31話目 幼馴染は背中を押す
犬爪某と衝撃的な会話をしてから数日が経過した。
その間は生きてる心地がなく、時間をなぞるだけの生活が続いていた。
どっちにしても、私のクラスは3組で、1組の酉水と7組の犬爪某との間に挟まれているから、学校にいる時はどうしても息苦しさを感じてしまう。
前夜祭まであと2日と迫った今日は、「えー彼氏来るんだーいいなー」「見たい見たい、絶対紹介してね」ってな感じで、耳に入れたくない話題がそこら中で花開いていた。
ただでさえ耳をふさぎたい内容なのに、事情を知らない友達が傷口を深く抉ってくる。
「ねね、酉水君と一緒に回ったりするの?」
「そういえば酉水君もミスコン出るんだよね。6組の池面と一騎打ちになりそう!」
「でも、もし酉水君が選ばれたら自慢できんじゃん。妃紗裏山だわ」
もう勘弁して欲しい。私は曖昧な返事で誤魔化して、息苦しい時間をやり過ごした。
この日もクラスのちぎり絵の手伝いをして帰りが遅くなり、夕飯を食べて入浴を済ませると既に21時を回っていた。
自室にこもり、ベッドに身を預け、ふと教室で聞いた会話を思い出した私は、最近の運動不足による身体のたるみを気にしながらスマホを操作する。
おもむろにLINEの友達の一覧からある人物を選択してトーク画面を開いた。
その人物は以前に彩を経由して私の連絡先を聞いてきた陸上部の先輩。名前は良人というらしい。
彩曰く、「名前の通り良い人だって」って言われたけど、良い人の基準って何なんだろう。
確かに、私が生意気に提示した条件を守ってくれているし良い人なのかもしれない。
それじゃ、心の慰めや穴埋めのために良人先輩を道具みたいに利用する私は悪い人?
誰かさんのせいでまともな恋愛をしてこなかったので、この辺の駆け引きや心理がイマイチ理解できない。
でも、あっちはあっちでよろしくやってることだし、こっちはこっちで別に連絡を取るくらいはいいわよね・・・恋のきっかけって意外とあっさりとしたものだし。
テンプレートな文面を入力し、後は紙飛行機のアイコンに触れるだけ。それだけなのに、いくら時間が過ぎても画面を触れられず、指先は行き場もなく虚空を彷徨う。
その時、耳元で囁かれるみたいに犬爪某の声が聞こえた気がした。
"やっぱり、逃げてるんでしょ?"
幻聴を振り切るため首を横に振る。逃げてない。逃げてないわよ。
何を中途半端にうだうだとやっているのよ私は。
決心がついて、いざ画面に触れようとしたタイミングで部屋のドアがノックされて、心臓が口から飛び出るかと思った。
ドアの向こうで「亮君が来てるんだけど」ってお母さんが言った。
・・・この遅い時間に?
◇◆
玄関に立っている仏頂面の私の幼馴染は、私の顔を見るなり「外で」と言って玄関のドアを顎で差した。
10月中下旬の夜は薄手の着衣だと肌寒いので、適当な上着を羽織ってから一緒に外に出た。
互いの家から歩いて数分の場所に公園がある。公園とは名ばかりで、ひょうたん型の大きな池があるだけで大きな庭園って感じだし、遊具などの遊び場もないから小さい頃からあまり利用はしていない。
先を歩く亮の足取りはどうやらその公園らしく、到着すると人気はなく、園内は外灯の頼りない明かりが灯っているだけで薄暗かった。
ベンチに腰掛けると、亮がすぐに口を開いた。
「ずっと来てないけど」
「・・・それが何よ」
亮が言っているのは酉水とのトレーニングの事で、かれこれ三週間近く顔を出していない。
ここに来て、亮をトレーニングに参加させたのが仇になったわね。
池に鯉が泳いでいるのか闇夜の中で水面が揺れ、反射した外灯の明かりが散らばっては集まってを繰り返している。
その光景を眺めながら、亮が再び口を開く。
「妃紗は良いのかよ」
「良いって何が」
「なんだか先輩とすれ違ってるね」
「・・・別にアイツから特に何も言ってこないし」
「逃げんの?」
その言葉に私は反射的に亮の顔を見た。キッと、眼光の鋭い亮に負けまいと睨む。
