34話目 これまでのこと
ボル君と一緒にいるところに妃紗ちゃんが遭遇したあの日は、文化祭で不備がないように放送で使うための機材のメンテナンスが入る日となっていて、数日間は機材の利用ができないとのことで部活もなかった。
文化祭当日に一日中ラジオ部の仕事とミスコンに追われる事情をクラスの皆は知っているため、「本番が大変だから犬爪さんはゆっくり休んで」と気を使われた私は、放課後になると大人しく帰りの電車に揺られていた。
駅に降りて改札を出ると、外は予報外れの結構強めな雨が降っていて、その時は迂闊にも折りたたみ傘を鞄の中に入れていなかった。
仕方なく止むまで駅に中で少し待ってみて、止む気配がなさそうだったら傘を買おうと考えていると「お前も傘持ってないのか」と横から声をかけられた。ボル君だと、姿を見なくても声で誰かはわかった。
ここにいるという事は、同じ時刻の違う車両に乗ってたみたい。
夏休み同様普通に声を掛けてくるので、私は動揺しちゃってまた口を閉ざしたまま何度も頷くしかできなかった。
「俺は家まで走るから」
腕をまくって今にも飛び出しそうなボル君の袖を、私は咄嗟に掴んでいた。
今を逃せば、またボル君と会話できる機会が遠ざかり、ただでさえ大きな溝がもっと広がってしまうのを恐れたから。
「あの、ちょっと時間ある?」
震えた声で伝えると、彼は狐につままれた表情をしながら、「時間?」と少し首を傾げた。
雨宿りも兼ねて駅構内のカフェに入店し、太っているのが理由で告白を断ったのが実は誤解なんだと、本当に今更ながらボル君に全てを打ち明ける事ができた。
ボル君は私の拙い説明を聞いても、驚くでもなく怒るわけでもなく、熱いコーヒーを飲みながらただ静かに耳を傾けていた。その時のボル君は、普段から無口な小父さんを彷彿をさせる静けさを湛えていた。
高校入学までの経緯を話し終えると、私は原因不明の脱力感に見舞われた。
身体に溜め込んでいた秘密がいつのまにか身体の一部として馴染んでいて、それが全て取り除かれたような妙な感覚。
「強がりじゃないんだけど」
全てを聞いたボル君は、慎重に言葉を選ぶようにその先を進める。
「昔の告白は、恋愛とかそんなんじゃなくて、『このまま時間が止まって、変わらずにこのままでいられたらいいな』ってニュアンスだったんだと思う」
「・・・うん」
「俺達の勘違いが起因で奇しくも『デ部』が始まったけど、今でも妃紗が言っている『理想の男』ってのが、俺にはしっくりきてないんだよ。だって、俺は純礼に男じゃなくて人として否定された気持ちになっていたから」
ボル君の台詞がそのまま鋭利な得物となり、私の心に突き刺さってくる。
覚悟していたのに想像以上に痛い。
「だから、俺が目指したいのはモテる『理想の男』はなくて、『誰かに必要だと思われる人』」だったんだ」
「・・・ボル君はもう、とっくに妃紗ちゃんに必要とされてるんだよ?」
今までの2人の関係を見てきてもそれは一目瞭然なのに、2人には決定的に踏み込むことができない遠慮の壁があるように見えた。そして、うぬぼれじゃなかったら、その壁は私じゃないかなって、ぼんやりだけど勘付き始めてもいた。
「なぁ、文化祭のミスコン出るんだって?」
「・・・・え、あ、うん、勝手に決められちゃって」
突然話題と全く関係ない世間話を始めたので、意図が汲み取れず素直に返事をしてしまう。
「それじゃ、お前は妃紗の踏み台になってくれよ」
「・・・ん?」
「妃紗は多分、お前に劣等感に近い感情を抱いてる。だから、それをなんとかしない限り俺達は先に進めない」
「それとミスコンと何が関係してるの?」
