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拗らせ女は愛されたいし甘やかされたいし幸せになりたい〜ま、無理だってわかってるけど〜

作者: 狐の尻尾

 それは突然のことだった。

 あの出会いはまさに、青天の霹靂へきれきというにふさわしい。

 なつ()は飲み会の帰りだった。程よく酒精のまわった頭は、明日の天気や太らずにケーキを食べる方法など、取り止めもないことを考えていた。


「なあ、アンタ。俺ぁ、アンタに一目惚れしちまったみたいだ」


 ぼんやりとした頭の隅に、誰かの告白が引っかかった。夜中で人通りが少ないとはいえ、こんな街中で告白とは恐れ入る。

 言葉の軽さからするとただのナンパかもしれない。

 羨ましいな。ため息の直後、今度は息を詰めることになった。


「アンタだよ、アンタ。聞いてんのかい?」


 肩を叩かれ、慌てて振り向いた先には、目立つ身なりをした男が立っていた。

 広い肩をおおうのは、桜が吹雪く黒の羽織。緋鯉が泳ぐ灰色の着流しから、がっしりとしたな腕が伸びている。しなやかな筋肉に浮かぶ筋が色っぽい。

 一見するとコスプレのように見える和装姿が、異様に似合っている。

 目が合うと、男が嬉しそうに笑った。

 逃走を図ったのは、野生の勘としか言いようがない。決して関わってはいけない類の人種だと、直感が告げていた。

 ためらうことなく走り出す。踏み出した足はすぐに止まった、止めさせられた。

 逃亡劇は、三歩も行かずになつ音の敗北で終わった。あっさりと腕を掴まれたのだ。


「おっと、危ねえ。急に走り出さんでくれよ、見失っちまったらどうするんだ」


 見失ってほしい、切実に。

 世の中には、驚いたり怖かったりすると、絶叫できる人がいる。反対に、絶叫できない人もいる。

 なつ音は後者だ。ジェットコースターに乗っても、つい息を詰めてしまい「ヒィッ」という音しか出せない。

 つまり、この場で大声をだして助けを求めることができない。不幸にも金曜夜中の住宅地。人通りは皆無だ。


「まあまあ、そう警戒なさんな。何も今すぐとって食おうなんざ考えてねえからよ」


 あからさまに怯えるなつ音を安心させるためか、男はにっと笑ってみせた。愛嬌のある笑顔が反対に恐怖を助長させる。

「一目惚れ」した男が「夜道」で「一人歩き」の女性に声をかけ、「腕を掴んで」いる。

 警戒しない理由がない。今すぐでなくとも、いつかはとって食う気があることも問題だ。

 腕を掴む力は強く、どうにか抜け出そうともがいてもびくともしない。まだ痛みはないが、更に力をかけられれば、容易く手首は折れるだろう。

 心臓が縮こまった感覚がする。きっと今、心臓はいつもの三分の一になっているに違いない。どんどん手先が冷えてきている。心臓が小さくなり、血液が送られなくなった証拠に違いない。


「ほら、ケータイ出せ」


 ほらほら、と上に向けた手のひらに催促される。血の巡りが悪くなった頭にまともな判断はできない。

 のろのろと鞄からスマホを取り出した。指先の感覚が希薄だ。


「ちょっとロック解いてくれるか? これじゃなんもできねえよ」


 からからと笑われた。大口を開けて笑う姿に害意は見えない。

 促されるままにチャットアプリを立ち上げ、あれよあれよという間に連絡先の交換が済んでいた。


「よし、これでいつでも会えるな。頼むから、無視はしないでくれよ? 泣いちまう」


 肩をすくめておどけて見せてから、男は声をかけてきた時と同じくらい唐突に立ち去った。

 残されたのは、どの口が言うんだという「帰り道に気をつけろよ」の一言と、呆然と佇むなつ音だけだ。

 先程までのできごとすべて、酒の見せた悪い夢であってほしかった。煌々と夜闇に浮かび上がる携帯、その画面に表示された「瑞紀(みずき)」の二文字が、それは叶わぬ願いだと一蹴する。

