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底辺ランドリーメイドが幸せになるまで  作者: 佐倉 百


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17 明かされた真実

 入院をした最初の一週間は、高熱が出たりトイレへ行くにも一苦労だった。杖を使えば病院内を歩けるが、左側に体重をかけると傷口が痛む。エレンが適切な治療を施してくれたおかげで動けるようになったが、まだ完治には程遠い。


 ジャネットはクレアの看病の他に、時間があれば相手になってくれた。大半は何を言っているのか分からないが、朗らかに喋る彼女につられて気持ちが軽くなる。要望を伝えるカードに書かれた単語も、ジャネットが何度か発音しているうちに覚えてしまった。カードは一週間で出番を無くし、ベッド脇の棚に置いたまま眠っている。


「だいぶ回復したようだな。傷口も塞がっている。無理に動かさなければ開くこともないだろう」


 傷口の抜糸が終わったあと、エレンが淡々と告げた。縫合するほど酷い怪我だった左脚全体には、軟膏が塗られ包帯を巻かれる。傷を綺麗に治すためらしい。糸がなくなって引きつるような痛みから解放された時は、自分の体が着実に治っていると実感した。


 どうせ下半身はスカートで隠れる。見せる相手もいないのだ。傷跡よりも自分の足で歩けるほうが嬉しかった。


 エレンは傷口の手入れについて説明したあと、軟膏が入った瓶と交換用の清潔な包帯を渡して言った。


「急な話で悪いが、病室を移動してもらうことになった。君の後見についてくれる方が会いたいそうだ。あとで服を渡すから、明日はそれを着て部屋で待っていてほしい」


 クレアの生活を支えてくれる人だそうだが、そんな人物には心当たりがない。


 診察が終わったクレアは廊下へ出た。病室は上の階にある。ゆっくり階段を登りながら、使っていた病室を掃除して時間を潰そうかと考えていた。


 クレアの持ち物は少ない。病室で目を覚ました翌日に、なぜか王国にあるはずの私物が届けられた。枕と同じ大きさのカバンに全て入っているのを見て、虚しい気持ちにしかならなかった。


 翌朝に、ジャネットが着替えと靴を届けにきた。病室では診察しやすいように作られた服を借りていたので、まともな服を着るのが久しぶりだ。


「これ、本当に私が着てもいいの……?」


 クレアは柔らかくて軽い生地のスカートを広げた。濃紺のワンピースに白いフリルが縫い付けられている。裾を一周する細かいレースは、王族の服でしか見たことがない。そんな高級品を惜しみなく使った服が、目の前にある。


 頑丈な布を汚れが目立たない色に染めたメイド服とは、明らかに違う。少し引っ掛けただけで破れそうな気がして、クレアは恐々と袖を通した。


 ベッドに腰掛けて靴を履いていると、エレンが迎えにきた。目的地までは彼女も同行するようで、白い上着ではなくコートを着ていた。男装しているのは相変わらずだ。


「準備は?」

「できました。いつでも出発できます」


 エレンはうなずくと、クレアのカバンを持って病室を出ていく。慌てて後を追いかけるが、早く歩けないので差が開くだけだった。エレンは一階へ降りたところでジャネットに捕まっていたので、ようやく追いつくことができた。


「歩く速さを怪我人に合わせろと言われたよ」


 苦笑いでエレンが言った。


 身の回りの世話をしてくれたジャネットは、当然ながらクレアが退室することを知っている。荷物を持ったエレンだけが降りてきたので、不審に思って問い質していたのだろう。


 ジャネットがクレアに早口で話しかけてきた。通訳してくれたエレンによると、歩けるまで回復したことを喜んでくれているらしい。


「あの……ありがとう」


 助けてくれたエレンとジャネットには本当に感謝している。けれど覚えている帝国語では一言しか伝えられない。エレンに頼めば通訳してくれるが、本当に伝えたいことは自分で言いたかった。


