第六章「スターゲイザー」-前編-
「……」
王政府の勧告より二日目。朝食の時間である。今日は、朝から皆、一人の少年の行動に注目していた。アナベルである。
起きてから……いや、もっといえば昨日帰ってきてから、妙に静かで、それでいてどこかそわそわしている。しかも、上の空だ。
「あれ、どうしたの」
ミストが溜まりかねてウィノアにきく。それにウィノアは首をかしげて答えた。ミストが食卓を見回すも、皆が首を一様に降る。
「リリーナ、ほんとにしらない?」
ウィノアがリリーナに聞く。すると、んー、と悩むようにしてから、
「覚えはないわね」
と、少し笑いを含んだ顔で言った。
その幸せそうな笑顔を見て、ウィノアとミストは、ああ、またなんかあったな。と、勘づいていた。
「恭介、大丈夫? どこも痛くない?」
ウィノアが恭介に声をかける。骨は粗方完治したものの、流石に体をうまく動かせないようだった。
「大丈夫。すこし肋骨が痛いけど……明日には治る」
そう言って、大丈夫、と言い聞かせるかのように微笑む。その様子を見てウィノアは少し項垂れた。
「はあ……結局、アレを傷つけたのって、あの黒い子と恭介だけだもんね。ルインの魔術が効いてないんじゃ、私の魔術でも無理だろうなあ」
「何? 恭介も傷をつけたのか?」
エリオが興味深そうに言った。
「ええ。打ち負けはしたけど、ダメージは確かに入っていたわよ」
ウィノアの言うとおり、恭介の剣を弾いた天使の巨大な剣に大きなヒビを入れたのである。無論、それは恭介の腕前ではなく、剣のおかげであるが。
「その、ナオって子の使った魔術はなんだったんでしょう」
ヴェナスが言った。彼は魔術に関して、『研究する』エキスパートである。使用する事は専門外ではあるものの、魔術師としての格は高い。
「多分、『電磁系統』だと思う。ルインもそう言ってたし、恭介も雷みたいなものを見たって」
その言葉にヴェナスは頭を掻いた。
「『電磁系統』ですか……。となると、対抗できるのはせいぜい『光系統』と『影系統』。厳しいですね」
その言葉に恭介はハッとする。伺うようにしてウィノアを見てみると、少し俯き加減に何かを考えているようだった。しかし、ここで声をかけるわけにはいかない。彼女がもしかすると光の国の住民であった可能性は、ここで言っていいものではないからだ。
恭介は見て見ぬふりをすると、ヴェナスに声をかけた。
「『電磁系統』って何ですか?」
「理の魔術の最高峰です。火、水、風、土の全ての元素を魔術として扱える者の事を、『四系統術師』と呼ぶのですが、このすべてを極める――。つまり、ルインのように『火系統』などに特化するのではなく、四つすべてに精通することで得られる魔術です。消費する魔力が桁外れに大きいので、原理を理解したところで普通の魔術師では扱えません。しかし、理でありながら、光と影に並ぶ破壊力を持っている魔術系統です」
「あの子はそんなに強力な魔術を? たしか……『ナルカミ』と発音していたと思います。持っていた刀を投擲して貫いたように見えました」
それを聞いてヴェナスは頭をかしげた。
「刀は鉄製なので、『電磁系統』を操るものにとっては相性のいい武器でしょうね。しかし……『ナルカミ』? そんな言葉は知りませんね……。いえ、魔術の言葉は自分の中にある魔術をカタチにする暗示のようなものです。自分にしか分からないとしてもおかしくはないですが……」
「え、『鳴神』って言葉を知らないんですか?」
「ああ。おそらくそんな言葉はこの世界には存在しないだろう。いや、もっとも、ほかの大陸までどうなのかは流石にわからないが」
恭介の言葉にエリオが答える。恭介は茫然とした。その事実は一つの可能性を示唆している。つまり、彼女――ナオが自分と同じ世界の住人であるということだ。
「どうしたの?」
スープを飲む手を途中で止めてボーっとしていた恭介にリリーナが声をかける。
「あ、いや。なんでもないんだ」
咄嗟に恭介は笑顔を作ってごまかした。
「昨日が忙しかっただけに何もないと暇なもんね」
リリーナが肩肘をついて呟く。おまけにため息までついた。
「リリーナ? どう考えても何も起きないほうがいいものじゃないのかな?」
ウィノアが諭すように言う。だが、リリーナは唸った後、
「でもそれってなんか面白くないじゃない?」
あっけらかんとしてそんな事を言い放った。
ナオと言う少女がアルマルに現れたのが何時なのかは、はっきりしていない。ただ、確認されたのは一年前である。
