14 騒動の顛末
腕の中で気を失ったメイドは、痛々しく傷つけられていた。テオドールは発見が遅れたことに罪悪感を感じた。もう少し早ければ、血を流さずに済んだかもしれない。
メイドの胸のあたりに、赤黒い刻印が浮かび上がって見えた。体の内側に根を張っている。これが下級の使用人を縛る鎖だろう。魔術というよりは呪いに近い。
魔術とは縁がない使用人を対象としているせいか、魔術をかけた本人以外も干渉できるようになっていた。不慮の事故などで術者が不在になっても管理できるようにだろうか。自尊心が高い宮廷魔術師のことだから、使用人ごときに魔術が解けるはずがないと思っている可能性も捨てきれない。
彼らの考えはともかく、隠蔽されていない魔術は解除が楽だ。テオドールは遠慮なく魔術を書き換え、彼女の体から引き抜いた。これで呪物から離れても影響はない。
止血は済ませた。苦手で効果が薄いテオドールの回復魔術でも、使わないよりはましだろう。
そっと芝生の上に彼女を下ろし、捕まえたコリンのところへ向かう。彼は黒い塊にのしかかられ、砂利の上でもがいていた。テオドールに気がつくと、苦しげな顔をこちらに向ける。
「帝国の犬め」
「王の犬に言われたくないね」
「なんでっ……邪魔、するなよ! あれは俺が見つけたんだ!」
「うるせえな。邪魔なのはお前だよ」
急所に蹴りを入れてやると、コリンは悶絶して大人しくなった。
早くメイドを医者のところへ連れて行きたい。道具も何もない庭では、応急処置ぐらいしかできなかった。
コリンを放置してメイドのところへ戻ったとき、ブラッドが駆けつけてくるのが見えた。メイドを見つけたときに送った合図を受け取ったのだろう。一緒に連れてきた使用人は、彼の部下か協力者と思われる。
ブラッドは持っていた毛布をテオドールに渡した。テオドールはメイドの血が下に落ちないよう、毛布で丁寧に包んだ。
「あいつが暗殺者だ。任せてもいいか?」
「ええ、もちろん」
快く了承したブラッドだったが、コリンの上に乗っている塊を見て動揺した。
「うわっ……なんですか、アレは」
黒い塊だ。何で構成されているのか、不定形のものが絶えず動いている。光沢はなく、ただ黒いとしか表現しようがない。滑らかなのか、ざらついているのか、湿っているのか、それとも乾燥しているのか、触れて確かめたいと思える者は稀だろう。スライムに似ていると言えなくもない。
「俺も知らん。昔、召喚の魔術を失敗した時に出てきた。便利だから使っている」
「知らないのに使うんだ……」
誰も近づこうとしないので、黒い塊に魔石を見せて呼び寄せた。
餌の気配を察知した塊は、素早くコリンの上から離れた。テオドールの前で体を震わせ、大人しく待っている。塊から伸びる突起が左右に激しく揺れているのは、高ぶった感情を表現しているのだろう。
「よくやった」
テオドールは魔石を塊に投げた。魔石は塊に当たると、そのまま内側へと沈みこんでいく。完全に魔石が見えなくなり、塊はテオドールの手に擦り寄ってから消えた。
ちょっと変わった形の犬――愛着が湧いてきたテオドールは、塊をそう表現しているが、残念ながら賛同者は一人もいない。
「主は離れに戻りました。彼女を連れていってください」
ブラッドはそう言うと、コリンを縄で拘束し始めた。他の使用人が大きな袋を用意している。王宮の外へ運ぶのだろうか。
メイドを抱き上げたテオドールは、王宮全体を覆う網の目を潜り抜けて転移した。魔術の警備網は、メイドを探すついでに仕掛けをずらしている。魔術師が夜会を盛り上げている間は、見つからずに済むはずだ。
庭の景色が歪み、体が浮遊する。再び重力を感じると同時に、景色は離れのサロンに変わっていた。
「待っていたよ、リヒター」
ジェラールが一人掛けのソファから立ち上がった。毛布に包まれたメイドを見て、事情を察したらしい。眉間にしわを寄せたまま、彼女の額に触れる。
「姪だな。父親は?」
「まず王族に間違いありません。血縁はジョン王が近いが、彼ではありませんでした。やはり亡き王太子でしょう」
「暗殺者は?」
「ブラッドが拘束しています」
