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ソロモンズ・リング  作者: 比呂
12/19

第11話


「我の話も聞いてくれぬかの? 敵対する気はないのじゃ」


 軽く微笑みながら、両手を頭の高さまで挙げる少女だった。

 降参のポーズという意味合いなのだろう。


 しかし、彼女を見る真理栖の表情が一変していた。

 酷薄そうな視線でその少女を睨みつけ、普段よりも幾許か固い声質で問う。


「何を企んでるんですかー。私に策謀は通用しませんよー」

「ふふん、それは悪事に限り、であろう。それでもそなたが読みきれぬのであれば、悪事で無いことは確かよな。まあ、話だけでも聞いておいて損はないぞ。そなたたちより先にこの学び舎へ潜伏していた我の情報を与えてやろうというのじゃ」


 無邪気そうにそう言った少女は、保健室の戸を閉めて、デスクの近くにあった黒い回転椅子に座った。


「さて、そなたはどう思う」


 話を向けられた素也は、肩を竦めた。


「……話の流れからすると、お前も悪魔なんだろうな。でも俺は、素性も知らない相手と交渉するつもりは無いぜ」

「ほう、そなたの言うことにも一理ある。じゃが、そなたもそれほど悪魔のことについて素性を知っているわけでも無かろう。まさか、そこの悪魔の言うことを鵜呑みにしているわけではあるまいな」


 少女は試すように語る。


 だが素也は、普段の凶悪顔を、より凶悪にして言った。


「正誤を判断する基準が無い以上、それは真理栖もお前も一緒だ。けどな、真理栖とは少しだけだが、お前より付き合いが長い」


 それを聞いた少女が、浅く頷く。

 そして真理栖を一瞥した。


「……これはよき主人に巡り合ったものよな。『裏切り者』には惜しい人材よ」


 少女の言葉に、真理栖が反応した。

 その真理栖の肩を、素也が掴んだ。彼女が顔だけ振り向かせた。


「なんですかー」

「一つ聞きたい。この子が、義経と誓約を交わした悪魔に違いないのか」

「ええー、そうみたいですけどー」


 質問の意図がわからない様子の真理栖を置いて、素也が一歩前に出た。

 少女に向かって言う。


「お前の素性が知りたい」


 少女がにっこりと笑った。


「話を聞いてくれる気になったかのう?」

「まあな」


 そう言うと、背後から真理栖が抱きついてきて、内緒話でもするように小声で語りかけてきた。


「……素也さんー、こんな女に騙されたら人生失いますよ。口だけは達者な女ですからね。騙されるのは私の色香だけにしておいてくださいー」

「お前の色香に騙された覚えはない。……俺にも考えがあるんだ。それに俺は、この学校にいる悪魔を全部確かめなきゃ、安心して夜も眠れないんだよ」


 目前の少女に聞かれるのも構わず、素也は言った。

 これはつまり、学校にいるであろう悪魔を確認するまではソロモン戦争を抜けない、という意思表示であった。


 こう言われては、真理栖に反論するべき理由は無い。


 そして素也には、もう一つ、確かめなければならないことがあったのだ。

 二人に結論が出たことを悟った少女は、首を傾げながら口を開いた。


「さて、我の素性をさらせと言われたとて、まさか真名まで明かせと言わぬわな。凶器などは持っておらぬから、身体検査なら存分にやるとよい。さて、他に身の潔白を証明する方法はあるかのう。釜茹では勘弁してもらいたいのじゃが」


 素也は呆れた顔をしたが、後ろにいる真理栖に聞いた。


「……真名って何だ。そんなに重要なのか」

「そうですねー、真名を知られるというのは弱みを握られるのと同じですね。誰にも言えない性癖を発散している現場を、カメラで激写されるようなものですー」

「その説明で理解させられる俺の気持ちにもなれ」

「ところでー、素也さんは私の真名が知りたいですかー」

「知らんでもいい。勝手にやってろ」


 彼が正面を向くと、少女が上着を脱ごうとしていた。


「お前は脱ぐな。服を着ろ。話はそれからだ」

「……ふむ。ならば身体検査もしないのじゃな?」

「誰がするか。人間界で使ってる名前と、特性を聞かせてもらいたいだけだ。特性については、真理栖が知ってるみたいだから秘密ってわけでもないんだろ」

「話を聞いてもらう取引としては、問題はないぞ。……我の肉体の名前は、在伏加零(ざいふかれい)でよい。特性は『学問に秀でる』『弁論で罪から逃れる』というものであろうな。ちなみに序列は六十五位の大公爵じゃ。そこな女よりも上であるからな」

