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ソロモンズ・リング  作者: 比呂
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第6話


 教室のスピーカーから、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

 これにて本日の授業は終了となる。


 担任の教師がやってきて連絡事項だけ告げるHRが終わった放課後、生徒たちは部活や帰宅を始める。各種委員会も活動する頃だろう。


「…………明日は英語か」


 部活にも委員会にも所属していない素也は、教室で鞄に教科書を詰めていた。


 いつもなら軽そうな鞄を持った義経が「一緒に帰ろうぜー」などと言ってくるのだが、彼は既に教室にはいなかった。


 ついさっき、真理栖が義経を連れ出したのだ。


 何するつもりだろうか、と素也が訝しげに呟く。

 面倒事に巻き込まれるのは嫌だったので、どこにも寄らず帰宅しようと思った。


 そのとき、教室の後ろの戸が開かれ、名前が呼ばれた。


「門浪素也くん、少し、話を聞かせてもらっていい?」


 そこには、開いた生徒手帳を突き出すように見せ付けている、ショートヘアの女子生徒が立っていた。


 生徒手帳には風紀委員免許証が挟まれており、自分の正当性を主張しているようだった。

 事実、氷間高校には風紀委員の免許制度という特殊な風習があり、ある程度の拘束力を有している。


「……咲枝か」


 素也は明らかに嫌そうな顔をした。


 それは普通の生徒なら怖気づいて膝が震えるような顔だが、風紀委員の門浪素也対策として専用配置された彼女には、効果が無かった。


 生徒手帳を仕舞いこんだ新堂咲枝(しんどうさきえ)が、素也の隣に立った。


「相変わらずの顔ね、素也」

「顔のことは言うな」


 彼は落ち込むように言った。

 傍目からは怒っているように見えるが、咲枝は真実に近い形で素也の感情を正確に読み取っていた。


 なぜなら彼女は、小学校低学年まで素也と同じ地区に住み、彼と遊んでいた幼馴染だったからだ。


 その後、咲枝は違う小学校に転校したが、高校生になると再び同じ地区に戻って来て、素也と同じ氷間高校へ通うことになったのだ。


 咲枝が彼の机の上に手を置いてから言った。


「ちょっと話があるのよ。話しにくいこともあるから、風紀委員室に行く? お茶くらい出すわよ。購買のパック茶だけど」

「あぁ?」


 素也は最初から疑ってこられることに腹を立てた。


「行かねぇよ、面倒くさい。……また他校の不良が俺目当てに校門に集まってるのか? それとも、俺の名前を騙ったカツアゲでもあったのか?」


 彼の強い口調に、咲枝は口を尖らせた。


「怒ったような言い方しないでよ。それについては、ちゃんと私も弁解してるし、対処もしてるもの。……でも、完璧じゃないことは謝るわ」

「……ん、ああ、悪い。言い過ぎた」


 すぐに反省する素也だった。

 自分の顔の所為で周囲から誤解されているのに、協力してくれている咲枝に八つ当たりしたことに気付いたのだ。


 気まずい空気をどうにかするため、話を変えることにする。


「それで、話って何だ?」

「このクラスに来た、転校生のことなんだけど……」

「……ああ、なるほど。アレが何かやったのか」


 特に心当たりのない素也だったが、あの女が何か仕出かしたというなら納得が出来る話だった。


 それに対し咲枝は、まあいいか、と諦めるように言った。

 そして、何故彼女が顔を赤らめているのか、素也には不思議だった。


「うん、それじゃあ言うけど、今日の昼休みに転校生を屋上に連れ込んで……その、無理矢理エッチなこと、した?」

「するわけあるかっ! 常識で物を考えろや! ……あ」


 素也は叫んでから、自分の失敗を悟った。

 目の前の風紀委員は、手を強く握り締め、口を強く結び、目に一杯の涙を溜めていた。


「……ふぅ、ふぐ、そんなこと、言われても、私だって、委員長に聞いて来いって言われた、だけだもん……」


