15 目覚め
目が覚めて、最初に感じたのは全身の痛みだった。
嗅ぎ慣れない薬品の匂い。柔らかい寝具の感触。窓から差しこむ光が眩しくて、クレアは顔を背けた。
「生きてる……」
体に感じる痛みと喉の渇きで、自分が死んでいないと知った。剥き出しになった両腕には、あざができている。両脚を動かそうとすると、引きつるような痛みがあった。
ちゃんと足がついている。クレアは痛覚があることに安心していた。
痛みを我慢して上体を起こすと、下ろした髪が頬にかかった。銀色だ。髪の色を偽っていた魔術が解けているということは、瞳の色も青に戻っているはず。
窓は少し開いていた。外から聞こえてくる声は、クレアが知らない言葉ばかりだ。ときおり王宮の奥で聞いた単語も混ざっている。
改めて室内を見て、ここは王宮の外だろうと思った。真っ白な壁と板張りの床、寝かされていたベッドや窓にかかる薄い布など、王宮にはなかったものばかり。メイドが集団で寝ている部屋にも窓はあったが、重い鎧戸で風雨を防いでいた。綺麗なガラスなんて使われていなかった。
体が震えてきた。一人でじっと座っていると、不安が押し寄せてくる。
必死に逃げている間は、どこか心が麻痺していたのだろう。コリンのことを怖いと思うよりも、隠れることばかり考えていた。今は生きていることが恐ろしい。ナイフを持ったコリンが、あの笑顔でクレアを探している妄想が離れない。
窓の外を確かめたくなり、クレアは体にかかっている毛布をはぐった。左脚には、しっかりと包帯が巻かれている。切り裂かれたメイド服は、薄青の変わった形の服になっていた。袖がなく、体の前で重ね合わせて紐で結んでいる。下着ではないようだが、この格好で外へ出るのは恥ずかしい。
窓の外をもっと見たくなり、ゆっくりとベッドから出た。痛みがひどいのは左側だ。負担をかけないよう、右側に体重をかけて立ち上がる。だが一歩踏み出したところで、力が入らずに床へ崩れ落ちた。
ベッドを使ってどうにか立ちあがろうとしていると、誰かが扉を叩いた。倒れた音で気がついたのだろう。呼びかけるような声と共に入ってきたのは、白い服を着た女性だった。クレアよりもかなり年上で、心配そうな顔だ。
彼女は床で動けないクレアを見て、かなり驚いた様子だった。外国語で何かを言ってから、クレアを支えてベッドに座らせた。サイドボードに置いてあったストールをクレアの肩にかけ、そのまま待つように身振りで指示をして部屋を出ていく。
一人になったクレアは、彼女の言葉が王宮で会っていた女性と同じものだったと気がついた。懐かしくて、悲しくなってくる。あの楽しかった時間は、もう二度と戻ってこない。
次に現れたのは、白くて長い上着を着た女性だった。男装をしていることはもとより、色素が薄い髪や肌が人目を引きつける。儚く見えそうな外見に反し、赤みが強い茶色の瞳が力強い。
彼女はダルニール王国の言葉でエレンと名乗った。医者だと聞いて、女性も医者になれるのかと驚く。だがクレアが知っている医者は王宮の御殿医だけだ。自分が世間を知らないだけだろう。
最初にクレアを助けてくれたのは、ジネットという名前だそうだ。看護師兼エレンの助手をしており、主に入院患者の世話をしている。
「気分はどうだ? 痛みは?」
「足が痛くて、立てないんです」
「無理もない。ここに運ばれてきた時はひどい状態だった」
エレンはいくつか質問をしながら、クレアを診断していった。
「あの……先生。ここは、どこでしょうか」
「私の病院だ」
即答したエレンだったが、間を開けてから言い直した。
「アルタニア帝国の、サン・スールズという町だよ」
「外国……」
知らない言葉ばかり聞こえてくるはずだ。王国の隣にある国なので、クレアのような教育を受けていない者でも名前だけは知っていた。
王宮にいたはずの自分が、どうして隣国にいるのかわからない。
「治療費は、どうすれば……」
クレアの貯金では足りないはずだ。医療はとにかくお金がかかる。たとえ分割払いにしてもらったとして、完済するまで何年かかるだろうか。
「気にしなくてもいい。治療費なら別のところからもらっている」
「どうして……?」
「さあ? 私はそのあたりの事情は知らない。君をここへ連れてきた奴が、勝手に払っていったんだ」
「その人は、どんな人ですか?」
エレンから聞いた特徴は、助けてくれた人と同じだった。名前も教えてもらったが、ますます混乱しそうになる。
王国ではなく帝国で治療を受けさせたのは、彼が帝国の人で、医者の知り合いがいたからだろうか。なぜ治療費を肩代わりしてくれたのか。
二度も助けてくれた恩人に、クレアはまだ礼を言っていない。絡んでくるコリンから逃がしてくれて、殺されそうになったら守ってくれた。彼が来てくれなかったら、コリンの望み通りに苦しんで死んでいただろう。
「君の事情については、テオドールに命じた者から説明があるだろう。だが今ではない。君がやるべきことは、休んで傷を治すことだ」
エレンは扉を開けてジネットを呼んだ。やってきた彼女に何事かを言いつけ、そのまま出て行こうとする。
「身の回りのことはジネットがやってくれる。言葉の問題はあるだろうが、ここでは難しい会話はしないから安心してくれ。文字は読めるか?」
「簡単な単語なら」
「意思の疎通が図れるように、単語を書いたカードを渡そう。ジネットにやってもらいたいことがあれば、それを見せるといい」
開けっぱなしになっていた扉から、盆を持ったジネットが入ってきた。座っているクレアの前に車輪がついた小さなテーブルを移動させ、その上に盆を置く。ジネットが運んできたのは食事だったようだ。澄んだ色のスープに小さく切ったパンが浮いている。
「目が覚めたばかりだから、無理はするな。食事の後は、痛み止めを飲んでおくように。少しはましになるだろう」
また来ると言って、エレンは部屋を出ていった。
スープの香りで空腹だったことに気がついた。持ってきてくれたジネットに礼を言ってから飲んでみると、見た目からは想像がつかないほど複雑な味だと気がつく。ジネットに、あなたが作ってくれたのかと尋ねようとして、言葉が通じないことを思い出した。
自分の気持ちを伝えることができない。質問どころか、感謝の一言すら知らないのだ。
ジネットはクレアがスープを飲んだ時の反応で、味の感想を察したようだった。優しく笑って水差しからコップに水を注いだ。開いていた窓を閉め、眩しくないようにカーテンを引く。
もし母親が生きていたら、彼女と同じぐらいの年齢だっただろう。全く似ていないのに、働いている姿に面影が重なる。
スープは少量だったが、疲れているクレアにはちょうどいい量だった。エレンからもらった薬を飲み終えるころには、体が重く感じて眠くなってきた。
テーブルを遠ざけたジネットがクレアをベッドに戻し、横になるよう枕へ誘導してくる。昼間から眠ってもいいのかという葛藤は、眠気ですぐに消えていった。





