チートアイテム『真の姿をさらけ出す薬』を間違えて彼氏に使ってしまった件について。
以前、企画で書いたものを手直ししました。
ギャグとネタに全振りです。
くすっと笑っていただければ、何よりです。
「ソフィア。君との婚約を破棄することをここに宣言する」
天井から吊り下げられている豪華なシャンデリア、黄金比によってカーブしている螺旋階段、シンと静まり返った楽団。いかにも華やかなパーティの真っ最中というこの状況で、一人の男の声が高らかに響いた。
「そうですか、承知いたしました」
ソフィアと呼ばれ、いきなり婚約破棄を宣言されてしまった彼女は、凛とした態度で相手を見据え、すんなりとその宣言を受け入れてしまう。
ゆるやかに波打つ金色の髪と、力強さを備える青色の瞳。コバルトブルーのドレスに身を包む、優雅な姿。その姿は、婚約破棄を宣言されたかわいそうな令嬢なんかではない。
(え、えええっ! ちょ、ちょっと待ってよ!!)
と一人焦っている女性は、そのソフィアの妹であるユーフィアだ。妹なだけあって、その容姿はソフィアとよく似ていた。
ただ、身に着けているドレスの色が違うくらいで、遠目から見ればどちらがどちらかわからない程、よく似ている。
(えぇぇぇ! せっかく、チートアイテムの『真の姿をさらけ出す薬』略して『さら薬』を手に入れたというのに。あの断罪シーンは無しですか! ちょっと待ってよ、お姉さま。あのクソ生意気な男爵令嬢のマーガレットをけちょんけちょんにしてやろうと思っていたのに! お姉さま、諦めるの早過ぎ。諦めたら、そこで試合終了っていうのは、有名な話でしょうがっ!)
ユーフィアは、今年二十歳になったソフィアの一つ年下の妹。いたって普通の侯爵令嬢。ただ、ちょっとだけ転生者と呼ばれる者でもあるということ。
まあ、あれだ。よくある乙女ゲームの世界に転生しちゃいました、的な。
ということで、この世界は18禁乙女ゲーム『裏切りの赤い花』通称『裏赤』の世界。タイトルからして一時期の昼ドラを彷彿とさせるものがあるのだが、実は内容も昼ドラなみにドロドロ人間関係のドロドロ濃厚ラブシーン満載である。まさしくCERO Z指定のゲームである。
さて、ここでユーフィアが置かれているこの現状について説明しよう。
本日はお日柄もよく、国王の44回目の誕生日を祝うにはもってこいの日和である。というところから、実はここ、国王の誕生日パーティの会場。
さらにこの会場で、これだけの人が集まっている中、彼女の姉であるソフィアが婚約者であるこの国の第二王子であるエドガーから、婚約破棄を宣言されたところ。
補足すれば、裏赤の第二王子エドガー攻略ルートエンディングの一歩手前で起こる、悪役令嬢役のソフィアに対する婚約破棄 & 断罪の場面である。これが終わればエンディングの美麗スチルが待ってるよ、と言いたいところなのだが、ユーフィアとしては断固としてそれを拒否したい所存。
だが、本来のゲームの流れとは異なってきているようだ。それは、ソフィアが素直に婚約破棄を受け入れたというところから判断できる。
通常のゲームの流れであれば、ソフィアがエドガーに食いついて「理由をお聞かせ願いますか」と言い出し、そこから暴かれていくヒロインに対して行ったソフィアの悪事の数々、からの断罪。なのだが――。