 突如として降って沸いた非日常は、そうしてなつ音の人生に波紋を広げたのだった。




 1k、バス・トイレ別、オートロックつき、顔の見えるインターフォンはなし。

 なつ音の整えた、なつ音のための、なつ音だけの都だ。

 今日は週末、花の金曜日である。早々に入浴を済ませ、晩酌を楽しもうかという段になって、インターフォンが来客を告げた。

 特徴的な鳴らし方だ。もはやドアスコープを覗くまでもない。


「よう、なつ。今日は日本酒持ってきたぜ」

「……甘い?」

「いんや、辛口」

「帰って」


 扉の向こうにいたのは予想通りの人物だった。申し訳程度に開けた扉を、すぐさま閉めにかかる。


「私は甘いのがいいの!」

「まあまあ。日本酒は辛口がうめえんだからよ」


 ドアノブを両手で握り、腰を落として重心を低く保つ。後ろに座り込む気持ちで力一杯ドアを引いているのに、この男ときたら右手一本で易々とドアを開けて見せるのだ。左手に持ったたいそうな瓶を笑顔で掲げる余裕まである。


「ちょっと、勝手に入らないでってば」

「そんな固いこと言うなよ、ほら、なつも座れ」


 遠慮なく部屋に押し入り、我が物顔でクッションに腰を下ろす。

 恋人でもなんでもないのに、図々しいことこの上ない。


「恋人にはこれからなるんだろ?」

「心読まないで!」


 苛立ちを示すために腕を組んで仁王立ちしていたのに、軽く手を引かれるだけであっさりとバランスを崩された。気づけば男の膝の上に横向きに座り込んでいる。


「離してよ! ほんとなんなの、このストーカー」

「人聞きの悪いこと言うなって。俺ぁ、なつがホントに嫌がることはしてねぇんだから」


 どの口が言うのか。

 半年前に強引に連絡先を交換し、携帯を変える隙も与えずに、気づけばアパートの隣室に引っ越してきた男。

 確か隣は若いサラリーマンが住んでいたはずだが、彼はどこに行ったのか。どうか無事であってほしい。

 居留守を使えば、出るまで扉の前で一人勝手に話し続ける。チェーンをかけても同じ、チェーン越しに延々と取り留めもない会話を振ってくる。

 絆されたのか、流されたのか。

 根負けして一度部屋に上げたのが運の尽きだった。

 なんとも恐ろしいことに、最近はこの男が部屋にいるのが当たり前になりつつある。


「私、そもそも連絡先の交換だって納得してない。住所も教えてないのに、隣に来るとか気持ち悪い」

「それは悪かったよ。でもなぁ、ああでもしなけりゃ、アンタ俺とお近づきになってくれないだろ? ほっとくと逃げちまいそうだしよ、諦めてくれや。俺はアンタを手に入れるって決めてんだ」


 瑞紀が隣に来た当初は、なにをされるのかと生きた心地がしなかった。しかし悲しいかな、人間は慣れる生き物だ。

 一週間経ち、二週間経ち、ひと月もすれば隣人がストーカーという状況も当たり前になってしまった。積極的に話しかけてくる以外は、特に迷惑行為もない。

 からりとした夏の空のような男の雰囲気が、ストーカーから連想される陰湿さと正反対なせいもあるかもしれない。


 だが、油断は禁物だ。

 なつ音がこの男について知っているのは、瑞紀という名と、隣室に住んでいること、なつ音に一目惚れして猛アタックを仕掛けていること、酒好きで酒豪ということくらいだ。

 そしてこれらは良い面である。

 断片的に拾える情報には、もちろん悪い面もあった。

 電話の相手から若と呼ばれていること、ひどく殺伐とした空気をまとう時があること、冷淡な眼差しをすること、人を脅すのに慣れていること。極め付けは、背中に上り龍を飼っていること。

