エピローグ
廃工場での激闘が終わったその翌日、素也は食卓で新聞を読んでいた。
その新聞の見出しには、
『倒産した工場が半壊。地元の学生たちが関与か』
という見出しが一面に大きく掲載されていた。
詳しく読んでみると、不良たちは奇跡的に無事だったらしい。
その原因は、ゾイオンが頭部を守るために放り投げた盾が、ちょうど薬で眠らされている彼らの上に被さったからだ。
命があっただけでも感謝してもらおう、と素也はマグカップに淹れられたお茶を啜った。
「…………」
日本茶が、お湯のように薄かった。
彼が新聞から目を覗かせて向こう側を見ると、頬を膨らませたアリカがこちらを睨んでいた。
素也は黙って新聞を元の位置に戻す。
どうしてアリカがこんなにも怒っているのか、人間関係には非常に乏しい見解しか持たない彼でも気付いている。
廃工場での顛末をアリカに話した途端、彼女の機嫌が目に見えて悪くなったからだ。
結局素也は、指輪の所有者の誰からも指輪を奪わなかった。
三科恵瑠に対する、ちょっとした意趣返しのつもりだったのだが、ことのほかアリカを怒らせてしまったようだ。
よっぽど使命感に燃えてんだなぁ、などと他人事のように思う素也であった。
一方、最も怒りそうなのが真理栖であったが、彼女は食卓でマヨネーズたっぷりの目玉焼きを頬張っている。
彼の視線に気づいた真理栖が、首を傾げた。
「んんー、どうしたのですかー」
「いや、別に」
「はあー、変な素也さんですー」
変なのはお前だ、という言葉を薄いお茶と一緒に飲み込んだ素也は、新聞を畳んでテーブルの上に置いた。
「なあ、アリカ」
「なんですか」
声色が氷のように冷たかった。
だが、彼は負けずに声を張る。
「……悪かったよ」
声を張ってもこれが精一杯だった。
今までの人生で喧嘩をしたり嫌われた回数は数知れない。
だが、仲直りをした経験は片手で足りるくらいのものだ。
仲直りをするには友達が必要で、その友達が呆れるほど少ない彼にとっては、仲直りの回数も少ないのが道理だろう。
そしてまず初めに、真理栖が吹いた。
「ぷ、くくっ……素也さん顔に似合わず可愛すぎですー」
「黙れ。送還させるぞ」
素也は人を殺せそうなほど鋭い視線で真理栖を睨む。
彼女が慌てて視線を逸らし、食べかけだった目玉焼きに取り掛かった。
「素也」
アリカの呼ぶ声がした。
素也はそちらに顔を向けた。
彼女が彼の目前に立ち、腰に手を当てて立っていた。
「私が怒っていることに気付いていますか」
「……もちろん」
「では、どうして怒っていると思いますか」
「それは、だな」
彼は視線を一度だけ逸らしてから、ゆっくりと彼女の瞳を見た。
「俺が指輪を集めなかったから――――」
「違います」
一刀両断するようなアリカの声だった。
それは、素也の虚を突くには充分過ぎる威力を持っていた。
「指輪など、後から幾らでも奪えます。……それよりも大事なのは、素也は自分が危険なときに、私を呼ばなかったことです。私に助けを求めなかったことです。私はそんなに頼りになりませんか」
彼女が目を潤ませ、少女のように口を尖らせた。
「どうして私を、願ってはくれなかったのです……」
「あ、いや……」
ひどく取り乱す素也だった。
視線は宙を舞い踊り、両手は溺れるように空をもがく。
大人っぽく冷静だと思っていたアリカが泣きそうな状態は、彼の手に余った。
女性経験豊かな男だったならば、彼女を抱きしめて「もう君を忘れないから」とか言ってやれば丸く収まりそうな状況かもしれない。
だが素也は、そんなことを知っていたとしても、行動することすら出来ないだろう。
そして彼は不謹慎なことに、アリカが泣きそうな顔をしているにも関わらず、心の底に暖かさを感じていた。
大切な人から心配されるのは、その人が本当に自分を必要としてくれるから。
それに気付いた素也は嬉しすぎて、アリカよりも先に一粒だけ涙を零した。
「――――え」
「――――あ」
素也とアリカは、同時に驚いた。彼は即座に顔を隠し、彼女は肩の力を抜いて溜息を吐いた。
「もう、ずるいです」
「そんなつもりじゃなかったんだけどな」
「ええ、それがわかってしまいますから、余計にずるいのです」
アリカが念を押すように言った。
「では、次にまたこんなことがあれば、絶対に私を呼んでくださいよ。いいですね?」
「……わかった」
彼は渋々ながら、頷いた。
これ以上反論しても聞き入れられないだろうし、何かを言い返す暇も無かった。
苦笑いを浮かべたアリカが、上半身を屈めて唇を合わせてきたからだ。
「――――」
その数秒は、素也が思い悩んでいた色々なことを忘れさせるには、必要以上の効果があったことだろう。
唇が離れ、悪戯をした子供のように微笑むアリカだった。
気が動転した素也が何事か言う前に、玄関のチャイムが鳴り響いた。
「誰ですかねー」
すたすたと真理栖が歩き、台所に備え付けられているインターホンを手に取った。
「はいー、どなたですか。……ああ、あの馬鹿な人ですねー」
真理栖が相手の確認をしている間に、アリカは素也の鞄を手渡した。
「御学友のようですね。はい、どうぞ。いってらっしゃいませ」
「あ、ああ」
そう言われては学校に行くしかないので、素也は鞄を手に取り、席を立って玄関に出た。
真理栖がインターホンを元に戻して、手ぶらで追いかけてくる。
彼女が素也の隣に並ぶと、楽しそうに言った。
「みなさん来てるらしいですよー」
「はあ? 皆さん?」
素也は靴を履きながら聞き返した。
踵を履き潰したローファーに足を突っ込みながら、真理栖が答える。
「ええー。良かったですね。お友達がいっぱい増えてー」
「うるせぇ」
「まあー、その半分以上は悪魔なんですけどねー」
「……いいんだよ、それで」
「へ?」
首を傾げる真理栖を置き去りにして、素也は玄関を開いた。
――――そこには、それぞれの顔で彼を待つ、友人たちの姿があったのだった。




