第13話
「科学魔法少女、ドリームアップっ!」
先端にハートマークと羽の模造品がついたステッキが、順序に合わせて振り回される。
新堂咲枝が光に包まれ、衣服が消失した。
何も身につけていない身体に、のっぺりとしたマーブル色が施されている。
彼女が、何もない空間から出現した服装を装着していく。
そしてついに、フリルのついたピンクのミニスカートのドレスに、白いハイソックスの姿となった。
地面に降り立った咲枝は、腕を交差させたポーズを取りながら言い放った。
「夢と魔法と化学物質で、あなたたちを懲らしめてあげるわ!」
「………………」
沈黙という名の重い空気が、その場を席巻した。
あまりにもあんまりだろう、と誰もが思ったに違いない。
素也もその内の一人だった。
あー加零の言ってた『妙な格好』ってこのことか、と思った。
妙を通り越しているような気もするが。
駆け出そうとしていた足は止まり、背後にいる畝海を振り向いて言った。
「お前、咲枝のパートナーだったのか。……で、あれが咲枝の夢か」
「そうなるわね」
「咲枝が幸せなら、俺が口を出すべきことじゃないけどな……」
高校生が魔法少女のコスプレをすることに異論を挟むことはない。
それは各自の趣味であり、不可侵の領域であろう。
自分だってフィギュアに話しかけていたのだから、人のことを言えた義理ではない。
だが、やはり、言葉にならない感情が心に渦巻いているのだった。
「ふふふっ」
彼女は余裕の表情で、腕組みしながらこちらを見ていた。
むしろ、これからが本番なのだと言わんばかりの様子である。
「あなたは知っているかしら。私は人間界に来てから調べたのだけど、あれは《たまるん》という科学魔法少女よ。十年以上前に作られたアニメの主人公で、内容の酷さから三話で放送禁止になった幻の作品らしいわ。……でも、あの子が生まれてはじめて気に入ったアニメだったのよ」
「……ああ、そういえば、咲枝の趣味は昔から変だったよ。言われてみれば、確かにそんな名前のアニメのことを言ってたような記憶があるな」
まだ素也と咲枝が一緒にいた頃、彼女は熱心にアニメのことを語っていた光景が目に浮かぶ。
彼には少女向けのアニメに興味が無かったので、完全に聞き流していたのだろう。
それで今まで思い出せなかったのだと考えた。
畝海が頬を歪めて笑った。
「そのアニメが、どうして放送禁止になったかまでは覚えてないわね?」
「俺は見てなかったからな」
「《たまるん》は魔法で生成した化学物質を合成して、毒ガスを発生させたのよ。それでいじめっ子たちを皆殺しにしたの。それが、放送禁止の決定に繋がったわ」
「まあ、それは……」
わからなくも無い判断だろ、と素也は思った。
しかし、畝海は違っていた。
「なら、あの子がそのアニメを好きだった、その意味がわかる? 加減を知らない幼い悪意に曝された少女がアニメからヒントを得て、仄暗い復讐を空想し、夢を見たとして誰が罰せられるかしら。いじめる側は暴力を使っても、『見つかりにくい』という言葉で罪から逃れるくせにね。いじめられる側は逃げ場さえ奪われる」
彼女は哄笑する。
「子供は純粋だと人は言うわ。でも、それが善意だけだと断言できる根拠は無いのよ。泣き虫の少女を庇う悪魔顔の男の子にまで、いじめの魔の手が伸びようとしていることがわかった瞬間、あの子は一体、どんな憎悪に身を焼いたでしょうね。あなたは転校の理由を、聞かされていないんでしょう?」
「………………」
素也は何も言えない。
言う資格がない。
そんなことは知らないし、調べようともしなかったからだ。
むしろ当時は、これで面倒ごとが少なくなったと思っていた。
「さあ、今まで通り、あなたは黙って見てればいいのよ。これからショウが始まるわ」
最悪の事態を思い浮かべた素也は、急いで階下の様子を見た。
そこでは、咲枝が魔法のステッキの先端から白い粉を振り撒き、反対側の手に持っている袋を高く掲げた。
化学物質の合成による毒ガス攻撃――――。
「やめ――――ぐ、ぅ」
叫ぼうとした素也の腹部に、凝った装飾のナイフが刺さっていた。
いつの間にか彼の正面に回っていた畝海が、ナイフを引き抜く。
