大賢者、殴る
ミーシャがアルの部屋を訪れるずっと前の頃。
放課後、ステラが校舎の中を歩いていると、前方から歩いてきたセゲールに声をかけられる。
「セゲール先生、こんにちは」
「やぁステラ、丁度君を探していたところなんだ」
「私を……ですか?」
「うん。偶然時間が空いたからね、図書室に付き添おうと思っていたんだ」
それはありがたい話だった。
自分だけでは禁書庫を使用できない。セゲールが付き添ってくれる時だけしか使えなかった。
だがセゲールは教師であり、彼にも自分の用事があるのでずっと時間を取ってもらえる訳ではなかった。
ここ最近は合間を縫って協力してもらっていたが、それでも毎日という訳にはいかない。限られた日、限られた時間しか禁書庫を使えなかった。
禁書庫以外の手段でも呪いを解く手掛かりを探していたが、やはり禁書庫に置いてある書物以上の有益な情報は見つからなかった。
なので、セゲールから付き添ってくれるというなら是が非でも行きたい。ステラの返事は決まっていた。
「ありがとうございます。お願いします、先生」
「うん、じゃあ早速図書室に行こうか」
「あっでも……」
「どうしたのかな?」
セゲールが催促してくるが、ステラは悩まし気な顔を浮かべて踏み止まる。
彼女が浮かない顔をしているのは、アルについてだった。
呪いについて、また己の過去を打ち明けた日から、アルにはずっと協力してもらっている。
それはアルも自分同様に呪い子であり(神子でもあるが)、呪いを解く方法を探したいという理由から、協力関係を結んだのだ。
本人は余り呪いについて悲観しておらず、本当に呪いを解く気があるのか疑わしくもあり、ただ自分に付き纏いたいという邪まな考えではないかと邪推してしまう(その通りです)が、それでも今まで自分に付き合い協力してもらっていたのは確かである。
自分一人だけセゲールと禁書庫に行ってよいのか、アルを誘わなくてもよいのかと戸惑っているのだ。
そんな彼女の困惑を察したセゲールは、優し気な声音で彼女に告げる。
「アルのことかい」
「……はい」
「彼は君を手伝っているだけだろう? アルが居なくも別に問題ないんじゃないかな。それに彼にも彼の用事があるんじゃないか? 毎回付き合せるのも可哀想じゃないかい」
「そう……ですよね」
「今からアルを誘うとしても見つけるのに時間がかかるんじゃないかな。僕も余り時間は割いてあげられないから、二人でって言うなら今日のところは無しにしようか」
気持ちを汲んでくれたのか、小さくため息を吐いて提案してくるセゲールに、ステラは「いえ……」と言い、決心がついた顔でセゲールを見上げる。
「大丈夫です、行きましょう」
「君ならそう言うと思っていたよ。さぁ時間がもったいない、行こうか」
「はい」
◇◆◇
「収穫はあったかい?」
「いえ……何も……」
セゲールの質問に、ステラは悔しそうに歯を噛み締めながら答える。
呪い関しての書物はある。だが、どれもこれもステラが求める物ではなかった。
呪いについての事件簿。発見された呪いの種類。呪いを題材にした物語。呪いについての考察。タメにはなるが、肝心な呪いを解く方法について書かれた書物は一切見つからない。
何故どこにもないのか。やはり呪いを解く方法なんて存在しないのか。
焦るステラに、セゲールが声をかける。
「一度聞いてみたかったんだけど、ステラは呪いについてどう思っているのかな」
「そんなの……誰もが知るように最悪な力ですよ。現にこの忌まわしい力のせいで、私は人生を狂わされたんですから」
呪いを受けた呪い子の末路は悲惨だ。
不幸を呼び寄せ、否応なく周囲に迷惑をかけてしまう。無論、周囲だけではなく自分に対してもだ。
ステラはこの手で最愛の家族を殺してしまい、人生を狂わされた。ジョセフの助けがなかったら、今この時まで生きてはいなかっただろう。
