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兄になる

「風よ」


 深い、とても深い森のような緑色の髪の少年、グル。彼が手をかざしてそう呟くと、目の前を走っていたはずの素早い動物が真っ二つになる。


 まだ自らが死んだ事に気がついていないようでピクリピクリと動いている獲物の血を抜き、皮を剥ぎ、内臓を埋める。アーガットに教わった事を手慣れた手付きで素早く終えたグルは肉と皮を浮かせて運ぶ。


 ゲイル爺に魔力があると言われてから一年の歳月が過ぎていた。この一年は今までに比べてとても濃密であり、あっという間に感じられる。最初に魔法を見せられた時は、何にも動じないグルにしては珍しく驚いていた。



一年前。来いと言われた次の日に早速家に行くと、魔法を実際に見せられた。ゲイル爺が当たり前のように魔法を使った事に驚きもしたのだが、この曲者の爺ならそれが出来ても不思議ではないとグルは思った。


(もしかしたら、アーガットのお話に出た人の形をした化け物はじぃなのかもしれない。)


 村に伝わる、寝つきの悪い子供を脅かすための怪談話なのだが、ゲイル爺がその正体なのではとグルは思った。そう思って仕方が無いほどに、あの老人は謎が多い。グルがアーガットからその話を聞いた時は何とも感じなかったのだが、目の前で得意げに魔法を使う爺を見ると背筋に冷たいものが走った。両手の十本指からそれぞれ別の色の魔法を出しているその様は、グルに化け物呼ばわりされるのも頷ける迫力があった。


「いいかグル、魔力を自分の思い通りの形にして外に出してやるのが魔法だ。だが思えば全てその通り出てくるって訳じゃあない。それに魔力の量も関係してくる、量が多ければ多いほど自由に魔法が使えるんだよ。そうだな、あの桶に水が入ってるだろ?これで掬ってみろ」


「掬った、それで?」


「その中の水がアーガットやランの持っている分の魔力だとする。そんだけありゃあそうだな、ちょっとした狩りでなら役に立つだろうし真面目に学べばちっとは生活が楽になっただろうにな。どいつもこいつも魔法が苦手とか抜かして鍛錬を怠りやがったがな」


 カップを受け取って中身を飲み干したゲイル爺はふうと一息吐いて更に続ける。


「そんであの桶、あれくらいあればそうだな…あと何百回かはこいつを満たせるだろう」


「だろうね、僕より大きいじゃないかこの桶。湯船だと思ってたよ」


「あの桶が俺の魔力だと思えばいい。まぁ大体の話だからそこまで正確じゃない。こんだけありゃあうちの村くらい水浸しに出来る。カッカ!」


「笑ってるけど絶対やらないでね」


「やらんやらん、誰が好き好んで自分の故郷を滅ぼすか!そんでグル、お前だが…正直わからねぇんだな、これが」


「どういうこと?」


「海、というのを知っているか?」


「アーガットに聞いたよ。しょっぱい水が死ぬほどあるんだろ?」


「そうだ、この世界の凡そ8割か9割は海だと言われている」


 そんな訳はない、とグルは直感的に思った。世界中が海だらけだとしたら、自分達が今いる場所は何だというのだ。見渡す限り続く大地があるのに、そんなに大きな水がある訳がない。しかし、目の前の妖怪は嘘をついている様子も誂っている様子も無かったので大いに戸惑った。


「本当なの?」


「あぁ、と言っても俺も自分じゃあ確認してねぇ、遠いからな。しかし俺たちのいる大地はこの世界から見ればほんの一部だって話だ」


「そうなんだ…それで、その海がどうしたのさ」


「お前だ、グル。お前の魔力は底がない…その小さい身体の中で常時魔力が湧き出していやがる。

勿論俺よりも魔力の多い者を見たこともあるが、底が見えねぇってのは初めてだ。正直これは普通じゃねぇがこればかりは人間の神秘だな。お前の身体は自分が壊れないように、無意識にその無尽蔵の魔力を制御してやがる。それも凄まじい精度だ。前も一度言ったな、何十年と修行したやつしか出来ねぇ事をお前の身体は産まれてこの方ずっと無意識にやってんだよ」


「そっか」


「まぁつまりお前はどんだけ魔法を使ってもぶっ倒れる事はねぇ。好きなだけ練習するといいが、俺が許すまで俺のいない所で使うな。魔法ってのは毒にも薬にもなる、容易に相手を傷つける事ができる。お前が望んでいなくとも、大切なやつを傷つける事もある」