「黙って見ていろと言ったはずよ? まあ、すべては予定通りに進んでいるから、困っているわけではないんだけど。……あの子には、何者かに殺されたあなたの敵討ちをするために、ソロモン戦争を戦ってもらうの。邪魔しないで」
「ぐ……ぁ」
痛みで身体が折れ曲がり、地面に倒れることを止められなかった。
焼けるような痛みと締め付けるような苦しみが同時に襲ってきて、冷や汗が流れる。
彼はもがくようにして手を伸ばした。
その手の小指に巻きつけられていたアリカの黒髪が、ちぎれているのがわかった。
「……面倒な仕掛けをしているのね。誰の入れ知恵なのかしら。これが片付くまでに死んでなかったら教えてもらうわ」
畝海が何もない場所を振り向いて、眉を顰めた。
埃だらけの床にマンホールくらいの転送陣が浮かび上がり、その中から三つの人影が現れる。
当然狭いので、出てくる様は、チューブから押し出される歯磨き粉のようだった。
出てきた人影は、安藤真理栖、在伏加零、鼻血を出した臼井義経だ。
義経の鼻血は転送陣に必要な血を得るためのものだろうが、別の意味に見えなくもなかった。
「は、はは……」
そんな冗談のような光景に、素也は小さく笑った。
「素也さん! ……っ」
現状を見た彼女らの中で、最も激高したのが真理栖だ。
しかしすぐに感情を修め、素也の傍に駆け寄った。
残った加零と義経が、牽制するように畝海と正対して警戒する。
「大丈夫ですかー。アリカさんの保険があって良かったですねー」
「大丈夫そうに……見えるか?」
「いつもの悪人面なのでー、顔では判断しかねますー」
「……うるせぇ」
こんな状況なのに、素也にはいつもの軽口が楽しかった。
「ん?」
楽しいだと、と彼は言葉にして自分の心に問いかけた。
それで素也は、真理栖のことをいつの間にか気に入っていたことに気付いた。
愛の深さではアリカに適うものでは無いが。
真理栖はその間にも屈み込んで彼の傷を調べ、一瞬だけ厳しい表情を浮かべた。
上手に表情を操ったつもりだろうが、普段の彼女を知る素也には充分すぎる情報だった。
「助からない、か?」
彼女にしては珍しく、心から微笑んでいた。
「そうですねー、このまま放っておけば助かりません。でも、そうはさせませんよ。私のミスで素也さんが死に掛けてますからね。……私の我侭で、素也さんの傍を離れるべきじゃありませんでした」
「……はは、我侭ってか? お前が我侭じゃなかったときがあるなら、教えてもらいたいもんだな」
既に顔色が変わってきている素也の笑顔に、彼女は頭を下げた。
「ごめんなさい。また逢いましょう。ではー」
まるで別れの挨拶のように告げた真理栖が立ち上がり、畝海と対峙していた二人に声をかけた。
「あなたたちは素也さんを連れてここから逃げてくださいー」
当然のように、加零が反論する。
「馬鹿者が。序列最下位は、あそこにいる相手の強さも分からぬらしいな。我ら二人で戦っても敵うかどうか分からぬ手合いじゃ」
「知ってますよー、あなたこそ私を見くびり過ぎでしょうー」
真理栖は何もない前方の空間に手を突っ込んで、何かを掴んだ。
水面から引き抜くようにして現れたそれは、無骨な両刃の片手剣だった。
装飾もなく、実用一点張りの西洋剣を畝海に向けて真理栖が言った。
「四十の軍団の長、序列二十九位にして、地獄の支配者たる三柱の一柱、アシュタロス大公爵ですねー」
「ええ、確かにそうよ。でも礼儀不足だわ。人間界では畝海明日香と呼ぶようにして欲しいわね、『裏切り者』の安藤真理栖さん?」
畝海は己に向けられた剣にも怯まず、目を見開き嗜虐の言葉を連ねる。
「悪魔にして悪魔を狩るあなたが、一体この私に、何の用事かしらね。不正を行う悪魔を裁き、地獄では嫌われた『裏切り者』が、私に剣を向けて何をするつもりかしら?」
対する真理栖は、臆することなく言った。
「ソロモン戦争でのルール違反ですー。悪魔が直接人間に手を出すことは禁止されていますので、その罰則を適用させていただきますー」
「三科恵瑠みたいなことを言うわね……ああ、そういえばあなた、三科とよく会っていたようね? いくら『裏切り者』といえど、天使と手を組むのは遣り過ぎだわ。少しばかりお仕置きが必要かしら」
