その3
ケーキセットを待つ間、春日井さんは興味深そうに店内を見回していた。棚に並べられたカラフルな瓶や小袋に目が引き付けられているのが横で見ていてもすぐに分かる。
「いろいろあるね」
「ね、ちょっと見てきて良いかな?」
俺のさりげない呼び水に、春日井さんは迷いなく引きずられてきた。
「もちろん」
俺が言うと、嬉しそうに春日井さんはその棚に向かって走っていった。
その背中を見送りながら、俺は軽い恐怖にとらわれていた。
中学校時代、俺は演劇部に所属していた。文化祭なんかは年に一度の舞台だから、何ヶ月も前から練習に入る。台本が配られ、始めのうちはその台本を片手に読み合わせをする。自分の次の台詞、前の台詞、そのあたりを暗記しておいて心の中で備えておく。この台詞がこう来るから、そうしたら俺はこの台詞、という具合に。それが段々と心の中に染み付いてくる。台本を丸暗記しなくても、流れで自分の台詞が把握できるようになってくる。
調度そんな気分だった。全てを完璧に、ではなく感覚で次はこんなことを言うのではないかという台詞が頭をよぎる。そうすると、その台詞が春日井さんの口から飛び出してくる。未来を言い当てるのが予言というのなら、これはまさしく予言である。
ありえない話だが、俺は今日を過去に体験したことがある、とすら思い始めていた。全身から冷や汗が出るような思いだった。
「ねえ」
いつの間にか、目の前には春日井さんが戻ってきていた。彼女はお気に入りのハーブがなくてここに戻ってきている。そして、その代わりに地図を見つけるのだ。
「残念。レモングラス、売り切れだって。だから何にも買わなかった。結構高くて……」
陽気にしゃべる春日井さんには申し訳ないが、半分近くは耳をすり抜けて言った。何しろ、俺の視線は春日井さんの持つ、折りたたまれた紙に釘付けになっていたからだ。
「春日井さん、それは?」
「え、あ、これ?この辺の観光マップだって。レジ横にあったの」
そう言ってテーブルの上にいそいそと広げ始める。それは中ほどまで開かれたところでもう充分に分かった。この地図も、俺は見たことがある。そして、それは春日井さんも同じのようだった。広げた地図を見ながら、怪訝な顔をしている。
「んー?」
自分の記憶の中に引っかかりを覚えて違和感を感じているのだろう。どうやら、春日井さんのほうが症状は軽いようである。
俺は……やっぱり入院かな?
「お待たせしました」
ウェイトレスさんがにこやかな顔でケーキセットを運んできたので、地図とのにらめっこは一時中断となった。地図を半分にたたんでケーキとティーカップを置くスペースを作る。
「あの、この辺で面白いところってありますか?」
春日井さんが尋ねると、ウェイトレスさんは半分にたたまれた地図を覗き込み、ある一点を指差した。
「ここの池、真ん中にお堂が建ってて面白いですよ。小さなお堂ですけどね」
そう言って指差した池は、植物園からさほど離れていない場所にあった。
「桟橋があって、そこからお堂に向かってお参りするんです」
「へー」
「日陰で涼しいですし、静かですよ」
ウェイトレスさんはそこで一度言葉を切り、それから俺達を交互に見ていたずらっぽい笑みを浮かべた。
「後、恋愛成就の効果があるらしいです」
その言葉に俺達は思わず言葉を失った。春日井さんの顔に至っては真っ赤になっていた。多分だが俺も赤くなっているだろう。全く、突然なんてことを言うかな。まあ、そんな風に見てくれるのは嬉しいことだけど。
「行って見る?」
尋ねると、少し照れたように春日井さんは小さく頷いた。
店を出て池を目指して歩き出す。
本当に近くて、十五分ほども歩くと目の前に池が見えてきた。
それほど大きくは無いものの、水は緑色に濁っていて深さは分からない。周りは一面木々に囲まれていて、ウェイトレスの言うとおり静かで涼しかった。
池の真ん中には小島があり、小さなお堂が建っている。今は背中しか見えていないが、反対側に桟橋とやらがあるのだろう。
「うーん……」
春日井さんはまた眉をひそめていた。俺もこの場所に来た途端、あの感覚にとらわれていた。
「なんか、この場所……、ううん気のせいよね」
呟くようにそういって首を振り、それから俺のほうをむいて満面の笑みを見せてくれた。それは曇りかけていた俺の心をも落ち着かせてくれる極上の笑みで、一つノーベル平和賞でもあげたいほどだ。
「向こう側、行って見よ」
「うん」
連れ立って歩きながら、二人とも口数は少ない。感覚のせいもあるが、大自然の作り出した静けさというのは時として人を無口にさせる、なんてちょっと詩的な事を考えている場合ではないのだ。せっかく考える時間があるのだから、どういうことなのか状況を把握、分析してみようじゃないか。
この頻繁に起こる既視感がなんなのか。なんなのかというか、既視感はそれ以外の何者でもないのだが、丸一日のあらゆる場面で既視感を感じるなんてことはあるんだろうか。
俺は残念ながらオカルトマニアでもなければ超常現象研究家でもないし、失礼な話で申し訳ないが前述の二つの区別もつかない。なので、過去の事例を知っているわけじゃないのだが、それでも自分の身に起きていることが異常だというのは良く分かっているつもりだ。気のせいで片付けるにはあまりにも不自然である。
もちろん俺は独りで植物園に行くこともないし、春日井さんと喫茶店に行っておしゃべりする妄想を現実に起こったことと混同してしまうような性格でもない、と信じたい。
「ねえ、牧瀬君」
不意に春日井さんが口を開いた。その表情にはありありと困惑の色が浮かんでいたが、それ以外にもうひとつ決意めいたものが見えた。