やけに堂々としているソフィア。もうエドガーに未練はありませんとでも言うかのように、その表情は清々しい。それもそのはず。だって、ソフィアは本当にエドガーに未練は無いのだから。むしろ、新しい婚約者とよろしくどうぞ~、と思っているくらいに。
では、なぜソフィアがそう思っているのか。エドガーに未練は無いのか。むしろ、喜んでこの婚約破棄を受け入れているのか。
それはずばり、ユーフィアのせいである。ユーフィアがこの世界に転生したと気付いたとき、「ソフィアがエドガーの婚約者に選ばれないように」「ソフィアがヒロインに嫉妬して悪事に手を染めないように」と影ながら誘導してきた。残念ながら婚約者には選ばれてしまったのはユーフィアのミス。だが、他はうまく事が運び、ソフィアが悪事に手を出すことなく、普通の侯爵令嬢として過ごしてくることができた。
何しろ、ユーフィアにとってはたった一人の姉。断罪によって国外追放とか処刑とかされちゃったりして、会えなくなるというのは非常に悲しい。それを阻止するためにはどうしたらいいか、ということで、ユーフィアなりにいろいろと頑張ったのである。
だって、このユーフィア。転生者特典なのかわからないが、ゲーム特有の『コマンド』を扱うことができるのだ。この『コマンド操作』によって、ソフィアを悪役令嬢ではなく、普通の侯爵令嬢へと成長させていたのである。
だが、これがゲームの強制力というものなのか。ソフィアが悪事を働いていないにも関わらず、有名な婚約破棄のシーンだけ起こっている、というのは。
ユーフィアはそんな姉を庇おうと、ソフィアの元へ駆け寄ろうとした。そのユーフィアの行動を制止させるために、その腕を掴んだのはこの国の王宮魔術師でもあり、ユーフィアの恋人でもあるナンドレ。
「ユーフィア、落ち着きなさい」
ユーフィアとナンドレはお付き合いを始めて半年が経ったところ。今ではユーフィアの両親とも公認の仲ではあるが、二人の馴れ初めについてはまた別途。
ただ言えることは、このナンドレはユーフィアの最推しであるということ。黒髪眼鏡魔術師というユーフィアの好物三点セット。
しかし、ナンドレはこのゲームの攻略対象者ではない。だからこそ、ユーフィアとナンドレのお付き合いは何事もなく続いているのだ。
「お、お待ちください」
と怯えるような女性のか細い声が響いた。
「ソフィア様は、あれだけのことを私にしておきながら、謝罪の言葉の一つもないのですか」
燃えるような赤い瞳で、そんなことを言い出しちゃったのは、このゲームのヒロインであるマーガレット。流れがいささか強引過ぎる気もするのだが、やはりこれもゲームの強制力というもののせいなのだろう。本来であれば、婚約破棄宣言のあと、ソフィアの悪事がマーガレットの手によって暴かれていく、という流れなのだから。
ソフィアはマーガレットに一瞥くれると、妖艶に微笑んだ。
「なぜ私がマーガレット嬢に謝る必要があるのかしら?」
(そうだ、そうだ。お姉さまは何もしていないぞ)
というのがユーフィアの心の声。
「酷いです、ソフィア様。私とエド様の仲を妬んで、数々の嫌がらせをしたではありませんか」
(お姉さまはそのようなことはいたしません。むしろ、婚約者のいる男性と親しくてしているあなたの方が異常です)
というユーフィアの心の声。
「そうだ、ソフィア。君はここを立ち去る前に、マーガレットへ謝罪しろ」
ソフィアの婚約者であった、第二王子のエドガーまでもがそんなことを口にする。
(っていうか、あんたたち。絶対に、デキてるよね?)