カルカロフの横に寄り添うようにして現れた少女は、当時カルカロフの隠し子か、とも言われた。しかし、無論王女などではなく、実際には親衛隊長という、騎士団の中でも騎士団長に並ぶトップクラスの存在である。
あらゆる武道に優れ、中でも剣術と弓術において彼女の右に出るものはこの国には存在しない。加えて、彼女は魔術師でもある。
『四系統術師』であり、その魔術師としてのランクは『X』。扱う魔術はすべて自然災害を凌駕することから『神災級魔術師』の異名で恐れられている。
更に、彼女の待つ刀、『神薙』は恭介の持つ『レーヴェル・シュティム』に並ぶとも劣らぬ、呪いのかかった妖刀である。たった一人でその戦力は百の軍団をも上回ろう。
しかし、実際に彼女が人に手を下した事はない。何故かはカルカロフ以外に知る者はいないだろうが、彼が彼女に積極的な命令を出すのは稀なのだ。だからなのか、基本的に暇な彼女はいつも街中や、城の外などを散歩している事が多い。一見、無意味なその行動を彼女は飽きることなく毎日行っていた。
とうに街中の道はすべて通ったであろう。しかし、彼女は街を歩き続けていた。そして、一人の少年と出会う。
その日、少女はいつも通り街中を、目的があるでもなく散歩していた。別段街の中に用事があるわけでもない。
何かに興味を示すわけでもない。声をかけられても応える事はない。彼女が反応するときは、おそらく自衛のためだけであろう。
「あの、すいません」
そんな彼女に声がかけられた。無論、いつもならば反応しない。だが、この時の彼女はその声を聞いてすぐに反応した。
彼女と同じ、黒目と黒髪をした少年である。彼女はその少年をまじまじと見つめた。
彼女には心というべきものはない。人と言うよりも、機械に近い存在である。そんな彼女が少年に反応するはずがないのだが。
「道に迷ってしまったんですが、東区に行くにはどの道を通ればいいのでしょうか」
少年が言う。少女はその言葉を聞いて答えに迷った。そもそも、答える必要がない。目の前の人間は自分の仕えるべき相手でもなんでもない他人である。心というものが介在しない彼女の思考回路の上では間違いなく無視すべき相手であった。だが。
「東区は危ない」
彼女は少年にそう言った。全ての情報を見積もったうえで、彼女は少年に『危険なのでそこにいくべきではない』、と判断したのだ。おそらく、自分の主人以外にこうしてまともな返事をしたのは初めてであろう。
その言葉に少年は戸惑うように声を濁らせた。
「誰を探しているの?」
なんとなく、彼女には少年の悩みがわかったのだろうか。少女はそう口にした。
「ついてきて」
この時点で少女は、この少年を防衛対象としていた。ありえぬ事である。機械である少女が、主人の命令もなしに誰かの護衛を自らが務める、などということはあってはならない。しかし、彼女はそれを実行した。
誰も知る由もないが、彼女がウィノアを救出したのは、少年がウィノアの名前を叫んだからである。そうしていなければ、ウィノアは跡かたもなく消え去っていたかもしれない。
しかし、何故彼女が少年の言葉に反応し、彼を助けようとするのか、それはおそらく当人のナオにさえもわかるまい。
――それが、少女に一つの疑問を抱かせた。
『あの少年は、一体何なのか』
同夜、リースティア王城。新市街の中でも、一番高い丘の上に建設されたこの場所からは、旧市街を含む全ての街が見渡せ、一際高い物見の塔からは、遥か街の外まで見る事が出来る。光の国に隣接するこの国では、昔から光の国の侵略を恐れていたからだ。
夜ともなれば、新市街、旧市街含めて明かりのついている場所は少なく、街は静まり返っていた。
城の廊下には魔法によるランプが明かりを灯している。持続的に周辺のマナを微量吸い上げ明かりへと変換しているのだ。人工的な魔力回路によって成し得られた魔術の副産物である。だが、周辺から吸い上げる事のできる魔力は本当に僅かで、精々明かりをともすのが限度ともいえた。
その僅かな明かりの中、一人の少女が歩いていた。王城の廊下を歩ける少女など、一人しかいない。ナオである。彼女が通るたび、要所を守る衛兵は敬礼した。
この城にナオを知らない騎士はいない。畏怖する者もいるが、その圧倒的強さに惹かれるものも少なくはないからだ。
彼女が向かう先は謁見の間である。彼女の自由行動はあくまで陽の昇っている間。夜では城の中の行動しか許されていないのだ。
