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ソロモンズ・リング  作者: 比呂
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第12話


 授業が終了した放課後、素也は約束通りに校舎の屋上へやってきた。


 同じクラスにいた真理栖と義経には、先に帰宅してもらっている。

 彼は、先に帰らせることを真理栖が反論してくると思っていたが、意外にも素直に従ってくれたのだった。


 事は段取り良く進んだのだが、予想していた反応と違うと、肩透かしを食らったような気分にさせられる。


 素也が、誰もいない屋上を憮然とした表情で眺めた。

 灰色のコンクリートが広がり、緑のフェンスに囲まれた場所が、暮れる太陽に照らされて哀愁を漂わせる。


 彼以外に、人影は無い。

 素也が訪れたときには二組のカップルがいたが、それもすぐに帰ってしまった。


 約束していた相手は、未だにやってくる気配も無い。


 夕暮れは別名、逢魔が刻とも呼ばれる。

 これから悪魔と会う身にしては冗談にもならないな、と素也が苦笑いしたときだった。


 肩を二度、叩かれた。


「…………」


 彼が無言で振り向いた先には、パンツスーツ姿の女性が立っていた。


 見たことの無い顔であり、教師でないことは確かだった。


 短めの髪に、華奢な身体つき。

 挑むような目付きをしている。


 高圧的な態度を隠すつもりも無いらしく、きつい女性だと素也は感じた。


 それは三科恵瑠にも同じことが言えたが、目の前の女性とは種類が違っている。

 彼女の視線に敵意が混じっていることが、決定的な差だと言えるだろう。


 本能的に一歩下がった素也は、未だ何も喋らないスーツの女性に対して口を開いた。


「約束通り、一人で来たぞ」


 それでも女性は沈黙を守り、彼の顔を品定めするように見回した。

 たっぷりと時間を使って吟味し、何かを納得するように頷く。

「……そっか、そういうこと。まだ諦めていないのね、往生際の悪いことだわ。私が言えた義理でもないけど」

「何のことだ」

「今のあなたには関係の無いことよ。気にしても意味はないわ」


 女が肩を竦めてみせた。


「私は畝海明日香(せうみあすか)。……だけど別に、何とでも好きに呼んでいいわよ」

「俺は――――」


 素也がそう言ったところで、畝海は微笑みながら掌を見せるようにして言葉を遮った。


「説明は要らないわ。あなたのことは調べてあるから。……っと、もうそろそろ時間ね。少し待っててくれる?」


 腕時計を確認した畝海が、スーツの胸ポケットから口紅を取り出した。


 それを惜しげもなく屋上のコンクリートに押し付けて、円を描いていく。

 不思議な文様や見たことの無い図を円の中に書き込んで、ようやく彼女は立ち上がった。


「ちょっと、手伝ってくれない?」


 素也は胡散臭そうな顔をしたが、仕方が無いので手伝うことにした。

 畝海の隣に立つと、装飾の凝ったナイフを渡された。


「……何だこれ」

「この魔方陣に、血を一滴くらい垂らして欲しいのよ。傷は治してあげるから心配しなくていいわ」

「昔話じゃ、悪魔の言いなりになったら魂を奪われるのが定番なんだけどな」

「ただの転送陣よ。私の血を使うと、私しか通れないから意味が無いの。無駄なことを言うのなら、私がやってあげてもいいわ」


 畝海は底冷えのするような目をして、口から八重歯を覗かせた。

 背筋が震えるような気分を味わった素也は、顔を強張らせながらも笑ってみせる。


「どこに連れて行かれるか、教えろ」


 いきなり誰もいない所へ連れて行かれ、殺されて指輪だけ奪われるのは御免だった。


 学校ならば地の利があるし、体育教師の三科恵瑠が常駐してるために不正は困難なはずなのだ。


 だから、別の場所へ行くのは不利にしかならないのである。

 しかし畝海は、有無を言わせぬような口調で言った。


「新堂咲枝のいる場所よ」

「あいつは今日、休みのはずだけ、ど……」


 彼の脳裏に一つの確信が生まれた。

 畝海が言っていた生徒を傷つけると言う話と、学校を欠席している咲枝の状況が重なったのだ。


 素也は畝海を睨みつける。


「咲枝に何しやがった、てめぇ」

「何もしてないわよ。それに、これから連れて行くって言ったわ。無事は自分で確かめたら?」

「…………ちっ」


 気が乗らない話ではあったが、彼はナイフを右手に持ち、左の親指に押し付けた。

 素早く引くようにナイフを走らせると、鋭い痛みが親指に広がった。


 ぱっくりと割れた皮膚の間から、湧き出るように血が垂れてきた。

 ぽつ、と一滴の血が、魔方陣に落ちる。


 最初は何の変化も無いようだったが、魔方陣が僅かに浮き上がる。

 水面に映るように揺れていた。


「さて、準備は終わったわね」


 畝海は素也に近づき、ナイフを受け取る。

 そして、無理矢理に彼の左手を掴んだ。


 素也が抵抗するように力を込めたが、少しも動かなかった。

 彼女の細身からはまるで考えられない力だった。


 それでも抵抗は止めず、強く睨みつける。


「何してんだ、あぁ?」

「勿体ない、と思っただけよ」


 蕩けるような顔をした畝海が、彼の傷ついた親指を掴んで顔の前に持っていき、流れ出る血を愛しそうに眺める。


 口紅を引いた唇が動き、素也の親指を口に含んだ。


 彼女の表情が一変する。

 それは驚愕でもあり、驚喜でもあった。

 

