第八章「表と裏の天使と悪魔」-後編-
リースティア、北区の地上、及び、地下ではちょっとした騒ぎが起きていた。口々に皆、地が揺れた、地が揺れたと騒いでいる。
この世界には地震というものが存在していないのだ。火山噴火等によって地揺れが起こる事はあるが、そもそも火山はこの街の近くにはない。よって、この街に住まうほとんどの人間が地震など経験したことが無かった。そんな人たちが初めて『地震』を経験したのである。騒ぎになるのも無理もなかった。
しかし、その揺れはさほど大きくはなく、むしろ、地下にいた人たちは揺れよりも轟音に驚いたという。原因は言うまでもないだろう。
「……」
アナベルは額から冷たい汗が自らの顔の形に添って流れるのを感じていた。時が永遠のように思える。おそるおそる自らの体を見た。脳裏には、ぽっかりと穴のあいた自分の体が浮かぶ。あの、人のものとは思えぬ一撃を受ければ流石に無事では済まないと思っていた。
しかし、リリーナの足はアナベルの腕と脇を縫って後ろの壁のみを破壊していた。僅かに狙いが逸れたのか、外したのかはわからないが、アナベルは九死に一生を得たのである。
「……うっ」
安心した途端、アナベルを軽い吐き気が襲った。安堵のせいで忘れていたが、一発は蹴りをもらっていたのである。
驚いていたのはアナベルもエリオも同じであった。いかに殺人的な蹴りであろうと、リリーナが外したことなどこの数年間一度たりともなかったのだ。しかし、一番驚いていたのはリリーナ本人であった。
「……最後外してくれたのは情けなのか」
アナベルが吐き気を抑えながらそう言った。
「……まあ、そんなとこ」
いまだに少し茫然として答えるリリーナだったが、アナベルにそれを勘づくだけの余裕はなかった。
「……私、何で外したんだろう」
リリーナは誰にも聞こえないように小声でつぶやく。そう、最後、リリーナは偶然外したわけではない。自らその狙いを逸らしたのだ。
“私はアナベルの事、大好きだよ“
そんなセリフが頭の中に浮かんできた。途端にあの時の自分はどうにかなっていたんじゃないか、とリリーナは思った。
足もとで潰れているこの男に私は好き、といったのか、と頭の中で自問する。でもやっぱり、本心が変わるわけもなく、少しだけ赤面する。
「ふむ、さすがリリーナだな」
エリオの感心した声でリリーナは我に返った。振り向くと、さっきまでそこにあった壁がほとんど原型を留めていない。壁のかけらが向こう側の通路に落ちたり、刺さったりしていた。
もはやそれは壁を蹴った傷跡、というには異常な光景で、爆発が起きた、とか、機関車が突っ込んだ、とか、そういった表現が正しく思える。
「いててて……」
やっとのことでアナベルは立ちあがると、崩壊した壁を見、さらに、リリーナの足が掠った自らの服の生地が焦げ付いているのを見て、再度胸をなでおろした。
「殺すつもりか、お前は」
「……そんなつもり無いから外したんでしょ」
ぼそ、とリリーナが呟く。ただ、ソレは本当に小さなつぶやきだったので誰にも聞こえてはいなかった。
「うむ、先に進んでみるか」
エリオはそういうと、背中の剣を抜いた。この先は未知の領域である。レジスタンスがいたとして、彼らがどのような行動に及ぶかわからない。
「……結構広い通路ね。舗装されてないところを見ると、やっぱり普通の道じゃないわね」
リリーナが見渡して言った。一般に使用する通路を作っていたならば、舗装せずに次々と道を伸ばしているのには違和感があるからだ。
「……何か聞こえてこないか」
アナベルが足を止めて言う。エリオとリリーナも足を止めて耳を澄ました。
「―…――……」
確かに、微かに何かが聞こえてくる。
「これは……なんだ」
エリオが眉をひそめる。
「先に進んでみましょう」
リリーナが足を進めた。自然と小走りになる。
その音は進むにつれて大きくなっていった。そして、数分走ればその音の正体は、はっきりとわかってくる。
「これは……」
エリオの足が止まる。既に耳には嫌というほどその音……声が染みついていた。
「――オオオオオオッッッ」
事あるごとに響いてくるその音は、幾千もの人間が叫ぶ雄叫び。同時に、その声が革命の開幕を告げようとしている。
「急げ、ウィノア。時はもうそこまで迫っているぞ」
エリオはそう言った。もはや人の手によってこの革命を止める事は叶わない――。
三人はソレを嫌というほど感じていた。
「ここね」