「あ、そう。俺は門浪素也で、こっちは安藤真理栖だ」


 どうでもいいように素也が言った。

 加零が細目で睨んでくる。


「我は偉いのじゃぞ?」

「ふーん。ま、何となく大公爵ってのが偉いのはわかる。けど、序列って何だ?」

「悪魔個人の力の強さじゃ。まあ、実際に戦ったわけではないから前評判みたいなものじゃがな。身分や軍団数は、地獄における影響力よ。……そんなことも教えてもらっておらんのか」

「いや、興味ねーし」

「序列最下位の相棒とは思えぬ言葉よな……」

「……最下位か。やっぱりな」


 彼が振り向くと、真理栖は照れたように後頭部を掻いた。


「えへー、まあ、そういうことですー」

「別にいいけど」


 素也が再び体勢を元に戻すと、加零が呆気に取られていた。


「それだけで許すのか? まともに考えれば貧乏くじを引いたようなものじゃぞ?」

「だから、許す許さねぇって話じゃないだろ。指輪が外れないんだったら、相棒の悪魔だって変わることが無理なはずだよな。それなら、今更こいつの不出来を悩んでも仕方ねぇだろ」


 これは半分以上、ソロモン戦争を勝ち抜いていく気の無い素也だからこそ言える言葉であった。

 彼は学校が安全にさえなれば良いのだ。


 しかし、そんな事情を知らない加零にとって、素也は面白い人間に見えた。


「ふむ、興味をそそる男よのう。どうじゃ一発、我に身を任せてみぬか? 悪いようにはせぬゆえに」

「その容姿で一発とか言うな」

「まあまあ、そう言ったものではないぞ。これはこれで、新しい発見があるやもしれぬからの……」


 加零が黒い回転椅子から立ち上がり、上着を脱ぎながら素也に近づいてきた。

 素也はこめかみを押さえて、深い溜息をついた。


「はあ……もういいか。真理栖、義経を押さえ込め」


 そう言った途端、義経がベッドの上で上半身を起こした。

 内ポケットに手を入れて取り出しのは、ベレッタM92F自動拳銃だった。

 

 しかし、銃を構える前に真理栖に取り押さえられる。


 素也は身動きの取れない義経から自動拳銃を取り上げた。

 苦笑いを浮かべながら、義経が言う。


「あれ……ばれてた?」

「当たり前だ。お前は真理栖よりも付き合い長いしな。狸寝入りしてるかどうかくらいわかるさ。……さて」


 彼は自動拳銃を片手で持ち、加零に見せ付けた。


「こいつで俺を脅そうとしてたのか、ったく。義経の意識が戻るまでの時間稼ぎとはいえ、お前も服を脱ごうとしてんじゃねぇよ。二十年早ぇ。……ところで、まだ話が必要か?」


 腕組みをした加零が、難しそうな顔をして言う。


「……仕方あるまい。そこの男はソロモン戦争の説明を聞いて夢を叶えるなり、銃を持って駆け出したのじゃ。策などあったものか」


 彼女は歯を食いしばるようにして義経を睨んだ。

 よほど恨みがあるのだろう、黒いオーラが見え隠れしている。


 睨まれている義経は、しきりに苦笑いを浮かべていた。


 加零は溜息をつくと、素也を見た。


「まあ、それは我に見る目が無かったのであろう。……それより後学のために聞いておきたいのじゃが、どうして事が露見したか理由を訊ねてもよいか」

「簡単だ。きっかけは、義経の行動が変だったことだな。それで気をつけてみれば、このざまだ」

「寝たふりを見破れたのは何故じゃ?」

「人間の生理現象だ。狸寝入りをしているやつは、どうしても唾を飲み込むから喉が動くんだ。本気で寝てる奴は、嚥下しないんだよ。義経の息を確認しながら確かめてみたら、案の定、喉が動いたからな」


