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後編


「リリー、開けて」


お母様が亡くなった後、私は悲しすぎて部屋から出られなくなってしまった。

外からアルの声が聞こえて、驚いてドアを開ける。


「アル、なんでここにいるの?」

「リリーが心配だったから。マルクさんが入れてくれた。何日もご飯食べてないんだろ」


アルの言葉にリリーは小さく頷いた。


「でも、悲しくて何も食べれないの。もうお母様に会えないなんて信じられない」


泣き出した私をアルは黙って抱きしめてくれた。


「いっぱい泣いていいよ。それで何もしなくていい。でも、ご飯は食べて。リリーが病気になったら奥様もきっと悲しむし、俺も嫌だよ」


アルは持っていた籠から葡萄を出すと皮を剥いて私に食べさせてくれた。


「…甘くて美味しい」

「だろ?」


お母様が死んでしまっても、葡萄は美味しい。そのことがなんだか悲しくてまた頬を涙が伝った。


「俺がずっとリリーの側にいるから。大丈夫だよ」


アルは私の背中をポンポンと優しく叩いた。

その言葉通り、アルは時間を見つけては私の側にいてくれた。マリー様とアイラがうちにやってきて、お父様がますます私に冷たくなった時も。


「リリー、もう我慢するのやめろよ。このまま我慢しても良くなることなんかないよ」


アルは冷静に私に忠告してくれた。


「でも、他にどうしようもないんだもの。私には何の力もないし」


アルは私の手を握った。


「じゃあ、俺と逃げよう。俺はリリーが好きだ。このままリリーが傷つくのなんか見たくない。リリーのためなら何でもできるから」


アルの真剣な言葉が嬉しかったけど、私はどうしても言葉を返すことができなかった。


「私、は…」


黙って俯いてしまった私を見てアルは困ったように笑う。


「まあ、子供だけで家を出るなんて現実的じゃないよな。よし、マルクさんにどうすればこれ以上悪くならないようになるか相談してみよう」


アルはわたしの頭をぐしゃぐしゃとかき回すと、部屋を出て行ってしまう。

一人取り残された私は、声が漏れないように枕に顔を押し付けて泣いた。


***


アイラから薔薇園の話を聞いた数ヶ月後、リリーはアイラの護衛騎士に囲まれていた。


「リリー様。申し訳ないのですが、我らと共に王宮に来ていただきたく存じます」

「なぜですか?」

「アルバート殿下がお呼びですので」


それなら手紙でも執事にことづけるでもやりようはあっただろうにと不審に思ったが、リリーは大人しく三人について行くことにした。


連れて行かれた先はアイラが話していた王宮の庭園に増設されたピンクのバラの薔薇園。

薔薇園の中央に設置された東屋の中にアルバートとアイラが寄り添うようにして待っていた。


「リリー、君との婚約を破棄させてもらう」


アルバートが静かにリリーに告げた。


「陛下と父はご存知なのでしょうか?」

「もちろんだ。君の素行についてはここにいる騎士達に報告させてある。その結果を踏まえて、父上と侯爵から婚約者変更の許可は得ている」

「では、異論ありません。婚約破棄しましょう」


リリーは表情を変えずに言い放った。


「え、いや、ちょっと待って。破棄の理由とかせめて聞いてくれないか」


あっさり承諾されると思っていなかったアルバートは少し困惑しながら言う。


「はあ、では理由をお教え願えますか?」


ゴホンとアルバートは咳払いをする。


「妹であるアイラをいじめるような性悪女は王太子妃に相応しくないからだ!」

「そうですね」

「そうですねって…」


アルバートは既にたじたじだった。


「返す言葉もないのね、お姉様!でも、この騎士達がお姉様の蛮行は全て記録していてよ!」


アイラの言葉に三人の護衛騎士がズラリと並ぶ。


「先月15日、リリー様はアイラ様を廊下で突き飛ばしました!」

(それは、廊下を走っていたアイラにぶつかっただけね)


「先月27日、リリー様はアイラ様のおやつを奪いました!」

(太っちゃうから食べてってアイラがいってきたやつね)


「今月2日、リリー様はアイラ様の礼儀がなっていないと公衆の面前で非難して恥をかかせました!」

(それは私じゃなくてバロック侯爵令嬢がやったことで、正直アイラの礼儀は非難されて然るべきだったし…)


