第1話 ゲートキーパー
「亮子先輩?」
11月も後半に入った寒空の下、亮子電車を待っていると訝しげな声が耳に入った。亮子が振り返ると黒髪のショートカットで制服を着た女子高生が唖然とした様子で立っていた。亮子はしばらく考え、特徴の一致する後輩の名前を弾き出した。
「由香ちゃんか。久しぶりだね」
由香は戸惑った。自分の知っていた筈の人は今や別人のような容貌をしていたからだ。
つい一週間前に部活で見た時は黒黒としていた長い髪は後ろで結わいていた筈だ。それが今や茶色に染められバッサリと切られている。
由香の視線に気がついた亮子は髪を一房指先で持ち上げてみせる。
「ああ、これ?ちょっと親に反抗してみたくてね」
亮子が軽く笑ってみせるのと反対に由香は深刻な表情で亮子を見つめる。
「何があったんですか?」
「ん?」
「先輩が親に反抗するなんて絶対なにかあったんです」
真面目を絵にしたようなこの先輩が親に反抗する姿なんて由香には想像できなかった。
「まぁ、色々あってね」
由香の真剣な質問を亮子はするりと避けてしまう。
「ところで由香ちゃん」
そこで、電車が到着して二人は乗り込む。
座席に腰を落ち着かせると、尚も問いつめようとした由香が口を開く前に今度は亮子が声をかける。
「この一週間、部活はどうもなかった?」
「先輩が来てない以外は特に変わったところは無いです」
非難を込めた由香の口調に亮子は苦笑いする。
「耳が痛いな。けど良かったよ。結がちゃんと部活に出てんなら」
結とは二人が所属している弓道部の部長であり。亮子の親友である。
「結先輩が何か関係してるんですか?」
由香の疑問に亮子ははっきりと首を横に振った。
「ううん、私を探しにくるかなぁとも思ったんだけど。そっか結もようやく自分のことを優先するようになったか」
首を傾げる由香に亮子は何でもないよと手を振る。ちょうど、その時電車のアナウンスが二人の学校の最寄り駅の名前をコールした。床に置いてあった荷物を手に取り立ち上がった由香は怪訝そうな視線を亮子に送る。亮子は席を立とうとしなかったのだ。
「先輩?」
由香が訝しんだ表情を投げかけてくる。
それに対して亮子は不敵に笑う。
「これも反抗の一つでね。しばらくは学校に行かないつもりなんだ」
心配そうな顔の由香を見送ってから亮子は大きく息を吐いて座席に沈みこんだ。
「反抗か」
ちょっと違うかなと亮子は苦笑する。
親に対して特別な感情など抱いていないのだから。父親は亮子が幼い時に他の女のところに出て行った。それ以来、母親は無気力になり亮子に興味を示さなくなった。
だけど、もう一度自分を見て欲しかった。だから良い成績を取り真面目でいた。けれど何も変わらなかった。最後の手段にと髪を染めてみたが母親は一瞥すると興味なさげにテレビに視線を戻した。その時、亮子は気付いた。両親にとって自分はいても居なくても変わらない存在なんだと。それ以来、一週間、意味もなく電車に揺られている。 携帯を開くと着信は結の番号だけで母親や家のものは無い。
「どこか此処とは違う場所に行きたいな」
亮子は一定のリズムの電車の揺れによって襲ってきた眠気に身を任せて目を瞑った。
亮子が目を覚ますと辺りは暗い。どうやらトンネルを通っているようだ。そこまで考えておかしいと思う。この電車は都内を円を書くように繋がっている筈で何周もした亮子が知らない場所など無いのだ。
亮子は慌てて辺りを見回すと亮子の他に誰一人乗客はいない。車両を変えても同じだった。携帯も圏外で繋がりそうも無い。そうこうしているうちに電車は一つの駅に滑り込んだ。滑り込んだ駅も同様に見覚えがない。駅の名前を探すがどこにもなかった。
「ここはどこ?」
「ここは世界の狭間ですよ。お嬢さん」
亮子の呟きに男の声が答えた。振り向くと上背のあるスーツに身を包んだ男が立っていた。
表情は奇妙な仮面を付けているため分からないが亮子は笑っていると何故か確信した。
「世界の狭間?」
亮子が警戒しながら質問すると男は大仰に頷く。
「そうです。世界と世界。時間と時間。全てが少しずつ重なった場所がここなのです。それ故、ここは古くから門と言われてきました。申し遅れましたが私はゲートキーパー。名前の通りこの場所を守護するものです」
「はぁ?」
意味が分からないという表情をする亮子。
「分かりますよ。私も前任者から同じ話をされた時は同じ気持ちでした。しかし、私の頭がおかしいのでも夢でもありません。あなた、自分の世界にいたくない違う世界に行きたいなんて考えませんでしたか?」
図星をつかれ、亮子は息を呑んだ。
仮面の下で男が笑った。
「次元を渡る素質あるものが望めば道は開ける。その道が繋がる先がここなのですよ」
図星をつかれ、亮子は息を呑んだ。
仮面の下でゲートキーパーが笑った。
「次元を渡る素質あるものが望めば道は開ける。その道が繋がる先がここなのですよ」
「んーすみません。帰ります」
付き合ってられない。それが亮子の素直な気持ちだった。帰り方は分からないが逆の車線の電車に乗れば帰れるだろう。
「おや、帰ってしまうのですか。違う世界に行くチャンスを私はあなたに差し上げることがですが」
「違う世界?」
亮子にその言葉は酷く魅力的に聞こえた。
「ええ、文化も歴史も何もかもが異なる世界です。あなたには素質があるのですよ」
「そんな世界があるの?」
「ええ、それは山ほど」
だけど、
「ふうん。けど、今はいいや。まだ元の世界にも居場所があるから」
亮子は、はっきりと言った。
「それは残念です」
大して残念でもない様子でゲートキーパーはいう。
「ですが、忘れないでください。あなたには素質があり望めばいつ、どんな所からでもここに来れる事を。そして、違う世界に渡れることを」
その瞬間、亮子はいつも乗っている電車で目を覚ました。辺りを見回しても特に変わった様子もない。
「夢?」
その呟きに答えてくれる人はいなく電車の揺れる音だけが響いていた。