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ソロモンズ・リング  作者: 比呂
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第3話


 そして朝が来た。

 素也は学生服を着て、一階の台所に立っている。


 朝食も終わり、後は学校に向かうだけだった。

 鞄を手に取り、台所を出る。


 廊下に出て玄関まで行くと、二階に続く階段の前で立ち止まった。

 彼は自分の部屋に向かって叫ぶ。


「じゃあ、行ってくるから」


 アリカからの返事は無い。


 素也は物思いに耽りながら、振り返って靴を履いた。


 昨夜帰ってきたときには、アリカに変化はなかった。

 何かをされた様子も無かった。


 あの少女の脅し文句だろう、と捉えても良さそうなものだが、素也の心には引っかかっていた。


 何よりも、少女の深い色をした瞳が、脳裏に焼きついて離れなかった。


 学生服のポケットには、例の指輪が入っている。

 それを指先で確認しながら、玄関を開いた。


「ん?」


 玄関先で、セーラー服を着た少女が土下座をしていた。


 それは見事な土下座っぷりであった。

 ザ・土下座と言っても過言ではない。


 何と言うか口にする言葉が見つからない素也ではあったが、どうにか理性を総動員して言葉を搾り出した。


「…………何、やってんの」

「土下座ですー」


 その少女の声には、聞き覚えがあった。

 よく見ればウェーブのかかった髪をしている。


「てめぇ……」


 昨夜の怒りが戻ると同時に、ジャージ女の言っていたことが正しかったのが証明された。


「何のつもりだ」

「ええー、お怒りはごもっともでしょーが、私の話を聞いて欲しいなぁ、なんてー」


 顔を上げた少女の顔は、見るからに作り笑いだった。


「帰れ」


 素也は追い払おうとしたが、少女は諦めなかった。

 彼の足に両手を絡め付け、縋るようにして見上げている。


「えー、そんなぁ。聞いてくださいよぅ。ね? ちょっとだけ、五分で済みますから。痛くないですよー」

「うるさい黙れ触るな」

「まあまあそんなこと言わずにー。私の言うこと聞いてくれたら、サービスしますよー」

「いらん」

「そんなこと言っちゃって、もう。期待してる、く、せ、にー」


 いやん、と艶っぽい表情で挑発し、あるんだかないんだかわからないような胸を押し付けてきた。

 ただし、素也の表情は冷徹だった。


「興味ねぇよ」

「……あらまー、男色でした?」

「そっちの趣味もねぇよ。いいから離れろ」


 渋々、といった様子で手を放した少女だった。

 どうしよっかなー、と両手の人差し指を突き合わせている。


 素也は溜息を吐いてから言った。


「はぁ……もうお前は何も考えるな。とりあえず、俺の質問に答えてもらう。その後でなら、話を聞いてやるよ」

「え、ああ、はいー。そうしましょう」


 少女は地面に正座したまま、聞く体勢に入った。


「ちょっと待て」


 流石に近所の目もあり、少女を正座させての質疑応答は問題だった。

 学校に行く時間も差し迫っているため、登校しながら話をすることを持ちかけた。


「急いでるから、歩きながら話してもいいか」

「いいですよー」


 二つ返事で了解された。


 素也は玄関の鍵を閉めると、立ち上がった少女と並んで歩き出した。

 ポケットに手を突っ込み、例の指輪を手中で転がす。


「お前、名前は? どうしてウチの制服を着てるんだ?」

「へ、そいつは言えねーなー」


 架空のウィスキーグラスを回して、少女が鼻で笑った。


「…………」


 どうして俺はこんなやつと会話してるんだろう、と素也は薄い目をした。

 彼は生来の悪人面なので、薄目になると睨んでいるように見える。


 少女は苦笑いになった。


「や、やだなぁ。冗談ですよー。でもでも、本名が言えないのは理由があるのです。それと、私がどうして氷間高校の制服を着ているのかといいますと、転校してきたからなのですー」