というかこの騎士達はなんなんだ、本当に護衛として仕事しているのかとリリーは違うところに意識が飛んでしまったが、慌てて頭を振った。


「分かりました。もう、本当にわかりましたから婚約破棄しましょう!」


これ以上茶番に付き合う時間はリリーにはない。

侯爵が婚約破棄を知っているなら尚更だ。新しい婚約者が決まるまでの間に、リリーにはどうしてもやり遂げたいことがあるのだ。


「おお、では婚約破棄ということで…」

「婚約破棄するにあたって、お願いがあります。この紋章を消していただきたいのです」


リリーは手の甲の紋章を見せた。


「そうだな。婚約者の証である紋章はもうお前には必要ない。お前たち、紋章士のルークを呼んでこい」

「「「はい!」」」


護衛騎士たちは元気に返事をすると紋章士を連れでものの数分で戻ってくる。


「リリー様、本当に紋章を消してよろしいのですか?」

「もちろんです。殿下の婚約者で無くなった私には相応しくありませんから」

「しかし、この紋章を消す際は激痛が…」

「存じております。それでもどうしても、消したいのです」


リリーの言葉を聞いて紋章士はリリーが紋章の持つ力について本当に理解しているのだと気づいた。


「承知いたしました。では、手をこちらに」


紋章士が用意したクッションにリリーは右手を置き、紋章士はその上に手をかざすと何かの呪文を唱え始めた。

呪文が唱えられた瞬間、紋章が熱くなり皮膚が焼ける感覚がした。


「…っ」


声にならない悲鳴を上げながら、必死に耐えるリリー。

アルバートとアイラも思わず真剣な面持ちでリリーを見守った。


「終わりましたよ。お疲れ様です」


紋章士の言葉に右手を見ると、赤い薔薇の紋章は綺麗に消えていた。


「ありがとうございます」


目尻に涙を浮かべながら柔らかく微笑むリリー。この数年で一番幸せそうな笑顔だった。


「リ、リリー?」

「殿下、迅速な対応ありがとうございました。どうか、妹をよろしくお願いいたします」


膝をついて丁寧に頭を下げたリリーは、意を決したように立ち上がり、踵を返して走り出した。


「えーと…」


ポカンと口を開けるアルバート。

ガタッと音を立てて控えていたはずの三人の護衛騎士がリリーを追いかけて走り出した。


「いや!婚約破棄したからもう追いかけなくていいぞ!」


アルバートは護衛騎士に声をかけるが、彼らは足を止めることなく叫んで返事をする。


「何言ってんすか!こっからが本番です!」

「見逃すわけにはいかないので!」

「俺、ばあちゃんが危篤なので早退します!」


最後のは絶対嘘だろと思ったアルバートは完全に任務放棄をしている護衛騎士を他の騎士に捕らえさせようか考える。


「…あの出歯亀三銃士」


隣から低い声が聞こえてアルバートはバッとアイラを見る。


「いいじゃないですか、殿下。婚約破棄できたんだから」


いつも通りの愛らしい声に上目遣いでアルバートを見上げるアイラ。先ほどの声は空耳だとアルバートは自分を納得させた。


「ま、まあな。これでアイラと婚約できる」

「はい!嬉しいです」


アイラは玩具を手に入れたばかりの子供のように無邪気に微笑んだ。


「これからよろしくお願いしますね、アル様」


いつも通りの筈のアイラの笑顔にアルバートは何故か背筋が寒くなった。


***


リリーは人生で一番力を振り絞って走っていた。

令嬢としてはあり得ない全力疾走で、髪もドレスも乱れていたが、そんなことを気にしている場合ではなかった。

玄関を開けて、目を丸くする執事の横を駆け抜ける。慣れ親しんだ廊下からテラスに抜けて、赤と白の薔薇が咲き乱れる庭園を見回しながら駆ける。


「アル!」


リリーはようやく探していた背中を見つけた。

ベージュのつなぎに焦茶色の髪。


「リ、お嬢様?」


アランの空色の瞳が丸く見開かれる。

リリーは走った勢いのままにアランに衝突した。アランは咄嗟に抱き止める。

庭師の息子で子供の頃から侯爵家に住んでいたアランとリリーは幼馴染だった。まだ舌ったらずだったリリーはアランと上手く発音できず、その頃から習慣でアランのことを『アル』と呼んでいたのだ。母親が亡くなって一番辛かった時、側にいてくれたのはアランだった。


「私は、アルが好き」

「は」


あの時告げられなかった言葉の先が今はすんなり出る。

アルバートと婚約した時に刻まれた赤い薔薇の紋章にはリリーを護る加護以外に、『婚約者以外に好意を伝えられなくなる』制約が課されていたのだ。だから、婚約破棄されて紋章が消せた今、どうしても想いを伝えたかった。


「あの時、何も言えなくてごめんね。でも、私は本当にアルのことが」

「ストップ」


アランがリリーの口を片手で塞ぐ。

リリーは興奮していた頭がゆっくり冷えて行くのを感じた。アランはそのままリリーの手を引いて、庭園のベンチに座らせる。


「リリー」


アランの声にリリーが顔を上げると、目の前には空色の薔薇がみずみずしく咲き誇っていた。


「約束果たせたら言おうと思ってた。俺はリリーが好きだから一緒に逃げよう。絶対、俺が守るから」


アランの言葉にリリーの目に涙が浮かぶ。


「うん。アルと一緒ならどこにでも行ける。大好き」


リリーは思い切りアランに抱きついた。


「ううう、ぐすっ、よがっだあ〜」「ばっか、静かにしろよ!」「二人ともうっさい」


奥の茂みから声がして二人が茂みを覗き込むと、なぜかアイラの護衛騎士たちがいた。


「何してるの?」

「いや、二人がどうなるか俺たち心配で心配で…」


この護衛騎士達、元はリリーが王太子以外の男と親密な関係にならないよう監視の役割で派遣されたのだが、リリーとアランの両片思いに気づいて、いつの間にか応援したくなってしまったのだ。そして、アイラの護衛騎士になるよう言われたのをいいことに、アルバートとリリーが婚約破棄するのを祈りつつ、リリーとアランの様子を陰ながら見守っていたのである。


