旅、魔物、街
ガーネットの乗ってきた馬車は上質な物らしく、普通の馬車に比べて揺れが少なく乗りやすい。速度もかなりのもので、障害物の少ない平原を走っているとグングンと進み、あっという間に村は見えなくなった。といってもグルは普通の馬車にも乗ったことがないので大して感動はしていない。
村周辺くらいであればグルも見回った事はあるのだが、ここまで離れると既に未開の地であった。どこまでも平原なのだろうと思っていたグルだが、遠くには山や湖が見えたり、更にしばらく行くと別の村があったりもした。窓から覗く度にコロコロと様子を変える景色はグルを飽きさせる事はなかった。
「グルさん、インディゴまではこの馬車で七日ほどかかります。途中村や小さい街に寄って泊まりますが、何日かは野宿をする必要もあります。この辺りは治安も良く、強い魔物もあまり出ないので大丈夫だとは思いますが必ず無事にお連れしますのでご安心下さいね」
「ガーネットは戦えるの?」
「はい!見た目は頼りないかもしれませんがこれでも魔法に関してはインディゴで十本の指に入る程と言われているんですよ!機会が無い事を祈りますが、有事の際はおまかせ下さい!」
余程自身があるのか、あまり膨らみの無い胸をドンと叩いているガーネットを尻目にグルはまた窓の外を見ていた。しかしこの時のガーネットは思いもしなかった。自分よりもいくらか幼いはずの子供が年齢に合わない程強大な戦闘力を持っているとは。
「ガーネット、あの影に小型の獣が潜んでいる。多分飛び出してくるよ」
「へっ?」
ガーネットが間の抜けた声を上げた途端、グルの言った通りの場所から小型の魔物が飛び出した。それを目視した瞬間には彼女は杖を構えていて魔法を放とうとしていた。流石に自分で戦闘能力があると豪語するだけの事はある反応速度であり、その事にグルも関心していたのだが、それよりも早く風の魔法を放っていたグルによってその魔物は真っ二つになっていた。
「は、はは……低級とは言え魔物を一撃ですかぁ」
「魔物って?」
「え?魔物は魔物ですよ。魔法を扱う事の出来る獣の事ですが、もしやご存知で無かったのですか?お迎えしに行った時も狩っていたようなのでてっきり……」
アーガットもグルも基本的に獲物を一撃で仕留めてしまう。下手に傷つけて苦しめるのは二流の狩人のすることだからだ。そのため魔物という存在は知っていたが、目の前のただの兎がそれに該当するという事を知らなかった。
「あいつらも魔法を使うことが出来るの?」
「はい、今倒した魔物は、兎火です。小さな火の球を飛ばしてくる上に素早くて戦いに慣れていない者にとっては厄介な相手と言えますね」
「うさび?火を使う兎……か。そのままだね」
「わ、私が名付けたわけじゃありませんからね!?」
何のひねりも無い、見たままの名前を付けられた魔物の亡骸にグルは微妙な反応だった。リベルターギルドと言う魔物を狩り、力なき者を助ける事を生業としている組織が名付けたのだという説明をガーネットから受けたが、グルにとってはどうでも良い事であったらしく捕った獲物を捌いてちょうど良いのでそのまま調理をしていた。
「この間ご馳走になった時も思ったのですが、グルさんは本当に手際が良いですねぇ」
「少し前から僕が作っていたから。ランはお腹が大きくて動きにくそうだったし、アーガットは何でも器用にできるのに絶望的に料理が出来ない。凄いんだよ?肉を焼くだけなのに気が付くと変な色になってるんだ。それに、マルベルが産まれてからもしばらく二人は夜も昼も無く世話をしていたから少しでも精の付く物を美味しく食べさせてあげたかったんだ」
「まだ小さいのにしっかりしてますねぇ」
「ガーネットだって僕とそんなに変わらないじゃないか」
「いやいや、私はもう15ですよ?立派な大人です」
「そうなんだ」
それだけ呟いたグルに、ガーネットは何も言えなくなって静かに食事の完成を待っていた。その後も何度か魔物の襲撃があったのだが、グルとガーネットは難なくそれを防いだ。実際にガーネットの魔法を見たグルはゲイル爺以外に初めて魔法に精通する者を見て感動していた。
