前編
赤と白の薔薇が咲き乱れる庭園。いつだって、私たちの遊び場はそこだった。
「リリーは本当に薔薇が好きだね」
「だってとっても綺麗でいい匂いだもの!」
アルはたまに意地悪だったけど、いつも私のことをよく見てくれている子だった。
「でも、本当は空色の薔薇が見たいの」
「うーん。青い薔薇って存在しないんだよ」
「そうなの?」
私が目に見えて落ち込むと、アルはため息をついて私の頭をぐしゃぐしゃ撫でた。
「今はないだけだから。俺が大きくなったら、リリーに空色の薔薇を見せてやるよ」
「本当?」
「約束」
まだ何も知らなかった私は、この先もアルとずっと一緒にいれると信じていた。
***
「アル様、お会いできて嬉しい!美味しい紅茶があるんですよ!」
バンと応接室のドアを開けて妹のアイラが飛び込んできた。リリーは困ったようにアイラを嗜める。
「アイラ、落ち着いて。まずご挨拶しなきゃ」
「気にするな、俺はアイラと話す時は王太子の責を忘れられる気がして気に入ってるんだ」
リリーの婚約者であるアルバートはそう言うと、アイラを見て少し微笑む。リリーはため息をつきそうになったが、慌てて飲み込んだ。
リリーとアルバートの婚約が決まったのは10年前。リリーが7歳、アルバートが9歳の時だった。一人息子であるアルバートの後ろ盾を増やすため、有力な貴族と婚約を結ばせたかった王家の希望での婚約だった。
アルバートはやんちゃな王子だったが、リリーも女の子としては活発だったので二人はいい遊び相手として幼少期は仲良く過ごしていた。
しかし、リリーが10歳の時に彼女の実母が亡くなってから、二人の距離は徐々に広がっていった。
リリーが悲しみのあまり部屋に篭りがちになり、その頃からアルバートは王太子としての教育が厳しくなり、二人が会う時間は減っていったからだ。
そして、リリーにはもう一つ問題が起こった。父親が愛妾とその娘を正式な妻と娘として家に連れてきたのだ。母親が死んで半年と経たずにやってきた新しい家族にリリーが馴染めるはずもなく、リリーは家でも孤立しだんだんと自己主張ができない少女に変わってしまった。
「お姉様、そのアクセサリーとても素敵ね!私にちょうだい?」
「分かった。あげる」
「私、ピアノを習いたいの!でも国一番の先生は侯爵家でも一人分しか教えてくれないんですって」
「いいわよ。私は別の先生に習うから」
アイラのお願いになんでも頷いてしまうリリーだったが、アイラを溺愛していた両親はアイラもリリーも咎めることはなかった。
「お姉様、このリボンとっても可愛い!私欲しいわ」
リリーが13歳になったある日、アイラが部屋にやってきて古びたリボンを手にそう言った。
「それは、ダメよ。とっても大切な人から貰ったものだから」
「いいじゃない、新しいのを買えば。このリボンの色ならお姉様の栗色の髪よりアイラの金髪の方が似合うわ」
たしかに、その空色のリボンはアイラの淡い金髪によく生えるだろう。リリーは柔らかい雰囲気で、どちらかといえば暖色が似合う容姿をしていた。
「ダメ!とにかく返して!」
リリーはアイラの手からリボンを取ろうとする。その表紙に二人は体勢を崩して転んでしまった。
転んだ時に大きな音がしたため、両親がリリーの部屋まで駆け込んできた。
「アイラ!怪我は?」
アイラの実母でリリーの義母となったマリーが慌ててアイラに駆け寄る。アイラは母親に抱きつくと大泣きをした。
「お姉様が!私からリボンを取ろうとして!」
アイラの言葉に父親は顔を真っ赤にしてリリーを叱り飛ばした。
「妹のものを取るなんて、恥ずかしくないのか?お前のような者は私の娘でもなんでもない!」
リリーはビクリと肩を揺らしたが、それでも立ち上がって侯爵を睨みつけた。
「そのリボンは私が人から貰ったものです。アイラのものではありません」
「そうなの?」とマリーが慌ててアイラに尋ねると、アイラは小さく頷いた。
「アイラ、それは「たかがリボンだろう。どうしてお前はそんなに心が狭いんだ?!」
マリーが何か言いかけたが侯爵が遮る。
「しばらく物置で反省していろ!」
侯爵はリリーの腕を引いて物置に連れて行くと、扉を閉めて外から鍵をかけて、夜になるまで出して貰えなかった。
その日から、リリーはますますアイラに逆らわなくなり、滅多に笑顔を見せなくなってしまった。
そして、アイラはリリーの婚約者であるアルバートにも目をつけた。
「アル様、私の誕生会に来てくださるって本当?」
「ああ、アイラの誕生日を祝いたいからな」
アイラは「嬉しい」と満面の笑みでアルバートの腕に抱きつく。リリーはそっと目を逸らした。
「私、アル様が大好き!」
薄々予想はしていたが、アイラは本格的にアルバートの婚約者の座を奪いたいらしい。王家からリリーに付けられていた三人の護衛騎士もいつの間にかアイラの護衛になっていたし、リリーのために派遣されたマナー講師もアイラの先生になっていた。