国によっては即抹殺対象に認定される呪い子。
そんな厄介なものなんて、害悪以外のものではないだろう。
「君の境遇には同情するよ。でも僕はね、呪いは忌むべきものではないと思うんだよ」
「はっ?」
「だってそうだろう? 呪いはどれも一国を亡ぼせるほどの強大な力なんだ。それも、魔法とは全く異なる超常の力さ。物によれば世界だって自分のものにできる。祝福なんかよりもよっぽど優れた力だよ。
そう……呪いとは単なる力に過ぎないんだ。この世界は呪いを危険視しているけど、それは恐いからなんだよ。自分が殺されるのが嫌だから、忌むべきものとして迫害している。それって傲慢だと思わないかい?」
「いったい何を言っているんですか……先生」
呪いについて話し始めてから、セゲールの雰囲気が一変した。
いつも頼りなくふんわりとした空気を身に纏っているのに、今はなんだか怪しい気配を漂わせている。
それに気付いたステラは、椅子から立ち上がって警戒した。
「僕はね、ステラがとても羨ましいんだ。神に選ばれた、強大な力を与えられた君のことがさ。僕も選ばれたかった。何故神は僕ではなく、君のような何の取り柄もない子供に力を与えたんだろうんね。理解に苦しむよ」
「あなた……本当にセゲール先生なの?」
「そうだとも。僕は名誉あるバビロニア魔法学校の教師であると同時に、神に身も心も捧げた敬虔な信徒だよ」
「来ないで――うっ!?」
近寄ってくるセゲールに対しステラが魔法を行使しようとするが、魔力が上手く練れず魔法を発動することができなかった。
それどころか、突然強烈な眠気が襲ってきて意識が朦朧としてしまう。
「やっと眠りの魔法が効いてきたようだね」
「い……つの間に……」
意識を保てなくなってしまったステラは、眠気に抗えず気絶してしまう。
倒れる寸前に彼女を受け止めるセゲール。彼はステラを見下ろしながら、悪魔のように嗤った。
「さぁ、神に会いにいこうか」
◇◆◇
「うっ……ここは……」
目が覚めるステラ。まだ微かに眠気が残っているが、それでも瞼を開けて自分に起こった状況を把握しようとする。
「森の中……なんでこんなところに。そうだ、確か禁書庫でセゲール先生に――っ!?」
周りの状況を確認すると、どうやら暗い森の中にいるようだった。
そして、禁書庫でセゲールに魔法で眠らされたことも思い出す。セゲールの態度が急変して、抵抗しようとした瞬間急激な眠気に襲われた。
この時点でようやくステラは気付く。自分はセゲールの罠にまんまと嵌められたのだと。
早くここから逃げないと、とステラは慌てて身体を動かそうとするが――、
「動かない!? ってなによこれ!?」
身体に異変を感じたステラは、やっと自分が置かれた状況に気付く。
自分を中心に、巨大な魔法陣が描かれている。そして祭壇の上に設置されている十字架に、手足を鎖で拘束されていた。ぐっと力を入れて強引に外そうとしてもビクともしない。
ならばと魔法を使おうとしても――、
「くそ……魔力が上手く練れないッ」
「おや? どうやら目が覚めてしまったみたいだね」
「セゲール先生……!」
魔法によって眠らされた影響か、魔力の制御ができない。
魔法が使えないことに動揺していると、暗闇の中からセゲールが現れた。ステラはセゲールを睥睨しながら問いかける。
「なんのつもりよ……私をどうするつもり!?」
「優秀な君にしては察しが悪いね。古今東西、十字架に縛られた者がどうなるかは決まっているじゃないか。生贄だよ生贄。君を神への供物にするための生贄にするんだ」
「生贄……神って……いったい何を言っているの?」
「あらあら可哀想に。混乱して状況が飲み込めていないようだね」
やれやれと言わんばかりに肩を竦めるセゲール。
彼は本気だ。神や生贄など馬鹿げたことを本気で口にしている。
という事は本当に、自分は神の生贄にされてしまうのだろうか?
