らが目立ってはいけないと教えていたのか、身をもって知った。王太子の子供ということは、クレアにも王位の継承権があるのだろう。そうでなければ国王がクレアを殺そうとするはずがない。ダルニール王国は女王が統治していた時代もある。魔術で血統を調べられるのだから、クレアが誰の子供かすぐに証明できるのだ。


 ランドリーメイドとしての仕事は辛かった。どれだけ働いてもお金がもらえるわけでもなく、起きている時間のほとんどは仕事で潰れる。


 だが王族の仲間入りをして、かつての同僚や上司たちの上に立ちたいとも思わない。貴族社会で生きてきた両親が危険と判断した世界だ。少し魔術を使えるだけの下級メイドが、血統だけで生きていける場所のはずがない。きっと常に命の危険が付きまとう。


 コリンの熱を帯びた目を思い出し、クレアは両腕をさすった。殺されそうになる恐怖なんて、一生知りたくなかった。


 ジェラールとアリアンヌは、クレアが帝国で暮らすことを前提に話をしていた。帝国のことを理解させて、それで終わりだろうか。二人は両親との約束で自分を助けてくれただけ。今度も援助してくれるなんて、甘い考えは持たないほうがいい――クレアはそう結論づけた。


 帝国の言葉と常識を覚えたら、一人で生きていけるように仕事を探す。不安がないわけではないが、今の自分に思いつくのは、それしかなかった。



 ***



 翌日、アリアンヌから教師を紹介された。厳格そうな高齢女性で、貴族の子女を何人も教えてきた実績があるらしい。コリンに殺されかけた経験のせいで、男性とは二人きりになりたくなかったクレアは安心した。


 第一印象で怖そうな人だと思っていたが、理解できるまで丁寧に教えてくれるし、何も知らないクレアを笑ったりもしない。博識な人物らしく、帝国のことだけでなく王国の事情にも通じていた。


「人生は学ぶ時間でもあります。あなたが学んだことは人格を形成する要素の一つになる。歳をとるほど、生き様は顔に現れます。人に恥じない生き方をしたいなら、向上心を忘れないように」


 授業の最初に、教師はそう言った。


「それから、目標もなく知識を頭に詰めこむのは辛いことよ。学ぶ理由を自分で見つけなさい。なんでもいいの。あれがしたい、これがしたい、知識に関連した欲があれば、自然と覚えられるようになります。あなたがやりたいことは?」


 ――やりたいこと?


 メイドから解放されて、自由になったのだと言われても、急には出てこない。


 クレアは今まで流されて生きてきた。下級メイドだからと自分で自分を納得させ、指示されたことをこなしていただけ。形見を取り戻すことだけは自分の意志だったが、それ以外は与えられるものをただ受け取っていただけだ。


 アリアンヌの指示で始めた勉強だったとしても、目標を決めるのはクレアでなければ意味がない。


 ふと助けてくれた人のことを思い出した。知っている情報は顔と名前、この都市に住んでいることだけ。


「私は……お礼を言いたい人がいるんです。帝国の人ですから、ちゃんと会話ができるように言葉を覚えたい。通訳してもらった言葉じゃ駄目なんです。もっと、その人のことを知りたいから」

「良い動機を見つけましたね」


 教師は薄く笑ってうなずいた。クレアの返答が予想以上に良かったようだ。


「その願いが叶うかどうかは、あなた次第です。楽しい会話に知識は欠かせません。身につけた教養は、あなたの武器にも盾にもなります。さあ、授業を始めましょうか」

「はい」


 言葉を覚えるだけでは会話にならない。彼女のいう通りだ。相手が興味を持っていることを聞きだしても、クレアに知識がなければ会話が終わってしまう。


 文字だけは育ててくれた母親に教えてもらったことがあったので、一通り書くことができた。帝国と王国は大部分では同じ文字を使っている。クレアが教えてもらったのは、帝国のものだった。


 ある程度の帝国語が理解できるようになると、教科に計算や法律が加わった。一つ理解できるようになると、他にも知りたいと思うようになっていく。知らないまま放置できなくなる。自分の中に知識が増えて、世界の見え方も変わっていくようだった。