ユーフィアの心の声が止まらない。まして、大好きな姉が侮辱されているのだ。
(ああ、もう。やっぱり、ここはあれを使うしかないわね)
♪チャララッラッチャラー♪
実はユーフィア。このように姉が責められるのを見越して、事前にチートアイテムを手に入れていたのだ。本来であれば、ゲームのエンディング後の追加シナリオで登場してくるチートアイテム。それが「真の姿をさらけ出す薬」略して『さら薬』なのである。
18禁乙女ゲームであるため、クリア後のおまけスチルのためのようなアイテム。いろんな意味でチート。
だが、このゲームのヘビーユーザーであったユーフィアの中の人は、本編でこのアイテムを入手する方法も取得していた。それはゲームのバグを利用したもの。
ランジェリーショップで『838861イェン』を支払ってランジェリーを購入しようとすると、この『さら薬』を手に入れることができるというもの。
では、ユーフィアがどのようにして『838861イェン』を稼いだのか。それは前世の知識を生かして、しこしことアクセサリーを作ってこっそりと売っていた。それもこれも全てはこのチートアイテム『さら薬』のために。
(ふふふ。ここでコマンド画面の登場よ)
ユーフィアはこの場面でマーガレットに『さら薬』を使うつもりでいた。何しろ、ソフィアはマーガレットをいじめてなどいないのだから。ということは、今の発言もマーガレットの自作自演である可能性が高い。この大勢の前でチートアイテム『さら薬』を使って自白させてやるつもりだった。
【コマンド:どうする?】
【話す】
【調べる】
【道具】
【魔法】
ここはもちろん【道具】から【さら薬】を選んで【マーガレット】に使う
≫≫【道具】
≫≫【さら薬】
【誰に使いますか?】
【ソフィア】
【エドガー】
【マーガレット】
【ナンドレ】
≫≫【マーガレット】
【マーガレット】
≫≫【ナンドレ】
【【決定】】
(ぎゃぁぁああああ。勢いあまって、ナンドレを選択してしまったぁあ)
というのが、ユーフィアの心の叫び。
ナンドレの頭上からたらいをひっくり返したような液体がざばっと降ってきて、見事彼はそれをかぶってしまう。そしてそれは、ユーフィア以外には見えていない出来事。
(あぁあああ。せっかくの『さら薬』がぁ。レアアイテムのチートアイテムなのに)
ユーフィアは頭を抱えたくなった。だがいきなりそのような行動をとったら、ナンドレから残念な子扱いされるため、我慢をするしかない。たださえユーフィアはナンドレから見たら、残念な子なのだから。
「さて」
いきなり、ナンドレが口を開いた。おそらく『さら薬』の効果によるものだと思われる。
「私の愛する妻の身内が、覚えのない罪で辱められているようですね」
「妻じゃありません」
一応、ユーフィアが訂正を入れておく。これは『さら薬』の効果によるもので、ナンドレの本心が次々と口から出てきてしまうからだ。彼がユーフィアのことを『妻』だと言ったのは、彼女のことを妻にしたいという気持ちからだろう、と思われる。
「しかも今夜は、兄上の記念すべき44回目の誕生パーティであるというのに」
(そうよ。今日は陛下の44回目の誕生日パーティなんだけど。今、兄上って言った? 陛下のことを兄って言った? え? ナンドレって王宮魔術師よね)
ナンドレから出てくる本心に、ユーフィアもあたふたし始める。これは、マーガレットよりも厄介な相手だったかもしれない。
ナンドレがすっと右手を上げれば、楽団たちが音楽を奏で始める。
(これは、裏赤オリジナルサウンドトラックディスク2に収録されている『断罪のアダージョ』)
ゆったりとした音楽が、会場内に流れ始めた。だが、控えめに。
「マーガレット嬢。お聞きしたい。我が妻の姉であるソフィア嬢は、あなたにどのような仕打ちをしましたか?」
「まだ妻じゃありません」
ユーフィアの訂正に、しーっと人差し指を立てるナンドレ。
(ナンドレの真の姿って、実はヤバくない?)