新しい魔法を見せる度に目を輝かせてやり方を聞いてくるグルは年相応であり可愛らしかったようで、ガーネットも張り切って教えていた。最初こそグルの魔力の大きさに若干怯えていたガーネットであったが、数日間一緒に旅をして彼が年相応の子供であると知るとすっかりと打ち解けていた。
そして二人は無事にインディゴへと到着した。学園の教師をしているというだけあり、ガーネットは顔を見せるだけで門番に通され、連れであるグルも何の確認も無くすんなりと入国することが出来た。
グルにとって初めて入る村以外の集落。大きな建物が沢山あり、入国待ちの列だけで自分の村の人口を超えている。こんなにも人がいたなんて彼は知らなかった。
中に入ってみれば活気に溢れた市場や美味しそうな匂いをさせている店が多くあり、どれもこれもが気になってグルは目が回りそうになった。知識としてゲイル爺に教えられてはいたが、実際に目にすると全く想像の上を行っていた。
そして一際大きな建物、というかグルの村がすっぽりと入るであろう程の敷地にたどり着くとここが学園であるということを紹介された。
「さぁ、こちらが我が国の誇る学園ですよ!初めての旅ということでしたがグルさんは全然余裕がありそうですね。詳しいことは学園長がお話するとのことなのですが、お疲れでなければこのままお連れしても大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫だよ」
自分が初めて旅をした時は疲労困憊だったのになぁ、とやや遠い目をしながらもガーネットはグルが本当に肉体的にも精神的にも全く疲弊していないと判断し、到着早々学園長の私室へと案内をした。
「学園長、グルさんをお連れしましたよ」
「ありがとうねぇ、さ、二人共長旅で疲れたろう、入って来て座りなさい」
柔らかな老婆の声が扉の向こうから聞こえる。魔力の流れから女性であるということは分かっていたグルだが、扉が開かれるとその容姿に驚かされた。
「驚いた、どうやって僕より先に来たんだ、ばぁ」
「あらあら、私と姉はそんなに似てるかしらねぇ」
「姉…?学園長は、ばぁの姉だから僕のことを知っていたの?」
「それもある、でもねぇ、グル君が産まれた時から感じてはいたんだ。初めは伝説上の生き物でも現れたのかと思って心配してね、近くにいたようだから姉に連絡をしてみたらなんだ、人の子だって言うじゃないか。それでも心配だったんだけどゲイルがやる気になってるって言うから任せたんだが……正解だったみたいだねぇ。大した魔力制御だ、もしもあの時のまま街に現れていたらすぐにでも感の良い奴らに囲まれてただろうねぇ」
そう言ってグルの頭を撫でる学園長の手は優しく温かい。初対面なのに全く警戒心が沸かないのはお婆と同じ匂いがするからだろうか。ガーネットには彼らがまるで本物の孫と祖母のように見えていた。
「ふむ、しっかり制御出来ているなら私から注意しておくことは無いね。どうせある程度力のある者には気づかれているだろうが、馬鹿を起こすようなのはいないだろう。それに性格も乱暴さの欠片も見えないね。達観しているのか大人しいのか。村の坊や達の育て方とグル君の元々の性格がそうさせているんだろうかねぇ」
「私も、まだ出会ったばかりですが何も問題は無いと思います。失礼な話ですが私は最初、グル君は感情が欠如してしまっているのだと思っていました。魔力が極端に多い者には良くある話なのです、人として大切な何かが欠如するという事が。でもグルさんは違いました。穏やかで、優しくて、それでいてしっかりしています。あ、でも魔法の話や馬車の窓から景色を見ている時なんかは年相応で可愛らしかったですよ?」
「まぁまぁ、貴女がそこまで言うのならば本当に何も心配は無さそうね?」
良い事を言われているのだが、ここまで褒めちぎられた事はこれまで無かった為、グルは少し居心地が悪かった。しかし逃げ出すことも出来ないのでしばらくされるがままにされていた。
学園長への面通しも終わり、グルは敷地内に併設されている寮に案内された。小綺麗なその部屋は既に家具が揃っており、新品のベッドや魔具と呼ばれる便利な道具が置いてある。