「うふー。あの偏平足と仲良く思われるのは癪だから言っておきますけど、私は悪魔の誇りを売り払った覚えはありません。……ですから、お仕置きが必要なのはあなたの方ですよ、明日香さんー」
畝海が目を細くした。
実力差はかけ離れ、天使の手助けが無いにも関わらず、真理栖が相変わらず強気であることが不可解だった。
「三科恵瑠は私たちのことに気付いても、手出しは出来ないのよ? 邪魔が入らないように、この工場には結界を張ってあるからね。元々、そこの男を殺すつもりだったもの、助けを待っても無駄なことよ」
真理栖が肩を竦めて見せた。
「地獄の支配者にしてはー、三科恵瑠を怖がってるように見えますよー」
彼女の挑発に、畝海は怒りを隠さなかった。
目付きを鋭くさせて言う。
「私に逆らうその気概は買うわ。……でも今のあなた、ひどく滑稽よ。まるで人間みたいじゃない? ひどく愚かで、殺したいほど愛しいわ。今すぐ跪いて頭を垂れるのなら、許してあげる」
「はあー、お断りですー」
不服そうな顔をする畝海に向かって、真理栖が堂々と言い放った。
「地上最凶の極悪顔をした男がー、私の背後にいますからー」
そのとき、階下で噴出するようにガスが発生した。
咲枝が化学反応を使って攻撃したのだろう。
――――それが戦いの合図となった。
片手剣を振りかぶった真理栖が、畝海に突進する。
隙を見た加零と義経が、攻守を後退した。
倒れている素也に駆け寄る。
義経が素也の傍に陣取ると、M14SOCOM突撃銃を構えて正面を警戒した。
加零は、流れ出る素也の血を使って転送陣を地面に書き始める。
「こんな所で死んでもらっては困るぞ、しっかりせよ!」
「……ん、あぁ」
出血多量と痛みで意識が朦朧とする中、素也はどうにか返事を返した。
そして、真理栖の姿を目で追う。
「せやー」
のんびりした掛け声とは裏腹に、鉄すら切り裂きそうな速さで刃が閃いた。
振り下ろされた剣を、簡単そうに避けた畝海が言う。
「あなた、最初から勝つ気なんて無いわね? そんなにあの男――――いえ、魔術王ソロモンの似姿を守りたいわけ?」
次撃を振り切りながら、真理栖が答える。
「『あの方』のことは別にどうだっていいんですよー。まあ素也さんとは、生き方も人生も顔も似てますけどね。……ただ、私と同じように、嫌われていても同族を守ろうとする男が、ここで死ぬのは勿体無いと思っただけですー」
「……似た者同士が馴れ合ってるだけじゃない」
畝海が、倒れている素也を一瞥した。
血が流れ、死に掛けていることは間違いない。
その隣で転送陣が描かれていることも確認した。
またもや、真理栖の剣が空を切る。
「違いますよー、素也さんが私にメロメロなのですー」
素也が聞いていれば、事実無根だ、と叫んでいそうなことを、真理栖は平気で言った。
呆れたように苦笑した畝海が、右手を振り上げる。
「そう。どちらでもいいわよ、そんなこと」
鋭い音ともに、空気が割れた。
その延長線上にあった真理栖の右腕が、見事に切断される。
剣を握りこんだままの右腕がぶら下がった。
「私には重要なんですよー」
真理栖は追撃を阻止するため、左手一本で剣を振った。
その弾みで切断された右腕が宙を舞い、素也の目前で跳ねた。
どさ、と重みのある肉が転がる。
彼女の右腕は、素也の頬を撫でるような形で静止した。
そこで顔を上げた素也が虚ろな目で見たものは、薙ぎ倒される真理栖の体躯だった。
片腕の無い彼女が、意思の無い人形のように崩れ落ちた。
無感動な顔をした畝海が、こちらに近づいてくる。
「近づくな! これ以上近づくと撃つ! ……くそっ」
義経が警告した後で、苛立ちを露にした。
自分の友人が死に掛けていることを思い出しながら、覚悟を決める。
まったく歩みを止める気配の無い畝海に対し、足を狙って発砲した。
硝煙と共に吐き出される7・62ミリ弾は、畝海の身体を通過するだけに終わった。
何の損害も与えていないのは明白だった。
義経は弾倉にあるすべての弾薬を使いきるまで銃爪を引き続けた。
「なんだよコイツっ――――ぁ」
空になった弾倉を交換しようとした義経が、目の前に立った畝海に頭を撫でられるだけで意識を失った。
「ええい、早く、早く!」
加零が自分に苛立つような声を上げ、転送陣の完成を急いだ。
