3話目 それでも私は前に進みたい
好きな人と結ばれれば・・・つまり恋人ができれば、今まで見ていた世界の色が変わるものだと思っていた。でも、それは思い違いであると気づいた。
勝手に抱いた理想から現実を引いたその日常という答えに、私はただ戸惑うばかり。
不満がないわけじゃないし、実に私達らしい関係だと思う。登下校を共にし、デ部の活動の延長線であるトレーニングをして、今までと変わらずの日々を送る。
ただ、その良くも悪くも停滞した日常は、決定的な隠し味が足りない料理みたいに少しだけ物足りなく感じ、焦れったさを積もらせていく。
キスだって文化祭以降していないし、持て余すように手を繋ぐだけでこれといった進展はない。
今になって痛感する。私が酉水と同じ学校へ通う選択をしたのも、「デ部」の活動として引き続き面倒をみるためなんかじゃなく、単純にアイツの傍に居たかったから。他の女の人にとられるのが嫌だったからだと。
誰もひと目のない場所で肩と膝が触れ合うくらいくっついて、それからお互いの知らない部分まで触れ合いたいと思うのは私だけなの?
アンタは私の色んなところを触れて知りたくないの?
真正面からそう訊ければどんなにラクなことだろうと思いつつ、そんな事は絶対に私からは言えないだろうなと尻込みしてしまう。
さり気なく手や肩を触れたり、目を合わす時間を長くしたりとサインは出しているつもりなんだけど、元が鈍感なのか酉水は呆れる程にいつも通りだ。その度にいい加減気づきなさいよ、と心の中で毒づく。
私は自他が思うよりも女々しい人間なのだ。
◇◆◇
週末の土曜日。
土日は仕事なアイツの両親に代わり、私があーちゃんとついでに酉水の食事の面倒をみるようになってから4年目になる。
ちょっとしたすれ違いから酉水の家を訪れなくなったけど、今はこうして元通りにあーちゃんと戯れる生活を送ることができている。贔屓目からか、少し見ない間にあーちゃんが随分と大きくなっているように見えた。
卯月の家に行った時から一週間が経過したけど、その愛くるしさにますます磨きがかかり、比例して酉水のシスコン度合いも増している気がするけど、そこについて今は追求しないでおきましょう。
午前11時頃に酉水家へ到着すると、すぐにあーちゃんが駆け寄ってくるのでムツゴロウさんみたいに全身をナデナデをして相手をする。満足したら、定番みたいにあーちゃんに昼食のリクエストを訊ねる。訊ねたところで奇天烈なリスエストなので作れた試しなんてないんだけど。
「シャルティバジルチェイ」
「シャ・・・チェイ?」
案の定、よくわからないの料理をあーちゃんはリクエストする。その様は無理難題を突きつける現代版のかぐや姫みたいで可愛いけど。でもね、そのなんたらチェイって調べてみると冷製スープみたいだから、12月間近の今の時期には向いていないかな。その事を伝えると、天使ちゃんはコクコクと頷く。
とりあえず冷蔵庫の中身を拝見すると、焼きそば麺の袋に「妃紗ちゃんへ。昼食はこれを使ってください」と小母さんのメモが貼られていたので、了解、と1人返事をした。
「あーちゃん、今日は焼きそばだよぉ?」
「やきそばすきぃ!」
両手をバンザイさせて喜ぶあーちゃんをみると、全身の毛が逆立つようなゾクゾク感が全身を酔うように周り、つい抗えない衝動へと私を駆り立てる。
さっきまで優しく撫でていた手付きとは打って変わって、鷲が得物を捉えるように荒々しくあーちゃんの後頭部を片手でガッチリ掴むと、「ふぇ!?」と怯えた声を出すので、ますます私の歯止めはきかなくなる。
相好を崩し、ゆっくり低く、じんわりと声が溶けるよう意識してあーちゃんに語りかけた。
「あーちゃんの大嫌いなピーマンもたーくさん入れるからねぇ?」
「・・・まじむり」
目の死んだあーちゃんの顔を見ると心の内側がゾクゾクする。これだからやめられないのよね。
やり取りを見ていた酉水が私に言う。
「あのさ、いい加減あーちゃんをイジメるのはちょっと・・・」
大変恐縮ではございますが、と冒頭で言ってそうな程に腰を低くした酉水へ、「うるさいわね、早く外走ってきたら?」とだけ言うと、「あ、はい、そうですね」とヘコヘコしながらランニングをしに家を出た。
これだ。ついいつもの調子で雰囲気もヘッタクレもない言葉を言ってしまう。
これが私達の関係を停滞させている原因を買っているに違いない。
だからといって今さら「うん、ごめんね?東」なんて言う私自身の姿を想像したら、違う意味で全身の毛が逆立つ。こんなの私じゃない。それじゃ、照れ隠しで本心を隠し続けるのが私らしさなのかしら。
肉とピーマンを炒めながら、彼氏の家の中で悶々と考えているのもおかしな話だ。
帰ってきた酉水と3人で手をあわせて頂きますをする。
私とあーちゃんは目玉焼きを乗せた焼きそばで、酉水には鶏胸肉と冷蔵庫にあったブロッコリーとゆで卵を用意した。
まるで親子みたいな光景だなと考えたところで、妙に「子作り」という過程を生々しく想像してしまう。視線は自然と足を踏み入れたことのない酉水の部屋へと吸い寄せられた。
焼きそばとは別に唾を飲み込んだ。私だけ勝手に想像して盛り上がって、対する酉水はあーちゃんが焼きそばを頬張る姿に恍惚とした顔で眺めている。これじゃ先走って馬鹿みたいじゃない。
でも、今は昔の関係とは違う。遅かれ早かれ、いずれ時間が経てばそういう事もする間柄・・・だ。
「そういえばさ」思考とは裏腹に、私の口は別の生き物のように動いていた。「アンタの部屋ってどうなっているわけ?」
「僕の部屋?」
「あ、いや、そういえば、一度も見たことなかったからさ、なんていうかその」
「それじゃ入ってみる?」
「っえ」
なんだか、酉水のご両親とあーちゃんにすごく後ろめたい事をしているんじゃないかと罪悪感と、同時に高揚感が胸を満たす。
「い、いいの?」
「いや・・・別にいいけど?」
酉水を代理して、隣に座るあーちゃんが紙でできた人形のようにコテッと首を傾げた。