 ここまでくれば疑いの余地はない。十中八九ヤの着くご職業だろう。


「手に入れるとか意味わかんない」

「俺がなつを好きなように、なつも俺を好けってことだ」

「別に瑞紀さんのことは嫌いじゃないけどさ。気持ち悪いけど。でも、好きか嫌いかで大別すれば好きに入るよ」

「そりゃ嬉しいな。けど、そうじゃねえんだよ、困ったなぁ」


 全然困ってなさそうに笑うから、なつ音もするすると言いたいことを言える。

 なつ音の部屋にいる間、瑞紀はただの男だ。無体を強いることはないし、脅されることもない。好きだなんだと言いながら、手籠てごめにされることも、その素振りもなかった。

 妙な信頼感が生まれた結果、心の距離と共に随分とパーソナルスペースも狭くなった。


「私、多分恋愛できないと思うの。恋愛漫画とか恋愛小説とかは好きだし、エロ小説とかも結構読むし、憧れも強いんだけどさ」


 誰かとそういう関係になってる自分を想像できない。

 好きやかっこいいと感じたことはあるが、それだけだ。

 目があってドキドキした記憶はないし、手が触れて赤面するような経験もなければ、触れ合った場所が火傷したみたいに熱くなった覚えもない。


「本読んでると「キャー♡」って感じでテンション上がるけど、同じことを自分が誰かとやってるところを想像すると、なんか気持ち悪いのよね」


 例えば誰かとキスしている自分を想像してみる。具体的に考えるまでもなく眉間に皺が寄った。


「そう言っちゃいるが、俺の上には素直に乗るよな、アンタ」


 あぐらをかいた瑞紀の膝に、すっぽりとなつ音の臀部がはまっている。たしかに上に乗ってはいるが、


「言い方! わざわざいかがわしい感じにしないでくれる?」

「おっと、俺は事実を言っただけだぜ? いかがわしいなんて、何を思ったんだ?」


 ニヤニヤと締まりのない笑みを浮かべ、大柄な背中を丸めて顔を覗き込んでくる。


「騎乗位」


 端的に答える。恥じらいなどありはしない。

 ここで可愛らしく恥じらえるようなかわいい女の子だったら、そもそも膝の上に乗せられた時点で愛らしく赤面しているに違いない。


「してくれんのかい」

「興味はあるわ」


 一切の動揺なく、堂々と宣言すると、瑞紀は呆れた様子も見せずにカラカラと笑った。

 冗談だというのはわかっていたが、その反応を意外に思う。


「ん? どうした」


 不思議に思って見つめると、優しく細めた目で尋ねられる。


「いや、意外なのよ。男性って、もっとかわいらしい反応が好きなんじゃないの?」


 下ネタにも平然と返せるような女はかわいくないと思う。

「女の子」はサラサラ艶々の長髪で、ちょっと巻いてたりして、フリルやレースがよく似合って、いつも笑顔で、恥じらいと優しさを忘れないものであるべきだ。

 少なくともなつ音はそう思っている。

 嬉々として猥談に応じるような自分は、女性というには外れている。


「そりゃ、()()きだな。純粋培養なお嬢さんがいいって輩もいるだろうし、カミさんに尻に敷かれたい奴もいる。俺は恥じらいも怒りもしないで会話にノってくれるアンタが好きだぜ」


 わずかに髭の浮くアゴに手を当て、男は締まりのない笑みを浮かべている。


「なに。ニヤニヤして。気持ち悪い」

「いや? かわいいな、と」


 自然と眉がよる。鏡を見ずとも、剣呑な表情になっているのがわかる。


「かわいいとか。目と頭と感性が悪い」

「かわいいさ。自分テメェの理想と現実を比べて、一人勝手に落ち込んでんのがな。あとは、そうやって、自分を卑下して必死こいて自分テメェを守ろうとしてるのもたまんねえな」