 今にも大泣きしそうな咲枝を前に、彼は昔のことを思い出していた。


 同級生に悪戯されては泣き、同じ地区だからと面倒を見させられた少女のことを――――。


 彼女が高校生、ましてや泣く子も黙る風紀委員になったので性格が改善されたのだ、と素也は思い込んでいたのだが、どうやら根本的なところは治ってないらしい。


「俺が悪かった、な? だから泣くなよ?」

「泣いて、ないもん……素也が悪いもん……ひぐっ」

「ああ、そうだ俺が悪い。全部俺が悪いぞ? だから頼むから泣かないでくれよ?」

「……《たまるん》と、約束、うぐ、したもん……」

「は? それが何か俺にはよくわからんが、約束は守るべきだな、うん」


 咲枝を必死で慰めながら、教室の空気の悪さをヒシヒシと感じる素也だった。

 泣ーかした泣かした先生に言ってやろ、状態である。


 彼も流石にこの状況で罪悪感を覚えないほど冷血ではなかった。

 昔はどうやって泣き止ませてたかなぁ、と考えつつ、彼はズボンからハンカチを取り出して咲枝に渡した。


 彼女は渡されたハンカチで顔を隠す。

 それで素也は思い出した。顔だ、と。


「おーい、咲枝。こっち見てみろよ」

「うぅ?」


 彼は思いっきり顔を歪めた。

 俗に言う変顔だった。


 しかしこの場合、普通の人間が見れば狂気の産物としか言いようが無い、極悪非道をそのまま具現化したような顔面が存在しているだけだ。


「――――ふ」


 しかし、彼女は笑った。

 初めは小さく、そして段々と笑い声は大きくなった。


「……あは、はは、ふふふ、もぅ、何やってるのよ、あはははっ」

「……よかった」


 思わず安堵の溜息を漏らす素也であった。

 彼女が普段の様子に戻ったので、何とか大泣きされるのは回避したということだろう。


 彼は後頭部を掻きながら、門浪家基準の笑顔を浮かべる。


「それにしても、まだ泣き虫は治ってなかったんだな」


 咲枝が照れながら、ハンカチで目を拭った。


「……う、うるさいわね。ここ最近で誰かに泣かされたことなんか無いわよ。……素也以外にはね」

「何だよそれ。俺以外?」

「私にも分かんないけど、素也の怒った声だけは苦手なのよ……。小さい頃の刷り込みかもしれないわ」

「あー、すまん。これからは極力怒鳴らないようにする。でも、無理矢理エッチなことって、どういうことだよ」


 その転校生によって無理矢理に唇を奪われたが、と素也は心の中で付け足した。

 そんなことに気付くはずもない咲枝は、再び顔を赤くして言う。


「知らないわよ。風紀委員長が聞いた噂では、素也が転校生を屋上に連れ込んだ、ってことくらいだし。私はその事実確認をしに来たのよ」

「わかった。まあ、事実を述べるなら、確かに俺は転校生と屋上に行った。けどそれは転校生から相談を受けたのであって、俺が誘ったわけじゃない」

「えっと、何の相談だったの?」


 彼女はおずおずと聞いてきた。

 しかし、転校生が悪魔である、と言っても正気を疑われるだけなので、適当に誤魔化した。


「それは彼女のプライバシーに関わるから言えない。ただ、エッチなことではなかった、と明言しとく」

「……わかったわ。疑って御免なさい。それと、エッチなことの話はもう忘れて」

「多分な」

「その代わり、屋上にいた生徒たちを追い出したことは、知らなかったことにしてあげる」


 素也は自分の行動を思い出し、口を噤んだ。

 屋上に行けば生徒が逃げ出すことは自分でも理解していたので、事実上、生徒を追い出したことには変わりない。


「……二度と思い出さないことを誓ってもいい」

「そうね、その方がお互いのためだわ」


 咲枝は微笑むと、手に持っていた彼のハンカチをポケットに仕舞いこんだ。


「おい、ハンカチ返せ。誰もやるとは言ってないぞ」

「ええ、私も貰う気は無いわ。でも、汚したまま返すのは失礼でしょ? 洗って返すわ」

「は? また違うクラスからわざわざ返しに来るのは面倒だろ。小学校の頃は俺のシャツで鼻水拭きやがったくせに、遠慮すんな」

「ちょ、そんなこといま持ち出さなくてもいいじゃない! それにあれは鼻を拭くためだったわけじゃなくて――――」

