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第四章「黒髪の少女」-前編-

やや残酷な表現(猟奇的な表現)を用いています。

苦手な人は注意してください。

 アルマルの存在する大陸は「中央大陸」とよばれている。この世界はまだ海を渡るほど航海術に優れてなく、自国の国の周辺の島々に輸送船などを送るのみであった。というのも、海には恐ろしい生物がいて、小さな船なんかは飲み込まれてしまうし、わざわざそんな危険を冒してまであてのない旅になど誰も出たがらないのである。ただ、一部の例外は存在し、その存在からもたらされる情報によって、この世界には大きく分けて四つの大陸が存在していることになっている。

 中央大陸には現在六つの国が存在する。光の国ヴェードルミシェル。影の国グォストール。理のうち水の国アルマル、火の国スロークニール、風の国ベルード、土の国ヴェルカ。

 今、恭介のいるアルマルは、三つの国の国境に接している。西のスロークニール、東のヴェルカ、北のヴェードルミシェルだ。外交は北のヴェードルミシェルを除き良好であった。アルマルとヴェードルミシェルの間には『アイシクルリバー』と、『リンテシア大山脈』という、人が越えるには無理のある土地が連なる。年間通して氷点下二十度程のその気候は水の精霊の『冷却』の力が働いているため、だとか、水龍がいるからだ、とか、そんな事が語られている。そのように、光と影の国は、総じて普通の人間を寄せ付けるような環境にない土地に存在していた。

 そういうわけで、理と光、影の国の間には交流はなく、歴史には戦争と伝説でしか語られない。そして、歴史上、その気候と光と影の魔術の前に尽く負けたのである。それ以降、影と光の国に戦争を仕掛けることはなくなり、平和が訪れた。

 しかし、長き平和の中で腐ってしまったのはむしろ内側であった。アルマルの首都である『リースティア』は、最初は一つの城壁で囲まれた要塞都市であった。が、いつからか内側にもう一つ城壁を作り上げ、内側の壁に囲まれた地域を『新市街』、内側と外側に囲まれた地域を『旧市街』と呼ぶようになった。内側に住むものは貴族に頭を下げられるものか、または貴族である。外側に住む者は、戦争孤児や、没落貴族の中でも誇り高かった者たち、また、平民であっても貴族に頭を下げないものや、流れ者、犯罪者などであった。実際国の管理が行き届くのは新市街までであり、旧市街は何があっても見捨てられていた。また、管理と言っても杜撰なもので、平民にとって暮らしにくいことに変わりはなかった。 

 そもそも、なぜこんな腐った国になったかというと、国王にその責任がある。前国王は貴族にも平民にも愛された素晴らしい国王であったが、その跡継ぎである二人の王子のうち、兄は誰がどう見ても王の器では無かった。貴族の誰もが弟を指名するはずだった。だが、兄は貴族に根回しし、自分が王になれば、貴族にとって有利な政治をすると言い、票をかき集め、弟から王の権利を奪い取り、そのうえでリンテシア山脈のふもとの古城に幽閉したのだ。

 無論、弟を支持した貴族からは反発が強く、抵抗が原因で抗争に巻き込まれ没落貴族のとなった誇り高い貴族も少なくはない。ミスト・クレスメントの父もその一人であり、謀殺された。以来、没落貴族の中には地下組織を結成するものが増え、それらが統合されレジスタンスとして革命の準備を始めたのであった。無論、それに気づかない王政府でもなかった。

アルマルの国王、カルカロフ・アルマル。無能であるわけではなく、その知力、政治力は各国の王と比べても高いものであるが、それは恐怖を根底とする圧政による統治であり、非人道的であった。

 加え、彼が暴君と呼ばれる所以は彼自身の性格にある。非常に冷酷かつ、凶暴であり、情けというものが全く介在しない。それ故に自らの家臣でさえも王座の前で首をはねる事を厭わない。味方からも敵からも恐れられる王であった。


