11話目 軽やかな空気と足取り 下
目論見通り、駅入り口の壁にもたれかかっている人物を発見して、僕はしたり顔になる表情筋に抗う。
本人曰くコンプレックスだというセミロングの癖っ毛に、前髪はかき上げて片方に流しているため、おでこが出ている。髪はほんのりと明るい茶色。
程よい吊り目と小さな口に細く通った鼻筋。
制服を少し着崩していて、全体の出で立ちはギャル1歩手前のクール系少女といった感じ。
身長は160cm前後で、僕のトレーニングに付き合って自転車を漕いでいるだけあって、線の細い体型をしている。
その人物こと庚申妃紗は僕を見つけるやいなや、ムスっとした顔で僕に寄ってきて、威嚇するように目を細め、「ねぇ」と言葉をぶつけてきた。
返事はしないで、構わず僕は駅構内へと向かい、そのまま改札を抜ける。
背後から「ちょっと聞いてるの!?」と妃紗が抗議しながら付いて来るけど、やっぱり僕はそのままホームへと歩く。
隣に並んだ妃紗が時たま様子を窺ってくる気配がするけど、電車が到着するまでの数分をスマホで潰して、到着後に乗り込んだ。
席は疎らに空いていて、適当に座ると妃紗も逡巡を漂わせた後に僕の隣に腰を下ろす。ここまで会話はない。
2駅を通過した辺りで、一度「ねぇって」と僕の袖を引っ張りながら妃紗が呼んだので、ようやく僕も「ん?」っと反応を示す。
少し俯いて妃紗が口にした言葉は、蝋燭の火よりも弱々しかった。
「そういうの、やめてよ」
「そういうの?」
「無視・・・とか」
「え、別々に帰るって妃紗が先に言い出したんじゃないか」
「そうだけど・・・話しがある時くらいはいいわよ」
「それこそLINEでも良いよね」
「・・・・」
口を閉ざした妃紗は、また俯いた。
こんな姿をみるのは初めてだ。
「・・・彩の件で言いたいことがあるの」
「あぁ、乙武さん?」
「アンタわざと色目使ったでしょ」
「まさか、乙武さんが声をかけてくれたから、あとは妃紗の教え通りに接しただけだよ」
「ぐぬぬ」
ぐぬぬ、と本当に口にする人いるんだな、と見当違いな事を思う。
「え、用件ってそれだけ?」
「それだけって、アンタが昨日のLINEについて話しがあるから教室まで来たんじゃないの?」
「いや?」僕は小刻みに首を横に振った。「既読つかなくて、今日学校に来ているか心配になって確かめただけ」
妃紗が顔をしかめた。今回の心理戦は僕に軍配が上がったようだ。
ふ、ふぇぇ....よかったよぉぉ。
ぶっちゃけ賭けだった。駅で妃紗を無視した時点で脇汗凄かったもん。
「妃紗には絶対服従」という電気信号のような本能に抗うには、こちらとて相当に神経をすり減らすのだ。
「はぁ・・・そうね、悪かったわよ、十分な説明もしないで」
「説明も何も、この前の浮気云々の話しでしょ」
「へぇ・・・アンタにしては頭が回るのね」
「あ、馬鹿にしてる?」
ここで、電車の乗換駅に到着し、僕たちは向かいのホームへと向かうため一度会話を止め電車を下りた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
小言の1つでも言って、それで終わりだと私は思ってた。
でも、駅でアイツに声をかけて無視をされた時はさすがに出鼻を挫かれた。初めてだもの、無視をされるのは。
まぁいいか、と思ったけど、思考とは別に体は動いていた。まるでアイツの背中と私のお腹に見えない糸が繋がっていて引っ張られるみたいに。
結局ホームまで背中を追って、電車も隣に座って、アイツの思うつぼな気がして気分が悪い。
モヤモヤとした気持ちとは裏腹に、私が口にしたのは、色んな感情や思惑を濾過した素直な気持ちだった。
"そういうの、やめてよ"
"無視・・・とか"
ああ、またこのパターンだね。
