第五章「喪失したモノ」-前編-
文法修正(11/3)
記憶が喪失している事には、最初から気づいていた。気づかないように、考えなかっただけ。でも、それは、『失っている』、というよりも、『消えている』、と形容する方が近い。
例えば、住んでいたであろう家を思い出せる。だけど、そこには誰もいない。通っていたであろう学校を思い出せる。だが、そこには誰もいない。存在していた街を思い出せる。だが、やはりそこにも誰もいない。
記憶の中から、尽く、自分以外のすべての存在を失っている。自分が自分であると確認できる全てが失われている。いや、消えている。
だって、住んでいたであろう家が思い出せても、そこには自分の視点のみが存在しているだけで、家族すら思い出せないのだ。それはもはや、自分の家、という概念ではない。風間 恭介という個人を繋げる概念がそこには何も存在していないのだ。同様に、俺の覚えている世界のどこにも、そんな概念は存在していない。
そう、だから、こんなわけのわからない世界に来たって、悲しいなんて思うわけがない。
こっちに来たところで、今の俺に失っていると感じられるものが何一つなかったのだ。
でも、最初から無かったわけではない。確かにあったのだ。ただ、消えているだけで。
――夢を見ている。
長い坂だった。街の中でも、一際高い丘の上。通っていた学校は丘より遥か下にあったものだから、行きは自転車をすっとばせばすぐに着いた。だけど、帰りは地獄のような坂が続く。
寒い十二月末の冬の夜だったと思う。その日は、何かがあって、俺の帰りは遅かった。雪で滑りやすくなった坂は自転車で行くには危なすぎてその日は徒歩だった。
やっとのことで坂を登りきると、少し先、ふもとの町が見渡せる場所に誰かがいた。いや、いつもいたんだと思う。いつも俺を待っていた――そんな気が、する。
――その人は女の子だった。――俺より背が小さかった。――年は下だった。髪の毛は長かった。――……。
でも、顔が、名前が……思い出せない。
ザー、というノイズ音。大切なことなんだ、きっと。だからこそ、思い出せない。
思い出せない少女の顔。でも、完全に映像が途絶える前に聞いた。
“お帰り、恭介“
温かさに満ちた、優しげな少女の声を、俺は、確かに、覚えている。
「恭介っ!?」
視界が霞んでいる。よく見えない。
「起きたのっ?」
「うんっ、ねえ、大丈夫?」
何があった? 俺は一体――?
記憶をさかのぼる。ウィノアと服を買いに北旧市街に行って……それから……!
バッ! と、勢いよく起き上ると、あばら骨あたりに激痛が走る。
「――ッ」
「ダメよ恭介、寝てないと。骨にヒビ入っちゃってるんだから」
「ヒビ……か。よくそれで済んだな、俺」
その痛みで視界がはっきりとしてくる。俺は孤児院のベットに寝かされているようだった。
「ウィノア……大丈夫か?」
俺の横で看病してくれていたのか、ウィノアが椅子に座っている。見たところ、怪我はなかったように見えるが。
「大丈夫。あなたが一番大怪我よ。人の心配はいいから、今は休んでて」
「ウィノアの言うとおりよ。今は寝ててね。リリーナとエリオが魔法薬買ってくるから。私は子供達見てくるから、恭介の事頼んだわよ」
ミストはそういうと部屋から出ていく。
「はい寝た寝た」
俺の背中に優しく手を添えて、そのままベットに押し倒すと、ウィノアは椅子に座りなおした。
「恭介、何か悪い夢でも見てた?」
「ん?」
ウィノアは心配そうな目で俺を見る。
「ううん、少し涙が、ね」
さっきの夢のせいだろうか。不自然なくらいにその事をはっきりと覚えていた。
「いや、悪い夢ではないんだ。大事なことを思い出しかけたんだと思う」
「大事なこと?」
「ああ。俺、やっぱり記憶がないって言った方がいいかもしれない。何て言うのかな、俺の住んでいた世界の、全ての人が思い出せないんだ。だから、俺のいた場所も、本当に俺のいた場所なのか、俺のいた世界なのか、よくわからない。確認する方法がないんだよ。でも、さっきの夢で見たんだ。たった一人だけだったけど、お帰り、って言ってくれた声を聞いた。その声を、俺はたしかに覚えてるんだ」