犬爪某にも言われた言葉は、私の新しい傷口によく染みた。
「どういうことよ」
「事情はよくわかんねーけど、妃紗が逃げるって余程だろ。是非を相手に任せるなんて、俺の首根っこ掴んで歩き回ってた幼馴染とは思えねー」
「亮に何が・・・」
言いかけて、途中で言葉を飲み込んだ。年下の幼馴染の言う通りだから。
しっかりと事実確認すらしないで敵前逃亡したのは紛れもない事実。ここで当たり散らすのはただ八つ当たり。
でも、相手があの犬爪某だから仕方ないじゃない・・・・。
自身の感情のコントロールもままならないなかで、次の亮の言葉は私にとって一種の道標に思えた。
「先輩なら大丈夫だって」
何の根拠もない言葉。よく酉水も同じように好んで使う楽観的な言葉。その無責任が私にとって何よりも救いだった。
手放した風船みたいに、弱音が喉まで上がってくる。
「・・・どうしたらいいのかなぁ」
らしくない言葉を、私は弟みたいな幼馴染に吐き出す。
「不安なら足掻けよ」
「・・・ねぇ、何か酉水から全部聞いてるでしょ?」
あまりに的を得えて、的確に私に足りない決心を煽ってくる言葉がポンポンと出てくる。
でも、私の質問に亮はただ首を横に振った。
それなら、亮は何も事情を知らないんだと思う。
「参考までに聞きたいんだけどさ」
「・・・」
亮は無言で私に一瞥をくれる。続きを促す空気が伝わってきた。
「もし目の前に絶対敵わない強敵が現れたとしたら、アンタならどうする?」
亮はぼんやりと水面に散らばった光を眺めならが口を開いた。
「インハイのストレート」
「・・・それってどうせ野球でしょ。私にも分かるように言ってよ」
「真っ向勝負。小細工なしの力と気持ちで捻じ伏せるって事」
亮は腕をしならせてピッチングの真似をする。絶体絶命のピンチの時でも、マウンドの上で強打者相手に逃げずに勇敢に立ち向かう亮の姿が目に浮かんだ。
結局よくわかんないけど、でも不思議と紅茶に浸した一顆の角砂糖のように、私の知らない深いところにじんわりと染み込んでいく気がした。
真っ向勝負・・・小細工なし・・・・力・・・・気持ち。
「・・・私、決めた」
この言葉は確か、記憶が正しければ「デ部」の活動を始める決断をした時と同じ言葉だったはず。
思い切りの良さが私らしさだった。でも、いつのまにか酉水という温床と一緒にいたおかげで私らしさが薄れていたみたい。
亮は私の言葉を聞いて「・・・あっそ」とだけ呟いた。
「詳しく聞かないの?」
「いや、良い」
亮は話はそれだけと言わんばかりに、ベンチから腰をあげ、釣られて私も立ち上がった。
行き同様帰りも会話はなく、閑静な住宅街に夜の静けさが落ちてくる。
「あんがとね。私、最低な事をするところだったかも」
先に私の家の前に到着し、別れ際にそう言った。
情けない年上のお礼の言葉に、亮は少しだけ笑って自分の家へと戻っていった。
うん、決めた。
私は逃げない。犬爪某からも、私の心からも。
ずっと認めてこなかった。怖かったから。
近くなっても、遠くなっても、どっちでも今までの居心地の良い距離感が崩れるのが怖かった。
でも、うだうだと理由をつけて目を逸らすのはやめた。
私は酉水の事が好きだから。
だから私は犬爪さんの安い挑発に乗ってあげる。
インハイのストレートで捻じ伏せてやるんだから。
しかし因果なものよね。
酉水の幼馴染で頭を悩ませて、私の幼馴染に背中を押されるなんて。
しかも、どっちも公園に誘うなんて、幼馴染というのはそんな習性でもあるのかしら。
自宅に着いてから私がまず始めにしたことは、良人先輩に送るために残していた文章を変更することだった。その後は嘘みたいに指先に迷いがなくなり、紙飛行機のアイコンをタップすることができた。
どうか、私の謝罪には毒が含まれてませんように。
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