第1話
――――悪魔のような男が立っていた。
そこは、人が滅多に来ないような、倒産して放置された廃工場だった。
金や茶色に染められた髪の不良たちが、一人を取り囲んでいる。
不良たちはそれぞれの個性に合わせた学生服を着て、手には木刀やら鉄パイプ、更にはバイク用のチェーンを振り回している者までいた。
「……あー、面倒くせー」
取り囲まれている悪魔のような顔をした男は、後頭部を掻きながら呟いた。
それを聞いた不良たちは、口々に汚い言葉で罵る。
「てんめぇ、ふざけてんじゃねーぞクルァ」
「殺すぞボケがぁ」
「もう謝っても遅せぇからな、クソ野郎」
彼は呆れた表情になった。
既に、この手の暴言は聞き慣れていた。どれもオリジナリティに乏しく、定型文の脅し文句を言いたいから言っているだけの垂れ流しに過ぎない。
「で? 俺が何したってんだよ」
彼が自分の耳に小指を突っ込みながら聞いてみると、不良たちの一人に、言われ慣れたいつもの言葉を返された。
「お前がガン飛ばしてきたんだろうが」
「……俺、目玉飛ばせる特技なんか持ってねぇけど。つーか、この顔は生まれつきなんだわ」
「誰がてめぇの言うことなんか信じるかよ」
そこで彼は、会話の無意味さを知った。男たちは睨んだから喧嘩を仕掛けて来たのではない。
喧嘩がしたいから、彼に言いがかりをつけてきたのだ。
それも、特別目立つ悪魔のような顔の彼を、殴るために。
彼は首を回しながら、手の骨を鳴らした。
「容赦しねぇぞ、てめぇら」
そして喧嘩が始まった。
一時間後。
顔や腹を押さえて蹲る不良が、何人も倒れていた。
埃っぽい臭いのする廃工場で、今日も勝利を得た悪魔のような男は、愚痴を吐いた。
「……だりぃ」
そんな彼には一切の擦り傷も無く、まず間違いなく完封勝利なのだが、そこに喜びは無い。
むしろ、苦しみに近い感情を覗かせている。
何故なら、彼は生粋の不良ではなかったからだ。
喧嘩は嫌いで、どうせやるならテレビゲームの方が好みだった。
ただし、彼の容姿がそれを許さない。
見た者を恐怖に陥れるようなその風貌は、簡潔に言えば『悪魔』の一言に尽きるだろう。
彼は、不良たちと目が合っただけで喧嘩を仕掛けられた。
運が悪ければ、顔を見られただけで喧嘩を売っていると勘違いされてしまう。
幼少の頃からそんな生活を送っていた彼にとって、喧嘩は生きる術だった。
一方的な暴力から常に自分を守らなければならなかったのだ。
彼は格闘技の本を立ち読みして自己流の喧嘩術を覚えた。
実戦には事欠かず、喧嘩術が磨かれるまで時間は掛からなかった。
そのため、今ではこの通り、大抵の不良ならば簡単に撃退できるようになった。
「……帰るか」
彼は嫌なことを振り払うようにして、家に帰って唯一の友人から借りているゲームをやろうと思った。
転がっている不良たちを置いて、廃工場を去ろうとする。
道端に小さな花を見つけ、彼は苦笑した。