俺がそういうと、ウィノアは目を伏せて、何かを考えているようだった。
「ウィノア?」
声をかけると、ウィノアは俺の眼を見てから、少し悲しそうな表情を見せた。
「実はと言うとね、恭介。私も記憶がないの。私がこの孤児院に来たのは、今から七年位前。全身ボロボロになって国外に倒れていたのをミストのお父さんに拾われてね。私にはそれより前に何をしていたかの記憶がない。でも、もしかするとだよ?」
そう語るウィノアの眼が悲しみの色を帯びる。
「七年前っていうのはね、前に話した光の国が革命を起こした時なの。実際、私が拾われたのはその数日後だったみたい」
「……まさか」
「ええ、私はおそらく、光の国の住民だったんだと思う。私のレアスキル、『貫通』がそれの証明。相当優秀な魔術師の血統の者にしか宿らないスキルなの。あらゆる物理障壁、対魔法障壁に対し貫通力を持つ。相手に防御を許さないレアスキル。理の国でこれを操る魔術師は聞いたことがない。でも、もし、そうだとしても、光の国は革命で豹変してしまっている。私の故郷は滅びちゃったことになる」
悲しげに言った後、まあ、実感わかないけれどね、とウィノアはつぶやいた。
しばらく何も話さない時間が流れた。あれから少なくとも一夜は明けたようで、外の明るさから言うとおそらく昼前。朝さえずっていたであろう鳥たちも、今は元気に外を飛び回っている。
コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。
「ウィノア、恭介、入るぞ」
エリオさんの声。ウィノアがどうぞー、といつもどおりに返事をした。
扉を開けて入ってきたのは、エリオとリリーナ、そして、中々にグラマラスな体系をした女性。ルインさんと同じような、燃えるような紅髪と、さらに深みのあるガーネットのような瞳を持っている。一目見て火を連想させるような人だった。
「……誰?」
ウィノアが首をかしげる。対して、その女性はウィノアを食い入るように見つめていた。
「あなた……名前は?」
「ウィノア。ウィノア・クレスメント」
そうウィノアが答えると、女性の瞳に驚きの色が見えたが、すぐにそれをひっこめると柔らかな笑みを浮かべた。
「私はソフィア。ソフィア・ラヴィローク。魔法薬の調合と回復魔法を扱ってるわ」
「恭介の病状を話したら、骨は複雑だから実際に診ると言ってな。案内してきた」
エリオさんがそう言った。
「私は最初どうみてもそういう癒し系には見えなかったんだけどね。人はみかけによらないっていうか」
リリーナがそう言って両手を上げる。
「よくいわれるけどね。じゃ、ちょっと手を当てるわよ」
そういってソフィアさんはおれの腹部あたりに手を当てる。
「んー、あなた何やってたのこれ。肋骨どころか、体中の至る個所にヒビ入ってるわよ。肋骨なんか二本逝ってるわ」
「うわあ」
リリーナが口元を手で押さえつつ感嘆の声をあげた。
「これ治るのに……そうね、二日は丸々かかるわね」
俺にしてみればそれは全治半年は越えているので二日と言うのはカルチャーショックだが、周りの雰囲気としてはそんなにもかかるのか、といった具合に読み取れた。
「じゃあ、回復魔法かけておくけど。かけた瞬間から相当眠くなっちゃうから、そのつもりでね」
ソフィアさんはそういうと何かをつぶやいた。瞬間、意識が暗闇へと落ちた。
ソフィア、という女性は恭介の胸元に手を置くと静かに呪文を唱えた。途端に彼女が言った通り睡魔が襲ったのだろう、恭介は先ほどの様に眠りに落ちたようだ。
「よくあれだけの個所の骨をやってて、致命傷がなかったもんだねえ。一つの奇跡だと思うよ、私は」
治療を終えたソフィアさんがそう、あきれ顔で言った。
「一体何とケンカしたのさ。こんな怪我の仕方は初めて見たわ」
「ロアって最近言われてる化け物ですよ。先日東に出まして」