「よろしい」
ジェラールは壁際で待機していた使用人に、ワインを持ってくるよう指示をした。
「君、この国に医者の知り合いはいるかね? もしくは帝国まで転移できるか?」
「腕のいい医者が帝国に。いつでも転移できます」
「魔術で帝国まで移動することを許可する。彼女を預けたら戻っておいで。君は離れで荷物の警備をしていた。いいね?」
使用人がワインボトルを持って戻ってきた。ラベルを信用するなら、一本で平民の年収を軽く上回る値段がついている品だ。
「持ってきて良かったな。これを取りにくるふりをして、夜会を抜けてきた。さあ、それぞれがやるべきことを為せ」
ジェラールはサロンから出ていく。残されたテオドールは、帝国にある自宅付近を目標に転移した。夜中の住宅街を走り、窓に柵がついた家の扉を叩く。程なくして鍵を開ける音がして、白い上着を羽織った女が出てきた。
「急患だ」
「厄介そうな患者にしか見えんぞ」
「だからお前のところに連れてきたんだよ」
女は扉を押さえたまま、一歩退いた。中へ入ったテオドールは、案内されることなく処置室へ向かった。
ここは双子の幼馴染が運営する病院だ。何度も出入りをしているので、どこに何の部屋があるのか熟知している。テオドールを出迎えた姉、エレンは玄関の鍵を閉めてからついてきた。
「エリクは?」
弟の姿がない。不在の理由には心当たりがあるが、一応の礼儀として尋ねた。
「あの馬鹿は旅に出た。しばらく戻らんよ」
「フェルが世話になった」
「いつものことだ。チョコレートタルトで手を打とう」
「気が向いたら持ってくる」
淡々と交わされる会話は、いつものことだ。エレンは知的な外見に見合った、素っ気ない喋り方をする。昔から変わらないので、すっかり慣れてしまった。
処置室に灯りがついた。メイドをベッドの上に寝かせ、毛布を広げる。
「……酷いな」
怪我の状態を診察したエレンがつぶやいた。
「託してもいいか?」
「命は助けよう。他は期待するな」
エレンは町医者をさせておくにはもったいない腕前だ。彼女が助けると言ったのなら、メイドは助かる。ただし傷跡については保証できない。素人のテオドールにも深いと分かる傷だったのだ。まともに歩けるようになるかも怪しい。
「後でまた連絡する」
まとまった金を渡して処置室を出たテオドールは、王国へ向けて転移を試みた。長距離移動は大量の魔力を消費する。ジェラールと別れたサロンに着いたとき、魔力の枯渇で眩暈がした。時間が経てば回復するが、しばらく大きな魔術は使えない。
血がついてしまった上着を自室で着替えていると、ジェラール専属の使用人から衛兵が来たと連絡があった。
「要件は何と言っているんですか?」
「それが、警備上の問題が発生したとしか……」
ジェラールはまだ夜会の会場にいる。使用人は警備のことは専門外なので勝手に判断せず、テオドールを呼びに来たのだろう。
ホールへ行くと、数人の衛兵が待っていた。彼らのうち、一名は魔術師だ。一目で分かるほど軽装で、長剣の代わりにナイフを腰につけている。帝国から一緒に来た護衛が、彼らと話しこんでいる。護衛はテオドールに気がつくと、近くへ来るよう手招きされた。
「数名の使用人が行方不明になっているらしい。知らないか?」
「知らないな」
具体的に特徴を言われなかったので、誰を指しているのか全く分からない。間違いなくコリンたちのことだろうが、教えてやる義理はない。
魔術師はテオドールを胡散臭そうに眺めた。
「失礼、ずいぶんと疲れている様子ですが」
この魔術師は優秀な目を持っているらしい。肉体的な疲労ではなく、魔力が消耗していると見抜いている。
「夜会の警備で人が減っている。荷物の見張りも含めた警備をするために、少々無茶をした。なんせ我が主は皇帝陛下の弟君。日用品一つだけでも、売れば魅力的な値段になるからな。誘惑される者が現れても、不思議ではない」
遠回しに王国の警備は信用できないと伝えると、意味が通じた衛兵が不機嫌になった。
「あなたは離れから出ましたか?」
「いいえ」