一際荘厳な階段を上り、か細い手で大きな扉をゆっくりと開ける。赤い絨毯の伸びるその先にカルカロフはいた。彼は扉を開けたその人物に驚いた。ナオがこの城に来てから、この時間に彼女から自分のところに来た事は一度としてなかったからだ。
「どうした、ナオ」
まだ自らの目の前に来てもいないのに、カルカロフはナオに声をかけた。彼女はカルカロフの目前まで歩くと、膝をついて言う。
「外出許可を願います」
その言葉にカルカロフはまたも驚いた。この男にしては珍しい事だ。
「ほう、何か用事でもあるのか」
「はい」
ふむ、と、カルカロフは息をついた。本来ならばこの時間帯に外出など許すわけにはいかないのだが、と彼は思った。
「いいだろう。許す。しかし、明日ではダメなのか?」
カルカロフはナオにそう言った。すると、もう既に歩き始めていたナオは振り返り、無表情のままこう言った。
「気になりますので」
そのまま少女は扉をくくると、カルカロフの目の前から霧のように消えた。彼は唖然としてから、大きく笑った。
「お前にも気になる事ができたのだな!」
その事が彼には愉快でたまらないのか、しばらく楽しそうに笑っていた。その姿は、どこか自分の娘の成長を喜ぶ父の様でもあった。
いつも通りの夕食が終わった。おかしかったアナベルもだいぶ調子が戻ってきたのか、先ほどは極めて普通だった。
この世界の夜は早い。俺のいた世界で例えるならば、七時には就寝、って感じだ。その代わり、朝は早い。多分、四時か五時には起きる感じだろう。
まぁ、確かに日が落ちてしまえばその行動は限定されるので仕方ないと言えば仕方ないのだが、慣れるまで眠くて眠くて仕方なかった。無論、七時になんか、寝れるわけもない。小学生だってきっと九時過ぎくらいまで起きてるだろうに。
しかし、住めば都とはよく言ったもので、二週間も同じような生活をしていたら慣れてしまった。以前と比べれば随分簡素なベットであるが、今では普通に感じている。
栄養バランスと運動量については以前より良くなっただろうな、とか思っていたり。
後はそうだ、夜空がものすごい。とにかく澄んでいるのだ。冬の空とか、田舎の空とか、そんなレベルではない。まさに世界が違うのだ(――文字通りだが)。
空には満天の星と、二つの月がある。一つはサファイアの様な巨大な蒼い月。もうひとつは、ソレの半分くらいの大きさの紅い月だ。
ウィノアが言うには、あの蒼と紅の光はマナの光だそうなのだが、俺にはよくわからなかった。確かに、太陽の照り返しである月光の色が俺の世界の月と大差ない事を考えれば、あの色が光ではないことは理解できるが。
今日はよく眠れない。ベットに入ってからもう数時間は立っているというのに、目が冴えている。実体化したエリーなぞ、とっくに机の上の、ミストお手製の布団に入って寝ているというのに。
……精霊も寝るのか、と聞いたところ、デフラグみたいなものだそうだ。簡単に言うと、ばらばらのデータを整理する、とでも言えばいいか。
「寝れん」
寝るときは何も考えない方がよいというのはわかっている。考えれば考えるほど頭が覚めるからだ。だというのに、何故かつまらない事ばかり頭で考えていた。
“ガタ、ガタ”
最初、風が吹いてきたな、と思った。
“ガン、ガン”
次に、随分吹いてきたな、と思った。
“ガシャ! ガシャ!”
最後に、流石に何かいる、と思った。
窓をぱっと見ると、やはり何かいた。部屋に明かりはない。明かりは外から差し込む月光のみ。俺にわかるのは何かのシルエットだけだった。
その影は巨大なテルテル坊主かなにかのようだった。おおよそ何かと判別できる形をしていない。
この世界にはもしかしたら幽霊とか妖怪のような化け物がいるんじゃないか、と思った。
俺が見つけた事に気付いたのか、その影は窓を叩くのをやめると、もそもそと動いた。すると、頭の何かがとれて――
「あ」
それは見た事のある少女だった。黒いローブをすっぽりと被っていたから、そもそもソレが人だという事がわからなかったのだ。
カルカロフの側近。強大な魔術師。ナオ、と呼ばれる少女が窓の外に浮いていた。
案外さらっと、いつも通り二日目に投稿できました。よかた。
後編もちゃんと仕上がってますのでまた二日後にでも。
一巻目もそろそろ佳境に入る頃……なのかな?
いつも読んでくださってる方々、ありがとうございます。
それでは次回をお楽しみに。