四人が通れる大きさの魔方陣を描こうとしたことが、時間の遅れに繋がった。
間近に迫る畝海には目もくれず、転送陣を書き続けた。
それは、畝海に蹴り飛ばされるまで続けられたのだった。
小さな身体は軽々と吹き飛び、壁に衝突して床に落ちた。
まったく動く気配は無い。
そして、倒れている素也を見下しながら、畝海が言った。
「……勿体ない、か。そうかもしれないわ。こんなに美味しそうな血が溢れてるものね」
彼女は四つん這いになって、床に広がった血溜りを舐め始めた。
まるで極上のワインでも嚥下するように、喉を鳴らす。
畝海が深い血溜りを追うように、這いながら移動したその先には、青ざめた素也の顔があった。
目は虚ろで、口は半分開き、生きているのか死んでいるのかもわからない状態である。
「あなたも味わう?」
背筋に氷柱でも差し込まれるような畝海の笑顔だった。
素也の髪を掴んで無理やりに顔を上げる。
口に含んだ彼の血を、口移しで流し込んだ。
唇が離れる。
どちらのものともわからない、血交じりの涎の糸が引いた。
「ん……っと」
畝海が満足げに素也の顔を眺めた。
本当に魔術王ソロモンと生き写しの顔をしていた。
悪魔のように残忍で、罪人のように凶悪で――――とても純粋な目をしていた。
聖にも邪にも染まりやすい、無垢な色の瞳だった。
彼は今にも悪態をついて悪魔たちをこき使い、誰も彼もを助けようとして神に逆らい始めるのではないか。
彼女が、そんなことを思った。
「…………何?」
そこで畝海が、あることに気付いた。
素也の唇が、何かを呟くように動いているのだ。
微かに震えながら、うわ言のように言葉を繰り返している。
畝海は唇の動きを読み取りながら、声に出して言ってみた。
「……俺は、悪魔に、なる。何のこと?」
彼女には、言葉の意味がわからなかった。
確かに彼が悪魔のような顔をしていることは認められる。
しかし、素也の幼い頃の夢までは知らなかっただろう。
悪魔のような顔をしているおかげで友人のいなかった幼少の彼は、あるアニメを見て一つの方法を思いついた。
俺が本物の悪魔になったら、悪魔の友達が出来るんじゃないかな。
いつしかそれは夢となった。
そして成長するにつれ、夢は忘却の彼方に押し込まれた。
子供の幻想になった。
そんな想いが、彼の数少ない友人が危険に曝されることで甦ったのだ。
どこからか、金属の振動する音が聞こえてきた。
その音源は、素也の右手にあった。
ソロモンの指輪が、震えている。
「――――あ」
素也の髪から手を放した畝海が、ゆっくりと立ち上がった。
彼女はようやく、自分の敵が誰なのか理解した。
すべての目論見に気付いたのだ。
「あいつが絡んでいたのね。それなら私の行動も読まれて当然だわ」
苛立ちながら腕組みをして、つま先で床を叩いた。
そのとき、急に素也が咳き込んだ。
「かぁ、がはっ、げふぉ、あ、かはっ……」
血を吐き出して、口を拭う。
八重歯が手に当った。
意識がしっかりしてきた素也は、何の痛みも無くなっていることに気がついた。
上半身を起こして腹の傷を探ってみると、傷一つ無かった。
「な……んだ?」
何が起こったのかよくわからなかった。
腹を刺されてから、真理栖が腕を切られたところまでは覚えていたのだが、それからは記憶が曖昧だった。
記憶を補完するように周囲の状況を確かめると、彼の心に怒りが戻ってきた。
素也は立ち上がって、不遜な表情でこちらを見ている畝海明日香を睨み付けた。
「てめぇ、何しやがった」
「傷を治したのは私じゃないわ。……それと、怒ってるのもあなただけじゃないのよ。誰でもいいから、四肢を引きちぎって放り投げたい気分だわ」
二人の間に、一触即発の雰囲気が立ち込めた。
素也が単純に殴りかかっていかないのは、相手の強さが計れないからだ。
真理栖の腕を切り落としたことや、義経の意識を奪ったことが彼の脳裏に浮かんでいた。
畝海が怒りを隠さず、黙って考え事をしていた。
その二人の雰囲気を壊したのは、階段を昇ってくる足音だった。
「あの、明日香さんですか? おっきい音がしましたけど、何かありましたか」
階下から、ピンクの衣装を身に纏った新堂咲枝が現れたのだった。