 ふざけんな、何戯言(ざれごと)ほざいてんだ、頭沸いてんのか。脳裏をよぎった言葉をすべて目に込め、力一杯睨みつける。

 狂った妄言を吐く男には微塵も効果がない。むしろ逆効果だった。

 毛を逆立てる子猫を愛でる手つきで頭を撫でられる。

 逞しい腕が体に回された。逆らわずに筋肉質な胸によりかかると、頭頂部にアゴを乗せられた。


「アンタがなんと言おうとな、俺はアンタが好きなんだ。何度だって言ってやるから、好きなだけ抵抗しな」


 頭のてっぺんから、頭蓋骨越しに声が響く。

 好き、だなんて。よくわからない言葉だ。

 家族への好きと何が違うのだろう。

 チョコが好きと何が違うのだろう。


 瑞紀は好きだ。出会いが出会いだし、その後の強引さや、隠されている本性が怖くはある。だが、「怖い」こと意外に特段嫌う要素はない。

 勝手に家にやってくるのも、図々しく近づいてくるのも、嫌ではない。

 自分から積極的にコミュニケーションを取ることが苦手ななつ音にとって、強引に距離を詰めてくる相手は気楽でもある。


 鬱陶しいと言っても怒らず、どれだけ悪態を吐いてもヘラヘラと流して意に介さない。

 意見を聞き入れないところは腹が立つし苛立つが、こちらがどれだけ不機嫌を露わにしても険悪な雰囲気にならないのはありがたい。

 つまるところ、なつ音は甘えているのだ、この得体の知れない男に。

 そうして絆されるほどに、強く思うことがある。


「瑞紀さんさ、早く目を覚ました方がいいよ、ホント。私なんかにリソース割くのはマジでもったいない」

「あん?」

「だってそうでしょ。私にかける時間が、お金が、私のことを考える時間が、脳の容量が。もったいないしこのうえなくムダ」


 本音はまた別にあるが、本気でそう思っている。


「またそんなことを言いやがる、このお嬢は。俺にとっちゃ何もムダじゃねえよ。アンタに会いたくてここに来てるし、アンタに触りたくて抱き寄せてる」

「もっとほかにいい人いるでしょ、こんなんの相手なんかしなくたってさ」

「はっ。アンタがなんと言おうが、俺にとっちゃなつがいい人だな」

「趣味悪い。頭と目が悪い。感性が死んでる」

「おうおう、好きに言えや。アンタに何言われようと、痛くも痒くもねえ」

「私を好きとか血迷ってる。早く正気に戻った方が身のため。絶対後悔する」


 好意を土足で踏みにじる言葉たち。向けられる心を受け入れず、頭ごなしに否定して、視線すら向けずに踵で踏み付けにするような態度。

 後ろ足で砂をかけられているにもかかわらず、男は笑っている。

 子猫が小さな肉球で、まだまだ弱々しい猫パンチを繰り出すのを、そっと眺めているような顔だ。

 微笑ましい、という表現が適している。


「瑞紀さんって、ホントは別に私のこと好きじゃないよね?」

「お? 今度はどんな理由だ?」

「だって、私にこんなに言われても全然気にしてないから。私の言葉で傷ついたり動揺したりしないってことは、たいして興味がないってことよね?」


 本当に大事な相手なら、好きな相手なら。こんな風にボロクソに言われて平然としているのはおかしい、と思う。

 少なくとも、恋する登場人物たちは、好きな相手からの言葉に一喜一憂していた。

 瑞紀にはそれが見えない。いつでも飄々としていて、なつ音の言葉に喜ぶ様子を見たことがない。いわんや憂う姿をや、だ。


「それは違うな、なつ。俺はアンタに興味津々だぜ。俺が平気なのぁ、なつのその言葉が俺を試してるだけだってわかってるからよ」

「は? 別に試してなんかないけど」


 理解の範疇を超えることを言い出した男を、心底からの呆れと憐憫を込めて見上げる。相手の神経を逆撫ですることを目的とした視線にも、男は笑みを崩さない。

 目を合わせ、顔を寄せ、優しく額をぶつけた。


「無自覚か? かわいいな」

「かわいくない。眼科行った方がいいよ」

「そういう発言も、全部全部、俺を試してるんだよ。コイツはどこまでなら自分を受け入れるか、ってな。ひどい言葉も、辛辣な発言も、冷たい態度だってみぃんな、俺がどこまでなつを愛してるかをはかるためのもんだろ?」