「あい」


 そしてこの一年間、座学から始まった魔法の授業はついに実技の段階に入る。魔法を使うのに問題は何もなかったが、魔力の量に関してはあまり大っぴらにするなという事を教えられてついに一人で使用する許可が出た。


 どれだけ使っても尽きる気配が無い魔力。一度全力で使ってみたくなったのだが、ゲイル爺との約束をしっかりと守ったグルはそれをやめた、というより恐ろしくなって出来なかったというのが正しい。


 自分よりも遥かに魔力が少ないと言っている化け物でさえ、この村を沈める事が出来ると言うのだからその直感は正しいのだろう。それほどまでにグルの魔力の量というのは異常のようだ。村の人間はグルが魔法を使えるという事を知ったが、誰一人として対応を変える者はいなかった。


 ゲイル爺もその事ばかりは気にしていたようだが、魔法があってもなくてもグルという少年であるという事に変わりが無いというのが村人の総意だった。


 獲物を魔法で浮かしながら村へ入り、すれ違う村人に軽い挨拶をしながらグルは家へと急ぐ。今日は祝い事があるので特別な獲物を取ってきたのだ。アーガットとランの喜ぶ顔が目に浮かぶ。


 家の扉を開けると落ち着きの無いアーガットが家の中を行ったり来たりしていた。普段の様子とは違い、何だか頼りのない師匠であり父の姿にグルは吹き出しそうになったが表には出さなかった。


「グ、グル!戻ったか!お、俺は何をすれば!どうすればいい!」


「アーガット、お婆も言ってたじゃないか。僕たちに出来る事はランの応援とお祝いの準備くらいだって」


「それは!それはそうなのだが……!応援もしている!準備もお前が狩りに行っている間に終わらせた!手持ち無沙汰なんだ!」


「じゃあ座ってお茶でも飲みなよ」


「お、おう…お前は随分と落ち着いているな」


「狩人は常に冷静であれって教わったからね」


「ぬう……」


 かつて自分が教えた事を言われたアーガットは恥ずかしさからか情けなさからか、しばらくは黙っていたのだが次第に落ち着いていられなくなりまた家の中をウロウロとしていた。


(あのアーガットがこんなになるなんて。出産というのはそんなにも大変なのかな。)


 そうグルが思っていた矢先、部屋の奥からランの叫び声が聞こえた。とても痛そうで苦しそうで、聞いたことも無いような大声だった。流石のグルも冷静さを失い、何事かと走り寄ろうとした所をアーガットが押し止める。


「何があっても、何が聞こえても良いというまで部屋には入るなとお婆に言われているんだ」


「で、でも!」


「五度目だ」


「え?」


「お前が狩りに出てから既に五度もあの叫び声を上げているんだ。流石に俺も何度か入ろうとしたのだが、見透かしたようにお婆に追い返された。今は信じる他…ないんだ」


 一体中で何が行われているんだろうか。あのお婆に腹を裂かれて中の子を食われているんじゃないだろうか。そんな心配が頭をよぎったグルだがそのままアーガットに抱かれてしまい、身動きが取れなくなった。


「狩人は常に冷静であれ、だ。」


「説得力無いよ?」


 しばらくグルを撫で回したアーガットは落ち着きを取り戻したのか、ようやく落ち着いて座る事が出来た。

 それからどれだけ時間が経ったろうか、一際大きなランの叫び声とお婆の怒号のような大声が響き渡る。そして暫しの静寂の後、ランでもお婆のものでもない新たな泣き声が聞こえた。


「坊や達、身体を綺麗にしてからならもう入っても構わないよ」


 血に塗れたお婆が出てきた時にはまさか本当に人を食ったかと身構えそうになったグルだが、すっと立ち上がったアーガットに続いて身を清め、奥の部屋へと入っていった。


 部屋の中には寝床に横たわり、綺麗な布に包まれた赤子を抱くランの姿があった。やや憔悴しているようにも見えるが、とても柔らかな笑顔をしていて胸元に綺麗な布に包まれた赤子を抱いていた。


「お、おお……」


 アーガットがヨタヨタとランに近寄る。その様子がおかしかったのかランが笑い、つられるようにグルも笑っていた。赤子は一年前にグルの言った通り、女の子だったという。


 この一年、村では数人の子供が産まれたのだが今産まれた子も含めて全員が泣き声をあげている。泣き声をあげなかったのは後にも先にもグルただ一人だった。

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