というユーフィアの心の声。だが、心の声は心の声だけにとどめておく。
「え、っと。あなたは……」
どうやらマーガレットはナンドレを認識していない様子。何しろ、ナンドレは攻略対象ではないのだから、仕方ない。しかも、黒髪長髪という鬱陶しい髪型。くわえて、瓶底眼鏡とか、ビジュアル設定は最悪だ。
「王宮魔術師のナンドレと申します。以後、お見知りおきを、マーガレット嬢」
(あ、このナンドレ。怖い奴……)
そんなユーフィアの心の声。
「その王宮魔術師が、なぜこのようなパーティに参加しているのですか?」
(さっき、陛下に向かって兄上って言ったでしょうが。しかも、私のパートナーです)
とユーフィアは言いたいが、ナンドレが怖いので黙っている。
「先ほどから口にしている通り、妻の姉が参加しているから、でしょうかね」
(だから、妻ではありません)
とうとう口にして言うことはできず、心の中でツッコミをいれるユーフィア。
「まあまあ、細かいことはどうでもいいではありませんか。ソフィア嬢が働いた悪事の数々というものを、明らかにしていきましょう」
ナンドレがソフィアを見れば、ソフィアは力強く頷くし、マーガレットとエドガーに視線を向ければ、二人は腕を絡め合っている。
「ナンドレの言うとおりね。マーガレット嬢。私があなたに行った悪事の数々、それをどうぞお披露目してくださいな」
(そうだった。なぜかお姉さまとナンドレも息がぴったりと合うんだった。悔しいくらいに)
キーっとハンカチを噛みたくなる衝動を抑えながら、姉を見守るユーフィアなのだが。
「ソフィア様は知らない振りをされるのですか。私だけ、お茶会に招待してくださらなかった。先日のパーティでは私のドレスにワインをかけた。そうやって、私だけいじわるをして、除け者にしていたではありませんか」
話にならないわ、とソフィアは首に振れば、ナンドレも同じように首を振る。
(お茶会の招待状が届かないのは、マーガレットがただの男爵令嬢であるから。つまり、それにふさわしい身分を持ち合わせていないから。ドレスにワインをかけた? 一体いつのパーティのことを言っているのかしら)
よくある展開と共に、非常に馬鹿げた展開でもある。これはエドガールートで起こるイベントであるため、許して欲しい。ちなみに、他のルートで起こるイベントは、ソフィアがマーガレットのドレスに針を仕込んだとか、お茶会のお茶に毒を盛ったとか、まあ、こちらもあるあるイベント。大抵、ゲームの内容とはそんなものだ。
「ふむ、マーガレット嬢の言いたいことはよくわかりました」
(え、わかるの? これだけでわかるの? ナンドレ、あなた、すごいわよ)
「では、ソフィア嬢に代わって、私の方からお応えしましょう」
ナンドレの瓶底眼鏡がキラリと光る。
「まず、お茶会の招待状ですが。理由は非常に簡単です。あなたが、ソフィア嬢と付き合うために必要な身分を持ち合わせていないから、以上」
「そんな理由で私を仲間外れにするの?」
「あら、意外と大事な理由ですよ?」
ソフィアは悪役令嬢らしく、艶やかに微笑む。
「恐らく、こちらに出席されている皆様は、よくわかっていらっしゃると思いますが」
ソフィアがニタリと笑えば、背筋が凍るくらいの悪役。その悪役が板につきすぎて怖いくらい。
「だが、ソフィア。マーガレットは君の友人では無いのか」
ここでエドガーがフォローに入るのだが、それすらみっともないとは思わないのだろうか。それとも、好きな人を庇う勇敢な男とでも思っているのだろうか。
「まあ、第二王子殿下とあろう者が。もうエドガー様との婚約は解消されているものと思ってよろしいのですよね?」
ソフィアの視線の先には、豪華な玉座にゆったりと座っている国王陛下の姿。大きく頷いたことから、もう二人の婚約は無かったことにされているようだ。
「エドガー様も、勉強不足であることをこの場で露見されることになりますよ? あまり、余計なことを口走らない方がよろしいのでは?」
ソフィアの言葉に、悔しそうに顔を歪ませるエドガーは、反論できるような語彙力も持ち合わせていない。
「残念ながら、私はマーガレット嬢を友人であるとは思っておりません。婚約者のいる男性をたぶらかす非常識な女性であると思っております。さて、もう一つの、何でしたっけ? ああ、ドレスにワインをぶっかけた事件、でしたっけ? 一体、いつのことを言っているのかしら?」
「そ、それは。先日開かれた、ガブリエル公爵主催のパーティよ」
「まあ。あなたもあのパーティに参加されていたの? ただの男爵令嬢のくせに? 招待状が無ければ参加できないパーティですよ? どのようにして参加したのかしら?」
「そ、それは。エド様と……」
「なるほど。だから、エドガー様はあのとき、私と出席されるのを拒んだのですね。当時は私の婚約者であったにも関わらず」
と言えば、エドガーの顔色も次第に青くなっていく。