「二人ともお互いに目で追ってるのに全然気づかないし…」

「リリー様なんて、アイラ様とアランが話してるの見ると涙目になってるし」

「アランはアランで殿下にガン飛ばしてるし」

「お前ら仕事しろよ」


アランのツッコミは尤もである。


「二人とも、のんびりしている場合じゃありませんよ!」


別の方向から声がして、二人が振り返るとそこには執事を筆頭に屋敷中の使用人達が立っていた。


「マルクさん?なんでここに…」


アランがたじろぐ。


「私がお嬢様とアランのことに気づかないと思っていましたか?幼い頃から見ているお二人です。全てお見通しですよ」

「というか、屋敷の人間で気づいてなかったのは旦那様だけですけどね」


メイド長が呆れたように言う。


「これは、お嬢様の荷物です。あのクッキーの缶もちゃんと入ってますから、安心して下さい」

「こっちがお前の荷物だ。隣国のギリュー公爵家が青い薔薇を咲かせられる庭師なら喜んで雇うと言っている。俺の知り合いの庭師に話は付けてあるから」


アランの父親のベンがリュックをアランに手渡しながら手早く説明する。


「え?え?」


アランは目を白黒させた。


「アイラお嬢様と奥様が旦那様を引き留めてくださってますから、今のうちに出発して下さい」

「マリー様が?」


リリーは驚きで目を見開く。


「奥様はお嬢様のことをちゃんと想っておられました。旦那様の手前、表には出せなかったようですが本当は仲良くなりたかったんですよ。落ち着いたら手紙でも書いて差し上げて下さい」


メイド長の言葉に戸惑いながらもリリーは頷いた。


「親父、マルクさんありがとうございます。あと、迷惑かけてご」


バコンとベンがアランの頭を殴った。


「そんなこと言うもんじゃねえぞ。色々悩んで決めたんだろ。余計なことは考えないでお嬢様を幸せにしろ」

「…わかってる」


真剣な顔でアランは頷いた。


「もしも、お父様に危険な目に遭わされそうになったら絶対に連絡してね。…最悪の場合に備えた奥の手を用意してあるから」


リリーはマルクの目を見て真剣に告げる。


「お嬢様、ありがとうございます。もしもの時は連絡させていただきますが、お嬢様はまずご自分が幸せになることを優先して下さい」

「アランが浮気でもしようものなら連絡して下さいね。彼の弱みの10個や20個、屋敷の者ならすぐ出せますから」

「やめてくださいよ…」


メイド長の言葉にアランは苦笑した。


「辻馬車、捕まえてきました!」

「国境までの護衛は俺たちにお任せください!」


いつの間にか姿を消していた護衛騎士たちが舞い戻ってくる。


「貴方達、そんな事したらクビになってしまうわよ」


リリーの言葉に三人は笑った。


「アルバート殿下はどうせアイラ様の尻に敷かれるので問題ありませんよ」

「それに、リリー様はもう殿下の婚約者じゃありませんから、本来は自由の身なんです。侯爵様には俺たちを罰する権限はありませんから」

「それに、クビになっても気楽なフリーの傭兵に戻るだけで、痛くも痒くもありません!」


護衛騎士達の呑気な言葉にリリーもつられて笑う。


「皆、本当にありがとう。子供の頃からたくさん面倒見てもらって、こんなに迷惑かけて…」


リリーは深々と頭を下げた。


「私、絶対幸せになります」


顔を上げたリリーの力強い言葉に使用人達は嬉しそうに微笑んだ。




数週間後、マルクの元に薔薇の香りがする手紙が届いた。そこには、新しい地で力強く一歩を踏み出した若者の幸せそうな近況が書かれていた。そして、手紙の最後はこんな言葉で締め括られている。


『青い薔薇の花言葉は【奇跡】だそうです。私は最初にこの話を聞いた時、青い薔薇が奇跡を起こしてくれたのかと思いましたが、すぐに考え直しました。私に起こったのことは奇跡なんかじゃなくて、皆が力を合わせてプレゼントしてくれたものだからです。

本当に、ありがとう。』


マルクは微笑むとこの幸せと薔薇の香りの余韻のまま寝てしまおうと、そっと蝋燭の火を消した。




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