私がそう答えると、彼女は何かを考えるような仕草をした。
「何か知ってるんですか?」
「ん? やー、ね。ちょっと似たようなものを思い出しただけ。じゃあ私はこれで帰るから。また何かあったら呼んで」
そのまま彼女は陽気に部屋を出て行った。
ふと、その後ろ姿に見覚えがあるような気がして、私はしばらく彼女の去って行った扉を見つめていた。
「どうした、ウィノア」
エリオさんがそう声をかけてくる。
「いえ、なんとなく……見覚えがあるような気が」
「あってもまあ、おかしくはないだろう。北旧市街で店を持っているようだしな」
「そうなのかなあ……」
何か引っかかってるんだけどなあ、と思いつつ、しばらくしても思い出せないので気のせいと思うことにした。
「しかし……ナオ、と言ったか。ルインの魔術をうけても微動だにしなかったロアをたった一撃で沈めたのは」
「ええ、ルインによるとカルカロフの側近。単純に見積もってもSランク以上の魔術師には違いないわ」
「だとすると、まずいわね」
リリーナが深刻そうに言う。
「レジスタンスの連中はもう革命の準備を進めてるはずよ? そんなのが側近にいたんじゃあ、下手すれば全滅するわ」
「確かにそうなんだけど、あの子の行動は変よ」
あのナオ、という子にはおかしな点がある。
「え?」
リリーナがきょとん、としてこっちを見る。
「強さや光る翼も確かに異常だけど、彼女がカルカロフの側近だって言うなら、なんで私を助けてくれたのかしら。私を助けずに攻撃だけを無効化することもできたはず。それに、あの子は恭介を私のところまで連れてきたし、不自然な点がたくさんあるわ」
「……たしかに考えてみれば妙ね」
色々と考えてみるも、あのナオという子の存在は不自然だ。
彼女の魔術師としてのランクはおそらくSをゆうに超えている。魔術師のランクは一四の記号で表す。下から、F,E,D,C,B,A,AA,AAA,S,SS,SSS,X,XX,XXX 。代々魔術師としての血を受け継ぐ各国の王族であっても、このランクでいえばAAAが通常だ。優れた魔術師であるヴェナスさんでA。私はB。普通、と言われる魔術師たちはCに該当する。私たちよりも年下であろう、あのナオという少女がSランク以上の魔術師というのがいかに馬鹿げているかは言うまでもない。魔術というものは、九割の才能と一割の努力である。しかし、この一割の努力が非常に大きい。
なぜならば、自分の持っている最大の力は才能によって決まるが、それを開花させていくのは努力に他ならないからだ。この点ではスポーツとよく似ている。
しかし、圧倒的に差があるとすれば、才能がなければ努力は報われないということだ。
私達が思考を巡らせていると、扉が静かに開いた。
「おかえり」
リリーナが目も合わせずに言う。
「おう、ただいま」
それは随分テンションの低いアナベルだった。
「どうしたの?」
私が聞くとアナベルは額に手を当て、深刻そうに言った。
「王政府が勧告を出した。反乱分子の摘発だ。やつら、七日以内にレジスタンスが名乗り出ないのであれば旧市街をすべて焼き払うと言ってきている」
「最悪のタイミングで最悪の選択をしてきたな」
ため息をつきながらエリオが言った。
「レジスタンスは?」
「行方知れずですよ、それが。あ、ただいま戻りました」
リリーナの声に、アナベルの背後からヴェナスが答えた。
「おかえり……行方知れずってどういうこと?」
私が聞くとヴェナスさんは頬を掻きながら気まずそうに言う。
「いえ……アマジーグのところに行ってきたのですが。見事にもぬけの殻でした。もう数日前からいなかったように思えます」
重い空気が流れる。おそらくレジスタンスは勧告前に情報をつかんでいたのだろう。
「あ!」
アナベルが突然素っ頓狂な声をあげた。
「なによハリガネムシ」
リリーナが目を細めて罵る。
「俺、三日前アマジーグに会ってるぜ……」
リリーナの意味不明な罵りも聞こえなかったのか、愕然として言った。
「本当に!? どこで!?」
私は身を乗り出すようにして聞いた。