「まあ、その件はおいておきましょう。で、あなたが参加していたことさえわからなかったあのパーティで、どのようにして私があなたにワインをかけることができたのかしら?」
「ひ、酷いですぅ。そうやって、知らない振りをするのですか?」
まるで雨の中に捨てられた子犬のように震えているマーガレットであるが、そのような演技をすればするほど窮地に追い込まれていくということに気付かないのだろうか。
「では。そのときの記憶をお見せしましょう」
また、ナンドレの瓶底眼鏡が光る。
「これが、記録水晶。当時のパーティの様子を記録したものになります」
「な、何よ。それ」
(うん。私も聞いてないよ、そんなこと。まあ、あのパーティには私とナンドレも出席していたけれど、お姉さまがマーガレットと接触した様子も無いし。そもそもお姉さまはエドガー様に断られて、お兄さまと出席されたわけだし。状況も状況だったから、壁の花になっていたのよね、二人で)
「ほほう。それが王宮魔術師の中でもほんの数人しか扱うことができないと言われている記録水晶か」
となぜか国王の方が興味を持ち始めた。
「では。みなさん、当時、何が起こったのか。この水晶で確認いたしましょう」
水晶がまばゆい光を放つと、何もない空間に映像が浮かび上がる。それは、例のガブリエル公爵主催のパーティ。スポットライトはもちろんマーガレットに当たり、パーティ会場へエドガーと共に入ったところから、帰るところまで。そしてその間、ワインぶっかけ事件など起こるはずもなく。ただ、帰り際のマーガレットのドレスがワインによって汚れていたのは事実。途中、彼女が自分でワインを零してしまったのだ。
「あら。おかしいですね。ソフィア嬢にワインをかけられるどころか、ソフィア嬢と接触もされていない」
ナンドレが呟く。
「ま、マーガレット。君は、このパーティでソフィアにワインをかけられてドレスを汚されたからって、私に新しいドレスをねだったよな?」
鈍感なエドガーもどうやら気付いたらしい。自分が騙されていた、ということに。
「そ、それは。私の記憶違いです。このパーティではなくて、ほら、あちらのパーティです。エド様」
「私は、君を連れてパーティへ出席したのは、このパーティの一回だけだ。それ以外は、ソフィアを連れて出席している」
となれば、招待状を持たないマーガレットがパーティへと出席できるはずもない。
「さて、せっかくの陛下の誕生パーティ。何やら不穏な空気になってきてしまいましたが。陛下、どうされますか?」
ナンドレは玉座に視線を向ける。国王は難しい表情を浮かべながらも。
「どうか、皆にはパーティの続きを楽しんでもらいたい」
楽団の音楽が、わっと盛大に鳴り始めた。
(あ、オリジナルサントラディスク3の『輝かしい未来へ』だわ。となれば、もうエンディングなのかしら)
ユーフィアは、ほっと胸を撫でおろす。
「だが、エドガー、ナンドレ。そしてマーガレット嬢とソフィア嬢は、私と共に来て欲しい」
「あなたもですよ、ユーフィア」
ナンドレに呼ばれてしまえば、間違えて『さら薬』を彼にぶっかけてしまった手前、断ることなどできない。
「そろそろ、あなたのことも正式に紹介したいですから。妻だと」
「ですから、妻ではありません」
「もう、夫婦のような関係ではありませんか」
その言葉にユーフィアはかっと頬を赤く染め上げる。それに気付いたナンドレは、瓶底眼鏡の下の目を、優しく彼女に向けるのだが。
「ナンドレ、早く来なさい」
国王から名指しされてしまったナンドレは首をすくめながら、玉座の後ろにある扉へと向かった。
他のパーティの参加者は、何事も無かったかのようにパーティの続きを楽しんでいるようだ。それは恐らく、国王の一言によるもの。
この婚約破棄騒動の渦中の人物だけが、別室へと移動した。
「さて、と。早速、話をまとめてもらってもいいかな、ナンドレ」
と、まさかの国王のご指名がナンドレ。
「ナンドレ。あなた、陛下とどのような関係なの?」
ユーフィアは不安になってしまう。半年もお付き合いをしているナンドレは、ただの王宮魔術師であると思っていた。だから、今、この場に彼といることが不思議で仕方ない。
「それは、後でゆっくりと説明しましょう。まずは、この場を丸く収めるのが先です」
とナンドレは言うが、本当に丸く収まるのかどうか不安なところ。
「父上。ソフィアがエドガーと婚約を解消したというのは本当ですか」
突然現れた一人の男。エドガーとよく似た男。
明るい茶色の髪は、エドガーと違って短く整えられている。緑色の瞳も、優しく輝いている。そう、彼はこの国の第一王子であるエッカルト。
「騒々しいぞ、エッカルト」
「すみません。ソフィアが婚約解消したと聞いたら、いてもたってもいられず。ああ、ソフィア。あなたに求婚する私を許してください」
(ええ! まさかの新展開)
「はい、エッカルト様」
(そしてお姉さま、それを引き受けてしまうの? 早くない?)
