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ソロモンズ・リング  作者: 比呂
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第5話


 そして問題なく授業は進み、昼休みになった。


 真理栖が何か面倒なことを引き起こすのではないか、と素也は思っていたが、予想に反して彼女は真面目に授業を受けていた。


 クラスメイトとの対応も、無難にこなしていたようだった。

 義経が小走りに駆け寄ってきて言う。


「おっす。今日は学食と購買、どっちにする?」

「並ぶのが面倒だから購買だな」


 素也が椅子から立ち上がると、隣に真理栖が立っていた。こちらを見ている。


「ちょっと話があるのです。人のいない場所へ連れてってくれませんかー」

「……あ、おう」


 彼が頷くと、義経に肩を叩かれた。


「気にすんな。パンはいつもの買っといてやるからさ。……ただし、俺より先に大人の階段上りやがったら、感想だけ聞いて絶交だ」


 感想は聞くのかよ、と素也が言う前に、義経は教室から出て行った。

 真理栖が笑っている。


「大人の階段を上りますかー」

「あんたとは上らねぇよ。……場所は、屋上がいいな。それでいいか?」

「いいですけど、人がいるんじゃないですかー」

「ああ、それは問題ない」

「そうですかー。では、階段を上っちゃいましょうー」

「…………」


 素也はその言葉に何も応えなかった。


 彼は教室を出て、廊下を歩く。

 後ろには真理栖がついてきていた。


 これは予想していたことだが、素也たちが連れ添って歩くのは嫌でも目立ってしまった。


 普段から怖れられ嫌われる素也は当然のこと、今日転校してきたばかりの真理栖が付き従っているのだから無理も無い。


 特に、休み時間の内に真理栖のことが噂となって広まり、その顔見たさで注目度が上がっていた。


 周囲の生徒が呟く言葉にも、『睫毛長いよねー』や『目がおっきい』などという彼女を褒める言動が多かった。


 素也は言葉を振り切るようにして早足で、人のいない方向へ歩く。

 屋上までは少し歩かなければならないので、物好きな生徒以外は立ち入らない。


 そうなると、どうしても生徒の数は減っていくのだ。


 どこからか『あーあ、あの子も《凶面(マッド・フェイス)》の餌食かぁ』という男子生徒のぼやきが聞こえてきた。


 そこまで酷くねぇよ、と素也は心の中で呟いた。

 凶面とは、恐ろしい顔をした彼に名付けられた非好意的なあだ名だった。


 廊下の角を曲がって、少し長めの階段を上った。

 最上段まで来ると、机やワックス缶の放置された小さな踊り場に突き当たり、屋上へ続くドアが目前にある。


 彼はドアノブに手をかけ、半回転させながらドアを開いた。


 天気の良い屋上は、それなりに生徒たちで賑わっていた。

 昼休みなので、昼食を取ろうとしている者が大半だった。


「どうするんですかー」


 興味深そうに聞いてくる真理栖である。

 こんな人の多いところで内緒話をするつもりなのか、と言外に言っているのだ。


「多分、大丈夫だ」


 素也は精一杯の笑顔を浮かべ、ドアの外へ向かって大声で言った。


「あの、悪いけど、屋上を使わせてもらっていいか?」


 屋上に集まっていた生徒たちは、一斉に振り向いて素也を見た。

 そして、生徒たちは一人残らず戦慄した。


 ――――殺される。


 そう思った者も少なくない。


 素也が歪な顔で笑っているのは、決して慈悲が湛えられたものではなく、これから彼が自分の意に沿わぬ反逆者を見つけだし、狩り殺す楽しみを堪えられないための表情なのだ――――。


 という認識が満場一致で採択されていたのだった。


 あ、という間に、屋上にいた生徒たちは、素也と真理栖の両脇を走り抜けていった。

 誰もいなくなった屋上を見て、泣きそうな顔をした素也が言った。


「な? みんな、親切な奴らだろ……」

「ま、妥当な結果といったところですかねー」

「…………そうかよ」


 扉から屋外へ出た素也が、屋上に設置されているベンチに腰掛けた。

 彼の後を追いかけて来た真理栖が、素也の正面に立つ。


 空は高かった。風が強かった。


「良い天気ですねー」


 真理栖が日差しを遮るように手で目を隠し、空を見上げていた。

 風が吹いて、スカートがめくれ上がった。


 縞模様だった。


「隠せ」


 彼女は気にした様子も無く言った。


「欲しかったらあげますよー、パンツくらい。脱ぎたてほやほやー」

「誰が、いつ、欲しいって言ったよ。この色情魔」

「ええ、私は悪魔ですからー」


 空を見上げるのを止めた彼女は、素也の隣に座り込んだ。

 彼には真理栖が、何故だか楽しそうに見えた。


「学校というのは面白いですねー。教育をしているようでその実、人間社会の欺瞞を徹底的に濃縮したような場所ですよ。居心地良いなー。それにしても素也さんは嫌われてますね?」