 さて、その王はと言うと、王座にふんぞり返って報告書に目を通しながら、時折その鋭い眼光で控える家臣をにらみつけていた。 

「なあ、大臣よ。最近どうも……ハエが増え過ぎているようだが?」

「申し訳ありません。しかし――。ロアとかいう謎の――ヒィッ」

 そう言った大臣の首のすぐ横に鋭いナイフが突き刺さった。

「ロア……ロア、ロア、ロア、ロア、ロアロアロアロアロアロアロアロアロアロアロアロアロアロアロアロアロアロアロアッ!!! んなこたあ聞き飽きたんだよこの屑がァッ! あれがそんなに強力なもんならよう、なんで旧市街のやつらがアレを倒せる!? なんで政府の兵士が苦戦する!? 答えて、みろよ、ああっ!?」

 カルカロフは大臣の襟首をつかみ上げると、狂気じみた眼差しを向けて言った。

「わ、わかりました。革命に向けて動くやつらの特定を急がせます」

 その言葉に鼻を鳴らすと、カルカロフは手を離した。

「わかっているだろうな。これ以上失態を重ねるようならば――。ナオ」

 カルカロフの背後から黒いローブに身を包んだ人が現れた。頭を覆うフードから漆黒の艶やかな髪が垂れており、全体的に小柄な様子からみて、どうやら女性らしいことは見てとれる。だが、それ以上に彼女の手に握られた特徴的な刃物は大臣の恐怖を煽るには十分だった。

 刀身一メートルを超える反りを持つ片刃の剣。斬ることよりも突くことによって相手を一瞬にして絶命させる東の大陸より伝わりし得物。だが、この得物はその中でも特異なモノ。『神薙かんなぎ』と銘打たれた『神殺し』の妖刀。

「――抜かりなく、遂行致しますゆえ」

「ならばよい。さっさと行け」

 大臣は一目散に逃げ出す。その様を見てカルカロフは高らかに笑った。それを隣で見ていたナオはカルカロフを見上げる。身の丈二メートル近いカルカロフを、百五十センチに満たないナオが見ると、どうしてもこのような形になるのだった。

「よいのですか、カルカロフ様。あまり家臣をいじめますと」

「ふ、言うな。そのようなことはわかっておる。どうせ俺のそばにお前がいる限りはどのようにしてもあいつ等は手出しできぬ」

 そう言いながらカルカロフはナオのフード部分をゆっくりと外した。

 驚くことに、ナオ、と呼ばれた女性はまだ幼さを残す、十代前半くらいに見える少女であった。漆黒の適当に切り合わせた長髪が妙に似合う。肌は雪のように白く、その白さが、漆黒の髪、ブラックオニキスのような瞳と絶妙なコントラストを生み出し、彼女に神秘的な雰囲気を与えていた。

「お前の瞳には魔力があるな。こうして見ていると、呑み込まれてしまいそうだ」

「私の瞳はカルカロフ様を食らったりはしませんが」

 ナオはきょとん、とした様子で言う。カルカロフは大きく笑った。

「お前のそういうところは好きだ。中々に可愛いではないか」

 その言葉にナオは表情を変えずに、しばらく沈黙した。

「――革命の件、あのようなものに任せずとも、私に一言命じてくだされば」

 ナオがそういうと、カルカロフはため息をつく。

「お前は俺のそばにいろ。お前がいなければ、誰が俺の命を狙うとも限らん。まあ、散歩くらいならいつでも自由でいいがな。お前のことだ、俺から離れていても、俺の周りのことをつかむことなど造作もあるまい」

