10 推測
前夜祭が終わって離れに戻ったテオドールは、ジェラールに調査内容を報告していた。会場から令嬢を追って庭へ出ていったことで、逢引きは楽しかったかとからかわれたが、仕事の話でしたと軽く流す。
「概ね順調に進んでいるな」
形見にかけられた魔術で生死が判明し、王宮に来ておおよその素性が明らかになった。目的の達成まで、あと少しのところまできている。滞在期間中に片付けられそうだと、楽観的な気持ちを抱きそうになった。
――半分以上は王宮に忍びこませた密偵の成果だろうな。
テオドールが接触したのはブラッドだけだが、きっと他にもいるのだろう。
ジェラールは満足そうに薄く笑い、シガレットケースから細い葉巻を取り出した。片側を専用の刃物で切り落とし、反対側を魔術の炎で炙る。
「我々が王国よりも優位に立っているようだが、僅差でしかない。ただのメイドだと勘違いしたまま、手放してくれるとありがたいのだが……入ってきなさい」
ジェラールは葉巻の煙を堪能したあと、開け放たれた入り口で待機していた人影に声をかけた。
「遅くなりました。申し訳ありません」
緊張した顔で入ってきたのはブラッドだった。人手不足の王宮で、怪しまれないように抜け出すのは難しかったようだ。走ってきたのか息が荒く、テオドールと会っていたときよりも表情が硬い。
「この程度の遅れで叱責するほど、私は狭量ではないよ」
穏やかに微笑むジェラールは、テオドールに報告を続けるよう促した。
「先ほど、髪の色を魔術で変えているメイドに出会ったのですが……」
使用人のことならブラッドに聞くほうが早い。呼吸を整えたばかりのブラッドに視線を移すと、詳細を求められた。
「髪は何色でしたか?」
「茶色だ」
「……メイドの半数が茶髪ですよ」
「俺に言わないでくれ」
濃淡の違いはあれど、大多数が持つ色だからこそ、変装に選んだのだろう。なるべく個性を潰して埋没すれば、生き延びられると教えられているのかもしれない。彼女が今まで見つからなかったのは、運の良さだけでは説明がつかなかった。
「魔術で外見を変えているのに、王国の魔術師たちは気がつかなかったんですかね?」
魔術には詳しくないブラッドがこぼした。
ジェラールは思案している最中なのか、ソファに深く腰掛けて黙ったままだ。邪魔をしないよう、テオドールとブラッドは離れた位置で会話を続ける。
「王国の体系化された魔術とは少し違っていた。ほとんど魔力を使わず、白い帽子で大部分を隠していたから、感知されなかったんだろう。最初から疑わしいと思って見ていなければ、俺も見落としていたと思う」
「白い帽子なら、間違いなくランドリーメイドですね。彼女たちは裏方ですから、貴族や魔術師と会うこともない。同世代の女の子もいるし、絶好の隠れ場所でしょう」
もし母親代わりのメイドが子供を女子修道院に預けていたら、王家に見つかっていただろうとブラッドが言った。
「教会は魔力持ちの子供がいたら、絶対に家系を調べようとします。もし貴族の落とし胤なら、取引の切り札に使えますからね。引き取った子供が王太子の血を引いていると知られたら――」
「政治に口を挟む材料になる、と」
本人にはどうしようもないことで、争いの種になってしまう境遇には同情する。
「しかし王太子夫妻ゆかりの品を持つ下級メイドなんて、王宮で話題になりそうだが……」
テオドールが最も不思議に思っているのは、その点だった。短剣は誤魔化せたとしても、王太子妃の貴金属は平民が持つには高価すぎる。
「それなんですけど、先ほどの話に出てきた仮面の女性が関与していると思われます」
「王太子と懇意にしていた公爵か」
情報源はちょっと言えないんですが――ブラッドはそう前置きした。