「なんだよ」

「~~~~~っ」


 彼女は顔を真っ赤にして、口をパクパクと開閉させた。

 そして次に出てきた言葉は。


「もういい! 私が面倒じゃないんだからいいでしょ! ふん!」


 と言い残して、咲枝は教室から出て行ってしまった。


「……よくわからん」


 首を傾げ、難しい顔をする素也だった。

 ともかくハンカチは洗われて返ってくることが決定されたことだけは理解した。


 中途半端に教科書が詰められていた鞄を思い出し、正面を向いた。


「やあ、こんにちは」


 すると、制服の上に白衣を着た女子生徒が立っていた。

 ボサボサに荒れた髪と、眠そうな目、不敵そうな口元が嫌でも目に入る。


 手入れをすれば元は良いのに、と誰しもに思わせるような、美人を残念に仕立て上げた容貌をしていた。


 白衣のネームプレートには『科学技術研究部 部長 遠嶋美宙(とおしまみそら)』と印字されている。


「青春だな。こう、ワクワクしてくるものを感じるよ」

「……見てたのかよ」


 面倒そうにする素也に、美宙は片眉を上げた。


「失礼だな、順番待ちをしてただけだ。先に君に話しかけたのは新堂だったからな。……あー、安心したまえ。話の内容を言いふらすようなことはしない。それで、私の用件なのだが」

「最初から、嫌だ、って言ってんだろ」


 入学当初から美宙に目を付けられ、素也は暇を見つけられては彼女に話しかけられていた。

 同じクラスの生徒なので、些か面倒な相手であった。


「まあ、そう言わないでくれ。君の顔は非常に個性的でユニークかつスペシャルだ。興味が尽きないね。研究対象としては申し分ないのだ」

「俺の顔をユニークって言った奴は初めてだな。けど、そんなこと言われて気持ちのいい奴がいると思うか?」

「ああ、気分を害したのなら許して欲しい。礼儀作法や言葉使いに関しては、自分でも不器用だという自覚はある。土下座が必要ならいますぐここでやる覚悟だ」


 目を覆う素也だった。

 一日で二人もの女性に土下座されるような事態になるのは避けたいところである。


 彼が目から手を放して美宙を見ると、彼女は床に手をつこうとしていた。


「待て! 公衆の面前で平然と土下座しようとするな!」

「はて? 土下座して額を地面に擦り付けることが、最上級の謝罪方法だと聞かされているが?」

「どっから仕入れた情報だ!」

「ダディだ」


 美宙はそう言うなり、白衣のポケットから一枚の写真を取り出した。

 そこには、ちょんまげカツラを被っている白衣の男性が映っていた。


 素也が首を横に振る。


「……他人様の教育に口出ししたくはないけどな、どんなときだろうと土下座までしなくていい。それと、その頭の中までファンシーなおっさんの言うことを鵜呑みにするのは止めとけ」

「うん、了解した。つまり、私の研究に協力してくれるということだな」

「全っ然、了解してねぇだろうが!」

「なあ、頼む。その顔のアルゴリズムが解読されれば、非殺傷型の面制圧兵器が出来るかもしれないんだ」

「うるせぇよ。俺の顔を勝手に兵器転用しようとするな」

「そんなこと言わないでくれ。一儲けできるぞ。……私はその金で、ゾイオンを作りたいのだ」

「ンなこと知らねぇよ」


 つれなく断る素也に、美宙は驚いていた。


「男の子なのにゾイオンを知らないのか? 国民的ロボットアニメだぞ? ……美宙、出るぞ!」

「勝手に出てけよ」

「……まさか名言まで知らんとはな。わかった。ならば、立ち入り禁止の警告ポスターに応用しよう。用途は無限大だ」

「使い方が問題ってるわけじゃねーよ。そもそも使うな、って言ってるんだ」


 むぅ、と唸った彼女は、不機嫌そうに言った。


「あれは駄目だこれは駄目だと我侭だな。じゃあ、どうすればいいんだ」

「何もするな。俺に関わるな」

「それは嫌だ」


 ふるふる、と美宙が拒否するように首を振った。

 そして目を細める。


「君は自分の顔面の価値を一つもわかっていない。……そうだな、そこまで嫌がるなら、交換条件といこう。君が納得の出来る条件を出して欲しい。金や女、地位や名誉、望むものを言ってみろ」