「わかりました。ロアの件はどういたしますか?」

「無能どもに任せておいてはきりがない。見つかり次第排除しろ」

「はい」

 そういうと、まるでそこにいなかったかのようにナオはかき消える。

「さあて。革命に必要なものはなんだ? やはり、幽閉しているあいつか……」

 カルカロフはにやり、と笑う。

「さあて、血祭りにあげてやろうか、反逆者どもめ。ハハハハハッ」1

 暗い部屋に、ただ薄気味の悪い声だけが響いた。




 リースティアはこの季節には珍しく、雲ひとつない見事な快晴であった。毎年、サラマンドの月の後期は雨が続く雨季であり、今日のように晴れ渡る日は珍しい。

 リースティアの街のメインストリートになっている正門から王城にかけての、幅二十数メートル、距離二千メートルに及ぶ街道は露店であふれかえっていた。

 クレスメント孤児院ではミストが家事をしている他、恭介とウィノアだけが院内にいた。アナベル、ヴェナスは自分の用、子供達はリリーナとエリオの二人と外出中であった。



「うーん、恭介の服もいつまでもアナベルの借りるわけにはいかないし、買い出しに行きましょうか」

 ミストが突然そんなことを言った。

「え、そんな……悪いですよ」

「もう、家族に悪いも何もないでしょ? あ、どうかな、名前の発音、結構上手になったでしょ?」

 そういうと彼女は自慢げに笑った。

「あ、確かに……」

「恭介の名前、こっちじゃ珍しいからね。発音わかんなくって……。えっと、そうだなあ」

 ミストはしばらく何かを考えている様子だったが、廊下をウィノアが通りかかったのを見て思いついたかのように席を立った。

「ウィノア、ちょっといい?」

「うん? なに?」

「ちょっと恭介の服、一緒に見てきてくれる?」

 その言葉にウィノアは少し動揺した様子だった。

「え、私よりミストのほうが適役じゃない!?」

 ミストはウィノアの肩に手を置くと、

「行きなさい」

 と、ほほ笑んだ。有無を言わさぬミストの姿勢にウィノアはため息をつく。

「恭介、行こう」

 仕方ないなあ、といった様子でウィノアが言った。

「じゃあ、お願いね」

「ええ、任せて。あ、恭介。最近物騒だからエリーは持っておいた方がいいわよ。何が出るか分かんないからね、街中でも」

「ああ、わかった。なんか布か何かないかな?」

「んー、あったかも。見てくるね。恭介はちゃんとエリー連れてきてね」

 そういうとウィノアは自分の部屋に戻っていった。俺も自分の部屋に戻る。

 あの剣は持って歩くには目立つ。エリーがカタチとして出現してからは、剣はアクセサリの形態には戻らなくなった。エリー自身は、名前を呼べば鞘から出てくるが、剣を鞘に収めている間は鞘、剣を武器として扱う間は剣から距離を置いてはいけないらしい。なんでも剣の莫大な魔力を閉じ込める鞘の維持には精霊自身の能力が必要であり、また、同様に武器として扱うときにはその魔力を扱うために必要なのだそうだ。

 近くにいればいいので、肩に乗っていても個人的には別段問題はないのだが、周りからみれば大いに問題があるため、それもできない。エリーとしてはもっと自由にしたいようだが、見つかると何かと面倒なことになるので我慢してもらう。

 どこまで出かけるのかは分からないが、自分自身この町の事は全くわからない。俺の住んでいた世界とはわけが違う。言うならば江戸時代のようなものだろうか。自分の身くらいは守らなければならないし、できるなら孤児院のみんなを守りたい。

 ベットに立てかけてある剣、『レーヴェル・シュティム』を手に取る。鞘にはめ込まれている紺碧の宝玉が僅かに光った。

【お出かけです?】

 いつかのように頭に声が響いた。

「ああ。今でもそうやって話せるんだな」

【はい、マスターも頭で念じるようにしてくれたら近くにある限り話せますよ】

 頭で念じる――。つまり、考えればいいのだろうか?

【えっと、そうですね、そんな風に私を意識して考えればいいです】

“聞こえたか”