「違うし。勝手な解釈気持ち悪い」

「はいはい。好きになった後に嫌われるのが怖いから、最初から嫌われるような態度を取ってるんだよな」


 そんなことない。全然違う。

 本気で目も頭も趣味も悪いと思うから、忠告しているのだ。

 いつか我に帰った時に男が後悔しないように、警告しているのだ。

 いつか目が醒めたときに、いつか想いが冷めたときに、男の黒歴史にならないように配慮しているのだ。


「なつ音。「いつか」を怖がってんじゃねえぞ。くるかもわからん「いつか」より、アンタを好きだって言う「今」の俺を受け入れろ」


 お前の考えていることなどお見通しだ、と。

 瑞紀の双眸は雄弁に語る。なつ音を見透かす黒瞳に、深く覗き込まれる。

 熱い胸板に添えていた腕が緊張する。咄嗟に逃げを打とうとした体は、逞しい腕に容易たやす(いまし)められた。


「受け入れるとかムリ。そもそも別に私は好きじゃないから。ウソ、好きか嫌いかで大別すれば好きに分類されるけど、別にドキドキはしない」


 動揺はある。だが、硬く閉じ込めるように抱きしめられている今も、脈拍は平常通りのリズムを保ったままだ。


「アンタは、好きでもない男に体を許すのか?」

「だから言い方。私元々スキンシップ、ていうかハグが好きだから。好きな相手なら別に誰が相手でもハグするわ」


 瑞紀は大柄な男だ。平均的な体格のなつ音なら、両腕で包んでしまえる。自分よりも大きな腕に閉じ込められるのは、心地よさを感じる。

 もちろん、大きくなくても抱擁をしてくれるなら大歓迎だ。

 そこもまた、拗らせている所以である。

「女の子」に対する理想が高すぎて、自分を「女の子」に分類できない(女の子はいくつになっても女の子である)。生物学上女、としか自分を分類できない、したくない。

 その結果、異性との距離感が狂いがちで、好ましい相手ならば身体接触になんら抵抗がない。

 誰彼構わず抱きつくという意味ではないが。さすがに常識はわきまえている。


「こんなに密着しても別にドキドキしない。抱きつくのは好きだからそういう意味で気分はあがるけど、恋愛対象としてときめくとかそんなのはないの」

「別に好きだからって必ずしもドキドキするわけじゃないと思うけどな」

「瑞紀さんがドキドキっていうとなんかおもしろい」


 整ってはいるがいかつい顔面と、ドキドキという言葉は似合わない。彼が相対した人間にもたらすのは、ドキドキというより動悸どうきだろう。


「俺だってドキドキくらい言うさ。んで、俺も別に今はドキドキしてねえよ」

「ドキドキ……。ふっ、じゃあなんで好きって言うの? なんで好きだと思うの?」


 失笑をはさみつつ問いかける。ドキドキ、あるいはトキメキのない恋愛で、いったいどうやって好きだとわかるのだろう。


「会いたい。顔を見たい。声が聞きたい。話したい。触れたい。抱きしめたい。朝は一番におはようって言いてえし、夜は一番最後におやすみって言わせてほしい。一緒にいたいんだよ」