「簡単だよ。ミスコンで妃紗がお前に勝てばきちんとした証明になるだろ。だから、悪役はヒロインのために潔く散ってくれ」
「・・・悪役!?」ボル君の目を見ながらもう一度確認する。「私悪者なの!?」
「あ、そろそろトレーニングの時間だから、この話はまた今度でいいか?」
「ね、ねぇ、私悪者なの!?」
時間が迫り雨も止んだので、コーヒーの入った紙カップを手に取って店内を出る。
途中までは家の方向が一緒なので、ボル君と一緒に並んで歩いているのが嘘みたいだった。
後は妃紗ちゃんとどう折り合いをつけようかと考えている時に、その妃紗ちゃんとばったりと遭遇した。
一瞬だけ目を大きく見開かせた妃紗ちゃんの表情が、苦痛の色に変わる様を見た瞬間、私が耐えられずに目を逸らしてしまった。もしかしたら、思わぬ誤解を生んじゃったのかもしれないって。
沢山の色をぐちゃぐちゃに混ぜたような笑顔で、妃紗ちゃんが「良かったわね。『デ部』のおかげで仲直りができて。随分とお似合いじゃない」と言ってきた。
やっぱり誤解をされている。
過去の過ちから学び、同じ轍を踏まないようにと、私はなけなしの勇気を振り絞って誤解を解こうとした。
でも、何を思ったのかボル君が私の勇気を制した。
挙句の果てに、「妃紗のおかげだよ」なんて火に油を注ぐ言葉を選んだので、心の中で「えぇぇぇぇぇぇ!?」と叫んだ。
「・・・そう、よかったわね」
「うん、ありがとう」
一気に気温が下がりそうな2人の冷めたやり取りを見て、私の体が凍りつきそうになった。
「そ、それじゃ『理想の男』になったことだしデ部はもう必要ないわね」
最後に妃紗ちゃんがそう言って、足早に遠ざかっていった。
ボル君も後を追わないしで私は意味が分からなかったし、もどかしさで怒りがこみ上げてきた。だから、「ねぇねぇ、どういうことなの!?」と、3年以上のブランクなど忘れてボル君に食ってかかる。
「妃紗は言葉で説明しても納得しない」
「そんなの話してみないとわからないよ」
「これだけはわかるんだ。仮に表面上は納得しても、必要以上に考え込んで奥底でいつまでも燻るタイプだから」
そう言い切りながら、妃紗ちゃんが立っていた場所を眺めるボル君の瞳をみたら異論なんてすぐにお腹の中に引っ込んでいった。ボル君が私よりも苦しそうに目を細めて、強く握った拳がギュウって音を立てていた。
「まぁ・・・これから妃紗がどんな行動をするかはちょっとした賭けになるよ」
「・・・まさかこんな事になるなんて」
「っということで」ボル君が朗らかな顔を作り私に言った。「何かあったらフォローよろしく」
「フォロー?」
「純礼が勘違いをしたから妃紗との今があるけど、それでもきちんと本当の事を言ってくれないからこんなに拗れているんだろ。だったら、円満にいくように責任を取るのが筋ってもんだよね」
「ぐぬぬ・・・」
「俺も至らなかったけど、でも、まだ純礼の過去を水に流すとは言ってない」
その言葉は私を咎めるようであって、その実救いだったから素直に頷いた。
すんなりと許されたり水に流されたりするよりも、ちゃんと罪滅ぼしを提示される方が良いに決まってる。ボル君は、そういった人が本当に願っている箇所を的確についてくる。それが無自覚かは知らないけど、こういった要所を押さえる性格も変わっていない。
「文化祭が終わったら俺から妃紗に事の顛末を説明しとくよ。大丈夫、妃紗だったら『・・・あっそ』の一言で許してくれるって」
自信満々にボル君がそう言うので、見せつけてくれるな、とちょっと思ったけど、その後にすぐに抑えられた声で「・・・大丈夫だよね?」と呟くから、私はよくわからなくなった。
