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冬の花咲く丘の上  作者: 木之子
6/11

05

 草木も眠る丑三つ時。今日の来客が指定した時間だ。冬子はこの時間の来客があまり得意ではない。それは眠いからというわけではなく、姿の見えない来客が醸し出すひんやりとした空気が、心底体を冷やすからだった。

 聞こえないし見えない。冬子にとっては何もない空間で、雪久が話している様子は、いつも以上に不思議な光景だった。楽しげな時もあれば、真剣な表情の時もある。

 今までも何度か、この手の来客がやってきたことがある。茶を出そうにも口をつけることもない。

 来客は死者だった。冬子が雪久のその特技について知った時の話はまた別の機会にするとして、生き物ならまだしも、死者との会話についてはほんの少しだけ、懐疑的であった。雪久が嘘をつくとは思わないが、自分の目には映らない。そのはずだった。

 

「シーツを被っているおばけって本当にいるんですね」


 こくこくと頷いた死者は、玄関先に誰にでも見える形で立っていた。白いシーツを頭から被り、じっと佇んでいる。出迎えた雪久はその姿に驚きながら、部屋の奥にいた冬子を呼んだ。


「いやあ、実に珍しい。古典的なおばけさんだ。冬子くんにもこれなら見える」

「見えます。……あと、怖くないですね」


 おばけさんはその言葉に嬉しそうに体を揺らす。まだ声を発しないところを見ると、自分の言葉が届くのか半信半疑なのだろう。そういう来客は多い。


「わたしは席を外しますから、安心してお話して下さい。おばけさん、お茶は飲めますか?」


 冬子の声におばけさんはフルフルと首を振った。死者の飲食はその食物からエネルギーを頂くだけだという。だからお茶は必要ないと、そういうつもりなのだろう。冬子はそれに了承して頭を下げると雪久を残し退室した。


「……いい子だなあ」

「そうでしょう。冬子くんといって、うちのお手伝いさんです」

「お手伝いさんですか。てっきり妹さんか、奥さんかと。……あっ! 俺の声、本当に聞こえているんですね」


 シーツ姿のおばけさんは、雪久のほうを向き直ると彼をじっと見た。薄暗い部屋の中にいる彼は、幽霊の自分よりも、柳の木の下が似合うような風貌をしている。生前であれば話すこともなかったであろうその男の雰囲気に、ほんの少しだけ緊張していた。


「聞こえていますよ。まあ、簡単には信じられないだろうがね。ほらほら、座って下さい。立っている方が楽ならそちらでもいいけれど」

「それが、特にどちらが楽という感覚もないんです。ふわふわとしているので。でもなんとなく、座らせて頂きます」


用意された座布団の上に、そこに存在しない腰を下ろす。向かい側に雪久が座る。


「それで、今日はどのようなお話を?」

「ええ、まあ、それが」


 生きていたのなら、今この瞬間に茶を啜ったであろう。やはりもらうべきだっただろうか。喉が乾く感覚は、死してなお、あるのかもしれない。


「死んだのが、嫌でたまらなくてね」


 おばけさんの言葉に、雪久はほんの少しだけ、警戒した。これまで雪久が話してきた死者の中にも、強い恨みを持っていたものはいる。彼らの話を聞くと、それは真っ当な恨みであるようにも思った。理不尽に命を奪われたもの。楽しいことが待っていたはずのもの。なにもすぐに納得し、成仏しろだなどと、雪久には言えなかった。そういうのは自分の生業ではないと、彼は知っていた。だが同時に、出来ることなら自分と話すことで、気を楽にしてほしいとも思っていた。目の前にいるおばけさんは、まだゆるやかな悲しみの中にいる。


「見たところ…、いや、話したところ、あなたはまだ若いでしょう」

「ええ。働き盛りでした。ただ、ひどく疲れていて、自分で死にました。死にたくて死んだくせに、いざ死んでみたら、どうにも嫌でね。わがままでしょう」

「私は死んだことがないので、その気持ちはわかりかねるが、間違った道を選んだと後悔するのかもしれない。生き死にに関わらず、大きな決断は得てしてそういうものだからね」

「そうです。そうですね。ああ、そのとおりだ。俺は大きな決断をしたんだ。自分で選んだのに、どうして。昔からそうだ。自分で野菜炒め定食を選んだくせに、相手が選んだからあげ定食がうまそうに見える。そんなことですら後悔するのに、こんな大きな決断を後悔しないはずがないのに。どうして一人で決めたんだろう。なぜ、なぜ」


 おばけさんはそう言うと、泣いているようだった。本当に泣いているのかは、シーツに隠れて雪久の目には見えない。彼が泣き止むまでの間、雪久は、そのシーツに隠れた彼の姿を見つめながら、誰にでも彼のようになる可能性はあるのだと、胸が軋んだ。


 一頻り泣いたおばけさんは、それから雪久と他愛のない話をした。どうやら同世代だったらしく、子供の頃に流行った曲や、好きだったアニメの話をした。世代は同じだというのに、たとえば戦隊ヒーローの赤が好きなおばけさんと、黒が好きな雪久の好みはまるきり違った。それがまた楽しかった。学生の頃に流行ったほんの少しだけ大人向けの漫画の、主人公に想いを寄せるヒロインたちのタイプの違いについては、かなり白熱した議論が交わされた。

 おばけさんは大いに笑い、大いに意見し、いつしか二人はこれまでずっと仲の良かった友のようになっていた。

 日が昇り始める頃、話疲れたとシーツを揺らし笑ったおばけさんは、やっと自分が行くべき場所に向かう決意をしたようだった。


「雪久先生とは、死ぬ前に友達になりたかった」

「私もだよ。ああ、先生なんて呼ばなくていい。雪久でいいよ」

「ありがとう、雪久。もし迷惑でなかったら、俺の墓参りと、出来たら実家に線香をあげに来てくれ。あまり友達がいなかったから、来てくれる人間も少ないんだ。おふくろが喜ぶから」

「わかった。必ず行くよ」


 太陽が差し込んだ部屋には、もうおばけさんはいない。雪久の友人が残した、彼の宝物だった腕時計が、今日の礼だとそこに置いてあるだけだった。おばけさんが質屋にでも持って行くようにと言ったその腕時計は、彼の生涯の宝の一つとなった。

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