ソフィアさんが一際大きな扉に手をかけた。ここに来るまで誰一人として出くわさなかった。この古城の守りはどうやら先のアバリティアのみであったらしい。
がちゃり、と、扉がひらかけれる。流石は太古の古城といったところだろうか。豪華絢爛な家具や寝具、外を一面見渡せる大きな窓……。まさに王の寝室とも言うべきその部屋に一人の男が椅子に腰かけていた。灰色の少し長い髪。瞳には黒っぽい青の瞳を湛えている。どこか高貴な雰囲気を持つ人物だった。
「む」
「ヨシュア・アルマル様でいらっしゃいますか?」
ソフィアさんがそう言いながら膝をついた。流石元、光の国の宮廷勤め。その動作はこの世界の礼節を知らない俺から見ても綺麗なものだ。
「ああ、その通りだが……君たちは? まさか、この雪原を越え、あの人形師を打倒したというのか」
その言葉にシュルクさんは頷く。そうして、ソフィアさんが簡単な経緯を話し始めた。
「――。そうか、もうそこまで……」
ヨシュア様はそう呟くとため息をついた。
「君達に知っておいてほしい事がある。少し長い話だ、そこに座ってくれないか」
言われた通りに部屋の隅にあるソファにかける。対面のソファにヨシュア様が腰かけた。
「まず、助けに来てくれた礼を言おう、ありがとう。私はヨシュア・アルマル。カルカロフ・アルマルの弟だ。これから話す事をよく聞いてくれ」
その言葉に俺たちは頷いた。その様子を見てから、一度何かを考える様に深く息をつくと、ヨシュア様は話し始めた。
「我が兄は昔から確かに王として劣っていると家臣達からも言われていた。ソレは民衆も知っていただろうが、一つの誤解がある。我が兄は『王』として劣っていただけで、『人』としてはとても出来た人物だったのだ。王は、時に小さきを切り捨てなければならない。そうしなければより多くのモノを失う事があるからだ。兄にはその選択が出来なかった。兄は、その優しさゆえ、何時も全てを救おうとする。その優しさが、結果的に王には向いていない結果を導いていたのだ」
そこで、ユシュア様は俺達の顔を伺うと話を再開した。
「……うむ、そのような反応になるだろう。そう、これは昔の兄だ。今の、私を幽閉した兄とは違う。あの兄は、兄であって兄ではないのだ。我がアルマルの国では、王の継承権は通常兄にある。それに従いたいところだったが、父上としても王としての器ではない兄に王位を継承するかどうか悩んでいた。そこで、自らの相談役を務めていたある男に教育を依頼したのだ。その男は有能な魔術師だった。数年前から父上の所に来ては、色々な知識、魔法薬、珍しい品などを置いていっては父上を喜ばせていた。今思えば、そこから何かを疑うべきだったのだ。一年たった頃には私もその魔術師に対してなんら警戒を持っていなかったよ……」
――数年前。リースティア王城。
コンコン、と数度扉を叩く。
「どうぞ」
中からそう声がしたので、ガチャリ、と、ヨシュアは兄の部屋の扉を開けた。
「……兄さん?」
「ああ、ヨシュアじゃないか。どうしたんだい?」
ヨシュアは何故か荷造りをしているカルカロフを見て不思議に思った。
「いや、どうして荷造りなんかしてるんだい? どこかにいくなら召使いか誰かにやらせればいいじゃないか」
「いや、そういうわけにはいかないんだ。父が魔術師殿の元で勉強してこいというものだから、自分に必要なものは自分で用意しようと思ってね」
「父上が? ……そんなことを」
少し憤りのようなものを感じてヨシュアが俯くと、カルカロフはその肩に優しく手を置いた。
「ヨシュア、お前はいいやつだ。俺の事をちゃんとわかってくれている。だから、いいんだ。家臣が何て言ったって、父が何と言ったって、俺にはお前がいるんだからな」
「兄さん、でも」
何かを言おうとするヨシュアにカルカロフは首を振った。
「王になるべきなのは、俺じゃなくお前だ。俺の考えは王としては甘すぎる。そのうえで教育を受けてこいというならいくらでも受けてやるさ。俺の考えは変わらないと思うけどね。……その間、父の事は頼んだよ。最近体調はあまり良くないようだ」
その言葉にヨシュアは絶句した。ここまでされてまだ兄は父を心配すると言うのか、と。そのままヨシュアは兄の部屋から出て行った。背後から、兄のため息が聞こえた。
「父上は何をお考えなのか……仮にも王族だぞ。外になど連れだして何かあったら――」
そこで、ヨシュアにはピン、ときた。
仮に、兄が王らしくなって戻ってきたとすれば王として迎えればよい。