「先生、この国の言葉だと思うんですが……」


 クレアは一日の授業の終わりに、思いきって教師に質問をぶつけた。


「子供のころ、たぶん父親だと思う人が、私を『シャトン』と呼んでいたんです。でもこの言葉は、小さな猫という意味ですよね? どうしてそう呼ぶのか分からなくて……」

「ええ、直訳だとそうなります。意訳すれば『愛おしい我が子』となるでしょうね。名前ではなく何かに例えて愛情を表現することもあるのですよ。この国ではね」


 教師は珍しく言葉を切って、考えこむそぶりを見せた。


「……あなたはご両親に愛されていたのでしょう。顔を見れば分かります。環境に害されることなく、真っ直ぐに育っている。たくさんの生徒を見てきた私が言うのですから、間違いありません。自信を持ちなさい」


 そう言って授業を終わらせた教師は、いつもより足早に帰っていった。彼女なりの激励だと気がついた時には、もう後ろ姿は見えなくなっていた。


 勉強と並行して、怪我の治療(リハビリ)も進んでいた。歩くための体力作りは時に痛みを伴うものだったが、自分の足で歩ける嬉しさに勝るものはない。


 忙しくても努力が報われる生活が続いたある日、アリアンヌからお茶に誘われた。お世話になっている身で拒否はできない。了承すると、その日にあった午後からの授業が取りやめになった。


 約束の時間にアリアンヌのところへ行くと、優雅に微笑む彼女に歓迎される。


「とても熱心な生徒だと聞いているわ。学ぶのは好き?」

「はい。世界が広がったような気がします」

「あの先生には私もお世話になったのよ。厳しい先生だけど、平気?」

「確かに厳しいですが、根気よく導いてくれます。先生を紹介してくださって、ありがとうございます」

「相性が良くて何よりだわ」


 アリアンヌは心から安堵したようだった。


「一定の教育が終わったら、あなたの今後について考えなくてはいけないわね。希望することはある?」

「それでしたら……どこか良い就職先はありますか?」

「就職先?」


 予想していなかったらしく、アリアンヌは軽く首を傾げた。


「ずっとこちらでお世話になるわけにはいきません。私はずっとメイドとして生きてきましたから、今さら貴族にはなれませんし、なりたくありません。ですから、どこかで働いて、いただいた給金で生活できるところがあれば、と」

「あら……もうそこまで考えていたの? あなた一人を養うぐらい、どうとでもなるのに。でも自分で将来を考えているようだから、協力させてもらうわ」


 アリアンヌが提案したのは、現在受けている教育のほかに、職業訓練を受けてみないかということだった。


「私はね、身寄りがない女性を支援して、就職先を斡旋しているの。虐待から逃げてきた人もいるわ。この屋敷で働いているメイドも、ほとんど私が保護した女性なの」


 外で就職するのが難しいなら、屋敷に残ればいいとアリアンヌは言う。


「王国では、どんな待遇だったの? まず仕事の内容は?」


 質問されるままクレアが正直に答えると、次第にアリアンヌの表情が暗くなっていった。


「……大丈夫よ。その条件に耐えられたのだから、どんな環境でも生きていけるわ」


 よほど劣悪だったらしい。慈悲深く慰められ、クレアは沈黙した。


「就職先は私が決めてもいいのね? 頼ってくれて嬉しいわ。素敵な職場を探しておくから、待っていてね」


 アリアンヌはメイドを呼び、細い鎖のネックレスと長方形の箱を持ってこさせた。ネックレスには橙色の石が連なっている。


「これを常に身につけておいて。あなたの身元を保証するものよ。ここで教育を受けた子は、私の子供も同然。就職先で理不尽な目に遭ったら、いつでも戻ってきなさいね」


 続いて、箱を開けて中身を見せる。


「夫から、あなたに。箱の鍵は中に入っているわ。あなたのものでしょう?」


 箱の中にはブローチと木製の短剣が入っていた。ずっと探していて、取り戻したかったものが、そこにある。

 クレアは思わず涙がこぼれそうになって、何も言えなかった。

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