「だから、父上。ソフィアの婚約者はエドガーではなく、私にして欲しいとあれだけ言っていたではないですか」
「いや、ほら。エドガーはちょっと頭が残念だからな。ソフィアのような聡明な女性であれば、何かとエドガーを助けてくれるかと思っていたのだよ」
「お言葉ですが、陛下。残念であるにしても、限度というものがございます。今回の件で、エドガー様と家庭を築くということは、不可能であると判断いたしました」
「ということで、父上。ソフィアと私の婚約を認めてくださいますね」
エッカルトが言えば。
「そうだな。ソフィア嬢は我が国に必要な女性だ。将来の王妃に相応しい」
「え、王妃?」
と反応したのは、マーガレット。
「国王は、エドガーじゃないの?」
「違うな」
国王はゆっくりと首を横に振る。
「まあ、このままソフィア嬢を迎えていたら、考えるところはあった。だが、エドガー。そなたはマーガレット嬢と一緒になるのだろう。片田舎の領地をお前にやるから、お前たちはそこでひっそりと暮らせ。お前たちの仲を引き裂かないだけ、ありがたいと思え」
「となれば、兄上」
そこで瓶底眼鏡が、国王を兄上と呼んでしまう。
「どうした、ナンドレ」
「私にも紹介したい女性がいるのですが」
「な、なんだって! それは一大事だ。お前が女性に興味を持つなんて、一生あり得ないと思っていた。だからといって、男性に興味を持っていると思っていたわけではないぞ?」
国王から酷い言われようをしているナンドレであるが、ナンドレ本人はいつものことと思っているのかさほど気にしていないらしい。
「ナンドレと一緒になってもいいという鋼の精神を持つ強い女性はどこにいる?」
「兄上の目は節穴ですか。先ほどから私の隣にいるではありませんか。ソフィア嬢の妹のユーフィア嬢ですよ」
ユーフィアが恭しく挨拶をすれば、国王がつかつかと寄って来て「ナンドレを頼む」と握手をした挙句、ぶんぶんと腕を振り回す始末。
「ああ。今日はなんという素晴らしい誕生日だ。息子二人の相手が決まっただけではなく、目の上のたんこぶのような存在であった弟にまで伴侶が決まるとは……」
「ねえ、ナンドレ。あなた、酷い言われ方してるけど」
ユーフィアがナンドレの耳元でそっと囁く。
「いつものことですから」
「ああ、マリエ。マリエはどこだ」
「はいはい。先ほどからここにおりますよ」
マリエとは王妃の名。王妃は黙って今までの一部始終を眺めていたようだ。
「素敵な誕生日になってよかったですね、あなた。そして、あなたたちもおめでとう。それぞれのパートナーと共に、パーティを楽しんでいってね」
エッカルトはソフィアを連れてパーティ会場へと戻っていく。どうやら、二人でダンスを楽しみたいらしい。エドガーは呆然としているし、その彼を見ているマーガレットも同様。
「では。私もマリエと共にパーティへ戻ろう」
「兄上。私は記録水晶という高度魔術を使ってしまったため、先に休ませていただきます」
「そうか、そうか。結婚式の日取りなどは、後日、決めよう」
「ええ。安心してください。ユーフィアとは彼女の両親公認の仲ですから」
「ああ、さすがメンガルト侯爵だ」
国王は王妃の手を取って、会場へと戻っていく。よほど気分がいいのだろう。戻る足取りはスキップしかけている。
「さて、ユーフィア。あなたにはいろいろと言いたいこと、そして聞きたいことがあります。私と一緒にこちらへ」
(嫌な予感しかしない……)
というユーフィアの嫌な予感は、的中するというもの。
ナンドレに連れていかれた先は、どこかの部屋。彼が言うには、ナンドレがここに滞在するときに使っている部屋らしい。