【ええ。ですから聞かれたくない、見られたくないような事を想像したいときは剣を遠ざけるか――】

「そんな想像はしないからいいっ!」

 思わず声に出してしまった。 

「…・・・」

 後ろから視線を感じて、はっと後ろを振り向くとウィノアが興味深げに俺を見ていた。

「――いつから?」

 おそるおそる聞いてみると、ウィノアはその表情そのままに、

「エリーをぼーっと見つめ出したところから」

 と、言った。その眼に何かの色が宿っている。

「ねえ」

 ウィノアが口を開く。

「な、なにかな……」

「『そんな想像』ってどんな想像?」

 はたして、その眼に宿っていたのは純粋無垢な、子供のような好奇心であった。

「いやあ、それはその……」

 言葉を濁している間もウィノアの眼は小さな子供がおもちゃを見つけたかのように楽しげに俺を捉えている。

「ね、どんな想像?」

「んー、あれだ、プライベートな……」

 一歩後退。

「ね?」

「えっとだな……」

 一歩後退。

「ねぇ、どんなの?」

「人に聞かれたくないような想像だよ、うん」

 一歩後退。

「ねえ、それって具体的にどういうの?」

「だから聞かせられないんだってば」

 二歩後退。

「じゃあお姉ちゃんが当ててあげようか」

「え」

 停止。もとい、壁際まで追い詰められた。

 すっと、ウィノアの細く、綺麗な指先が俺の鼻先に突きつけられる。

「男の子だもんね、恭介も」

「え、ちょっ……」

 ウィノアの眼が少し怪しげな色を帯びた。綺麗な唇の端がにやっ、と、これ以上ないくらいの笑顔を表現している。

「女の子?」

「ち、違うって」

 指先から逃げるように体を壁に押し付ける。

「ほんとーに?」

「うん、違う違う。っていうかお姉ちゃんって、ウィノア何歳さ」

 必死に逃げようとして壁に背をこすらせながら背伸びしたまま苦し紛れに言った。その言葉に首をかしげると、ウィノアは指をひっこめた。

「あれ、言ってなかったっけ」

「ああ、聞いてないぞ」

「じゃあ、何歳だと思う?」

 ウィノアは笑顔で聞いてきた。

 俺からすれば、ウィノアは年下に見える。俺は十七だが、ウィノアの年齢は十五とか、十六くらいに見えた。顔立ちも幼さが残っている感じだし、性格も子供っぽいところがあるように見える。……しかし、本質的にはしっかりしていて、そういう点は大人だ。

 色々考えて、出した結論は、

「十七?」

 自らと同じ年齢であった。

「残念、外れ」

 騙せたことがうれしいのか、一際嬉しそうに笑う。

「なに、じゃあ十六くらいか?」

「ふふ、残念。私は十八だよ」

「年上っ!?」

 かなり驚いた。十八には全く見えない。

「え、じゃあミストは……」

「ミストは十九。アナベルとリリーナは十八だよ。恭介は…… 十七?」

 ウィノアが、どうかな、と指先を再び突き付けた。

「……あたり。なんでそう思ったんだ?」

「女の勘かな」

 ウィノアはそんなことをはっきりと言った。

「さあ、そろそろ行こっか」

 楽しそうな彼女を見てふと思った。終始自分が手玉に取られて、掌の上で遊ばれていたんじゃないかと。彼女は実際、見えている以上にその内面に秘めているものは大きいのかもしれない。

「ほーら、置いてくよ」

 ひょい、と部屋口から顔をのぞかせてウィノアが言う。

「今行く」

「街は結構混んでるから、迷子にならないようにね。手でもつないどこうか?」

「いや、遠慮する、恥ずかしいし」

 遠慮しなくてもいいのに、とウィノアは微笑むが、彼女のような可愛い子と手をつなげるほど、俺の女性経験は豊かでなかった。というか、覚えていないからそう思う、としか言えないが。少なくともこの焦りようはそうなのだろう。




『リースティア』の旧市街は、ほとんどが廃墟と言ってもいい程に荒れ果てている。実際、クレスメント孤児院の周り、三百メートルに人の住んでいる家はなかった。家そのものは朽ち果てながらも存在しているが、定住者は誰もいないのである。その原因は、死んだか、国外へ亡命したか、何か功をあげて……といっても、革命を企てているものを釣りあげたりして新市街に引っ越したか、だ。

 人が多くいる場所は限られる。治安が悪く、犯罪者の多くが巣食う東スラム街。そして、旧市街に住む大抵の人が住む北旧市街だ。旧門、つまり、南にある正門が作られるまで使われていた街と外を結ぶ古い門のある、廃墟となった西旧市街には最近ロアが頻出するために人はいなくなった。南には正門、そして、新市街へ入るための第二正門があり、国軍の兵士が多く存在するため、旧市街の人々は近付きたがらない。孤児院は、その南旧市街と、西旧市街の中間あたりに存在していた。