「……へえ、そう」


 何だかまともに相手にしていると疲れるので、素也は適当に返した。

 こんな奴がアリカに手を出そうとしても、簡単に返り討ちに出来そうだった。


 そうしている間に、少女が手を腰に当てて言った。


「まあ、今日転校してきたのですけどー」

「……あ、そ」

「反応が薄いですー。そこは『え、マジかよ』とか『うそ、本当に?』的な反応が欲しかったのですけどー」

「芸人が観客にリアクションを期待するな」

「私は芸人じゃないのですー。ま、それはそれとして。……あの、指輪返してくれません?」


 素也が振り向くと、少女は驚くほど真面目な顔をしていた。

 彼が大切なものを言い当てられたときのような、深くて冷たい瞳だった。


「…………あ」


 素也は、動きを止めた。

 手の中で転がしていた指輪が、偶然にも指先に入ってしまったのだ。


「あ」


 少女が目を見開いて、彼を見た。

 そして、顔を伏せた。後頭部を掻く。


「……あちゃー、これは参りましたです。近年稀に見る大ポカですねー。というか、あの偏平足の目論見通りなのです」


 偏平足と聞いて、素也が思い出したのは昨夜のジャージ女だった。


 やはり何か関係があるのだろうな、と思ったが、よく考えればどうでもいいことなので、ポケットから右手を取り出した。


 すると、しっかりと右手の薬指に装着されている指輪がそこにあった。


「ん? まあいいか。じゃあ、返すぞ。……あれ? ちょ、え? 何だこれ」


 指輪が抜けない。

 いくら引っ張っても、まるで皮膚と癒着しているかのように嵌ったままだった。


 少女は力なく首を横に振った。


「無理なのです。それは石鹸水の力でも抜けないのですよー」

「馬鹿野郎、石鹸水様のお力を舐めるなよ……いやいや」


 そういうことじゃなかったな、と素也は頷いた。


「悪い、何とかして外すから、ちょっと時間をくれ。……最悪のときは、迷惑じゃなかったら弁償するけど」


 苦笑いを浮かべた少女は、顔の前で手を振った。


「いえいえー、『私にとっては』それほど大切なものじゃありませんから気にしないでください。でも、弁償して貰おうにも売ってる店なんてありませんですし、買えたとしても貴重品ですから、サラリーマンが七回生まれ変わって働いても返せない金額でしょうね。もう一度手に入れたければ、神様にお願いするしかないです」

「そ、そうか。……努力する」


 高価な指輪なんだろうな、ということだけは理解した素也だった。

 だが実際は、その認識でもまだ足りなかったことが、後に判明することになる。


「だから、無理なのです。不可能なのです。その指輪が外れるときは、素也さんが過去形になられたときですねー。素也さんだったもの?」

「いや、意味がわからない。っていうか、俺の名前――――」

「ええ、存じておりますですよぅ。それ名札ですよねぇ」


 少女の見つめる先には、彼の名札が揺れていた。


「そりゃそうか。……じゃなくって、それなら俺の家の住所はどうやって調べたんだ?」

「初歩的なストーキングですねー。逃げた振りして隠れまして、急いで帰る素也さんの背後を追いかけました。ちなみに、背中を見て追いかけるのではなくて、対象の爪先が向いている方向を確認して追いかけるのがコツです」

「お前、最悪だな」

「褒め言葉ですねー」

「褒めてねぇよ」


 素也と少女が視線を戦わせ、無駄な時間が過ぎる。

 そして、少女が表情を緩めた。


「そうですかー、まあいいですけど。兎にも角にも、門浪素也さんは私と誓約いたしましたのでー、よろしくです」

「はあ? 何言ってやがる。指輪は返すって言ってるだろうが」

「死なないと外れませんよー」

「……何それ」


 素也の不審そうな目付き――――常人で言うところの、いわゆる『人殺しの眼』で少女を見た。


 少女はそれでも微笑を返し、その場で片膝をついた。

 高貴な者に対する臣下の礼で、服従を表す態度だった。


「自己紹介が遅れましたー。私は三十六の軍団の長、序列七十二位のアンドロマリウス伯爵です。これから仲良くやっていきましょー」


 態度は変わったが、口調は変わらなかった。

 それにしてもパンツが見えている。


「いや、そんなことはどうでもいいから」

「? どうしましたかー。あ、そういえば、『この身体』にも名前があるので、基本的にはそっちの名前で呼んでください。今の私は安藤真理栖でお願いしますよー」

「俺には関係ない。指輪も返す。それでいいだろ?」


 素也は変なことを言い出した少女が気持ち悪くなった。

 この場から一刻も早く逃げ出したかった。


 しかし、ウェーブのかかった黒髪をした、あどけなさの残る少女――――安藤真理栖(あんどうまりす)が、双眸を輝かせて応える。


「駄目ですよー。素也さんが指輪を嵌めた時点で、誓約は完全に履行されました。死ぬまで撤回は出来ませんし、あなたが死んでは私が困るのですー」

「理由がわからねぇよ。もうついてくるな」


 素也がそう言って逃げ出そうとしたところで、真理栖の額に青筋が浮き上がった。

 彼女は笑顔を崩さず、近くにあった電柱を殴りつける。


 ドゴン、と鈍く響くような音がして、電柱に穴が開いた。

 コンクリートの欠片が崩れ落ち、中身の鉄筋が何本か剥き出しになってちぎれていた。


 電柱は、一トン近い乗用車が時速二十キロで衝突して、ようやく破壊できる代物である。

 相応の威力が彼女の拳にあったのだろう。


「う、わ」


 驚いた素也が、恐る恐る真理栖を見ると、彼女が頬を歪めて笑う。


「悪魔との誓約を、舐めてもらっては困りますねー」

「え、は? 悪魔?」


 彼が指差すと、彼女ははっきりと頷いた。


「ええ、本物ですよー。触りたいですか? 触ってもいいですよ。まあ、今は触っても見た目通りの感触しかしないと思いますけどねー」

「いや、別に、触りたいとは思ってない」

「……盛りのついた男子高校生とは思えない発言ですねー。それではまあ、学校で説明しますよ。さっさと行きましょう。このままだと電柱壊した所為で人が集まってきますからねー」


 電柱を壊したのはお前だろうが、と心の中で呟く素也だった。

 しかし、目の前で現実に電柱を殴り壊されているので、逆らうのは止めておいた。



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