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底辺ランドリーメイドが幸せになるまで  作者: 佐倉 百


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16 時計修理

 昼過ぎ、患者が少なくなる時間帯を見計らって、テオドールは病院を訪れた。来ることを予想していたのだろう。エレンは無表情のまま、診察室へテオドールを招き入れた。


「容態は?」

「そう焦るな。茶を飲む時間ぐらい待て」


 角砂糖を五つ放りこんだ甘ったるい紅茶を手に、エレンが遮った。


「茶? 砂糖水の間違いだろ」

「知らんのか。糖分は脳の栄養なんだ」

「溶け残るほど入れるぐらいなら、直に食えよ」

「それをするとジネットに怒られる」

「もうやったのか……」


 甘いものが好きなのは知っていたが、看護師に叱られるほどとは思っていなかった。菓子全般を禁止される日も近いのではないだろうか。


「で?」

「意識は取り戻したが、状態は良くない」


 改めて尋ねると、半ば予想していた答えが返ってきた。


「打撲は日が経てば消える。だが左足には麻痺が残るかもしれない。かなり深いところまで傷つけられていた。なるべく跡が残らないよう縫い合わせたが、楽観視はできない」

「わかった。先方には、そのまま伝えよう」


 出血量の多さから嫌な予感はしていた。捜索に手間取って、助けが遅れたことが悔やまれる。


「会っていくかね?」

「……いや、いい」


 二回しか会っていない相手だ。名前すら知らない。彼女も殺されかけた混乱で覚えていないだろう。助けた恩を押しつける形になりそうなので、入院期間を聞いてから帰ることにした。


 病院を出たテオドールは、裏道から自宅へ向かった。表通りへ出て時計の修理工房へ行くと遠回りになる。工房の裏側と二階を住居にしているので、目的地は同じだ。


 塀に囲まれた小さな庭を通り、玄関を開けて中へ入る。そのまま工房へ行って溜まった仕事を片付けようか、それとも気分転換に休憩しようか考えていると、表に見覚えのある馬車が停まった。テオドールは要件を察して工房側の鍵を開けた。


 馬車から出てきたのは、ジェラールの代理人だった。


「修理の依頼をしたい。懐中時計だ。屋敷へ来てもらえないだろうか」


 もちろん拒否権などない。


「かしこまりました。用意いたしますのでお待ちを」


 代理人はテオドールに頷いただけだった。おそらく彼も貴族だろう。平民とは明らかに佇まいが違う。ジェラールの秘書か、腹心の部下と思われる。


 貴族の屋敷へ行くのだから、普段着では失礼になる。二階へ上がって着替え、ついでに裏側の戸締りをしておく。フェルはどこかへ出かけているようだが、自宅側の鍵を持っているので問題ないだろう。手提げのカバンに仕事の道具と交換用の部品を入れて、代理人と一緒に馬車へ乗りこんだ。


 無言のまま屋敷に連れてこられたテオドールは、待っていた使用人の案内で応接室に通された。


「こちらのテーブルをお使いください」


 二人掛けの丸いテーブルだった。広さは申し分ない。傷をつけないようカバンに入れていた布を広げ、道具を出して待つ。


 しばらくして代理人が懐中時計を持ってきた。


「これが修理をしてもらいたい時計だ」

「お預かりします。どのような不具合がありますか?」

「進みかたが一定ではないそうだ。極端に速くなったり、止まったまま動かなくなる」

「なるほど。中を見てみましょう」


 テオドールは作業の邪魔になりやすい上着を脱いだ。上着は案内をしてくれた使用人が預かり、コートハンガーにかけられた。


 時計の外側は金でできているようだ。大きな傷はない。蓋を開けると文字盤と針が確認できる。蓋の内側には何かの日付と製造元の刻印があった。


 表に異常はない。蓋を閉めて裏返し、同じように裏蓋を開ける。本体とダストカバーの間には、わずかな溝があった。ヘラを差しこんで隙間を広げ、そっとダストカバーを取り外す。現れたのは時計の心臓部(オーブメント)だ。


 部品は全て正しい位置に揃っている。落とした衝撃で壊れたわけではなさそうだった。ただ部品の摩耗を防ぐはずの油が乾燥してしまっている。


 テオドールは後方にいた使者へと振り返った。


「メンテナンス不足と経年劣化による不調です。全て分解をして、部品の洗浄と交換をする必要がありますね」

「この場で終わらせることは可能か?」

「申し訳ありませんが、今すぐ直すのは不可能です。この時計を作った製造元は、七年前に倒産しました。在庫の部品もすでに流通していません。いくつかはうちの工房にも在庫がありますが、それ以外は精密部品を作れる工房に製作を依頼しないと……早くて一週間、最長だと一ヶ月ほど時間をいただければ、動くようにします」


 依頼をしてくる富裕層の中には、製造元が扱っていた部品でなければ嫌だと注文をつける層がいる。滅多にないことだが、中古で取引されている時計の中から、同じ型のものを探して部品を集め、納品したこともあった。時間と手間ばかりかかるくせに、部品の耐久度にも不安があるので、あまり勧めていない。


「それは思い出深い時計でね。妹からの贈り物なんだよ」


 代理人の判断を待っていると、応接室にジェラールが入ってきた。外から帰ってきたばかりなのだろう。コートを使用人に預け、テーブルまで来る。テオドールは時計をテーブルに置き、立ち上がって出迎えた。


「大切にしすぎて、飾って眺めるだけで満足していた。時計として作られたのだから、時計として活用せねば意味がない。そんな当たり前のことを忘れていたよ。正確に動くようにしてもらいたい。君のやり方で」

