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侯爵夫人はときめきたい!前編(マリー視点)


マリーは貧しい家で生まれ育った。幼い頃から食費もままならず、それなりの年齢になると花街で働き始めた。

そこでマリーはひとりの美しい男に出会う。キラキラの金髪にモスグリーンの瞳をした正体不明の男にコロッと恋に落ちてしまったマリーは数ヶ月ほど彼と生活を共にした。そして、ある日突然男は姿を消してしまった。

ここで終われば若い頃の失恋話で終わったのだが、運悪くマリーのお腹に子供ができてしまった。困ったマリーは数回関係を持ったことのある客の子供だと店主に告げた。それならしょうがないと店主が納得してくれればそれで良かったのに、あろうことかその客の男が責任を取って身請けまでしてくれてしまった。

妻子がいるというその客はマリーと生まれた娘に住み心地の良い家をプレゼントし、生活費まで与えてくれた。ここまできたら秘密は一生守ろうとマリーは心の中で誓った。


そうやって、娘と二人慎ましく暮らしていければそれで良かったのに、思わぬ転機が訪れる。


「侯爵家に、ですか?」

「ああ、君たちには不便な思いをさせてすまなかった。本邸の妻が亡くなったんだ。娘が一人いるんだが、男手ひとつで育てるのは不安だから、ぜひ君とアイラに来てほしい」

「そんな…」


本当は断りたかったが、アイラにきちんとした教育を受けさせてやりたいという気持ちもあった。

なにより、侯爵は断る事を許してはくれない目をしていた。


侯爵家で初めて対面した、本妻の娘のリリーはとても可愛らしく、しっかりと侯爵の面影のある少女だった。


「リリー、一緒におやつを食べない?」

「あ…ありがとうございます」


母親代わりとして屋敷にやってきたのだからと気合を入れて何度かリリーに声をかけたが、リリーの反応はあまり嬉しそうでは無かった。


(そりゃそうよね。リリーからしたら母親の敵みたいなものなんだし)


マリーはリリーの気持ちが落ち着くまでは暫く距離を置こうと、陰ながらリリーを観察するに留めることにした。


「あれは、リリー?」


そんなある日、マリーはリリーが庭の茂みに隠れるようにしているのを見た。何をしているのかと後ろから近づくと、リリーはマリーには気づかず、茂みからパッと飛び出す。


「わあ!」


両手を上げてリリーが脅かそうとした相手はつなぎを着た少年だった。


「…バレバレ」

「ええー?絶対気付いてないと思ったのに」

「茂みからスカートだけ見えてたよ」


不満そうなリリーを見て少年は苦笑いをする。


「お茶会でガトーショコラが出たからアルにあげなきゃと思って持ってきたの!」

「もう11歳なんだから、お茶会のお菓子隠して持ってくるのやめろよ…」

「だって、アルはガトーショコラ好きでしょ?」


お茶会というのは今日リンド家で開かれていたものだろう。リリーはとてもお行儀よくしていた記憶のあるマリーは一体いつお菓子を隠したのかと首を傾げる。


「はい、あーん」

「ばっか、自分で食べれるし!」

「そんな泥だらけの手で食べたらお腹壊すよ?」


ガトーショコラを食べさせようとするリリーに顔を赤くする少年。


(か、可愛い)


少年少女のあまりに純粋なやりとりにマリーは身悶えた。結局リリーに押し切られる形でガトーショコラを『あーん』で食べる羽目になった少年の顔はゆでだこのように真っ赤だった。


「ねえ、たまに庭で見かけるつなぎを着たリリーと同じ年頃の男の子って誰かわかる?」


その晩、マリーはメイドの一人に尋ねた。


「たぶん庭師の息子のアランですね。焦茶色の髪の子でしょう?」

「そうそう。庭師の子なのねえ…リリーと仲がいいの?」


マリーの言葉にメイドは微笑む。


「幼馴染なんですよ。亡くなった元侯爵夫人は私たち使用人とも親しくして下さる方だったので…」

「そう…リリーが心許せる相手がいて良かったわ。私はまだ警戒されているみたいだから」

「そんなことは無いですよ。ただ、リリー様は繊細な方なので旦那様の気持ちを敏感に感じ取っているのかもしれませんね」


たしかに、侯爵はリリーがマリーやアイラに近づくのをあまり良くは思っていないらしい。リリーの母親代わりにと連れてこられたマリーとしては納得できない部分だったが、自分も大きな秘密を抱えている手前、妙な探りを入れることはできない。


それから時々、リリーとアランのやり取りを見守っていたマリーは重大なことに気づく。


「アランってリリーの事好きよね?」

「気づいてしまわれましたか…」


リリーがアランに顔を近づけたりすると顔を赤くしたり、無邪気に放たれる『アルすごい!』の言葉に頬を緩めたりする姿を、最初は思春期ゆえの照れかと思っていたのだが、アランがリリーを見る眼差しは好きな女の子を見るそれだった。


「もう、キュンキュンしちゃうわー」


マリーの言葉にメイドは目を丸くした。


「分不相応だとお怒りになられないのですか?」

「そんなこと言ったら、私が侯爵夫人なのが一番分不相応よ」

「そんなことは…」


マリーは平民で、子供時代はアランより貧しい生活をしていたし、教育もまともに受けていない。むしろアランの方が立派な育ち方をしているだろう。


「まあ、リリーには婚約者がいるからそれは問題なのかもしれないけど…肝心のリリーはあんな感じだし」

「お嬢様は純粋な方ですから」


リリーはアランの好意に全く気づいておらず、急に近づいたりしても全く照れる様子がない。アランがとてつもない勇気を出した『リリーが一番かわいいよ』の言葉にも無邪気に喜んでいた。


侯爵家に入って2年もするとマリーは本格的に侯爵夫人としての仕事を任されるようになった。

平民出身だと蔑んでくる貴族の相手をし、警戒心剥き出しの奥様方のコミュニティに何とか入り込み、家の中の采配を振る。幸い、侯爵家の使用人たちは優秀で親切だったが、それでもマリーのストレスは募っていくばかり。

おまけに、娘のアイラは何故かリリーにやたらとちょっかいをかけ、困らせているのだ。


「アイラ、どうしてリリーを困らせるの?貴女はリリーのことが好きでしょう?」

「だって、お姉様の困った顔を見るのが好きなんだもん。お姉様が泣いたらとっても可愛いと思う」

「アイラ!」


薄々気づいてはいたが、アイラの性格は完全に父親譲りだった。嗜虐趣味というと言い過ぎだが、他人の嫌がる顔を見るのが楽しくてしょうがないらしい。アイラの父親がかつて花街でやらかしたいくつかの事件を思い出してマリーは顔を青くした。

ただ、貴族社会においてアイラのこの性格はいい方向に働いた。妾の子だと陰口を言う他家の令嬢をうまく貶め、自分の地位を上げる。アイラはこれが異常に得意で着々と貴族の子供達の中での自分の地盤を固めていった。

その様子を見た夫はますますアイラに期待し、リリーの扱いが悪くなる。これでは既に傷ついているであろうリリーの心をますます傷つける事になると、何度か夫に抗議したが冷たく『口出しするな』と言われるだけだった。


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