このまま殺されてたまるかと、ステラは怒りを露にして抵抗する。
「ふざけるんじゃないわよ! 何で私がそんなふざけた物のために死ななきゃならないってのよ!」
「ふざけたものだと……? 口を慎めよ!」
「うぐっ!」
今まで温厚だったセゲールの顔が鬼のような形相に変貌し、ステラの頬を強く叩いた。
「お前如きが最上の存在である神を侮辱するなぁ!」
「がはっ!」
激昂するセゲールは、ステラの腹に拳をめり込ませる。
ステラの苦し気な表情を見て溜飲が下がったのか、セゲールはふぅと小さく息を吐いた。
「いけないいけない、僕としたことが神に捧げる供物に傷をつけてしまうところだった」
「どう……して、私なの?」
痛みに耐えながら、ステラは問いかける。
何故、自分なのかと。どうして自分でなければならなかったのかと。
その問いに、セゲールは嗤いながらこう答えた。
「そんなの決まっているじゃないか。君が“呪い子”だからだよ」
「――っ!?」
「呪い子の君を生贄に捧げることで神は復活するんだ。それ以外に君を選ぶ理由があると思うかい? 本当は自分でも分かっているんだろ?
それなのに敢えて聞くのは縋りたかったんだ。呪いとは無関係だってね。けど残念、君が選ばれたのは呪い子以外なにものでもない」
「は……はは……」
乾いた笑い声を漏らす。
結局“これ”だ。呪いを受けたしまった時から、己の運命は既に決まっていたんだ。
呪い子の末路は悲惨。まさにその通りじゃないか。
『吸魔』の呪いを受けたこの右手で、母親を殺めてしまった。今まで親しかった街の人達からは化物を見る目で見られ、罵詈雑言を吐き捨てられ、石を投げつけられた。
最早絶望しか残っておらず、死のうと決意した時にジョセフに救われて、一からやり直して魔法学校にも入学できたのに、結局このザマだ。
呪いの運命からは逃れられない。
(くそ……なんで私が……私が何をしたっていうのよ!)
悪いことなど一つもしていない。
なのに何故、自分がこんな目に遭わなければならないんだ。
やるせない悔しさに、ステラの目から涙が零れ落ちる。
「おや、泣いているのかい? 何を泣くことがあるのさ、君は悲劇のヒロインではないんだよ。むしろその逆さ、神に選ばれたことを光栄に思いたまえ!」
セゲールはステラの髪を鷲掴み、無理矢理顔を上げさせる。ステラの瞳に映るセゲールの顔は、狂気に塗れていた。
(私……死ぬんだ)
もうどうにもならないと悟る。
どうあっても、この状況から生還することは不可能だ。
(嫌だ……死にたくない。生きたいッ!)
が、悟った途端に本能が生きろと叫び声を上げた。それは人間として極当たり前の本能。死にたくない、生きたいという生存本能によるものだった。
こんな運命なんかに負けるなと、最後まで抗えと、胸の奥底にある心が必死に叫んでくる。
その本能が、何もかも諦めていたステラの意志に火を点ける。
「助けて! 誰か助けて!」
「はっはっは! 無駄無駄! こんなところに助けに来るやつなんている訳ないじゃないか!」
「ジョセフ先生!」
「バカだねぇ、あの陰険男が助けに来る訳ないじゃないか。無駄な抵抗はよしたまえ、見ていて見苦しいぞ」
「助けて……アルーー!!」
「喚くなと言って――」
「髪は女の命だって母ちゃんに教わらなかったか?」
「へっ? ――ぐぉえええええええええええええええ!?!?」
拳一閃。
振り抜かれた拳がセゲールの頬に突き刺さると、彼の身体は木々を薙ぎ倒しながら果てしなく遠くまでぶっ飛んだ。
(えっ……?)
何が起こった?
突然の事態にステラが困惑していると、見覚えのある顔が月夜に照らされる。そこでようやく、ステラは“誰が”助けてくれたのか理解した。
「遅くなってごめん。もう大丈夫だから」
「……アル」
自分の窮地に駆けつけてくれたのは、アルだった。




