魔法を知る
時は流れ、赤子だった彼は少年になっていた。その子の髪と瞳は、森に祝福されたような深い深い緑色をしていた。あの危険な森の中で生きていたのだから相当に森に愛されているのだろう、という事から森の神の名にちなんでグルと名付けられた。
アーガットとグルは森に来て狩りをしている。生きる為には食わねばならず、食うためには狩りをする必要があった。アーガットの腕があればグル一人を食わせる事は容易かったが、それでは彼の為にならない。
やや過保護気味なランをなんとか説得して森で狩りを教え始めてはや数年。グルはまだ幼いが、天才的な才能を発揮して既に一人で何度も獲物を取っている。
「グル、もう少し先を狙え」
「わかった」
それでもまだ足の速い獲物への弓は外すことがあり、合格は貰えていない。素早い獲物への射撃をしくじったばかりであったのだが、アーガットの指示を受けてから数度で精度を上げ、命中させるに至っていた。
(天才……いや、そんな程度の話ではないな。本質的に弓の使い方を理解している?いや、違うな。
まるで獲物が常に見えているかのような正確さだ。恐ろしく勘が良い。)
「アーガット?何かあった?」
「む、いや、見事だ。こいつの血抜きはもう出来るな?」
「うん」
やや呆けていたアーガットを首を傾げて見上げていたグルだが、返事をするより早く血抜きを始めていた。その見事な手捌きに、あまり笑わないアーガットが満足げな笑顔で頷いていた。ランを過保護と言っていた彼も、初めて育てる自分の子供には甘いらしい。
村へ帰り、肉と交換で野菜を得た二人は身体を清め家へ戻り、食事にすることにした。すると彼らを待っていたようにランが席に座っている。成長していたのはグルだけではない、ランはより女性らしく、アーガットもより逞しくなっていた。
十代の終わりに差し迫った彼らは夫婦となった。というより、ランがアーガットを逃さなかったという方が正しい。いつも通りのやり取りを数年続けていたのだが、ある日突然アーガットは押し倒された。本気で抵抗すれば簡単に引き離せたのだろうが、彼もランの事を憎からず想っていた。
「おかえり、グルちゃん、どこも怪我してなーい?」
「うん、いつも通りだよ」
思い切り抱きしめられるグルだが、これもいつもの事なので抵抗はしない。一度苦しくて抵抗した事もあったのだが、とても悲しそうな顔をされてしまい、いたたまれなくなったのでそれ以来抱かれるがままだ。
「あれ?」
「どうした、グル」
ランにされるがままだったグルが、突然声を上げ、彼女の腹に手を当てる。そして、しばらくそのまま音を聞いた彼はアーガットへの返事をした。
「二人ともおめでとう」
「うん?」
「女の子だよ」
その言葉にアーガットとランは口を開けたまま絶句していた。後にお婆に確認を取ったのだが、たしかに妊娠はしているがまだそこまで成長していないのに性別なんて分かるわけないだろうと呆れられていた。
妊娠した事が分かると、それ相応の生活をしなければならないということでランはその場に残りお婆から手ほどきを受けるという。アーガットはグルを連れて先に帰るように言われた為、二人で帰路についた。
「グル、なぜ女だと分かった?」
「お婆も言ってたけど、普通は分からないものなの?」
「俺は腹の中にいる子の性別が分かる者に出会った事は無いな」
「お腹の中だけじゃないよ、分かるじゃないか。ほら、あの角にはハーニーさんがいるよ」
「何?」
確かにアーガットほど優れた狩人であれば生き物の気配を読む事が出来る。家の角に人がいるだろうというのも分かっていたのだが、あろうことかグルは個人の名前を出したのだ。何を言っているんだと角を覗き込めば確かにそこには農夫のハーニーが荷物を運んでいる姿があった。