これほど甘美な流血を味わったことなど、数えるほどしかないくらいの衝撃である。

 畝海は気付かぬうちに、血を吸い上げ、傷口に舌を差し込み、指全体を丹念に舐め上げた。


「……いいかげんにしろよ」


 素也はそう言って、拳を振り上げた。

 女性を殴ることはしたくなかったが、相手は人間を遥かに凌ぐ怪力を持った悪魔である。

 加減はいらない。


「てめぇ」


 そして、自分の親指を熱く柔らかい舌で舐められることが、疼く痛みから、小さな快感に変化した。


 そのことが、素也の心中で彼女への嫌悪に繋がり、拳を放つ引き金となった。

 何人もの不良を薙ぎ倒してきた威力の拳が飛ぶ。


 畝海は拳を見もせずに、片手で受けた。

 彼女が素也の親指を口から放し、恍惚とした表情で、情を交わした後のような深く甘い吐息を漏らした。


「ん、はぁ……んく」


 口内に残っていた唾を飲み込み、深く納得した様子だった。


「あぁ、なるほど。道理でみんな必死になるわけね。こんなに美味しいんだったら、私も欲しくなってくるじゃない」

「黙れ、変態女。手を放せ」


 素也はそこでようやく、両手を解放された。

 涎のついた左親指を確かめると、傷がなくなっていた。傷口や血の跡さえ見当たらない。


「な、んだこれ」

「傷は治してあげるから心配はいらないって言ったわよね? さあ、魔方陣の中に入ってくれるかしら。……新堂咲枝に会いたければ、ね」

 

 不服そうにしながらも、素也はその言葉に従って魔法陣の内側へ入った。


 すると目の前にある景色が、写りの悪いテレビのように点滅を始める。

 点滅の速度が加速し、ぶつ切りだった映像が黒一色になった。


 電源が切れるような音がして、すべてが消えた。



 素也が再び目を開けた場所は、埃っぽい空気の廃工場だった。

 元は缶詰工場だった場所で、数年前に倒産し、それからずっと放置されている。


 工場の中身はその年月だけ風化し、置き去りにされた機械類は錆にまみれていた。

 窓ガラスは殆どが割れており、品の無いスプレーの落書きが随所に見られる。


 随所に転がる空き缶に、煙草の吸殻。

 それらでわかるように、雨風が凌げる人のいない空間は、不良たちの絶好のたまり場と化していた。


 彼も何度か、この工場に招待されたことがある。

 だから、ある程度の土地勘がある場所だったので安心することが出来た。


 問題は、こんな場所に咲枝が連れてこられているということだ。

 彼女を偶然見つけた不良たちが何をするか、考えるだけで怒りを覚えた。


 隣に立っている畝海は、彼の怒りにも気付かず、周囲を見回した後で歩き始める。


「さ、こっちよ。特等席に案内してあげるわ。声を出さないでね。そうしないと気付かれてしまうから」

「咲枝が泣いてたら、俺はお前を許さねぇからな」


 空気が凍るような殺気を、言葉と共に吐き出す素也だった。

 畝海が平然とそれに答える。


「大丈夫よ。私は誓って、あの子を傷つけるような真似はしないわ。あなたと違って、泣かしたりしないわよ」


 何でそれを、と素也は思わず口に出しそうになった。


 どうにか平静を保ち、彼女が進む方向に続いた。

 土埃の舞う塗装の剥げた床を歩き、入り組んだ場所を進む。


 壁際に設置された鉄製の階段を上り、二階の窓際にある通路のような場所に出た。


 工場は吹き抜けの構造になっており、素也たちのいる場所からは一階を見渡すことが出来た。

 その一階のプレス機が置かれた奥に広い作業場があり、そこに何人かの人影が存在していた。


 誰か一人を取り囲んでいるような光景だ。

 素也は嫌な予感が的中したように表情を変え、駆け出そうとした。


 畝海に肩を掴まれる。


「あの子の邪魔をしないでくれるかしら。……あなたのためにやっていることなのよ?」


 予想外の言葉に、彼は足を止めた。


「俺のため、だと」

「あなたいつも言ってたそうね、『不良が絡んでくるのが面倒くさい』って。だから、あなたの代わりにあの子が面倒を被ってくれるそうよ。良かったわね」


 皮肉をたっぷり込められた言葉は、素也の頭にじわりと響いた。

 つい、言い訳じみた言葉が口をつく。


「だからって、咲枝があんな真似をする必要はないだろ」

「ふぅん。小さい頃に自分を守ってもらった恩返しに、今のあなたを守ろうとしているあの子が迷惑なのね? あなたのためだけに風紀委員になったあの子が邪魔なんでしょう? なら、放っておきなさいよ。確かに、あの子が勝手にやっていることだわ。あなたに何の関係もないことよ」

「んなこと出来るかよ――――」


 掴まれている手を振り払った素也は、咲枝のいる場所に向かって駆け出そうとした。


 一人の人間を守りながら数人の不良と戦うのは、とてもではないが分が悪い。

 一人で戦うのとはわけが違う。


 囲まれて手出しも出来ず、考えうる限りの方法で痛めつけられるだろう。


 だが、それは負けではない。彼の勝利条件は、咲枝を逃がすこと。

 それさえ達成すれば、自分がどうなろうと勝負は勝ったも同然なのだ。


「――――行くぞコラぁ!」


 意を決したその瞬間、素也はとんでもないものを見た。

 そして、耳で信じられない言葉を聞いた。



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