その2
今日の目的地は植物園。それも山の中腹にあるハーブ専門の植物園なので車の登場となったのだ。もちろん、電車とロープウェイでいけないこともない。ロマンチックな名前の付けられた丸いゴンドラは、はたから見ていれば風船のようで可愛いのだが、エアコンが付いていないので、この季節には地獄のような暑さになる。保冷財とうちわが乗り口で手渡されるのはこのあたりじゃ有名な話である。
そんなわけで、車で行くのがおりこうさんなのである。
「晴れてよかったね」
「うん、そうね」
窓の外を眺めながら、どこか上の空の口調で春日井さんはそう答えた。
やっぱり、さっきから変だ。
「どうかした?」
「あ、うん。あのね……やっぱり、いい」
そう言って春日井さんは苦笑いを浮かべた。その顔もまた可愛かったりするのだけど、やはり心配になるわけで。
「えと、やっぱり車カッコ悪かった?」
ありふれた軽自動車では、やっぱりお気に召さなかったのだろうか。乗り心地は悪くないと思うのだけど。
「あ、ううん。そうじゃないの」
「そんな不安そうな顔をされると、俺も心配になるよ」
「うん……、そ、そうね」
困ったような顔もまた可愛い。前を向いて運転しないといけないのは分かっているんだけど、やっぱりついつい見てしまうんだな。
「どう言えばいいのか……」
「大丈夫。ゆっくり話して。俺、聞いてるから。まだ植物園までも時間かかるし」
「うん……。じゃあ、言うね」
くん、と一つ息を呑むような音がして、それから春日井さんはゆっくりと話し始めた。
「朝から、何だかおかしいの」
春日井さんはまずそう言って話し始めた。
「何もかも、見たことあるような気がして……。ほら、既視感ってあるじゃない?ああいうのなのかな」
分かるかな?
春日井さんはそう言って俺を見た。分かるも何も、朝から俺が感じているのと全く同じ感覚じゃないか。
「分かるよ」
「良かった。それでね、ええと、なんていうかな。とても失礼な話になるんだけど……」
言いにくそうな口調。多分、頬を染めて俯いているんだろうな。じっくり見たいところだけど、さすがにそれは不味い。事故ったら元も子もないじゃないか。
「今日、牧瀬君が遅刻してくるって思ってたの。ううん、思ってたっていうのはちょっと違うかも……」
むずかしいなぁ……と呟いて、それから暫くうーんとうなっていた。しかし、春日井さんの言いたいことはよく分かった。
お互い何となく首を傾げたような状態のまま、やがて車は山道を登り始める。空は相変わらず青々としてそこに広がっていた。
植物園は休日ということもあってそれなりに盛況だった。
「結構、人が多いね」
「休日だしね」
そんなことを言いながらのんびりと園内を散歩していると、さっきまで疑問に思っていたこともどうでも良くなってくる。こうして二人でのんびりし続ける時間がいつまでも続けば良いのに、と思ってしまう。既視感だかなんだか知らないが、こうして春日井さんと肩を並べて歩いているのは紛れもない現実だ。それだけで良いじゃないか。俺はそう割り切ることにした。
隣を歩く春日井さんの顔も、心なしか晴れやかになりつつあるようで、エスコートしている身としては何よりとひとまずは胸をなでおろす。
「それにしても、結構暑いねぇ」
見上げた空は青々としていて、太陽の光は燦々と降り注いでいる。俺達はできる限り影の下を選んで歩いていたが、それでもやっぱり暑いものは暑いのだ。ここは一つ、クーラーの聞いた喫茶店にでも入って、キンキンに冷えたアイスコーヒーでも飲みたいところだ。
「どこかで、一休みする?」
「うん、賛成」
春日井さんは待ってましたとばかりに元気よく頷いた。
どこかに喫茶店はないかな。
ぐるりと見回した視線に、一軒の店が引っかかった。
「あそこは?」
クリーム色の壁をしたその店は、小ぢんまりとしていて見た目にもなかなか可愛らしい。案の定春日井さんは気に入ってくれたようで、嬉しそうに頷いてくれた。
「タンポポ」