どうやら私は事が起こってから、私自身の本当の気持ちに気づくタイプみたい。
遠ざけておいて、無視されたくない。
近かったり、遠かったりを器用に使い分ける事ができない。
それからは完璧にアイツのペースに乗せられちゃったのが、本当に舌を噛みたくなるほど悔しい。
電車の乗り継ぎのために一度会話を止め、それから20分程度電車に揺られれば自宅の最寄駅に到着する。そう、まだ20分も時間が残されてる。
話の続きをして白黒つけなくちゃ。
「・・・それで、結局どうするのよ」
「どうするも何も、とりあえず今まで通りで良いんじゃない?」
「それだと何も解決してないじゃない」
私が口にしたそばから、酉水はいきなり「それだ!」と、私に人差し指を向けて「そこだよ!」と更に大きな声で何かを主張した。
電車内でその声量は迷惑行為にあたり、私も、向かいに座っていた親子連れの母娘も驚いてギョッとした。その後、母娘揃って声を出したアイツを見ると、その精悍な顔立ちにうっとりとした顔になっていた。
酉水は意に介さずに続ける。
「『解決』って言ったけど、そもそも問題に至ってないよね?」
「・・・・・・は?」
「まだお互いに恋人もいないし、その時になってから考えればそれで良いじゃん」
「いや、だからね、私はそういう事を言ってるんじゃなくて――」
楽観的な酉水に、最早諭すに近い口調になるけど、「僕はね、現場主義だから、複雑な人間関係とかは抜きにしてさ、妃紗が嫌かそうじゃないかが知りたいんだよ」と遮られる。
「別に嫌とは言ってないじゃない」
「それに、仕事の都合で急には両親のシフトも変えられないだろうし、妃紗が来なくなると当分は僕の手料理をあーちゃんに食べさせる事になるけど」
「ち、ちょっと!?前に『あーちゃんをダシに使うのは』云々って言ってたじゃない!自分は棚に上げるの!?」
「ダシには使ってないよ。ただ事実を言っただけ。あーちゃん、妃紗が来なくなると悲しむだろうなぁ」
「アンタって・・・」
馬鹿なくせして狡猾さを持ち合わせてる相手というのは本当に面倒。はっきりと理解した。私の気配りや遠慮はコイツには伝わらない。
目の前にあるモノを何でも口に放り込んでしまう魚みたいな、どうしようもないアホだわ。
それから、彼は長いまつ毛にビー玉の瞳で私を射抜いてこう言うの。
「今すぐ誰か恋人が欲しいとは思ってないしいいじゃん別に。それに、妃紗は僕にとって恩師であり友達であり、そしてなによりも・・・」
「・・なによりも?」
私はその先が気になり自然と呼吸を止めながら続きを待つ。
「なによりも、あーちゃんのお姉ちゃんだから」
「ふッ」
アイツの言葉を聞いた途端、お腹の中でふわりと軽やかな空気が反発するのを感じ、それが喉元まで迫り上がり、温かい吐息となって口から洩れだした。
「あっははは、何それっ」
可笑しくて、嬉しくて、お腹を抱えて笑っていた。もうね、完敗。なんかどうでも良くなった。あれこれ考えすぎる私の方がむしろ馬鹿みたいじゃない。
「あれ、あーちゃんのお姉ちゃんじゃないの?」
「・・・そうよ、お姉ちゃんよ」
観念して認めると、酉水の空気も少し和らいだ気がする。
「という事でお姉ちゃん」
「・・・・・ん?」
あ、私の事か。言っとくけど私はお前のお姉ちゃんではない。
「久々に、一緒に保育園まであーちゃん迎えに行く?喜ぶよ」
「・・・行く」
最寄り駅で電車を降り、私は酉水と並んで寄り道をする。
数分後に、あーちゃんが私を見て顔を綻ばせる場面を想像すると、保育園へと向かう足取りは自然と軽くなった。
いつもお読み頂きありがとうございます。
また、誤字脱字報告も常々感謝の極みです。
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