仮に、兄がそのまま戻ってきたのであれば、仕方なく弟を王にすればよい。
そして、仮に兄が何かに遭って命を落とせば、心おきなく弟を王に据え置ける……。
「……実の息子に」
ヨシュアの憤りはますますひどくなった。最近の父はどこかおかしい。そもそも、あの魔術師を重要視しすぎている。
「たしかに、いい人なんだが……」
ヨシュアの眼から見ても、あの魔術師に悪いと言える点はない。最初はその姿が少し不気味だった。彼の流派らしいが、体中を覆い隠すローブというのは見ていてあまり気持ちのいいものではない。しかし、それが最近では神秘的に見える様になってきたものだから困りものだった。
「一度、魔術師殿に伺ってみたいものだな」
ふと、そこでヨシュアは違和感を感じた。魔術師殿、魔術師殿、と言ってはいるが、名前は無いのだろうか。こんなことも気にしないとは、いくらなんでも……。
「……聞いてみるか」
魔術師は普段、城に来るたびに王室に招かれ、そこから出るときは常に帰る時だ。そして、いつ出るとも限らないので張り込むわけにもいかない。ヨシュア自身、それほど暇なわけでもないのだった。
つまり、王族であっても王以外が会う機会は滅多にない。だが、自分は王候補。少し無理を通せば会えるだろう。
ヨシュアはそう考えつくと、王室へ向かった。
王室の前には警備の騎士が二人立っている。まずは彼らを何とかしないといけないのだが……、と思っていると、都合のいい事に魔術師が出てきた。相変わらずの黒いローブとフード。今ではもう見慣れてしまっている。
「魔術師殿」
「……おや、これはヨシュア様」
いつもの優しげな調子で魔術師殿は答えた。
「少しお話があるのですが、よいでしょうか」
「ええ、お父様とのお話も終わったことですし、かまいませんよ」
「では、私の部屋にでも」
こう、好都合にいくとは思ってもみなかったが……。とりあえず聞きたい事は色々あるのだ。
「カルカロフ様はどうしていらっしゃいますかね」
魔術師殿が言う。
「兄でしたら先ほど荷物をまとめていましたが」
「そうですか……。ふむ、彼には彼なりの良さがあると思うのですが」
そんな事を魔術師殿はつぶやいた。
「と、いいますと?」
足を進めながら、ヨシュアの中で期待が膨らんでいた。この人も兄の事を理解しているのだろうか、と。
「彼は優しい。確かに王には向いていないかもしれません。それだけのことですよ」
魔術師殿は淡々と言った。確かに、彼の言うとおりだな、とヨシュアは感じた。そう、向いてないだけじゃないか、と。
「私も、そう思っています」
「そうですか。良き理解者がいてくれるというのはいいことですね」
そんな他愛もない話をしながら自分の部屋まで来る。
「さ、私に聞きたい事とは?」
「……あれ」
一番聞きたいと思っていた事……なんだったか。
「……どうされましたか?」
何も言わないヨシュアを不思議に思ったのか、魔術師はそう言った。
「あ、いえ。一番聞きたいと思っていた事が何だったのか、私も忘れてしまいまして」
「はは、人間は忘却する生き物。何も不思議がる事はありませんよ」
魔術師がそう軽快に言うのを聞いてヨシュアはそうですね、と答えた。
「兄は……何時頃帰ってくるのでしょう」
「……早くて次の季節……。通常なら、また同じ季節が来ましょう」
「そうですか」
――そして、魔術師が去った後にヨシュアは思う。
「あれ、私は何を……しようとしていたのだ」
わけのわからない喪失感を胸に抱いたまま、ヨシュアはその日、兄を見送った。
サラマンドの月を跨ぎ、シルフィの月を過ぎ、ウィンディヌの月を過ぎた。そして、また兄の旅だったグノームの月が回ってくる。そして、その日はやってきた。
「カルカロフ様がお戻りになられました!」
食事中に騎士がそう父上に報告した。
「そうか。戻ったか」
そう言った父の顔に変化はない。とはいえ、最近は体も前に増して弱り、確実に死が迫っている事を誰もが感じている。
遅れて、兄が騎士の後に次いで入ってきた。
「――」
カチャリ、と、思わずヨシュアは手に持ったスプーンを皿に置いた。皆がその変貌に驚いたことだろう。あの兄はもうそこにはいなかった。
優しさを湛えていた黒っぽい青の瞳はもうそこにはない。その瞳に睨まれれば流れていた水さえも凍ってしまいそうだ。灰色の落ち着いた髪色も、いまや狼を思わせる猛獣の毛並みのように思える。
「よう」
開口一番、兄はそう言った。最早、性格さえも以前の兄の欠片もなかった。