「お姉様、その手の甲の紋章は王家の婚約者だけが持てるって本当?」
ある晩、アイラはリリーの部屋までやってくるとリリーの手の甲に刻まれている赤い薔薇の紋章を指差して尋ねた。
「そうよ。王族と結婚する娘に害が及ばないよう、加護の力が込められた紋章なの」
この国には紋章士という職業が存在する。人に紋章を施すことによって、加護を与えたり、罪人には罰を与えたりすることができるのだ。刻まれた紋章はそれを刻んだ紋章士にしか消せない。
「素敵ね!王族に護られてるってことでしょう?私も欲しいな」
「王族と婚約したら嫌でも貰えるわよ」
リリーの言葉にアイラは眉を吊り上げた。
「お姉様って本当に可愛げがないよね。そんなんじゃ、アルバート様に愛想つかされちゃうよ」
「そうかもね」
リリーは早く部屋に戻るようにとアイラを追い出した。
アイラが部屋を出てしばらくすると、リリーはクローゼットの中に隠してある小さなクッキーの缶を開け、中から水色のリボンを取り出した。あの日、アイラがリリーから取り上げたリボンは、数日でアイラに飽きられたらしく、リリーの部屋の前の廊下に落ちていた。リリーはそれを拾って今度は見つからないよう仕舞い込んだのだ。
リリーは栗色の髪の毛をハーフアップにして水色のリボンで束ねる。リリーのオレンジ色の瞳と今日着ている淡い赤色のワンピースのせいか、そのリボンは一層浮いて見えた。
「似合わない、かあ」
あの日、リリーの心に一番深く突き刺さったのは、アイラが何気なく発したその一言だった。
(可愛げがなくて、どう頑張っても好きだって伝えられない。そんな私じゃアルに似合わないんだ)
リリーはため息をつくとリボンを外してクッキーの缶に仕舞い込んだ。
***
「え!すごーい!こんなに綺麗な種があるのね」
あるよく晴れた日、アイラの大声が聞こえたリリーは一応声のした方を覗き見た。
すると、アイラと庭師のアランが楽しそうに何かを話している姿が目に飛び込んできた。後ろに控える王宮から派遣された三人の護衛騎士が少々憎らしげにアランを見つめている。
(もしかして、彼らはアイラのことが好きなのかしら?)
天使のような見た目で無邪気な性格のアイラは男性から好意を寄せられることが少なくない。面倒ごとが起こる前にとリリーは慌ててアイラに声をかけた。
「アイラ、お仕事の邪魔をしてはダメよ」
アイラは使用人達とも距離が近い。かつてはリリーもよく使用人に懐いていたが、本格的に父親に嫌われ始めてからは、彼らが被害を被らないよう距離を置くようにしていた。
「お姉様、怖い顔なさらないでよ。ちゃんとお話ししても大丈夫な時間か確認したわ」
アイラが頬を膨らます。
「いえ、お嬢様の言う通り仕事に戻らなければならないので、俺は失礼します」
アランは一礼するとさっとその場を去ってしまった。
「お姉様って、やっぱりお屋敷の皆にも嫌われてるわよね。貴族ぶって気取るのやめたら?」
護衛騎士達には聞こえないようにリリーの耳元でアイラは囁く。
「貴女には関係ないでしょ」
リリーはアイラが肩に乗せてきた手を強めに払い除けた。
「痛ぁい!」
大袈裟に悲鳴を上げたアイラに三人の護衛騎士が慌てて駆け寄る。リリーは構わずその場を去ろうとすると、後ろから声がかかった。
「何をしているんだ?」
アルバートの燃えるような赤い瞳がリリーを憎らしげに見つめていた。
「ご機嫌よう、アルバート様。ただの姉妹の戯れですのでお気になさらず。それより、何のおもてなしの準備もしていないのですが、本日はどういったご用件で?」
アルバートは一瞬アイラを心配そうに見つめると、リリーに吐き捨てるように告げる。
「悪いがリリーに会いにきたのではない。アイラに王宮の庭園を案内すると約束していたから迎えにきたのだ。俺とアイラは将来は兄妹になるのだから、文句はないな?」
「ええ、ありません」
ちゃっかりとアルバートの腕に抱きついているアイラの早技に呆れつつ感心しながらリリーは答えた。
「私はこの後、リンド伯爵令嬢のお茶会に招待されておりますので、妹のことをよろしくお願いいたします」
リンド伯爵家からリリーが帰ってくると、満面の笑みを滲ませたアイラに捕まってしまった。
「聞いてお姉様!王宮の薔薇園はすごいのよ!赤い薔薇と白い薔薇が咲き乱れていて、薔薇の迷路になっているの」
幼い頃から王宮を出入りしているリリーは当然知っていたが、黙って話を聞く。
「でもね、私が一番好きなピンク色の薔薇はないの!そう言ったらアル様がピンクの薔薇園を新しく作ってくださるって!」
アイラの言葉にリリーの胸がチクリと痛んだ。
幼い頃の約束を、彼は忘れてしまっているだろう。
「良かったわね。侯爵家の薔薇園にもピンクの薔薇はないから」
「ピンクの薔薇園ができたらお姉様も一緒に観にいきましょうね!」
その言葉が、後にとんでもない形で実現するとは、この時のリリーは予想すらしていなかった。