「うるせぇ。で、話って何だよ」

「まあ、お察しの通り、朝の続きですー」

「お前が悪魔って話か」

「素也さんが逃げられない、って話ですー」


 二人は笑顔で視線をぶつけ合った。

 もちろん、彼の笑顔は何かを企んでいる悪人にしか見えなかったのだが。


 その途中、真理栖が本当に笑いながら息を抜いた。


「ソロモンという名前はご存知ですかー」

「……名前だけなら」


 素也は、どこで聞いたんだっけな、と独り言を言った。

 そして、すぐに思い至る。


 義経から借りて遊んでいるテレビゲームに、その名前が出てきたかもしれない。


「ゲームか?」

「いやあ、知ってるなら理解が早いかなー、と思って聞いただけです。キリスト教圏でない人には、その程度でしょうねー」

「何かあるのか?」

「あ、いえいえ、ではソロモンの指輪を知ってますかー」

「それも知ってる。ゲームに出てきたな。えっと確か、神性値がプラス50されるアクセサリーだったか」

「じゃあー、詳しくは知らないんですねー」

「…………ああ」


 何だか優しく諭される子供のような気分になってくる素也だった。

 しかし、知らないことで張り合っても仕方が無いので、聞き役になろうと思う。


 真理栖が彼の手、正確には指輪を指して言った。


「それが、ソロモンの指輪ですー。多くの天使と悪魔を従えることが出来て、あらゆる動植物の声を聞くことが出来ますー」

「聞こえないけど」


 彼の耳には、空を飛ぶカラスの声さえ聞こえなかった。

 彼女が苦笑いを浮かべる。


「ま、今は七十二分割されてますので、精々、天使か悪魔を一人ぐらいしか使役出来ませんですよー。それが今回の戦争の始まりだったのですがー」


 まあそれは後です、と咳払いをして話を続けた。


「その指輪というのはー、元々は神が天使を通じてソロモンさんに贈られたものです。彼はそのお陰で王国を発展させて、悪魔の軍団を率いる七十二柱を封印してこき使い、愉快な生活を送り過ぎて自滅したのですー」

「辛らつだな」

「だってあいつ、ジュース買って来い、とか命令するんですよー。それくらい自分で行けって話ですよー」


 パシリはどこにでもいるんだな、と素也は妙な納得をした。


「あー嫌なこと思い出しましたー。忘れよ。……で、何を話してましたっけ?」

「そこまで忘れんなよ。えっと、あれだ、自滅したあたりだ」

「ざまあみろー」

「もう帰っていいか」

「嘘です、話しますー。まあ、そんなこんなで指輪が何処かへいったのですが」

 

 アバウトだな、と素也は思ったが何も言わなかった。

 下手に口を挟むと、話が簡単に脱線してしまいそうだったからだ。


「それでですねー、こちらとしても、そんなパシリ製造アイテムを野放しにできないじゃないですか。私たちも一生懸命探したんですが、結局、指輪は天使が持ってました」


 私たちが探してるの知ってたくせに性格悪いですよねー、とこれ見よがしに真理栖が言う。


「ほら、あの偏平足ですよー。たまには翼を使わないで歩けよって感じですがー」

「え、と三科恵瑠先生、か?」

「ですよ?」


 彼女は当然のように頷いた。


「で、あの女が言うわけですよー、『この指輪を手に入れたければ、七十二の欠片を集めて本物にするがいい』って。んで、ソロモンさんに封じられた七十二柱の悪魔に一つずつ指輪の欠片が渡されたのですがー、それを巡って大騒動ですよ。だって、オリジナルの指輪を手に入れたら、私たちの誰も逆らえませんからね」

「まあ、そうなるなぁ」


 素也が頷く。

 よく出来た話だと思った。


 七十二の悪魔へ均等に振り分けたとして、それが争いの火種になるのは目に見えている。

 何故なら、ソロモンの指輪が完成したと同時に、その所有者は絶大な権力を有するのである。


 壊すよりも利用することを考えるのが明白なのだ。


「なら三科先生が悪魔たちを争わせて、弱体化を狙っていたと?」

「それはどうか知りませんけど、私たちの見解ではそうですねー。ですから、軍団全力でお互いに戦争して消耗するより、軍団のトップが人間界で指輪の奪い合いをすれば被害が少ないのではないか、という相談がされましてね」

「人間界の代表として言わせてもらうが、迷惑だから帰ってくれ」

「無理ですよー。私だけ帰っても、残りの七十一柱は帰らないでしょうね。で、この相談に偏平足も乗り気になりましてー」

「そこは天使として断ってもらいたかったなぁ」


 肩を落とす素也だった。

 三科の性格からして、自分の願いが虚しいことは何となくわかっていた。


 彼の前には、悪魔の微笑があった。


「こんな楽しいこと見逃す女じゃないですよ。それでルールが決められましてねー。悪魔同士のガチンコバトルは禁止です。人間界に影響大きすぎますからね。んで、人間を騙してご機嫌とって、彼らに戦ってもらいましょう、ということになりましたー」