これまでグルは水も火も全て自分の魔法で出していたのだが、この魔具という物は魔力をほんの少し流すだけで誰でも使う事が出来る。正直言って彼には必要の無い物ではあったのだが、見たことが無いその道具に興味が湧いていた。
一通りの説明をガーネットから受け、入学予定の人間が全員揃うまで七日間程は自由にしていて良いとの事だった。
「以上がこの寮及び学園内での最低限のルールになります。グルさんは大丈夫だと思いますが、なにかトラブルに巻き込まれた際は遠慮なく私を呼んで下さいね?それでは、私は仕事があるのでこれで失礼します。ごゆっくりお休みください」
「あい、ありがとうガーネット」
ひょいと手を挙げて礼を言うグルに別れを告げ、ガーネットは去っていた。
(そういえば、一人で生活をするのは初めてだけど……上手くやっていけるだろうか。)
村ではアーガットやランと暮らしていたし、ゲイル爺やお婆、それに村人達は皆グルを可愛がっていたので一人という事は無かった。しかし今は初めて一人で生活をしなければならない。少し、ほんの少しだけグルは不安になっていた。
だが彼は思い出す。村を出る時にアーガットが言ってくれた。自分は一人前の狩人であると、どこに出しても恥ずかしくない自慢の存在であると。
(そうだ、僕はアーガットに認められた狩人なんだ。こんな事で怯えてどうする、恐れてどうする。
見知らぬ土地に来たらまず何をするか、もう教わっているじゃないか!まずは下見をしっかりするぞ!)
自らを奮い立たせるように立ち上がったグルは、弓とナイフを身に着けて外へ出る。そう、一流の狩人であるアーガットは確かに教えていた。見知らぬ地で生きる場合はまず入念に下見をし、その地の生き物を調べるのだと。だがそれは街での生き方ではなかった。
グルは街の門を出て、平原を少し走り、森へと入っていった。アーガットもグルも一流の狩人ではあるのだが、街での暮らし方なんてものは知りようが無かった為に起きた悲しい勘違い。
しかし当の本人は自らを奮い立たせてやる気に満ちていた。ゲイル爺が街についても教えていたのだが、今の彼はある種の興奮状態にあり、父であり師であるアーガットの教えが優先されたらしい。記憶の隅に追いやられたゲイル爺がジト目でため息をついているが、グルには見えていない。
その日の夜、インディゴにあるリベルターギルドでは騒ぎが起きていた。最近登録をした数人の若手チームが森から血相を変えて帰ってきたのである。魔物を狩る依頼を受けた彼らは森に入ったのだが、この近くでは見たことも無いような素早い魔物を見たのだという。
「ガッハッハ!おい新入り、そりゃあお前あれだ、森に潜む者だな」
「お、おい!騙されないぞ!そいつってあれだろ!?悪夢の主とかいう名前の、寝付かない子供を脅かす作り話だろう!?」
「ハッ!だからお前らは新入りなんだよ!作り話ってのはな、元になる話があるから出来るんだ」
「じゃ、じゃあ本当にいるのか?」
「と言っても、俺も見たことはねぇ。姿をはっきりと見た者は皆殺されるらしいからな。風より速く動いて人でも魔物でも攫って頭から食っちまうって話だぜ。そいつは森よりも深い緑色をした化け物だそうだ。一見人のような形をしていてな、まるで手足を扱うように魔法を操るらしいぞ。もしも見つかったら最期、逃げ切れるわきゃねぇ。お前らは運がいいなぁ!?姿を見て無くてよ!命拾いしたなぁ!お、姉ちゃん酒追加してくれぇ!」
酔っ払いのほら話。そう一蹴出来るのは既に通過儀礼を終えた者か、とても冷静な者かのどちらかだ。どうやらこの新入り達はどちらでも無いようで、明らかに場馴れした先輩リベルターの話をすっかり信じてしまって震えていた。
周りの先輩達はその様子を呆れるでも無く、ただ懐かしそうに見やる。自分たちも最初はああやって脅かされたからだ。この話を聞いて辞めてしまうならそれまで。
たとえ今は怯えたとしても、慎重に冒険を続けるならば命を落とす確率も減る。誂っているだけにも見えるが、これはしっかりとした先輩からの激励でもあった。
だが、この場にいる誰もが知らないし、思ってもいなかった。彼ら新入りリベルターは今日、本当に見ていたのだ。森に潜み、自在な魔法で獲物を仕留め、風よりも速く動いていた緑色の少年を。