 ロアの最初の出現は恭介がこの世界に来る約一年前に遡る。突如として現れたソレは、ウィノアの魔法によりあっけなく一撃で倒された。そんなことが数回あった後、現在のような重厚な姿をしたロアが現れるようになる。それは、ウィノア達の力を持っても簡単に排除することはできず、西旧市街は戦闘によって荒れ果てた。

 数度、国軍の末端である王都防衛小隊が立ち向かったことがあるが、その時は何人ものの怪我人と、数人の死者を出すほどであり、それ以降国軍は旧市街に出たロアが新市街に向かってこない限り見て見ぬふりを突き通すようになったのである。

 北の人々や、南に位置するクレスメント孤児院などは、街外への移動や、南から北、北から南の移動に際し、西か東を通らなければならない。いくら西にロアが頻出するようになったとはいえ、東のスラム街を突っ切るよりは随分と安全なので、西旧市街は通りとしての機能を今は果たしていた。東スラムの者共は殆どギャングと言ってもいい集団であるが、自らの生命を維持するためには北旧市街から得られるライフラインは必要不可欠であるために暴動等、大きなことはしなかった。

 そうした微妙な力のバランスがこの街を、表面だけの平和で包んでいた。東スラム街に立ち入らない限り、基本的には彼らは無害である。だというのに。


 或る、一人の男が東スラムに踏み入った。体を漆黒のローブに包み、鎌首をもたげるようにしているために正面からその顔はうかがえない。その体は大きく、身長も二メートル程度あった。ローブから突き出た茶色の右腕は太く、異様なまでの威圧感を感じさせる。

 ソレは一見してわかるほど『異質』であり、『異常』であった。ソレがそこに存在するだけでその場の空気は淀み、空間がねじられる様な気持ち悪さを感じることだろう。そのような存在が東スラムという一種の縄張りに入ったことで、周りの者どもはその異質な雰囲気に押されながらも、ソレを逃せば自分たちのリーダーに咎められることを恐れ、ソレに近付いた。

「おい、ここがどこだかわかっているのか」

「――」

 ソレは答えない。ただ、その歩みだけは止まった。

「おい、聞いてんのか!?」

 肩に入れ墨を入れたり、ぎらつく刃物を手に握った男数人がソレを取り囲む。だが、ソレは相も変わらず微動だにしなかった。

「さっさと帰らねえとぶっ殺すぞ!」

 しびれを切らした一人がナイフを突きだすが、ソレはやはり微動だにせず、事もあろうか歩行を再開した。

「……ナメてんのか」

 いきり立った一人の男が、手にした斧をソレの肩口目掛けて振り下ろした。しかし。

斧は勢いよく肩口に飛び込み、そのままソレの体を通過した。

 貫通したわけではない。文字通り、『通過』したのである。

「こ、こいつ……どうなってんだ!?」

 一人がナイフを背中目掛けて突きさしたが、それさえも通過するのみ。そこでやっと、彼らは理解した。ソレは、そもそも人ではないということを。当たり前だったのだ。正常な人でないものに正常な人の言葉が理解できるわけもない。

 ソレが顔をあげた。そのフードに隠れた顔――、いや。

――そこに顔などなかった。あるのはただ、血のような紅い片眼と、闇のみ。言うならば、ソレは人と言う形を借りた、具現化した『恐怖』そのものであった。

 彼らはソレがこの上なく危険なものであると本能的に理解すると、一目散に逃げようとした。しかし、紅い眼に釘付けにされたかのように全身が動かない。ただ一人、ソレの後ろで尻もちをついた一人の男を除けば。