 ――また、何もできないままだわ。


 ジャネットは最後にクレアを抱きしめてくれた。温かくて優しい。彼女と離れるのは寂しいが、今は人を待たせている。


 病院の玄関から外へ出ると、箱型の馬車が停まっていた。エレンの病院には貴族も来るのかと思っていると、これに乗って移動すると彼女が言う。


「今の状態では長い距離を歩けないと先方に伝えたら、好意で迎えを寄越してくれた。遠慮することはない」


 先に馬車へ乗りこんだエレンに促され、クレアは恐る恐る座席に座った。扉が閉まると最初はゆっくり動きだし、軽い振動が伝わってくる。馬車は劣悪な乗り心地だと使用人仲間から聞いていただけに、拍子抜けだった。


 噂に聞いていたほど揺れないのは、馬車の構造そのものが違うのだろう。柔らかい座席や窓にかかるカーテンの生地を見ると、やはり貴族向けに作られた馬車だとよくわかる。平民向けの乗り合い馬車と比べると失礼かもしれない。


 馬車の外はカーテンで見えなかった。ときおり左右に大きく揺れる。


「クレア。これから会う人は、君の将来に関わってくる。よく考えてから返答をするように」


 視線のやり場に困って自分の膝の辺りを眺めていると、エレンが淡々と告げた。


「君が誠実であれば、何も心配することはない」


 今更ながら自分が置かれている状況が分からなくなってきた。これから会うのは、こんな馬車を気軽に使える立場の人間だ。さらに自分の将来にも影響力があるらしい。


 ――私が王女だと思われてる? ありえないのに。


 そう心の中でつぶやいたものの、クレアは自身の言葉を否定できなかった。


 家族のことについて、母親は何も教えてくれないまま亡くなっている。病気でベッドから出られなくなってから、形見だという品を渡してきた。クレアの血筋を証明するものだから、絶対に手放すなと言い残して。


 クレアが形見を見たのは一度だけ。子供向けの短い木剣と、青い石がついたブローチ。魔術師に安物だとさんざん馬鹿にされて、取り上げられた。もう二度と取り戻せないのだろうか。


 馬車が止まった。扉をノックする音で現実に帰る。御者の手を借りて馬車から降りたクレアは、大きな車輪がついた椅子の前に誘導された。


「こんなものまで用意していたのか」


 関心と呆れが混ざったような声でエレンが言う。


「座るといい。移動が楽になるぞ」


 クレアが座るとメイドが来て後ろから押した。動かす前はクレアに声をかけたり、歩くよりやや遅い速度で移動するので、未知の恐怖は全くない。段差がないところなら、最適な移動方法だ。


 案内された部屋には、上品そうな紳士と貴婦人が待っていた。立ち上がって挨拶をしようとしたクレアを制し、紳士が口を開く。


「突然、来てもらって悪かった」


 彼はジェラール・ド・ブロイと名乗り、隣の女性を妻のアリアンヌだと紹介した。親子ほど歳が離れているように見えたが、アリアンヌには歳を重ねた女性の色気もあって混乱する。


「怪我の具合はどうかね?」


 答えたのはエレンだった。


「傷口はほぼ塞がりました。杖があれば歩行に支障ありませんが、慣れるまでしばらく苦労するでしょう」

「元通りというわけにはいかないか」

「残念ながら。回復の様子をみながら歩行訓練をすれば、いずれは杖なしでも歩けるようになるかもしれません」


 アリアンヌは痛ましそうにクレアの足のあたりを見ている。


 自分のことなのに、なぜか悲観的な気持ちは出てこなかった。クレアよりも会ったばかりの二人のほうが、事態を重く受け止めている。奇妙な話だ。


 クレアは自分が不幸だとは思えない。ほぼ収入がないのに、医者の高度な治療を受けられた。一応は歩けるようにしてもらったのだ。しかもエレンの口ぶりだと、努力すれば杖を使わずに済むかもしれない。