「母親代わりのメイドと子供が王宮に戻ったころ、公爵夫人の紹介で職人が呼ばれてます。ガラス細工と、木工職人ですよ。王太子妃はガラス製の置物と椅子を依頼したようです」
「短剣に細工をして、宝石をわざとガラス製に変えたということか」
本物の宝石は、公爵家で保管しているのかもしれない。
「下級メイドの持ち物が木製の剣と偽物の宝石だったなら、貴族の魔術師は怪しいなんて思いませんよ。平民は偽物しか持てないんだなと馬鹿にして、それっきり忘れるでしょう」
呪物の管理も適当だという。最初に魔術を施すときは現物を確認するが、箱に入れて保管庫へ収めたあとは、中身を見ることは滅多にない。出入り口を守る魔術に絶対の信頼を寄せている弊害だろう。
「使用人の持ち物なんて、そんな扱いです。誰の呪物なのか見分けるラベルもない。だからこそ俺が付け入る隙があったわけですが」
ブラッドが保管庫へ入った方法は、教えてもらえなかった。彼自身の呪物は解除したと言っているが、女性魔術師を言いくるめて解除させたのではないだろうか。魔術の知識は浅いのに、保管庫の情報には詳しすぎる。
「個人の呪物が見分けられないのに、魔術師は死んだ人の呪物は判別できるみたいなんです。特別な目印でもあるんですか?」
「対象者が死ねば、魔術は効力を失って呪物ではなくなる。使用人が死んだら保管庫にある呪物を見るだけでいい。死者の数だけ呪物ではないものが混ざっている」
「なるほど。魔術師の仕事って、思っていたより地味なんですね」
ブラッドは眠そうにあくびをした。
「そうそう。ボスにも伝えたんですが、戴冠式が終わって招待客が帰ったら、使用人は血統を調べられることになりました。建前では保有魔力を調査して、魔術師の助手にするなんて言ってますけど」
「王太子夫妻の子供を見つけるのが本命だろうな。魔術の知識がなければ、魔力量を調べているのか血縁関係を探られているのか、判断できない」
「こっちはランドリーメイドの中から例の子供を見つけて、証明するだけの段階になりましたけど、王宮から連れ出すのは難しいですよ。あの呪物が厄介で、遠ざかるほど呼吸ができなくなりますから」
「俺が解除する。問題ない」
「リヒター。避難経路は?」
沈黙していたジェラールが唐突に言った。
「確保しております」
ジェラールの屋敷で呪物の話を聞いたときに、テオドールにはいくつか役目を与えられていた。最優先で行う子供の捜索に、悪意ある魔術からの防衛と、緊急時に使う避難経路の開拓だ。
王宮には転移の魔術が使えなくなる仕掛けがあったが、すでに抜け道を見つけていた。大規模な魔術は繊細だ。いかに少ない魔力で最大の効果を発揮できるのか突き詰めた結果、仕掛けをわずかに動かすだけで、空白地帯を生み出せる。
もちろん魔術師は仕掛けが露呈しないよう神経質なまでに隠しているのだが、魔力そのものが見えるテオドールには通用しなかった。
ジェラールは王国の警備を信用していない。ジョン殿下は国内を完全に掌握しているとは言い難く、不満を持つ臣下が相当数いる。なにより、両国の関係は戦争をしていないだけで、良好ではない。王国は戴冠式を無事に終えられるよう警備を厳重にしているが、不安材料のほうが多かった。
テオドールの答えに満足したジェラールは、葉巻の灰を灰皿に落とした。
「よろしい。君は条件に合うメイドをリヒターに会わせろ」
「かしこまりました」
ブラッドは頭を下げ、ジェラールの命令を受け取った。
「リヒター。明日の会談と戴冠式の警備に同行してもらう。全ての王族に接近できる機会は、この二つしかない。奴らに悟られないように、魔力の特徴を探れ」
「了承しました」
最も避けたかった命令が下った。
