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17話目 犬爪純礼も葛藤している

 どうして神様は梅雨が明けたら暑くならないといけない決まりを作ったんだろう。授業で習う梅雨前線とか、高気圧が覆うとか、ちゃんとした原理は抜きにして、たまには低気圧が圧勝して秋にならないかなと梅雨明け後は来年に向けて毎年祈る。



 空から降り注ぐ強い陽射しと、地面に残った湿気が蒸発する蒸し暑さに耐えながら、私は人の少ない早朝の電車に乗り込む。



 1時間ほど空調の効いた電車内に座り汗も引いたけど、学校の最寄りに到着した瞬間、嫌がらせのような熱波が私の体を包む。日に当たると赤くなるだけの肌が弱い私にとって、紫外線は数多くいる敵の中の強敵ポジション。ちなみに一番の強敵はジメジメとした自身の性格。



 この高校に入学して早くも3ヶ月が経過した。


 そろそろ見慣れてきた通学路を歩き、学校に到着すると、まっすぐに私が所属するラジオ部のメンバーがいる放送室へと向かう。自宅が遠い私は皆よりも少し到着が遅い。



犬爪いぬづめさん、おはよー」


「はい、おはようございます」



 3年生で部長の夏恵なつえさんが、梅雨明けに相応しい熱気のある声で挨拶をする。芯の通った声は、スピーカー越しでもしっかり体の中心まで届きそうな迫力がある。



 入学当初はラジオが好きだから「ラジオ部」に入ろうと同好会感覚で甘く考えていた。好きな番組やパーソナリティを語ったりするのかなって。



 でも、実際は結構活動は活発だった。朝と昼に部員による校内放送をして、放課後は翌日の内容の打ち合わせをする。学校行事でも司会や実況を務めたりもするみたいだし、ラジオというよりは放送部みたいな感じかも。



 1、2年生は裏方に徹するけど、ノウハウを引き継いで数年後に私もマイクに向かって喋るんだと想像すると、今から緊張で鼓動が早くなる。



 6人だけの少ないラジオ部が私に出来た居場所。


 教室での私は半孤立状態。孤立に半分もないと思われるけど、完全な孤立じゃないから、敢えて今の状況をそう呼んでいた。




 クラスの皆がイメージする私は随分と理想が高くて驚かされた。


 都内で広い庭付きのおしゃれな一戸建てに澄んでいて、綺麗で優しいママに格好いいダンディなパパ、オシャレなお姉さんがいて、ゴールデン・レトリーバーを多頭飼いしている。朝食は焼いたクロワッサンにスクランブルエッグ、ベーコン、ヨーグルト、果汁100%のオレンジジュースというメニューを毎日食べてそうだって。



 勿論私は否定した。否定したけど、コミュニケーションが苦手なのでそれ以上のことは言えなかった。それが謙遜と捉えられちゃったのかもしれないと気づいたのは少し経ってからの事。



 実際は猫の額ほどの庭で、築年数もそれなりの印象にすら残らない普通の一軒家。確かにお母さんは綺麗だけど家の手伝いをやらないと結構口うるさいし、お父さんは家ではヨレヨレのシャツを着てるし丸っこいしでダンディのカケラもないんだけど。私は一人っ子だし、犬は小型犬一匹のみ。


 朝食にクロワッサン?ベーコン?ヨーグルト?


 朝は毎日が時間との戦いで、今日はご飯に納豆かけてパパって食べ、昨晩の残りの塩辛くなった味噌汁で流し込んだだけ。私の朝食はいつもそんな感じなんだけど・・・。



 私はごく一般的な生活を送っているんだよと言いたいけど、既に私はヒエラルキーの枠外の特殊な立ち位置に、良い意味か悪い意味で祭り上げられてしまった。



◇◆



 さて、新しい環境で心機一転を図る計画は出鼻どころか根幹からポッキリと折れてしまったけど、高校に入学して初めてボル君と廊下ですれ違ったとき、私はあまりにも緊張しすぎて首をギブスで固定しているかのようにただ真っ直ぐを見つめていた。視線を動かしてボル君を見ようと思ったけど、怖くてできなかった。



 嫌われているんだったらこれ以上は落ちることもないし、不躾でも不格好でも言葉を交わせばいいのに。そんな事ができる人に憧れるし、私はなりたいと常日頃思っている。



 クラスの人にも同じ中学出身なのでボル君について聞かれたけど、関わりがないからわからないと逃げた。



 ある日、ラジオ部の朝の活動が終わり原稿の後片付けなどをしている時に、部活の先輩から入部を賭けて1年生の男子が陸上部と競争する催しが放課後にあると聞いた。



 その経緯も面白く、マネージャーだという女子生徒に聞いてくれ、とその一年生が言ったらしい、と。



 すぐに「デ部」だとわかった。どうして競争に至るまでになったのかはわからないけど、きっとボル君が今日の放課後に走るんだって推測できた。



 その日の放課後、やはり気になって仕方ない私は、人の群れに紛れるように位置取りながら競争の観戦にグランドへ足を運んでいた。



 それなりの多くの人が集まるなかで、グラウンドの中央では妃紗ひさちゃんがボル君の背中を押して前屈のストレッチをしていた。



 その光景にやっぱり仲が良いなぁ、と顔が綻んだ。


 同時に、もし「告白」の一件がない世界線があったとしたら、私が妃紗ひさちゃんの代わりにボル君の背中を押していたのかなと、ふと考えてみる。


 いや、それはないかな。秒で仮説を否定した。


 きっと、中学生になると自然と疎遠になったりもするし、そうじゃなくてもボル君はダイエットをしていないだろうし私もさせてない。互いに表に出る性格じゃないから、やっぱり妃紗ひさちゃんあってこそ今があるんだよね。



 悔しいとか、そういった感情はなく、ただ自分の不甲斐なさに情けなくなる。むしろ推しの妃紗ひさちゃんの凄さに改めて気付かされる一方。



 レース開始直前、唐突にボル君と目が合い身体が硬直した。目を逸らしたいけど、ボル君の睨みに近い力強い視線がそれを許してくれなかった。



 やっぱり怒ってるのかな。「お前の嫌いな昔の俺とは違うんだ」というメッセージが込められている気がした。やっとの事で視線を逸らす事に成功したけど、すぐにスタートのピストルの音が鳴って、反射的にまたボル君に焦点を合わせた。



 すっごい速さで陸上部の人と並走するボル君を見て、思わず声を上げそうになった。あれがボル君?知っていたけど、本当に別人になったんだって実感が煮詰まった。



 同時に責められている気がした。いや、実際はそうなんだよね。

 逃げ癖が板についた私は結果を見届ける前にグラウンドを後にした。



 少し離れた所で歓声が響く。

 結果はどうあれ、心の中で2人に祝福を送るのが今の私の精一杯。


 その後は後ろ髪を引かれる思いで部活へと急いだ。





 肌を押してくる空気の重さを感じる初夏。



「犬爪さん、テストの事で相談なんだけど」


「範囲とか?」


「そうそう、入学して一回目のテストだけど私達ちょっとやばそうなんだよね」


「いきなり勉強難しくなったもんね」




 そろそろテストという事で、成績は良いことは既に知れ渡っているのでクラスの人たちが私に助言を求めてきた。最近は部活であまり勉強は出来ていないけど、それでも私は私なりの役割でクラスの一員として働こう。



 そして、過去を清算できる自信を身につけていつの日かきっと。


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