 真摯な声音で心がつづられる。なつ音には理解できない「好き」。

 いや、理解できないのではなく、理解しようとしていないだけだ。もっと言えば、理解したくない。


 なつ音は愛されたい。

 愛してほしいと声高に叫びはしても、愛を理解しようとはしない。好きの理解を頑なに拒み、わからないふりをして、寄せられる好意に線を引く。


 なつ音は愛されたい。

 それは事実だ。本音だ。だが正答ではない。満点の解答は、「甘やかされたい」だ。

 真綿で包むようにして、間違っていても否定せず、失敗しても怒らず、すべてを許容して許してほしい。

 自分に都合のいい相手が欲しいだけだ。

 愛があっても叱責は欲しくない。愛のある激励などいらない。やりたくないことはやらなくていいよ、とそう甘やかしてくれる存在が欲しいだけだ。


「声を聞く義理も会話をする義務もない。顔を見なくたってなんともないし、おはようもおやすみも言えなくても問題ない。一緒にいなくてもなんとも思わないし、その必要性も感じない」


 一生無条件に甘やかしてくれる相手などいない。適度に甘やかすのが上手い人間はいるかもしれないが、それはきっとスパダリと呼ばれる者だろう。スパダリが自分なんかを選ぶはずがない。


 恋物語には憧れる。だが、ヒロインはヒーローに選ばれるに足る要素を持っているから好かれるのだ。可愛い容姿や文武の才能、努力家、包容力。

 そういった「人に愛される素養」のようなものを、彼女たちは持っている。だから愛される。大事にされる。

 大切にしたいと思わせるだけの価値を、自分で生み出すことができる。


 なつ音には何もない。特に秀でた一面を持ち合わせていない。それ以上に、人に愛される資格がない。

 好意を向けられても、いつか嫌われるのだと思ってしまう。好きだと告げられても、いつかそっぽを向くのだと考えてしまう。恋を囁かれても、いつか別の相手の手を取るのだろうと想像してしまう。

 永遠でない想いならいらない。自分だけの心でないならほしくない。


「そうやって全部否定してくんのがいいよな。気に食わなけりゃ、シカト決めてもいいんだぜ?」

「瑞紀さん、ホントに頭悪いよ。私はやめときなって。事故物件の地雷案件だから。結構依存気質あるし、そのうち絶対『愛してくれないなら死んでやる!』ってカッターとか持ち出すから」


 容易に想像できる。目一杯刃を引き出したカッターを首に当てがい、できもしない脅しを口にする。首はためらっても、腕あたりなら傷を付ける未来がありありと目に浮かぶ。


「そんだけ求められるなら本望だ。俺の愛がありゃ生きていけるんだろ?」


 なんてポジティブな変換だろう。


「いや、多分私誰でもいいよ? たまたま今、瑞紀さんが私を好きだなんて血迷ったことを(のたま)ってるから、瑞紀さんが相手になってるだけで、私は他の人に言い寄られたらそっちを向くと思う」


 チヤホヤされたいだけのかまってちゃん。注目してくれるなら誰が相手でも構わない。どう転んでも恋人にするには向かない人種だ。延々と愛を与えなければあっさりとそっぽを向く。これでは恋人というより奴隷だ。


「私はさ、恋人っていうのは対等なものだと思ってるわけよ。お互い好きで、求めて求められて、与えて与えられて、っていうね」


 理想の恋人論。白馬の王子様を夢見る期間は終わった。キラキラしい恋に憧れる少女時代はとっくに過ぎた。無償の愛を願っていい年齢は、遥かな向こうに去っている。


「でも私はきっと、与えられない、返せない。求めて欲して奪い尽くすだけになる。愛して愛して、って鳴くだけで、何も差し出さない」


 依存して、縛り付けて、愛を貪り搾取する。愛がなくなっても、根こそぎすすり尽くそうとするに違いない。


「アンタが欲しがるだけ、愛を与えてやるさ。存分に甘えていいし、望むだけ甘やかしてやる。ぬるま湯に浸けて、真綿で包んで、大事に大事にしてやるよ。アンタはただ俺に愛されてればいい。イヤなことはしなくていい。俺のそばにいて、俺の膝に乗って、俺と話をして、俺の愛を受け取れ」