肌の上を相手の魔力がなぞっていく。真偽を図るために、魔術が使われたようだ。対処法は知っているので相手の好きにやらせておくと、諦めたのか魔力が霧散した。
衛兵たちは疑いを捨てきれない様子だったが、証拠を掴めずに渋々帰っていった。
急な訪問者が出ていってしばらくすると、ジェラールが夜会から戻ってきた。すぐにメイドのことを聞いてきたので、医者の名前は出さずに、信頼できる者に預けてきたとだけ報告した。
「残りは帰ってから片付けよう。我々は予定通りに明日、出立する」
標的を逃すことになったジョン王の動向が気になったが、知ったところで自分の手に余る話だ。王家の陰謀などという血生臭いことから、早く離れたいと思う気持ちのほうが大きい。
「そうだ、リヒター」
退出しようとしたところを、ジェラールに呼び止められた。
「庭に忘れ物をしてね、取りに行ってくれないか。君が美女と逢引きした場所だよ」
「かしこまりました」
前夜祭で仮面の女性と会った庭だろう。
離れを出て目的の庭へ向かう。途中で衛兵の目を誤魔化す必要があったが、見つからずに庭へと出ることができた。
待っていたのは、やはり仮面をつけた女性だった。持っていた箱の中身をテオドールに見せる。中に入っていたのは木製の短剣とブローチだ。彼女は箱の中に大粒の宝石を加えた。
「これを彼女に返してあげて」
「お預かりします」
短剣を持ち上げると、ずっしりと重い。ブローチにはまっているのはガラスで間違いない。宝石と同じ大きさに加工しているので、光の反射は綺麗だった。
「何か伝えることは?」
「お護りできずに申し訳ございません、と」
女性は空になった箱に蓋をした。
「彼女の母親が亡くなったとき、我が家で引き取ることができればよかったのですが、監視されていて叶いませんでした。今も匿っている可能性があると思っているのか、ときおり影を見かけます」
「ここへ来るのは危険だったのでは」
「協力者がおりますし、隠し通路を皇女様にお伝えしたのは私です。昔、住んでおりましたので」
彼女の素性に該当する人物には心当たりがある。だがそれを口にするのは野暮だ。
女性は樹木のかげに隠れていた人物と帰っていった。前夜祭の会場で見た顔だ。ダンスを踊った令嬢とよく似ている。
離れに戻ったテオドールは、さっそくジェラールに面会を求めた。就寝せずに待っていたジェラールの前に、短剣とブローチ、宝石を置く。
ジェラールはブローチを懐かしそうに眺め、使用人に長細い箱を持ってこさせた。貴金属で装飾された箱は二重底になっており、中蓋を閉めると形見が入っているようには見えない。
「元通り、上に私の剣を入れておきなさい」
形見の一つが短剣だと聞いていたジェラールは、わざわざ使わない剣を持ってきたのだろう。もし箱の中身を見られても、護身用の魔剣だと言ってしまえば点検を逃れられる。王国で鍛えられた魔剣は持ち主以外に害をなすものが多いので、この国の衛兵なら目視で済ませるはずだった。
帝国を発つ前から、姪が見つかれば保護する方針だったに違いない。
***
翌日、衛兵たちはまだ疑っている様子だったが、帝国の要人を取り調べることはしなかった。使用人の失踪に関わっている証拠を見つけられなかったようだ。ブラッドをはじめとした帝国のスパイが、夜通し働いてくれたおかげだろう。
王宮の門をくぐるとき、馬車から無表情の衛兵が見えた。最初から最後まで歓迎されていないことは肌で感じている。敵対心を表に出さないだけましだろう。
テオドールは護衛業務の一環として、ジェラールと同じ馬車に乗っていた。王国を出るまでは、魔術による妨害を警戒しての措置だ。
「リヒター。ご苦労だったね」
王都の街並みを眺めていたジェラールが、不意に話しかけてきた。
「もう一仕事、引き受けてくれるか」
「なんなりと」
「時計の調子が悪くてね、近日中に迎えを寄越す」
「かしこまりました」
メイドの容態を知らせろという意味だ。サン・スールズに到着したら、すぐ病院に顔を出す。きっとジェラールに言われなくても、気になって向かっていただろう。
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