「どこの大魔王だお前は。それとも、言ったら用意してくれんのか?」

「可能な限り善処しよう」

「玉虫色の返答だな。……あ、それじゃ、この指輪を外す方法を教えてくれるか? もちろん、指輪を壊さずに、だ」


 彼が右手を差し出すと、美宙が優しくその手を取った。

 指輪を上下左右から見回して、摘んで引っ張ったり、強く擦ったりしていた。


 そして彼女は、皮膚と指輪が引っ付いていることを理解した。


「外れないな。瞬間接着剤でも流し込んだのか?」

「ま、似たようなもんかな」

「……うん、わかった。考えておく。邪魔したな」

「お、おう」


 素也が拍子抜けするほどあっさりと、彼女は頷きながら教室から出て行った。

 これからはこの手で追い払おう、と思った。


「さて、あいつらが帰ってくる前に退散するか。今日もレベル上げだ」


 椅子から立ち上がり、教科書を詰め終わった鞄を持って帰ろうとすると、ちょうど教室の外から義経と真理栖の二人組みが帰ってきた。


 どうやら新堂咲枝と遠嶋美宙の相手をしているうちに、彼らの用事が終わったらしかった。

 義経が疲れた様子でこちらを見ると、苦笑いを浮かべた。


「よ、よう。元気そうだな、僕はそうでもないぜ?」

「お前は何を言いたいんだ」


 彼が冷たい目をして言うと、真理栖が割り込んでくる。


「何でもないですよー。ちょっと調べ物を手伝ってもらっただけですー」

「調べ物? ふーん、お前にも知らないことはあるんだな……ん? それ何だ」


 視線の先では、真理栖のスカートにあるポケットからプラスチックの細長い箱が覗いていた。

 何かの機械なのだろうが、詳しく見えないので素也にはわからなかった。


 彼女は慌ててそれを隠すと、作り物の笑顔で言う。


「それじゃあ帰りましょうかー」

「……怪しい」


 素也が呟くと、真理栖が表情を一寸たりとも変えずに口を開いた。


「このまま何事も無く帰ってくれないと、私はここでスカートを脱ぎ捨てて素也さんに抱きつきますよー」

「……よっぽど俺の社会的ステータスを破壊したいらしいな」


 彼には、真理栖が言ったことは、必ず実行されるであろう予感があった。


 そんなことをされれば、ただでさえアウトロー気味な素也の不良属性に、変態という新たな属性が追加されることは間違いない。


 下手をすれば停学も在り得る行為だろう。


「やっかいな女だ……」

「ふふふ、私は悪魔ですからー」

「なあ、二人で話し込んでるとこ悪いけど、僕は急いでるから帰るぞ。じゃ、じゃあな」


 話の途中で、義経が苦笑いしながらそう告げて、足早に教室の扉へ向かう。

 その最中、躓いて転びそうになり、こちらを向いて愛想笑いを浮かべると、逃げるように教室から去っていった。


「やっぱり怪しいな」

「脱ぎますかー?」

「脱ぐな。俺も帰るから。……ところで、お前はどこに帰るんだ?」


 素朴な疑問を持った素也が言うと、真理栖は何でもないことのように言った。


「えっと、そうですねー、無為な時間を過ごすと言うのであれば、人間界と地獄の境目です。地獄の我が家が恋しいですねー。素也さんが使役してくれさえすれば、問題は解決するのですがー」

「使役?」

「まあ、そういうことは素也さん宅で話しましょー。アリカさんのこともありますし、その方が都合良いと思われますー」

「……だろうな」


 仕方なく頷くと、真理栖は嬉しそうな顔をしたのだった。



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