「兄があの魔術師の元で何を習ったのかはわからない。だが、それは習う、などというものではなかったはずだ。どうやればあそこまで人間性が変わるというのか私にはわからない。まるで、天使だったものを悪魔に堕としたようなものだった。その後すぐ、父上は死に、いつの間にか買収されていた貴族たちによって私は王の権利を失った。加えて、反論ばかりしていたらこの様だ。もはや、兄を止める者などいなかった」
皆がヨシュア様の話を聞いて驚きの色を隠せないようだった。
「あの暴君が……」
ウィノアがぼそっと呟く。ヴェナスさんも何かを考えているようだった。
「ヨシュア様」
俺は項垂れているヨシュア様に声をかけた。
「ん? なんだい?」
「ナオって子、知ってますか」
俺の言葉に、ヨシュア様は頷く。
「ああ、魔術師殿についてきた子だな。兄に預けたのか、いつも兄のそばにいたよ。私をここまで連れてきたのもあのナオという子だ」
「……魔術師ってのが『天使』の黒幕じゃないか」
俺がそうつぶやくと、ウィノアも頷いた。
「私もそう思ってたとこ。ナオを連れてきたっていうのが決定的ね」
皆があれこれ考え始めた時だった。
「さ、ウィノア。急いで戻らなきゃ」
ソフィアさんがそう促したことで、皆ハッとなった。
「ああ、急ごう。兄がこれ以上戦火を広げぬ前に、私は止める義務がある」
ヨシュア様が立ちあがる。
「しかし、君たちはどうやってこの雪原を? まさか、あの子のように瞬間移動できるわけではないのだろう?」
「ええ、私たちは『光系統』でここに来ました」
「光……! なんと、それは真か」
驚くヨシュア様を見て、ウィノアはどこか得意げに笑っていた。
「カミュ様ー! カミュ様ー!」
騎士が慌てた足取りでカミュを探す。
「私はここだ!」
カミュは兜を外すと大声で叫んだ。ソレを聞きつけて探していた騎士がカミュの元に来る。
「何事だ?」
「ハッ、騎士団団長からの命令です。騎士団全員を地上と地下をつなぐ通路に配置せよとの事!」
騎士はそう告げると、さらに続けた。
「伝言もあります、『地上は私だけでいい』との事!」
カミュはその命令から、それが何を表しているのかを読み取った。
「……そういうことか。了解した。伝令!」
カミュは全ての地上防衛班に地上と地下をつなぐ通路の防衛にあたらせる命令を出した。
ふと、城を見上げると、どうやって登ったのか、遥か空中にそびえる尖塔の先、もはや人が立つ場所ではなく、鳥さえも滅多に止まらぬその場所にナオが浮いているのをカミュは見た。
もはやほとんど点であるそれをナオと視認できたのは、彼女とすごした日々のおかげだろう。
カミュにはわかっている。彼女がこの地上を守る限りこの地上は落ちない。敵がいかな行動に出ようとだ。となると、敵本隊は全滅する。おそらくはそれに乗じ内部を突く副隊が我ら騎士団を破らぬ限り勝利はあり得ない。
……万が一破ったとして、ナオが援軍として駆け付ければその時点で負けは決定するが。
「カミュ隊長、何を見ているので?」
空を見上げるカミュを不思議に思ったのか、部隊の騎士がカミュに声をかけた。
「見えるか、団長殿が」
カミュがその一点を見つめたまま言うと、しばらくして騎士は、ああ、と声を漏らした。
「見えました。いやはや、高い所にいらっしゃる」
「うむ。団長殿の得意とする魔術はあのような場所で真価を発揮するのだ」
「……と、おっしゃいますと?」
「私も見たことしかない。だが、超長距離、超広範囲、そして、超破壊力。近接で用いれば自らを含み周りを破壊するために、普段は用いられない。だが、街の外から襲ってくる敵がいるとすれば別だ。団長の視野に入った瞬間……」
ごくり、と騎士は生唾を飲んだ。敵の立場から考えたらそれがどれだけ恐ろしい事か。ましてや、あの尖塔の上からならば遥か遠くまで見渡せるではないか。狙い撃ちどころの話ではない。
「……この国はどうなるのでしょうか」
騎士はそう呟いた。
「わからぬ。だが、私たちは騎士であり、団長殿もまた騎士なのだ」
カミュは無表情でつぶやいた。その視線の先には、遥か遠くを見据える少女の姿があった。
予定より一週間早く完成しました。
次の章はもう書き始めてはいますが時間がかかります。
やはり次がこの「一巻目」の終章となりそうです。
いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます。
これからも楽しめる小説を書こうと思いますのでよろしくお願いします。




