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冬の花咲く丘の上  作者: 木之子
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04

 雪久が、自分が他の人間にはない特技を持っていると自覚したのは、まだ彼が幼い頃だった。庭を飛ぶ小鳥の話し声が聞こえたのがきっかけだったように思う。みんなも同じように聞こえるものだとばかり思っていた雪久は、当たり前のように小鳥に挨拶をし、道を間違え家に入ってきた虫を外へ案内してやり、そうして両親を驚かせた。

 雪久の両親は彼が成人するのを待たず他界しているが、おおらかな人たちだった。雪久のそうした、はたから見れば奇行にも思える行動を咎めることはなかったし、微笑ましくさえ思っていた。

 しかし、雪久を取り巻く環境は変わっていく。両親以外の大人や、自分と年の同じ子供たちと関わるようになるにつれ、雪久はおかしな人間だと思われないように自ら気をつけるようになった。どうしても話さねばならない時は小声で対応し、それ以外は聞こえないフリをした。

 いつしか彼は、疲れ果てた。聞こえる声を無視し続けることは、彼にとっては大きな悲しみだった。当たり前に聞こえるものを、なかったことにするのは辛かった。まるで反動であるかのように、話がしたいと願った。両親の残した金で丘の上の古い家を買い取り、人の少ない場所で、人間とは違うものと会話をするようになった。いつしか変わり者がいると噂になり、雪久を訪ねてくる者も増えた。


 彼は、マメな男で、なおかつ不精者だ。草花を愛でるのは好きだし、家の修復も自分でするが、洗濯したものを洗っては着て、洗っては着て、と繰り返す。シワのよったシャツでも気にしないし、本来ならさらりとするはずの薄墨色の髪が、寝癖ではねていることにすら気がつかない。机の上や床に、読んだ本が積み重なっていても、足の踏み場さえあればどうにでもなる。来客と話をするのは主に縁側だし、仮に家の中で話すとして、一部屋くらいはなにも置かずにしておける。食に好き嫌いもなく、かといって強いこだわりもなく、即席麺が続くこともあった。


「先生、汚いわ!」

「そうね、汚いわ!」


 ある日そう言ったのは、庭に住み着いている二羽の小鳥だ。雪久はその言葉にキョロキョロと自分を見て、風呂に入っていることを告げる。そうではないのだと、小鳥たちはピーピー鳴いた。


「お部屋が汚いわ」

「シャツが汚いわ」

「お庭がきれいなのに」

「お庭はきれいなのに」


 歌うように汚い汚いと、小鳥たちが飛び回る。さすがの雪久もこれには恥ずかしくなり、静かにしてくれと小さく懇願した。片付けができないわけではないが、あまり得意ではない。このまま小鳥たちに歌い続けられるのは困る。


「お手伝いさんでも、お願いしようか」

「それがいいわ」

「それがいいわ」


 こうして雪久は、のちに冬子を呼ぶきっかけになった貼り紙を作った。住み込みでも良いと書いたのは、そういう働き口を探すものがこの国では多いからだったし、必要最低限の家事さえ出来れば、雪久の特技で会話に困ることはない。人間でも、死者でも、他国の者でもいいと思っていた。

 だが、若い女がくることなど少しも予想していなかった。冬子の電話を受けた雪久は驚いたし、声や場所を聞いて断られるに違いないと思った。直接断わることが出来なくても、約束の時間に現れないかもしれない。

 けれど、冬子はやってきた。自分と同じくらいか、それより少し若い、丸い目をした女性がそこに立っていた。亜麻色の髪が肩ほどまで伸びた、雪久よりもずっと小さな女性だった。緊張した面持ちだったが、優しげな雰囲気で、ちらちらと中庭の花を見ている。この人にならば任せられるかもしれないと雪久は思った。ならば出来るだけ、自分が安全であることを示さねばならない。そうして、雪久は冬子の丸い目が、さらに丸くなるようなことを言ったのだった。


 思えばそれがよくなかったのだ。いや、最初はそれでよかった。今だってそのつもりだし、冬子が悲しむようなことをするつもりはない。だが、あの頃とは違う感情が雪久の中にはあった。冬子との距離が縮まれば縮まるほど、もっと近くにいたいと思うことがある。安全な男だと彼女に約束したにも関わらず、その手は冬子の手を取りたいと思ってしまう。

 迎えに出たのだって、冬子の帰りが遅いことが心配になったからだ。

 いつか冬子は雪久から離れていく。雪久はそんなことを思いながら、それでも今だけは、同じ家に帰る、夫婦のように見えればいいのにと願った。

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