可愛らしい木目調の看板に、焼け焦げのような字でそう書かれていた。カタカナの下にはアルファベットで「dent-de-lion」と書かれている。
「だんどりおん」
「凄い、読めるんだ」
感心したような春日井さんの声。何で読めるのか自分でも分からないが、読み方がふと頭に浮かんだのだ。
「ライオンの歯って意味ね。ほら、葉っぱがギザギザから」
りおんの部分がライオンなのは分かったが、まさかライオンの歯とは。てっきり花が鬣みたいだからかと思った。尋ねたら、春日井さんは今気づいたとばかりに「ほんとだね」と言って首をかしげた。
発想が豊かだね、といわれて思わず照れながら連れ立って店に入る。外見どおりのシンプルで可愛い店内だった。
その店内を見た途端、あの感覚に一瞬とらわれた。しかし、俺はもう気にしないことにしたのだ、とばかりに頭の中からその感覚を追い出す。
ウェイトレスに案内されて木製の二人がけの席につく。水の入ったコップが目の前に置かれて、布張りのメニューが手渡された。その間も妙な感覚は頭の中にこびり付いていたけれど、気にしないと決めた以上は無視の一手に限る。
「ハーブティーとケーキのセットがお勧めです。タンポポコーヒーもありますよ」
草色のエプロンをつけたウェイトレスがにこやかな顔でそう言ってくれた。セットは一律七百円。タンポポコーヒーにすると五十円上がるという仕組みらしい。まあ、園内の喫茶店にしてはなかなかリーズナブルではないだろうか。
「あ、ここケーキとかも自家製なんだね」
多分自分たちの手で撮ったものと思われる、何となく暗い写真を見ながら春日井さんがそう言った。色々とこだわっているらしいが、それらを最大限に生かすためにも、写真はプロに任せてはどうかと思う。なんと言うか、イマイチ食欲がそそられないというか。美味いのかもしれないが、メニューから漂う雰囲気は完全にアウト。何なら併殺打のおまけつきって感じだ。
「タンポポコーヒーってどんなブレンドなんだろ?」
店の名前をつけるってことは、相当自身があるブレンドなんだろうと思いきや、俺の想像が全く間違っていたことを春日井さんの含み笑いで悟った。
「うふふ、……ごめんね。これは、多分違うの」
笑ってしまったことをきちんと謝ってくれるなんて、いまどきになく素敵なお嬢さんではないか。それに、春日井さんになら笑われたって全然構わないのだ。
春日井さんはぱらぱらとメニューをめくり始める。
「えーと、たぶんどっかに……、あ、これ」
タンポポコーヒーの正体は、最後のページに書かれていた。
「タンポポの根っこを乾かすの。それでね、ミキサーとかで砕いて、それをさらにフライパンで煎るの。そうするとほら、コーヒーの粉みたいになるのよ。んで、それをコーヒーと同じ入れ方で飲むの」
白い綺麗な指で写真を指差しながら春日井さんは丁寧に解説してくれた。
「へぇ、美味いの?」
「私は好きだけどね」
春日井さんの好きなものなら、例え泥水でも試してみなくちゃなるまいて。
「あ、でも利尿作用が凄いから気をつけてね」
「利尿?」
「えーと、だから、おトイレが近くなっちゃうの」
う、それはちょっとかっこ悪い。うーん、残念だけど今回はあきらめるか。
「うふふ、うちにもあるから、今度入れてあげるね」
そりゃその方が言いに決まってる。
俺はすっぱりと何の未練もなく諦めることにした。二人ともケーキセットにして、俺はチョコレートケーキ、春日井さんはベイクドチーズケーキを頼んだ。ハーブティーはよく分からないので春日井さんにお任せだ。
「じゃあ、この人にはカモミール、私は……このハイビスカスとローズヒップのブレンドをください」
「はい、かしこまりました」
一礼して下がっていくウエイトレスさん。
「私が選んじゃって良かったの?」
「うん、俺はハーブの事わからないし、春日井さんのお勧めのほうがいいかなと思って」
「そっか。気に入ってくれると良いな」
もちろん気に入るともさ。