魔力は一人一人、異なる特徴がある。その特徴で魔術の得手不得手が決まるというのが常識だ。血縁がある親子が最も似ており、親族関係が遠ざかるほど相違点が増えていく。
複数の親族を調べれば、一族に共通した特徴が見えてくる。魔術を使っていたメイドが王族に連なる者なのか、判断材料を集めておけということだ。血統を調べる魔術は、親族の協力があれば数秒で済む。だが王国側に知られたくない今は回りくどい方法をとるしかなかった。
勝手に王族の血縁関係を調べるなど、発覚すれば外交問題に発展するのは間違いない。
――王族の魔力を探れとか、無茶なこと言うんじゃねえよ。
内密に魔力の特徴を探るのは可能だ。可能だからこそ、苦痛と苦労を知っているのでやりたくなかった。王国の魔術師や王族に気づかれないよう探りつつ、護衛らしい演技もしないといけない。最悪の相性ではないことを願いたい。
「無理を言ってすまないね。報酬は弾ませてもらおう」
「……ありがとうございます」
思いがけずジェラールから最大限の詫び言がきた。もちろんテオドールは不満を表に出すような、幼稚なことはしていない。王国に到着してすぐ、使いたくない方法だとぼやいたことを覚えていたのだろう。
彼はいつも難題を押し付けてくるが、金払いが良く、出来ない命令はしてこない。正当な評価をしているといえば聞こえはいいが、便利な駒を最大限活用しているだけだ。
「忙しくなりそうだ。二人とも、明日に備えて休みなさい」
葉巻を楽しむジェラールを部屋に残し、テオドールはブラッドと退出した。
***
翌日、ジェラールと戴冠式を控えたジョン殿下による会談が行われた。
表向きは和やかな挨拶から始まり、主題である貿易の関税に話題が移る。会談には大臣たちも参加していたが、ジョン殿下はあまり助言を聞いていない様子だった。事前に聞いた噂どおりだ。
外交経験の差なのか話題はジェラールが主導権を握っていた。巧妙に囲いこまれていることは、ジョン殿下も気がついていただろう。幾度かこちら側に鋭い言葉を投げかけたが、ジェラールに軽くあしらわれていた。
会談にはジョン殿下の他に、彼の成人した息子も来ていた。テオドールにとっては好都合だ。本人たちや隠れている魔術師に悟られないように魔力を調べると、会談が終わるまで他の護衛と共に立っていた。
他人の魔力を探った反動で気分が悪くなり、後半はあまり聞いていない。だが集まった者の顔を見れば、帝国側の有利で会談が終わったことは明白だった。
「ハウンドめ……」
会場を出ていくとき、王国側から恨みがましい声がした。最後尾にいたテオドールにようやく聞こえる大きさだ。先を行くジェラールたちが反応を見せないので、発言者を探すことはせず、彼らに続いて廊下へ出た。
――犬ね。嫌な奴って意味か、それとも会談で弱点ばかり嗅ぎ回りやがってと言いたいのか?
悪態をつきたい気持ちは分かるが、会談をしたばかりの相手に聞かせるものではない。
「言わせておけばいい」
離れへ向かって歩くジェラールが、不敵に笑って言った。
「手を出せずに吠える子犬など可愛いではないか。いっそ噛み付いてくれたなら、遠慮せずに躾けられるのだが」
王国の言葉はジェラールにもしっかり聞こえていたが、ただの癇癪としか思っていないらしい。会談に同行した大臣らも同様の意見らしく、静かに微笑んで頷いている。
「次は戴冠式か……」
ジェラールが無言で振り返った。
「問題ありません」
体調不良はすでに回復した。会談にジョン殿下の息子が参加していたので、家系の特徴が朧げながら浮かび上がってきた。戴冠式でジョン殿下へ注目が集まっている間に残りの王族を調べれば、王家の血筋を見分けられるようになるだろう。