「は、何それ。できるわけない」

「できるさ。俺ならな」


 強い説得力がある。この男の得体のしれなさ、おそらくヤから始まる家業。人一人監禁するくらいわけなさそうだ。

 想像してみる。男に囲われ、グズグズに甘やかされる自分。生活の保証はしてくれるだろう。甘やかすというのだから、娯楽の一つも用意してくれるかもしれない。

 安全な場所で、イヤなことは何一つなく、毎日愛されるだけの生活。


「ディストピアじゃん」


 完全な停滞。夢想の自分はとても幸せそうだ。


「その気になったか?」

「ちょっと待って。瑞紀さんは私のどこに惹かれてるの? そんなぬくぬく生活送ったら私はダメ人間まっしぐら。直滑降。今でさえいいとこないのに、これ以上落ちたら社会生活を送れなくなる」


 さすがに自立できなくなるのはまずい。


「なつの好きなとこ? そりゃもちろん、そのヒネたとこだよ。一眼見た瞬間から、こりゃめんどくさくていい女だと思ったね」

「じゃあつまり私がめんどくさい女じゃなくなれば、瑞紀さんは私に興味がなくなるってことだよね」

「アンタにそんな日が来るとは思えねえんだけどな」

「お黙り! ぬくぬく愛され生活で私の捻くれたところが真っ直ぐになったら、瑞紀さんは私を好きじゃなくなる」


 愛されることに慣れ、素直に瑞紀の想いを享受きょうじゅできるようになれば、今のなつ音とは違った人間になるだろう。

 そうなっても、彼はなつ音を好きだと言うのだろうか。


「そんなこたねえよ。そりゃヒネたとこが愛しいが、それだけじゃない。アンタが前向きになっても、変わらず好きさ」

「ダウト」

「なんでだ」

「うそつき。絶対そのうち気の迷いだったとか言い出す。後悔するに決まってる。なんでこんなやつと付き合ってたんだって黒歴史になること請け負い」

「ならねえよ。アンタみたいに面倒で捻くれ者で愛し甲斐のあるやつ、ずっと好きに決まってる」

「うそ。私は十人並みだから。私みたいな人は他にいるから。絶対そのうち目移りして心変わりするから」

「アンタみたいなやつはいても、なつは一人だけだ」


 側から見れば痴話喧嘩そのものな問答を飽きずに繰り返す。


「ここまで聞いてると、なつは俺のことを好きだって言ってるみたいだな? 好きだから、嫌われるのが怖くて好きって言えないのか」

「全然まったく百パー違う」


 執着している自覚はある。好意を向けられて優越感を覚えてもいる。だがそれは、おもちゃに執着するのとよく似ている。

 気が向いた時に遊んで、飽きれば放置する。埃を被るまで放っておいて、忘れた頃にまた少しだけ遊ぶ。捨てはしないが、頻繁に手に取ることはない。

 だが、仮に知らないところで捨てられても、嘆きはしない。少しは怒るが、残念だと思うだけで済む。その程度の執着だ。


「まあいいさ。まだまだ時間はある。「好き」がわかるまで、何度だって教えてやるさ」

「……やめて、それ黒歴史」


 苦虫を噛み潰したような顔をしてそっぽをむく。

 くつくつと笑いながら、瑞紀は改めて膝上の女を抱き直した。

 散々拒否して否定しておきながら、ずっと膝におさまっているのが愛しいところだ。

 より深く包みこみ、己の胸に密着するよう引き寄せる。

 脳裏に思い描くのは、なつ音が瑞紀を受け入れ始めた時のこと。


『好きだ。俺と交際してくれ』

『私に「好き」を教えてくれる?』


 改めて想いを告げた瑞紀に、なつ音はそう言って笑った。その瞬間、瑞紀の好きを教え込むと決意した。

 好きを教えて、恋を理解して、恋人になる。

 その日を待ち望んでいるのは、きっと、瑞紀だけではないのだから。










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