「かしこまりました。お預かりします」


 元通りにダストカバーをはめて、柔らかい布で包む。カバンの内ポケットに入れ、出していた道具を片付けた。使用人がテオドールの上着を持ってきてくれたので、礼を言ってから袖を通す。


「彼女の様子は?」


 テーブルに広げていた布を畳んでいると、ジェラールが尋ねてきた。あのメイドのことだろう。


「医者によると、芳しくないそうです。特に左足には麻痺が残るかもしれません」

「そうか。もう少し苦しめてから始末すべきだったな」


 また知りたくない情報が増えてしまった。コリンは王の命令で暗殺を企て、失敗した。もし成功していたとしても、王が真実を知った者を生かしておくとは思えない。いつでも捨てられる人材だったはずだ。重要な証拠など持っているわけがなく、取引材料には使えない。


 コリンの末路については考えないようにした。平穏に暮らす庶民には刺激が強すぎる。


「……君は酒を飲むことはあるのかな?」

「嗜む程度なら」

「では少し付き合ってくれ」


 ジェラールは使用人にワインを持ってくるよう命じた。


「時計の修理が終わったら、ここへ連絡を」


 代理人がテオドールに紙片を渡す。この屋敷の住所と、代理人と思われる名前が書いてある。胸のポケットに入れると、代理人はジェラールに断って応接室を出ていった。


「この席で話すことは、私の個人的な意見だと思ってもらいたい」


 ソファに座るなり、ジェラールが言った。


「もちろん君が喋ったことを利用する気もない。今は仕事ではなく、ただの休憩だ」


 使用人がワインと軽い酒肴を持って戻ってきた。手際よく栓を開けてワイングラスに注ぐ。暗い色の赤ワインだった。


 乾杯をして口をつけると、深い香りが広がる。


 ――これ、平民に出す酒じゃねえよ。


 町の酒場では絶対に扱っていない品質だ。ワインの出来が良いだけでなく、適切な環境で保存されている。


「まずは、姪を助けてくれたことに感謝する」

「過分なお言葉です」


 テオドールは偽りなく言った。真っ赤に染まっていたスカートが、脳裏から離れない。あれは助けたと言えるのか。


 ワイングラスをテーブルに置いたジェラールが続けた。


「本人は最近まで王女ということを知らずに……まあ知っていても誰にも言えないまま育った。王族としての教育も受けていないだろう。残念ながら両国の折衝役にはなれない。かといって大切な姪を誘拐に近い方法で連れてきたくせに、放り出すのも無責任だ」

「メイドとして雇われてはいかがでしょうか。目が届く範囲で働くなら、ブロイ卿も安心でしょう」

「身元保証人がいなくてね」


 捏造できるくせに――テオドールはワインを飲んで言いたいことを我慢した。


「いっそのこと、君が嫁にもらうかね」


 危うく口の中のものが気管に入るところだった。しばらく咳きこんだテオドールは、口元をおさえてジェラールを凝視する。


「お……お戯れを」

「いやいや、本気だよ」


 ジェラールは愉快そうに笑っていた。


「彼女は妹に似ている。きっと彼女に髪と瞳の色を変える魔術を教えたのは、妹だ。私と妹はその魔術で遊んでいたからね。他にも服についた汚れを落とす魔術なんてものもあったな。いたずらをした後に、よく使っていたよ」

「ずいぶんと活発だったのですね」

「当時の教育係は大変だっただろうな」


 他人事のようにジェラールが言う。


「外見を変えていたお陰で、発覚が遅れた。ダルニール王国ではその程度の変化で隠れられたが、帝国(ここ)ではそうもいかない。妹の顔を知っている貴族が多くてね」


 平民なら他人の空似で誤魔化せるということらしい。いちおう血統を調べる魔術から身を守る方法が存在しているので、疑惑を持たれても逃げ切ることは可能だ。


「君は知っているだろう? 貴族のそばで働く使用人は、姿を偽る魔術が制限されている。不届者を見つけやすいようにな。彼女だけ特別扱いするわけにはいかない」


 再びグラスを持ったジェラールは、ワインの香りを楽しむようにゆっくり揺らした。


「私の近くにいると、貴族のしがらみに巻き込まれる。しかしどこかで働くのは賛成だ。怪我の治療と並行して、教育係をつけるとしよう」


 貴族には関わらず、しかしジェラールの目が届く範囲に。条件が厳しい。彼女の就職先はなかなか見つからないだろう。


 ――環境が変わって潰れないといいが。


 まず言葉が違う。文化も違う。生活に関することを一から覚えるのは負担が大きいだろう。


 ジェラールの命令だったとはいえ、彼女を帝国に連れてきたのはテオドールだ。誘拐だと指摘されても否定できない。恨まれていても不思議とは思わなかった。


「あの子が屋敷を出ることになったら、なにか身を守る道具を作ってやってくれないか。暗殺者に怯えなくてもいいように」

「かしこまりました」


 テオドールは簡潔に答えた。


 個人が自衛のために身につける道具は、安いものなら平民でも買える。ただ値段に比例して性能も変わるので、ジェラールの要望を満たす品物となると高額なものしか選択肢がない。


 材料の希少性と作成時に消費される魔力量。この二つで値段が決まる。材料費はジェラールが負担するから問題ないが、魔力の確保が難しい。テオドールだけで作るなら、魔力を貯蔵しておく必要がある。


 相変わらず面倒な仕事ばかり依頼してくる相手だ。いつごろ必要になるのかすら明かしてくれない。だが身内を守るためという理由なら、罪悪感がなくてよかった。

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