それにしたって、無茶な綱渡りをする。
綱というよりも糸。糸渡りで危なっかしいよ。
◇◆
それから2週間近く経過したある日。
放課後になると、部活へ向かう私を待ち伏せしていたらしいボル君が物陰から飛び出してきてた。
「純礼ぇぇぇどどどどうしよぉぉ」
「え、ど、どうしたの?」
いつぞやの自信はどこへ失くしたのか、今にも泣きそうな顔をして文字通り泣きついてきたから、私は焦る。あの時と同一人物か思わず確認したい衝動に駆られもした。
「妃紗に何の動きもないぃぃ」
ボル君の話だと、巳造君という友達にお願いして、妃紗ちゃんがいる3組に潜入し、さり気なくミスコンの参加者を窺っていたようだけど、乙武さんという子から変更がないままとのこと。
ちなみに、ミスコンの急な参加者変更は可能だと、事前に実行委員会へ確認済みたい。用意周到なんだか抜けているんだか相変わらずわからないよ。
「ほら!やっぱり余計に拗れちゃったじゃん!」
ぷんすか怒ると、ボル君は「違う、決定的なひと押しが足りないんだ」とここに来て言い訳をするから、私も付いていくから今からでも本当の事を話そう、ともっと怒った。
「やっぱり悪役を直接ぶつけるしかない」
「だから私って悪者なの!?」
「いいか純礼、妃紗を直接煽って、ミスコン参加を促してくれ」
「・・・い、嫌だよっ、そんな事しなくても普通に話せば───」
「───だから話したところで完全に納得はしないんだって。最後まで悪役らしくしてくれ、頼む!」
両手を合わせられて、拝むように頼まれた。
まぁ、そもそもの元凶は私なんだし・・・・。
無茶なお願いに心が揺らいでいると、突然ボル君がハッとした顔をしてこんな事を口にした。
「不躾だろうが憎まれようが、誰かのためになんなら嘘でも本音でも言うべきだ」
「誰の格言?」
「先輩の受け売りで俺の好きな言葉。だから、妃紗のために悪役を買って出て、そして華麗に散ってくれ、頼む!」
なんちゅう頼み文句だ、と思ったけど、私もその「先輩」の言葉は心に響いた。
私に足りない部分を埋めるような、そんな言葉。
それに、「妃紗ちゃんのため」が一番の決め手になった。
「わかった。ここまで来たら、私、とことんやってやるんだから」
◇◆
こうした経緯で、人と喧嘩なんてしたことのない私が妃紗ちゃんと小さな公園で衝突したわけだけど、駅で待っている間は外は寒いし、話しをすると妃紗ちゃんは怖いしで泣きそうになった。
ボクシングのセコンドによるアドバイスみたいに、「言葉に詰まったり劣勢になったらとにかく『逃げるな』って煽ればイケる」ってボル君から事前に伝えられたけど、その通りにしたら本当に戦況が覆っちゃった。
「一応3年間、東の面倒を見てくれた義理で言うね。ありがと、私の『理想の男』に育ててくれて」
恐怖の限界により、最後はアドリブを吐き捨ててすぐにコンビニのトイレへと駆け込んだ。最初は我ながらかなりの悪者を演じられたという達成感を感じ、その後、恐怖が遅効性の毒みたいに身体を蝕み、身体がガタガタと震えて昔みたいに泣いてしまった。
でも、これくらいで2人の役に立てるんだったら、嘘でも本音でも何でも言うし騙す事も厭わない。
そして迎えた前日祭。
暗いステージ裏から登場した妃紗ちゃんを見て安堵したのも束の間、私は息を呑んだ。
そして、ボル君があれだけ自信を持っていたのもわかった。
私は妃紗ちゃんには敵わないよ。
気づいてる?
ざわめいていた会場が静まり返ってるんだよ、妃紗ちゃん。
本気になった妃紗ちゃんの綺麗なその姿に、私も会場の皆も心を奪われた。