「北の……その、なんだ。酒場だ。何人かと飲んでいたのを見ただけだガッ!」
言葉が言い終わる前にリリーナの靴がアナベルの顔に突き刺さっていた。
「あれだけ酒場には行くなっていったでしょうが!! あんたにとって酒場って場所がどれだけ危ないか、わかってんの馬鹿!!!」
突然の事に、ヴェナスさんも私も、エリオさんにいたるまで目が点になった。いつもリリーナがアナベルに酒場だけには行くな、と言っていたのは知っていたが、今のリリーナの怒り方は普通じゃない。いつもリリーナは怒っているとはいえ、少し楽しそうな節がある。でも、今の怒り方は十割まで怒りだ。
よく見れば瞳に涙まで浮かべている。
「すまない、リリーナ。俺――」
パンッ! と、乾いた音。返事はいつものように殺人的な蹴りではなく、ただ一発のビンタだった。
「――ッ!」
そのままリリーナはアナベルを押しのけて階段を駆け降りた。
「くっ……」
アナベルが床に座り込む。彼にとっては今までのどんな攻撃よりも、今のビンタが一番効いたらしい。
「どうしたんだ、リリーナは」
エリオさんがアナベルに言う。アナベルは少し深呼吸をしてから言った。
「皆に黙っていたことがある」
そう言ってから彼は話し始めた。
「今から話すことはミストの親父しか知らない。俺とリリーナが孤児院に行きついたのは八年前。十歳の時だった。俺たちはミストの父親のおかげで孤児院にたどり着けた。
……俺たちは『ニルヴァース』から逃げてきたんだ」
アナベルの口から出た言葉に、皆驚きが隠せないようだった。
ニルヴァース――。八年前の悪夢、ニルヴァース動乱の悲劇の地。今は『死の荒野』と呼ばれる広大な荒野にその国はあった。無論、元から荒野であったわけではない。
ニルヴァースは大陸の中心にあったためか、それぞれの国の元素、すなわち、火、水、風、土のマナの恩恵を受ける豊かな土地だった。そこで、光と影の王国が会合する約束が交わされたのである。光と影は元々仲が悪く、その中を取り持とうとしたのが当時のニルヴァース王国の王のしようとした事であった。当時の光と影の両王もそれに賛同し、それぞれが一部幹部を連れてニルヴァースを訪れたのだ。そして、会合から二日後、謎の動乱が発生し、国土は一日にして焼け野原となった。
一体いかなる魔術が行使されたのか、大地は死に、草木は生えず、その場の空気さえも淀み、そこに生息する生物は魔物と呼ばれる異形の生物のみである。何がきっかけでそうなったのか、全ての全容はいまだわかっていない。
「俺は名前も知らない組織で育った。両親は知らない。物心ついたときから殺しの技のみを教え込まれてきた。……剣はさ、俺が本当に得意な武器じゃないんだ。俺が得意にしてるのは投擲用のナイフでね。本職はアサシンなんだよ。対人、暗殺に特化した暗殺者。八歳くらいにはもう前線にいた。与えられるとおりに任務を遂行して、そこに感情なんてなかった。いや、感情なんて教えられなかった。
子供ってのが都合がよかったんだろうな。まさか、そんな小さなやつが卓越した暗殺者だなんて誰も思わない。任務の遂行率は百パーセントだったよ。最後の最後で失敗したけどな。
……ニルヴァースに赴いたとき、俺の暗殺対象はあるニルヴァース国の幹部の娘だった。その娘を殺す事によって何がしたかったかは知らない。でも、あの時俺と同じような奴らがたくさんいたのは事実だ。あの動乱は人工的に起こされたものには違いないし、おそらく俺もあと一歩でそれを手伝っていたんだろう。
俺のターゲットの名前は、リリーナ・フレインヴェール。リリーナの元の名前だ。俺はあいつを殺す命令を受けていた」
アナベルはそう、淡々と語った。その過去は途轍もなく重い。彼にとってソレは常に付き合ってきたものなのだろう。表情から特に感情は読み取れない。
しばらく沈黙し、アナベルは皆の顔を一瞥すると静かに続きを話し始めた。
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