 一人難を逃れた男は、なんとかして仲間を救おうと立ち上がるが、斬っても、蹴っても、何をしても自分はソレに触れることすらできない。

「お前ら、逃げろよ! なに突っ立ってんだよ!! 早く!!」

 男は必死に叫んだが、捕らわれた彼らは動くことはおろか、口を開くことも、ソレから眼を離すことも出来なかった。しかし、その眼は恐怖に震えているように見えた。

 ソレの右手が突きだされる。掌を天にかざすように広げてから、何かを握りつぶすかのように手を握りこんだ。

 途端、ぐちゃり、という異音が響く。男はその音に生理的嫌悪を覚えた。

 それも当然。それは心臓が潰れたかのような、死そのものの音であったからだ。

 捕らわれていた彼らは口や、鼻、耳から血を流す。だが、ソレはそれに飽き足らず、手を何かをこじ開けるような暴力的な動作で開く。

 そして、男は悪夢を見た。仲間である彼らの胸のあたりから、指が内側……体内から突き出、勢いよく、胸骨やら肋骨やら、わけのわからない色々なものごとこじ開けられたのだ。一見、噴き出る紅いそれは決壊したダムか何かの様にも見えた。

 思考が正常に戻るまで、どの程度の時間が必要だっただろうか。男が仲間の死を意識した時には、ソレの右腕は男の頭を鷲掴みにしていた。

「あ、あ・・・・・・」

 男の心は一瞬にして絶望に染め上げられた。同時に、根こそぎ意識を闇に引きずり込まれる様な感覚と共に男は気絶した。

 ソレは掴んだ男の頭に何をするでもなく、気絶した男を地面に落した。右手を男の左胸にあてると、一瞬、魚が跳ねるように男の体が跳ねあがる。その様子を見届けると、ソレはかき消えるように姿を消した。



「なんだよ・・・・・・これ」

 路地を埋め尽くすのは粘着質な赤のペンキ。壁にも、まるで筆を振り回したかのように、点々と赤のペンキがこびりついている。所々になにかが転がっているが、それを何か理解することはできなかった。

 一点。おかしなことがある。ペンキなのに、辺りに漂う匂いはシンナーのそれではない。

鼻につくのは鉄だった。これ以上ないほどに濃密な鉄の臭い。

 ところどころに転がっている何か――まるで悪趣味なオブジェのようなモノ――が、かつて自分の仲間だった物体であると認識した瞬間、男は腰を抜かした。

「何が――」

 目の前にいくつか転がっているそれらは、紛れもなく人であったが、おおよそ人の死に方をしていなかった。それは死んでいる、と形容するよりも、『壊れている』と形容するほうが相応しい。

 関節という間接が折れ曲がり、あばら骨が門の様に開き、腹を突き破っている。守るべき臓器は溢れ出し、あまつさえ、背中と呼ぶべき場所には大穴があいていた。 

 しかし、一人だけ、人の形をしているものがあった。彼は無意識にそれに近づくと、それがいつもこのあたりにいる仲間の男であることに気付いた。

 その男に目立った外傷は無いように見えるが、なにせ体中血まみれで遠目には死んでいるようにしか見えない。

「生きているか」

「……ルインさん、これは一体」

ルインと呼ばれた男は、わからない、とでもいうように首を振った。  

「だが、普通の人間じゃないのは確かだ。こいつを連れ帰ってやれ」

 ルインがそういうと、彼についてきていた男たちが、血まみれの仲間を背負うと自分たちのアジトへと向かっていった。

「魔術の類か・・・・・・?」

 一人残った彼は路地の石畳に手をつき、目をつむった。

「空気中の魔力素の含有量も普通、錬金術の形跡もなし。術式という術式すべての形跡がない・・・・・・。人、なのか?」

 極めて無表情なまま立ち上がると、彼の部下たちが去っていった方向へと歩き出す。

「――逃がさない」

 そう小さくつぶやいた彼の背後で、血の海と化した路地の一帯が一瞬にして業火に包まれる。その炎のように赤い髪を揺らしながら、静かな怒りをたたえるその金色の瞳は、一八歳にして荒れる東スラムを纏め上げ、数千のならず者の頂点に立った、『火天(アグニ)』の二つ名で呼称される魔術師、ルイン・リィンゲードの真の姿であった。


初回公開約1400アクセス、ユニーク260人という記録をおかげさまでもらうことができました。

知名度も低く、公開したばかりであるこの小説が数千のアクセスをもらうとは思っていませんでした。

みなさんのおかげです、ありがとう。

がんばりますので、これからも応援してください。

次の話は二日後に投稿します。

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