 加零はそれを聞いて、腕組みを解いた。

 表情からも険が無くなる。


「なるほどの。人間の生理現象までは気が回らなんだわ。切り札さえも見せられずにここまでやりこまれたなら、完敗じゃのう」

「切り札?」


 素也が眉を寄せると、加零が当然のように答える。


「そうじゃ。そなたも夢を叶えたであろう。ソロモン戦争の切り札にして、最大の武器よ。……義経が持っている銃がそうじゃ」

「銃って、これのことか」


 彼は片手に持っていた銃を持ち替え、銃杷を握った。

 モデルガン仕様の金属製なのか、玩具にしては重かった。


 そして銃爪に指をかけると、義経が騒いだ。


「あ、ちょ、それ駄目、引き金に指をかけるなって。暴発したらどうすんだ」

「なにビビッてんだよ」


 顔を引きつらせた義経が、控えめに言った。


「それ、実銃なんだよ。僕が叶えた夢は『玩具の銃器を実物に変える』だからな。僕の手から離れても、五分くらいは実物のままなんだ」


 背筋に冷たいものが走る素也だった。

 手に持っている銃が、急にひどく重く感じられた。ついでに嫌なことも思い出す。


「あ、そういえばお前、俺に銃を向けようとしやがったよなぁ?」

「いや、僕は実際に銃口向けてないし、撃つ気もなかったんだ。ホントだよ?」

「でも俺を脅す気だっただろ」


 持っていた自動拳銃を、恐々と誰も手の届かない棚の上に置く素也だった。

 それから、義経を押さえつけている真理栖に言った。


「こいつの腕を捻り上げろ」

「さー、いえっさー」


 体勢を入れ替えた真理栖は義経の背後に回り、腕の関節を極めた。

 いでででで、という悲鳴のBGMを聞きながら、素也は加零に言った。


「そんじゃま、こんな危ない夢は消させてもらうからな」

「……その前に、我の話を聞いてくれぬか?」

「まだ何かあんのかよ」

「うむ、我にも都合というものがある。そうでもなければ、ソロモン戦争などに参加などせぬよ。そういうわけであるから、ここは一つ、手を組まぬか」


 それを聞いた真理栖が、口を尖らせて言う。


「何を言ってるんでしょうねー、まったくー」

「罠にかけたことは謝罪しよう。それも含めて手を組もうと言っておるのだ。我が直々に誓約をするゆえ、文句はなかろう」

「内容によりますけどねー」


 それだけ言うと、真理栖は明後日の方向を見た。

 どうやらこれ以上、口を出す気は無いらしい。


 逆にそれが、加零の言う誓約という代物の実効性を証明していた。

 加零は素也に向き直り、真剣な眼差しで言う。


「我は門浪素也の生涯に、何一つ危害を加えぬことを誓おう。そなたが勝つように、ソロモン戦争にも協力する。……ただし、ソロモンの指輪が完成した暁には、我を封印しないことを誓ってもらいたい」

「……そんなこと言われてもな。指輪が完成したら、その持ち主は加零に好きな命令を下せるんだろ? だったら、封印しなくても行動の自由は奪えるだろ。……そもそも、俺が指輪を全部集められなかったら意味ないし」


 素也は困り顔で応じたが、加零の態度は変わらなかった。


「封印されなければよいのじゃ。無限の退屈に落とされるよりは、手下のように扱われて憎悪に身を焼くのも悪魔らしいと言えよう。それにじゃな、素也が指輪を集められなかったとすれば、我の協力が足らなかった所為じゃ。そなたを責めることではない」


 どうしたものか、と素也が真理栖を見ると、彼女は「好きにしてくださいー」とでも言いたげな顔をしていた。


「どうなのじゃ」


 加零に詰め寄られた素也は、そうだな、と頷いた。


 どうせこのままソロモン戦争を戦い抜く気は無いのである。

 それほど邪悪な考えを持っているようではないので、学校のことさえ落ち着けば、後は任せてもいいような気がしてきたのだった。


 それに加えて、三体の悪魔のうち一体が味方になるのは頼もしい限りだ。

 素也が当初から懸念していた、携帯電話にかけてきた悪魔とも違うのだろう。


「わかった。その申し出を受ける」

「……ふむ、感謝する。我は三十の軍団の長、序列六十五位のアンドレアルフス大公爵じゃ。よろしく頼む」


 加零が顔を綻ばせた。


 それは歳相応の少女が無邪気に笑っているように見えて、彼には何だかくすぐったかった。

 