「勘弁してくれ……」


 頭を抱える素也だった。

 対照的に、真理栖は嬉しそうな顔をする。


「まあまあ、人間にも悪い話じゃないですよー。戦ってもらう代わりに、人間の夢を叶えても良いことになってますから。もちろん、担当する悪魔の力量以内の夢ですけどね。曲がりなりにも誓約ですから嘘はつきません。ギブ&テイクですよー」

「誓約、ね」


 彼は自分の指に嵌った指輪を見た。

 真鍮と鉄が絡み合って出来た複雑な構造をしていた。


 それと同じく、素也の心境も複雑だった。

 悪魔と誓約してしまってもいいのか、という葛藤や、これからどうなるんだろう、という興味が心の中で渦巻いていたのだ。


「にやり」


 ここが攻め時だと思った真理栖がベンチから離れ、その場で大の字に寝転んだ。


「お、おい」


 素也が視線を向けると、彼女は唇を尖らせながら言った。


「私を好きにしてもいいんですよー」


 強い風で、氷間高校指定のセーラー服が揺れる。

 女らしい柔らかな起伏が、制服の上からでも確認できた。


 彼は右手を挙げて言った。


「あ、すまん。興味ない」

「……ええ、多分そうじゃないかなー、と思ってましたよぅ……」


 その割には落ち込んだ顔をしていたが、素也はそのことに触れなかった。

 真理栖が寝転んだまま言葉を続ける。


「でも、アリカさんは別ですよねー」


 彼の肩が、僅かに揺れた。


「アリカさんと会話が出来て、不自由なく生活させてあげることも出来ますけど――――」


 本当にそれは、素也にとって悪魔の誘いだった。


 空気が泥のように固まったような感覚がした。

 眩暈がするように、視界がぼやけて見えた。


 アリカに星空を見せたいな、と単純な願望が沸いた。


 意識が、自分ではないものに捕らわれたような感覚。

 門浪素也は、下を向いて言った。


「……悪い、急な話でよく理解出来ないんだが……。つまり、アリカが喋れるようになるってことか?」

「はいー。大体その通りですよ」

「う……ああ、少し考えさせてくれ」

「良いですけどー、もう素也さんは指輪を嵌めちゃってますから、誓約自体の撤回は出来ませんよ? あくまで、叶える夢を決めて頂くだけですからねー。……悪魔だけに」


 ぷくく、と口を手で押さえて笑う真理栖だった。


 その隣で、素也が腕を組んで考え始める。


 暫く時間が経っても、彼が動く気配はない。

 目まで閉じられている。


 かなりの熟考を重ねていたのだ。

 暇を持て余した真理栖が、彼の目前で手を振る。


「おーい、起きてますかー」

「…………」

「こちとら放置されて暇ですよー、相手してくださーい」

「………………」

「無視かー。むー、ん? んー、隙ありー」


 悪戯っぽい微笑を湛えた真理栖は、身体を起こすと、ゆっくりと素也の顔を覗きこむようにして近づき、唇を合わせた。


「……? んおっ!」


 素也は我に返ると、接吻されていたことに気付いて慌てた。


 それは、僅かに湿り気を帯びていた。

 針で突けば容易く破れてしまいそうな、柔らかく温かい感触だった。


「やめい!」


 彼は両手で振り払った。


 真理栖が身軽に素也の手を避け、ふふん、と得意満面の笑顔を見せつけた。

 上目遣いに彼を見つめる。


「もー、ただの米国式冗句ですよー。……もしかして初めてでした?」

「……うるせぇな」


 内心は驚天動地の有様で、物心ついて初めてのキスしちゃったよどうしようこれファーストキスだろうかでも相手は人間じゃないからノーカウントな、と色々混乱していた。


 外面は相変わらずの悪人面である。


 そんなことを知ってか知らずか、唇に人差し指を当てた彼女は、にへら、と表情を崩した。


「ごちそうさまー。まあ、犬にベロチューされたと思ってあきらめてくださいねー」


 あっけらかんとした真理栖の顔を見た素也は、何で俺だけ驚いてんだよ、と少し悔しくなった。


 元々悪い顔を、更に悪くして話題を変えるように言う。


「もういい。真面目に相手するのが急にアホくさくなってきた。……それで、人間同士はどうやって戦うんだよ」

「夢ですよー」

「……はあ?」


 素っ頓狂な素也の声が貫けるような青空に響くのと、昼休みの予鈴が鳴ったのは、計ったように同時だった。


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