「お、アーガットとグルじゃねぇか。こっちに来たって事はババァに呼ばれたか?はは、お前らも災難だったな。俺も家にいたらババァにみつかっちまってよ、手伝えって急に呼ばれてな」
顔を出したアーガットに気がついたハーニーは汗を拭いながら気軽な挨拶をする。どうやら偶然こちらに呼ばれただけのようで、普段からここにいるという訳では無さそうだ。そうか、と短い挨拶をしたアーガットはハーニーを軽く労いその場を離れる。
(どういう事だ?ハーニーがお婆に呼ばれた事を知っていた?いや、今日はずっと一緒に狩りをしていたからそんなはずは…)
「グル、お前は透視が出来るのか?」
「とうし?」
「壁や物の向こう側が透けて見える事だ」
「そんな事出来る訳ないじゃないか、アーガットは出来るの?」
「いや、俺も無理だ。ではどうやってあそこにハーニーがいると分かった?」
「どうって言われても…分かったんだよ、ハーニーさんがあそこにいるって」
「ふむ、一応ゲイル爺に伝えておこうか。悪いことではないと思うが、何かあっては事だ」
やはりアーガットも過保護気味だ。家には帰らずに二人はその足でゲイル爺の家へと向かう。するとゲイル爺はゲイル爺で、まるで彼らが家に来ることが分かっていたかのように家の外に出ていた。内心アーガットは、この爺も実は何かしらの能力で未来を見ているのではないかと疑っている。
「よう坊主、何かようかい」
「俺はもう成人したし妻と子もできた、いい加減坊主はよしてくれ」
「カッカ、俺からしたら年下は全部坊主なんだよ」
「ゲイル爺より年上なんてそうそういない……というかアンタとお婆はいったいいくつなんだ?俺が産まれた時から爺だったのだろう」
「もう数えるのをやめちまったからな、わからねぇよ。それよりどうした、グルに何かあったか?」
目の前の爺は不死の一族なのではという疑いを追加で持ったアーガットだったが、今はグルの事が優先であると意識を切り替える。先程起こった事や腹の中の子の性別が分かる事をゲイル爺に伝えると、胸元まで伸びた立派なヒゲを一撫でしてから口を開く。
「坊主、グルは魔力を扱えるんだよ。それもとても強い魔力だ」
「何!?」
魔力と呼ばれる力があることはアーガットも知っている。人間も動物も、果ては虫や植物まで。この世界の生きとし生けるものは全て大小に違いはあれど魔力を所持している。
それは空気や水のように、生きていくのに必要な物だと教えられた。そして、一部の人間と魔物はそれを自在に操る事が出来るのだという。何も無い所から火や水、風、大地すらも生み出すという到底想像も出来ない事を簡単にやってみせるのだという。
「魔力?」
グルは首をかしげてゲイル爺に問い返す。
「あぁそうだ、坊主。お前の身体の中にはそれはもう大きな魔力がある。恐らくお前は無意識に他人の魔力を察知しているんだ。だから物陰にいるのがハーニーだと見もせずに分かったんだろうよ。ただ腹も膨れてない状態で赤子の性別までわかるのは俺にもどういう原理か分からん。魔力っつうのはな、一つとして同じにはならないんだ。何十年と修練を積んだやつでないとその違いは分からん。だが、お前にはその違いが手に取るように分かるんだろう」
「じぃ、お話が難しいよ」
「カッカ、年寄りの話は小難しくて長いんだ、じゃないと威厳が保てんからな。まぁこれからゆっくり覚えりゃいい、色々と教えてやる。坊主、これから毎日狩りが終わったらうちに来い。」
「あい」
ひょいと手をあげて返事をするグル。そしてゲイル爺の目が鋭く自らへと光ったのを察知したアーガットは、自分にも魔法の話をするつもりなのだと理解し、即座にその場を離脱していた。彼は一流の狩人だ、危険には敏い。
家に帰るとランのほうが先に帰宅しており、男二人で寄り道をしていたと言われてぷんすか怒っていたのだが、ゲイル爺から聞いた話をしてやると我が身のことのように喜んだ。