ソファに座るようにと促されるのだが、この部屋に寝台があることだけはしっかりと確認できた。
(嫌な予感しかしない……)
「ユーフィア。あなたは私に聞きたいことがありますよね?」
「そうよ、ナンドレ。あなた、なぜ陛下のことを兄上と呼ぶの?」
「それは、私が弟だからですね」
「つまり、王弟殿下?」
「そう呼ばれることもありますが。本業は王宮魔術師です」
「騙された……」
「失礼な。私はユーフィアのことを騙してなどいませんよ。ただ、伝えていなかっただけです。兄のことを」
「ちなみに、ナンドレっていくつだっけ?」
「年のことを聞いてます?」
「そうよ」
「ピチピチの二十五です」
二十五歳の男をピチピチと表現していいのかどうかは悩むところだが。まして、十九歳の花盛りのユーフィアにとって。
「兄とは、年が離れているのですよ。だから、知らない人は知らないと思います」
もしかして、ユーフィアの両親は知っていたのだろうか。だから、黒髪長髪で鬱陶しい髪型のうえに瓶底眼鏡姿のナンドレを受け入れてくれたのだろうか。
「どうして言ってくれなかったのよ」
「言ったら、あなたが逃げていくと思ったので。しっかりと私のモノにしてから伝えようと思っていました」
心が読まれているところが辛い。この話を、あと五か月前に聞いていたら、すっぱりとナンドレと別れていただろう。黒髪長髪眼鏡は王宮魔術師という職業であるからこそ萌えるのであって、王族であったのなら惹かれない、と断言できるユーフィア。
だけど、もう恋人同士になって半年。半年もお付き合いをしていれば、情というものも沸々と湧いてきて、はっきり言って別れたくはない。
「私の魔力補給は、あなたじゃないと務まらないのです」
そこでナンドレはユーフィアの唇に自身のそれを押しあてた。
こうなってしまっては、ユーフィアは負けを認める。半年間、彼を受け入れ続けた身体は従順に従ってしまう。
「愛してますよ、ユーフィア」
「悔しいけど……。私も」
ナンドレは眼鏡を外す。彼の瓶底眼鏡の下の目は3ではない。そこに隠された美貌。
彼は女性たちから逃れるために、わざと鬱陶しい髪型をして瓶底眼鏡をかけて、不審者のような恰好をしていたのだ。そんな中、ユーフィアと出会う。最終的に付き合うまでには紆余曲折あったが、半年も恋人同士という関係を続けていることは二人の相性が良かったということだろう。何しろモブキャラ同士。
「やはり、キスだけでは魔力は回復しないようです。それよりも、ユーフィア。私に何かしましたよね?」
「な、な、何を?」
「そうやってとぼけるところが怪しい」
ナンドレはユーフィアの『コマンド操作』にうすうす気づいている様子だが、それは魔術によるものだと思っているようだ。
「本当は、あなたのことはもう少し時期を見てから、兄に紹介しようと思っていました。それに、ついあなたに向かって妻と口走っていた。自分の意思に反して、私の欲求が全て口に出ていたのです。ということで、今も、自分の欲求に従っています」
そうやって二人きりの時間は過ぎていき、気がつけば、パーティなんていうものはとっくのとっくに終わっている。ナンドレの魔力回復行為に耽った二人。どのような回復行為であるかは、この場で口にすることは控えておく。
結局、チートアイテム『真実の姿をさらけ出す薬』を間違って彼氏に使ってしまった結果、ヒロインはヒーローと結ばれたし、悪役令嬢も新たな幸せを手に入れたし、モブはモブでよろしくやってます、というお話。
なのだが、どうやら田舎に引っ込みたくないヒロインは、あの後ヒーローに別れ話をつきつけたとか。
【おしまい】