 あのまま王宮にいたら、傷は裂いた布をきつく巻きつけるだけの治療しか受けられなかった。これ以上を望むのは贅沢だ。


「君は己の出自を知っているかね?」


 唐突にジェラールが尋ねた。怪我については前座で、こちらが本来の要件だろう。


 答えてもいいのか迷っていると、エレンがクレアの肩に手を置いた。


「これは尋問ではなくて確認だ。二人は君の事情を知っている」


 同意を求めるように、エレンは貴族の二人を見た。ジェラールたちはその通りとうなずく。


「君の母親と私は兄妹でね。つまり君は私の姪だ」

「私……母から何も聞いてません」

「知らないことが君を守ることになるからね。少しばかり衝撃的な話になるだろうが、聞いてほしい」


 聞く権利があるのだとジェラールは言う。


「君の母親はシャルロットという。この国の皇女だった。君にはシャーリィと名乗っていたかもしれないが」


 そう呼ぶように言っていたのは、王宮の奥で会った女性だけだ。


「君が気を失っている間に、血縁関係を確かめさせてもらった。君は間違いなく、シャルロットとダルニール王国の王太子の間に生まれた子だよ」

「何かの間違いでは……? 私はただのメイドです」

「君を育てたのはシャルロットの侍女だ。とある事情で世間の目から隠すために」

「そんな」


「髪と瞳の色を魔術で隠していただろう?」

「はい。目立つことは控えなさいと……魔術を教えてくれた人がいつも言っていました。平民が貴族の方と関わると、良いことはないからって」

「王宮で貴族と会わないようにしていたね? 君はシャルロットに似ている。横顔は父親の面影があるな。王宮で貴族に似た娘が現れたら、似ているでは済まないのだよ」

「あの人が、母親だったんだ……」


 いつも会いに行くと嬉しそうにしてくれた。別れを惜しんでいたことを覚えている。育ての親がクレアにもメイドのように振る舞っていたのは、それが本当の姿だからだ。


「私を助けてくださったのは、なぜでしょうか?」

「父親である王太子は、君とシャルロットを亡命させようとしていたが、間に合わなかった」


 クレアは本当の両親が病気と怪我で亡くなっていることを、ようやく知った。急に彼らと会えなくなったり、育ての親が形見について言及していた理由が腑に落ちる。


「君自身も行方が知れなくて、発見するのが遅れてしまった。苦労をかけさせたことを謝罪しよう。同意もなく帝国へ連れてきてしまったが、今の王国は君にとって危険な場所だ。新しい王は、亡くなった王太子の子供は政治基盤を揺るがす敵としか思っていない」

「……それで殺されそうになったんですか」

「私は約束を守る性格でね。君の父親に妻子を託された。だから助けた。ただ、これから先は君次第だ」

「ジェラール様」


 アリアンヌが名前を呼んで遮った。


「そう結論を急ぐことはありませんわ。彼女はまだ、この国について何も知らないのです。知らない国でどう生きたいか、急には決められないのではなくて?」


 ジェラールがわずかに身じろぎした。


「それにねぇ、怪我もまだ完治してないのでしょう? 彼女が己の出自で混乱しているときに、重大な決断をさせるのは可哀想よ」


 そう言って上品に笑うアリアンヌに、ジェラールは困ったように微笑んだ。


「まあ、確かに性急すぎた。ひとまずアリアンヌに任せよう。いいね?」

「ええ。もちろんよ」


 了承したアリアンヌはクレアに向き直った。


「まずは言葉を覚えましょう。言葉が通じないままでは、就職先で騙されても分からないわ」

「はい」


 言葉の問題はクレアも感じていた。病室の外から聞こえてくる会話のほぼ全てが分からない。文章も読めないので、契約書を出されても内容を確かめられない。


「でも今日はゆっくり休んで。いきなりあんなことを言われて戸惑ったでしょう? この人も悪気はないのよ。結論を急いでしまっただけ」


 アリアンヌはメイドを呼び、クレアを案内するように命じた。


 再び椅子に乗せられたまま移動した先は、明るい客室だった。部屋にあるものは自由に使ってもいいと言われ、クレアは良すぎる待遇に恐怖を感じる。


「着替えは全てこちらに用意しております。ご入用のものがありましたら、お申し付けください」

「あ……ありがとうございます」


 礼を言うのがやっとだった。


「私、ちゃんと眠れるのかな……?」


 王宮でちらほら目にしたことがある高級家具や調度品に囲まれ、落ち着ける気がしない。天蓋付きの大きなベッドを見つけてしまったクレアは、早くもエレンの病院へ帰りたいと思っていた。

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