そこで、いででででで、と続いていたBGMが途切れた。

 ベッドから降りた真理栖が、てくてくと歩いて保健室から出て行こうとしている。


「どこいくんだ?」


 素也が聞くと、彼女は、へら、と笑って答えた。


「トイレですからー、先に教室へ帰っておいてくださいー」


 保健室の戸が閉まる。

 素也はよくわからない苛立ちを感じた。


「何だ、あいつ」

「妬いておるのではないか?」

 

彼のぼやきに反応した加零が、ニヤついた笑いを浮かべる。


「ある意味、我がそなたの配下になったようなものであろう。あるじの寵愛が分散されるとでも思っておるのだ」


 わからぬものではない、と加零が頷く。

 彼は口元を歪めて言った。


「そんな女かね、あいつが」

「男であろうと女であろうと、好意を抱く者に認められることは嬉しいものじゃ。独占したいと思うことに無理は無かろう。しかもそれが、過去のあるじと瓜二つならば余計に、のう?」

「は? 瓜二つ、って何だよ」

「そなたじゃ。初めてそなたの顔を見たときから気になっておったのじゃが、そなたはソロモン王と瓜二つであるぞ」

「へ?」

「あの者――真理栖があれだけの好意を示しているのは、恐らくそのためじゃ。我とて例外ではない。ソロモン王と似ているそなたであるからこそ、賭けてみたいと思ったのじゃぞ?」

「………………」


 素也は、今の自分の気持ちを上手く言葉にすることはできなかった。

 ただ、居心地が悪いような気分だけが、胸の中に残っていた。


 もどかしさを振り払うように、ベッドの上で悶絶している義経に声を掛ける。


「お前はいいのかよ。こんなことに巻き込まれて」

「いてて。……ん? いいんじゃないか。面白そうだろ。素也がやるんなら、僕も手伝うぜ?」


 何を考えてるんだお前は、と言おうとして、素也は口を噤んだ。


 少し頭のネジが飛んだ友人のことを思う。

 指輪を手に入れるなり夢を叶えて実銃を持ち出し、嬉々として素也に襲い掛かってきた男なのだ。


 何も考えてないに違いない。


 そう結論がついた。

 ならば、義経について素也が悩んでも仕方がない。


「……と、なると」


 残る問題は、残存勢力である二体の悪魔。


 そして、そのうち一体の悪魔による放課後の呼び出しについてだ。


 学校の生徒を人質に取るような脅しを使い、素也の携帯番号を調べ上げる情報力を持っている悪魔というのは、面倒以上の存在である。


 そこで素也は思い出した。加零を見ながら言う。


「そういや、何か情報があるとか言ってなかったか?」

「ふむ、あまり期待をせんで貰いたいのじゃが」

「参考程度に聞け、ってことか」


 こくん、と無言で頷いた加零が、思い出すように喋り始めた。


「我がこの学校に来たとき、妙な格好をした女に遭遇してのう。パートナーにしようと思ったが、他の悪魔に横取りされたのじゃ。それからは会っておらぬから、横取りした悪魔も、その女の夢も、結局はわからず仕舞いじゃがな」

「妙な格好か……。俺が見ても妙だと思うか?」

「そなたの美意識を知らぬから何も言えぬが、まあ、目を惹くことは間違いないぞ?」

「そうか」


 とりあえず参考にしようと思う程度の情報だった。

 しかし、あると無いでは大違いなのが情報の怖いところだ。

 

 奇抜な格好、という単語を頭の片隅に残しながら、素也は言った。


「それじゃ、この場はひとまず解散といこう。保健の先生が帰ってくるかもしれないからな。俺と義経は、普段通りに授業を受けるぞ。加零はどうする?」

「心配要らぬ。人目につかぬよう、身を伏せておく。我を呼びたくなったら連絡するがよい」


 加零はそう言って、ポケットから携帯電話を取り出してきた。


「悪魔も携帯を持ってんのか……」


 素也は感嘆しながらも、加零と通信機能で連絡先を交換し合う。

 世界ってやつの懐は案外深いのかもしれないな、と彼は思ったのだった。



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